第95話 強い味方
夕飯はひまわりが帰ってくるまで待っていた。8時半になると、やっとひまわりが、かんちゃんに送ってもらって帰ってきた。
玄関に幹男君が迎えに行き、かんちゃんと鉢合わせをして、ひまわりが、
「従兄弟の幹男君だよ」
と明るく紹介した。
「どうも、神林です」
かんちゃんは、相変わらず、ちょっと無愛想だ。
「へえ、かっこいいじゃん、ひまわりちゃん」
幹男君がそう言うと、かんちゃんはさらに、無表情になった。ちょっと警戒してるようにも見える。
「かんちゃんも、ご飯食べていったら?」
母が私や幹男君の後ろから顔を出し、そう言った。
「いいです。もう遅いですし」
かんちゃんは、ほんの少しだけ笑みを浮かべ、母に断った。
「そう?じゃ、今度ゆっくりと来て」
「あ、はい。じゃあ、今度…」
そう言ったかんちゃんの顔は、困っているようにも見えた。そこへ、
「あ!かんちゃんじゃん!」
という、元気な聖君の声が聞こえた。かんちゃんとひまわりは振り返り、
「お帰り!お兄ちゃん」
「お帰りなさい」
と同時に言った。
「久しぶり、元気だった?また、店に顔出しにおいでよ」
「いいんすか?」
「いいっすよ、いつでも」
聖君はにっこりと笑い、それから、
「今、ひまわりちゃんのこと送ってきたの?ちょっと寄ってけば?」
と、かんちゃんを誘った。
「なんなら、ダイビングの話でもしようよ」
聖君がそう言うと、かんちゃんは思い切り、話を聞きたそうな顔をした。
「寄ってってよ、かんちゃん」
ひまわりもかんちゃんの腕にしがみつき、そう言った。
「じゃ、ちょっとだけ…」
かんちゃんは、遠慮しながらそう言ったが、嬉しそうな目をしている。
「なんだ。聖君はかんちゃんとも仲良しなんだ」
幹男君が、玄関からちょっと嫌味っぽく聖君に言った。
「え?あれ!なんで、いるんすか?」
聖君は、やっとそのとき、幹男君の存在に気がついたらしい。
「いちゃ悪い?神戸に行ってたから、お土産持ってきたんだけどさ。そういえば、おめでとう、聖君」
これまた、嫌味っぽく聞こえる。
「おめでとう?」
聖君は顔をしかめた。
「結婚だよ。ああ、ごめん。お祝いは用意してこなかった。多分、うちの親からくると思うよ」
わあ。幹男君、どっから聞いても、お祝いを言ってるようには聞こえないような、嫌味っぽさだ。
「あ!ひまわりちゃんから聞きました。ご結婚したんすよね。それに赤ちゃんもいるって!おめでとうございます」
かんちゃんが、リビングに入ってきて、聖君と私にそう言ってくれた。
「ああ、サンキュー」
聖君はにっこりと微笑み、かんちゃんをソファーに座らせた。
「冷たいお茶でいい?あ、夕飯は?聖君は食べてきたの?」
「はい」
「かんちゃんは?」
「あ、俺は多分家で用意してるから、いいっす」
「そう?」
母は冷たいお茶を二つ、リビングのテーブルに置くと、
「じゃ、夕飯まだだから、食べちゃうわね。悪いわね、かんちゃん。しばらく聖君と話しててね」
とかんちゃんに断り、キッチンに戻っていった。
かんちゃんを見ると、あきらかにほっとしている。どうやら、ただ単に、聖君と話がしたくて、うちにあがったようだった。
ひまわりは幹男君とダイニングにつき、しゃべりこんでいる。
母と夕飯の用意を整え、みんなで食べだした。ひまわりや幹男君、母の声も大きいが、それでもリビングからたまに、かんちゃんと聖君の大きな笑い声が聞こえてきて、めずらしくかんちゃんも、大きな声で楽しそうに話をしていた。
「かんちゃんって、無口なのかと思ってたら、そうでもないのね」
母がひまわりに言った。
「友だちとは、あんな感じで楽しくにぎやかにしてるよ。お兄ちゃんはきっと、気が合って一緒に話してると、楽しいんだろうね」
「ふうん。聖君は、ほんと、誰とでも仲良くなるんだね」
幹男君がぼそって言った。
「幹男君とは、仲良くないけどねえ。犬猿の仲なの?なんで仲よくなれないの?」
母が幹男君にそう聞いた。ああ、母も二人を見てて、仲よくないことがわかってるんだ。
「ま、しょうがないか。幹男君から見たら、妹を取られたみたいな感じでしょうしね」
母はそう言って、ため息をついた。
「…。単に男同士の集まりで会ったなら、友達にもなれたかもしれないですけどね」
幹男君が、そう言ってから、
「でも、桃ちゃんを妊娠させたって聞いちゃって、さらに俺の中で、敵みたいになっちゃったかな」
と、苦笑いをしながら言った。
「敵ねえ。応援するなり、見守るなりできないの?桃子にとっては、これは幸せなことなんだし、祝福してあげてよ、幹男君」
母が、ちょっと眉をひそめ、そう言ってくれた。
「…幸せ?」
幹男君も、眉をひそめた。
「そうよ。結婚も出産も、女にとって一大イベントなのよ?」
「…そうかもしれないですね。でも、それをまだ高校生の桃ちゃんに、背負わせたわけでしょ?」
背負う?
「そんなに簡単に、俺は祝えないかな。まず、あいつにガツンと言ってやらないと、気がすまない」
幹男君の声は低く、怖かった。
「あの、そろそろ俺、帰ります」
かんちゃんがソファーを立って、こっちに向かって言ってきた。
「え?もう?」
ひまわりが残念がったが、
「ごめん。うちの親も、あまり遅くなるとうるさいし、そろそろ帰るよ」
とかんちゃんは、ひまわりに答えた。
もう、みんなご飯は済ませていたので、みんなで玄関に見送りに行った。
「また来いよ」
聖君が言うと、かんちゃんは、
「はい。あ、今度海のDVDも見せてください」
と聖君にお願いしていた。
「ああ、いいよ、今度貸すよ」
聖君は快く、引き受けていた。
かんちゃんはご機嫌で帰っていった。
「かんちゃん、本当に聖君を慕ってるのねえ」
母が感心した。
「海が好きだから、きっと海の話に興味があるんですよ」
聖君がそう言うと、ひまわりが、
「そうじゃないよ。かんちゃん、本当にお兄ちゃんのこと気に入ってるよ。あんな兄貴いたらいいよなって、前に言ってたもん」
と、リビングのソファーに腰掛けながら言った。
「へえ。ほんと、聖君は男からも人気あるんだね」
また幹男君は、嫌味っぽくそう言った。
「…幹男さん、なんかいつも、含んだものの言いかたしますよね」
「俺?」
「…」
聖君は黙って幹男君を見た。
「男からも女からもモテる聖君。でも、俺は認めないなあ」
幹男君は、にやって笑いながらそう言った。
「いいっすけど。別に認めてもらえなくても」
聖君は、上目遣いに幹男君を見てそう答えた。
二人はリビングで、ソファーにも座らず、少しだけ距離を置いて立ったまま、話している。やばいな。目から火花が出てるかのようだ。
「ああ、二人の結婚も認めないね!じいちゃんやばあちゃんが許したとしても、他の親戚は認めないさ!」
幹男君の言葉に、聖君はにらみ返した。
「ちょっとやめてよ。幹男君。私もお父さんも、それに、おじいちゃん、おばあちゃんも賛成してるの。それでいいじゃないの」
「よくないでしょ、おばさん」
「どうして蒸し返すようなこと言うの?幹男君」
「蒸し返す?なんでこいつのこと、そんなに認めちゃうんですか?簡単に。もっと責めたっていいはずだ。桃ちゃんを妊娠させて平気な顔してるんですよ?」
「平気じゃないよ。ちゃんと籍入れたじゃん」
ひまわりがソファーにのけぞったまま、そう言った。
「籍入れて、責任を果たしたとでも思ってるなら、そんなの思い上がりもいいところだ」
「じゃあ、どうしろっていうの、幹男君は」
「…ちゃんと謝ったのかよ」
謝る?
「桃ちゃんのお父さんやお母さんに、謝ったのかよ?それから、桃ちゃんにも」
「なんで、私に謝らないとならないの?」
聖君が何かを言う前に、私が聞いた。
「だって、桃ちゃんの人生を台無しにしたんだぞ」
「台無しになんてなってないよ」
「なんで?その年で、母親にならないといけないんだよ?」
「それがなんで台無しになるの?私、赤ちゃんができて喜んでるよ」
「桃ちゃんはまだ、17歳なんだよ!本来なら、まだまだ遊んだり、いろんなこと楽しんだりする年齢だろ?」
「でも今、幸せだもん」
「それが本当に幸せなのか?子供の世話して一生終えちゃうなんて」
「子供の世話も、幸せなことだもの。聖君のそばにいられるのも、幸せなことだもの」
「聖のそばにいるだけの人生が?」
「そうだよっ!それが私の一番の幸せなんだからっ!!」
駄目だ。私今、猛烈に頭にきてるみたいだ。
「桃子、興奮しないの。幹男君もやめてくれない?お腹の子にさわるわ。興奮したり、ストレスはよくないのよ」
「…」
母の言葉で、幹男君はやっと黙った。
「幹男さん」
聖君がすごく冷静な声で、幹男君を呼んだ。
「俺、桃子ちゃんのこと、幸せにします。俺も、桃子ちゃんのそばにいられて嬉しいし、幸せだし、桃子ちゃんと家族を築けるのが、すごく嬉しいし。それは桃子ちゃんも同じ思いだし。俺の人生も、桃子ちゃんの人生も、台無しになんかならないです。だから、安心してください」
「何をどう安心したらいいんだよ」
「幹男さんのかわいい桃子ちゃんは、俺がちゃんと守り抜きますから」
聖君は幹男君の目を、しっかりと見ながらそう言い放った。
「結局幹男ちゃんはさ、お姉ちゃんをとられたのが、悔しいだけでしょ?だから、祝福できないだけ。ただすねてるだけ。てんで大人じゃないよね」
そう大人ぶったことを言ったのは、ひまわりだ。幹男君は言い当てられたからか、顔をかっと赤くした。
「だけどさ、幹男ちゃんだって、彼女いるんだし、同棲してるんでしょ?幹男ちゃんだって、いつ彼女が妊娠してもおかしくないような立場でしょ?もし、そうなったらお兄ちゃんみたいに、喜んでお父さんになれるの?結婚できるの?そういうのを全部、すぐに引き受けられるの?」
ひまわりの顔、真剣だ。
「できないでしょ?それなのに、お兄ちゃんにあれこれ言わないでよ。自分はできないくせに棚にあげて、やれ謝れだの、台無しにしただの、そんな勝手なこと言わないでよ!」
うわ。あのひまわりが、怒ってるよ。それも、ひまわりが大好きな幹男君に。
「ひまわり、もういいわよ。そのへんにしておきなさい」
「…」
ひまわりは母にそう言われて、黙った。幹男君は宙を見つめながら、黙り込んでいる。
「驚いたね」
やっと幹男君が口を開き、
「ひまわりちゃんにそんなこと言われるとはね」
と、苦笑いをした。
「…私はお姉ちゃんとお兄ちゃんの味方なの。たとえ、幹男ちゃんだとしても、二人のことを悪く言うなら、私は断固として戦うの!」
ひまわり…。なんだか、すんごく頼もしい。
「は!そうなんだ。ひまわりちゃんは、二人の味方なんだ」
一瞬、幹男君は笑ったかと思った。でも、すぐに眉をひそめて、
「ひまわりちゃんの言ってることは、図星だよ。俺は聖君のことが、憎らしかったんだ。大事な桃ちゃんをとられたからね」
と、そう言った。
「おじさんも賛成してるんですよね?おばさん」
「ええ、もちろんよ。聖君みたいな息子ができて嬉しいって、家に帰ってくるのも楽しみにして帰ってきてるわよ」
「は、すごいな。ほんと、聖君はすごいね」
今度の幹男君の話し方は、嫌味っぽくなかった。心底すごいって、思っているようだ。
「仕方ないな。なかなか認められないかもしれないけど、おじさんまでが許してるんだ。俺も許さないわけにはいかないよね。それで、そのうちにいい従兄弟になれるかもしれないしね」
幹男君はそう言うと、ふうっとため息をついた。
「聖君、本当に桃ちゃんを幸せにしてあげてくれ」
幹男君は、一回息を吸ってから、聖君に向かってそう言った。
「はい」
聖君はただ、はいと返事をしただけだった。でも、目は真剣だった。
「じゃ、これで言いたいこともちゃんと言えたし、俺は失礼するよ」
「幹男君も、彼女と仲良くね」
母がそう言った。
「はい、それじゃ。ごちそうさまでした。おやすみなさい」
幹男君は、そう言って、にこって笑うと、玄関を出て行った。
めずらしく、ひまわりは玄関まで見送りに行かなかった。聖君もリビングにいたまま、玄関には来なかった。
「ひまわりちゃん、サンキュー。俺と桃子ちゃんの味方でいてくれて、すげ、頼もしかったよ」
聖君はひまわりにそう言った。
「前にも言ったよ。私は二人の味方だって。これからもずっとそうだから、安心して!」
ひまわりが元気にそう返事をした。
「ありがとう、ひまわり」
私もお礼を言った。
それから聖君とお風呂に入った。聖君はバスタブにつかると、ふうってため息をついて、私を後ろから抱きしめ、
「なんかわかるけどね。幹男の気持ちもさ」
とぼそって言った。
「え?」
「俺も、杏樹がもし、高校生で妊娠して結婚なんてことになったら、彼氏を許せないって思うかもしれないからさ」
「…」
「大事だから、傷つけられたって思うかもしれないよね」
「うん」
「俺、桃子ちゃんのこと傷物にしちゃった?」
「え?」
「あ!今のなし!桃子ちゃん、どこも傷ついてない!今でも、ぴかぴかの純粋な宝石みたいに、輝いてるよ」
「え?何それ?」
「傷なんてない。どこにもない。ね?桃子ちゃん」
「うん」
「いつだって桃子ちゃんは、綺麗だし、俺の宝物だし」
ドキ!宝物?
「桃子ちゃん、愛してるからね」
「うん」
後ろから聖君が、ぎゅって抱きしめてきて、耳にキスをした。私は、その腕にしがみつき、幸せをかみしめた。
「聖君」
「ん?」
「私、台無しになんてなってないよ」
「わかってるよ」
「聖君の人生もだよね?」
「もちろん」
「ほんと?」
「すげえハッピーだよ。これ以上の幸せはないってくらいに。だから、台無しになるわけないじゃん」
聖君はまた、抱きしめる腕に力を入れた。
そうだよね。私もすご~~く幸せだ。私に聖君が謝るなんて、どう考えてもおかしい。こっちからお礼を言いたいくらいなのに。
そんなことを思いながら、私は聖君の腕の中で、幸せを感じていた。
だが、心の奥底にはもやもやしたものがひそんでいた。そのときには、見えなくなっていただけだった。