第93話 心をつかむ
みんなが聖君を見ている。聖君は、また優しい表情になり、話し出した。
「夏休みのうちに、入籍をしたんですが、何人かの人に、ちゃんと責任を取ったんだねと言われたり、中には、僕の人生がこれで台無しになるとか、未来を棒に振るとか、好きなことができなくなるというような、そんなことを言ってくる人もいました」
未来を棒に振る?え…。なあに、それ。聖君の人生が台無しになる?私と結婚することでってこと?
「友人も驚いていました。なんか、僕が潔く結婚したり、父親になることを受け入れたので、すごいって言われたりもしたんですけど…」
聖君は、ぼりって頭を掻いた。
「えっと。こんなこと言うと、あれかな~~。まあ、いっか。僕ってかなり、楽天家なのかもしれないんですよね」
いきなり、聖君はそんなことを言い出した。
「あ、でも、それを言うなら、うちの親のほうがもっと楽天家かな~。祖父や祖母もなんですけど、妊娠も、結婚も、あっさりと認めてくれて、それどころか、孫が生まれるとか、ひ孫が生まれるとか、そりゃもう、大騒ぎでお祭り気分くらいになってて…」
クスクス。笑い声がそこら中から聞こえた。
「おかしい。そんなふうに見えないのにね」
そんな声も聞こえる。
「さっきも話したことですけど、僕は仲のすごくいい家族や親戚の中で育ったので、家族を早くに持ちたいとも思っていましたし、僕はすごく父とも仲がいいので、子どもができたら、僕も絶対にすごくかわいがって、友達のようになんでも話して、すご~~く愛したいなって、そういう思いがめちゃくちゃ、強くって。だから、桃子ちゃん、あ、僕の妻の名前ですけど、妊娠したって聞いたときは、めちゃくちゃ喜んじゃったんです」
「え~~~!」
体育館にまた、どよめきがわき起こった。
それより何より、私は「僕の妻」にいちいち反応してしまう。ああ、またきっと私は真っ赤だ。
「桃子ちゃんが高校生だってことも、そんなのも忘れちゃって、ただただ、喜んでいました。もう即、結婚だ~~って大喜びしていたし、父や母にも、すぐに大喜びで打ち明けちゃったし…」
「え~~。そうなんだ。びっくり」
前の子がそう言って、私を振り向いて見た。横にいる子も私を見た。うわ。どんな反応をしたらいいんだろう。
「で、僕の両親も、すぐに喜んでくれて…。桃子ちゃんのご両親にも、その日のうちに話をしにいって、はじめは驚かれました。だけど、賛成してくれて、すぐに入籍することにしたんです。あ、今は僕が桃子ちゃんの家に住んでいます。そっちのほうが、桃子ちゃんが高校に通いやすいので…」
ああ、よかった。「僕の妻」でなく「桃子ちゃん」になった。ずっと「僕の妻」って言われたら、どうしようかと思った。
「結婚とか、家族を持つとか、子どもができるとか、そういうの、僕にとっては、夢だったので、桃子ちゃんとお付き合いをしていくうちに、桃子ちゃんとの将来も、はっきりとしたビジョンみたいなのができあがっていました。結婚や未来の生活までが見えていたので、ほんとに、赤ちゃんができたと聞いても、ああ、叶っちゃったよ、こんなに早くにって、喜んじゃったくらいなんです。責任を取るとか、重く考えるとか、そういうのまったくなかったんですよね」
ざわ…。生徒たちが、驚いている。
「あれ?やっぱり、驚くこと?だけど、僕の父も、祖父も早くに結婚しているからかな。僕にとっては、そんなに驚くことでもなんでもなかったんだけどな」
聖君はまた、頭をぼりって掻いた。
「それに、僕の将来が台無しになるとか、好きなことができないとか、そういうのもまったく僕は思っていません。なんで、そう考えちゃうのか、不思議なくらいです。僕の父は、僕や妹を育てながら、家族で本当に楽しいことをいっぱいして、好きなこともいっぱいできたよって、前に教えてくれたことがあります。それは、家族がいたからできたことで、だから、結婚したことも子どもを持ったことも、後悔したことはないって言ってました」
聖君はちらっと、お父さんのほうを見た。私も体育館の後ろを見ると、嬉しそうな顔で、聖君のお父さんが聖君を見ていた。
「だから、僕も、子どもと奥さんと夢を叶えていこうと思っているし、好きなこともどんどん、家族でしていきたいって思っています」
うわ~。そんなふうに言ってもらえるのが、嬉しい。
「それに…」
聖君の表情が少し変わった。
「祖父の話、しましたよね。祖父は、生まれてくる我が子のために、日記を毎日つけていたんですが、それを僕も父から、見せてもらったことがあって」
聖君は、前髪をまたかきあげた。
「祖父は、生まれてくる子に会えないと思っていたんです。なにしろ、余命数ヶ月と言われていましたし。それで、子どもに、どんなに自分や奥さんが、お腹の子のことを愛していたか、そして自分がどんなことを感じ、どんなことに感動したかを、記しておきたかったそうです」
しん…。体育館は静まり返っている。私も、ただただ、聖君を見ていた。みんなも、ただただ、聖君を見て話を聞いている。
「その日記を見ていたら、もう絶対に、生まれてこなかったらよかったとか、そんなこと思わないですよ。すごい愛情がたっぷりで、それにすごく輝いている日々のことが、書かれている日記でしたから」
うん。あの日記、本当に感動した。聖君のおじいさんが、どれだけ毎日を大事に生きていたかがわかる日記だった。
「だから、父は、生まれてきたことを自慢するんです。俺がお母さんのお腹にはいったから、お父さんは生きるほうを選んだんだとか、すごいタイミングで俺は、お母さんのお腹にはいっただろ?とか、そんな自慢を俺にするんですよ」
聖君はまた、お父さんを見て、それから視線を外して、くすって笑った。
「死のうと思ったことも、生まれてこなかったらよかったって思ったこともないって言ってました。そりゃ、そうですよね。すんごい愛されて、生まれてきたんだってわかったら、そんなこと思わないですよね」
聖君は私を見た。
「僕も、生まれてくる子のために、妻と日記をつけてるんです」
うわ。また「妻」って言った。だめだ。その言葉には、まだ慣れない。
「僕の子どもが大きくなって、自分の母親が高校生で妊娠したとか、そういうことを知って、もし、心無い人に何かを言われたりしたら、きっと傷つくと思うんです。だけど、そんなとき、日記を見たら、どれだけ、両親が自分を愛していたかとか、生まれてくることを望んでいて、喜んでいたかとか、そういうのわかったら、傷も癒されるかなって思って…」
「そうなんだ。そんな日記、つけてるんだ」
ぽつりと菜摘が、聖君を見たまま、そうつぶやいた。
「でも、最近はなんだか、子どものためって言うより、自分のためにもなってる気がします。日記、書いてるとき、すんごく幸せだから」
聖君は本当に嬉しそうな顔をした。
「今日はどんなことがあったかを、お腹の子に報告するんです。そうすると、嬉しい幸せなことばかりなんですよね。ああ、僕って、すごい毎日幸せに生きてるんだなとか、どんなに小さいことでも、ささいなことでも、ありふれたことでも、実はすごい奇跡の連続なんだなとか、そんなことを毎日感じてるんです」
聖君…。うん。そうだよね。私も毎日が幸せだもの。
「きっと、それは僕の妻も感じてると思います。で、俺たちって、幸せ者だよねなんて、話してます」
うわ。言っちゃった。なんだか恥ずかしいな。
体育館がまたどよめいた。いいな~とか、羨ましいとか、そんな声がしていた。
「でも、僕だけじゃなくって、きっとみんなも幸せなんだと思いますよ」
「え~~~?」
いっせいに、みんながそう声をあげた。
「あれ?幸せじゃないですか?そうかな…」
聖君はそう言うと、一回視線を下げた。
そして、視線をあげ、
「さっきの祖父の話ですけど。祖父は、我が子に会えないと思いつつも、いろんなイメージをしていたらしいんです。それ、僕が結婚してから、話してくれたんですけど…」
と、にこやかに話し出した。
その話、私、聞いていないな。この前、伊豆から出てきたときに聞いたのかな。
「たとえば、赤ちゃんをベビーカーに乗せて、自分の奥さんと3人で公園を散歩する。それから、海に3人で行って、浜辺を歩く。それから、子どもを、高い高いする。そうすると、子どもが、きゃっきゃって喜ぶ。朝起きて、奥さんの作った朝ごはんを食べるとか、夜は子どものかわいい寝顔を見てから眠りにつくとか…」
し~~ん。体育館はまた、静まり返っている。
「これ、けっこうなんでもない、ありふれたことだと思いませんか?でも、祖父にとっては、叶えられない夢だったんですよね。当時は…。そんなありふれたことですら、叶えられない、遠い夢だったんです…」
そっか。そうだよね。でも、そんなイメージをしていたんだ、おじいさん。
「だけど、がん細胞が奇跡的に消えちゃって、生まれてきた我が子に会えちゃって、自分の腕で抱くこともできて、それだけじゃない。ずっと叶えられないと思っていたことが、次々に叶っていって、祖父も、祖母も、本当に毎日を喜んでいたんだそうです」
聖君は少し黙り込んだ。なにかをかみしめている、そんな顔をしている。
「それって、すごいことだって思いませんか?みんなにとっても、ただ親がいること、家族がいること、朝ごはんを食べてること、学校に来ること、友達に会うこと、好きな人がいること、そんなこと全部が、実はすごい奇跡の連続だって、そう思えないですか?」
しん…。みんなは、ただ、聖君の話に耳を傾けている。
「もし、祖父のように、余命何ヶ月って宣告されたら、ただこうやって生きてるってだけで、きっとそれが幸せなことなんだって、気がつくかもしれないですよね…」
聖君は静まり返った生徒たちを、ゆっくりと見てから、
「僕の祖父は、よく僕に、今を生きろよって言うんですよね」
と話を続けた。
「未来や過去でなくって、今を生きろって。今が大事なんだって。祖父は、あとわずかな命だって言われてから、死を祖母とちゃんと向き合ってみて、それから、今をすごく大事に生きたんだそうです。そりゃもう、瞬間瞬間を、すんごい大切に…」
ズズ…。菜摘が鼻をすすった。あ、泣いてる?
「今、食べているものの味や、今、見ている景色や、風や、木々が揺れる音や、空の色、雨の音、小鳥のさえずり、それに、自分の愛する人たちの表情。そういうものを、ひとつも見逃したくないって思いで、すんごく大事に味わったそうです」
ぼろ…。あ、私も涙が知らない間に出ていた。
「そのとき、初めて自分が生きてるって思ったそうです。それまでは、仕事が忙しくって、まったく瞬間瞬間を、なにも味あわず生きていたって。それって、死んでるようなものだよなって、笑って言ってました」
聖君は、ちょっと黙って遠くを見つめてから、
「だから、僕も、っていうか、僕の家族は、ご飯を味わって食べたり、今を大事にして生きてるんです」
と話を続けた。
「だから、えっと。つまりですね。僕には夢もあるし、こうなったらいいなっていう未来のビジョンもあるんですけど、やっぱり、何より今を大事にしたいっていう思いが強いのと、それから、自分が大事な人を大事にして、生きていきたいなって、そう思っています」
聖君の言葉には、なんだかわからないけれど、心に直接響くものがある。ああ、そうか。それを聖君が、ちゃんと実践して生きているからか…。
「えらそうですね、なんだか。でも、それが生きるってことのような気がするし、自分の命も相手の命も大事にすることなんじゃないかなって、そんなことも思うんですよ。それに、そうやって今に生き始めると、どんどん気がついていくんです。あれ?僕ってすごく幸せなだって」
みんなを見てみた。涙を浮かべている子もいるし、うっとりと話を聞いている子もいる。
「だから、みんなも幸せなんです。もうちょっと、しっかりと周りを見てみたら、きっとわかります。感じるはずです」
聖君はしばらく黙り込んで、下を向いている。聖君が黙っていても、誰一人として、話をする人はいなかった。
「僕は…、すごく幸せなので、みんなにも幸せになってほしいって思っています。きっと、みんなも気づけるはずです。不幸や苦しみを見るんじゃなくて、幸せを見るんです。自分から、ちゃんと…」
聖君の目は真剣だった。
「それって、人の幸せをうらやむことでもないし、人と比べることでもない。自分で幸せを選択することなんじゃないのかなって、そんなことも思ってます。なので、もし、僕や妻の幸せをやっかむようなことをするなら、それは幸せから遠ざかることだとも、思っています」
聖君?さっきとかなり、表情が違うよ。
「さっきも言いましたが、僕は大事な人は大事にしていきます。大事な人を傷つける人が現れれば、断固として、守り抜きます。僕の妻は、あ、小百合さんもですが、多分多くの人から、好奇の目で見られると思います。それに、皆さんの親御さんからは、非難の声があがるかもしれません」
ああ、そうか。私や小百合ちゃんを守るために、真剣に話をしてくれてるんだ。
ああ、そうだった。桃子ちゃんを守るために話をしにいくよって言ってた。それが1番の目的なんだ。
「僕の妻も、きっと小百合さんも、もう子供を守るという、母性本能があると思います。それは僕でも負けるほどの強さだとは思いますが、でも、さっきも言ったように、妊娠中って、情緒不安定にもなるし、なによりストレスは、お腹の子によくないですから」
「兄貴。真剣だね…」
菜摘がつないでいる手を、ぎゅって握って言ってきた。
「うん」
聖君の声も、目もさっきとは全然違う。
「僕は、僕の妻と赤ちゃんを守ります。理事長も、一人一人の生徒の命と、人生を守ると言ってくれました。それを信じて、大事な命を僕は、預けます。それに、妻のいるクラスの担任の先生にも、妻を守ってもらうよう、この場でお願いします」
聖君はそう先生のほうを見て言った。担任の先生は、コクンと真剣な目で、うなづいた。
聖君はまた、生徒たちを見て、
「それから、妻のクラスメイトにも、お願いします。それだけじゃない。全校生徒の皆さんにもお願いします」
と言って、深く頭を下げた。
ボロボロボロ…。私は涙が一気に溢れてきた。とめどなく、どんどん流れている。
聖君。ありがとう。聖君。今すぐ飛んでいって、抱きつきたいよ。
「大丈夫だよ、守るから!」
菜摘が突然立ち上がって、そう叫んだ。聖君は頭をあげ、菜摘を見た。
「私も!任せて!聖君。ちゃんと守っていくよ!」
蘭も立ち上がった。
「わ、私も!」
花ちゃんも立ち上がった。
「私も守る。親がなんて言おうが、世間がなんて言おうが、椎野さんと小百合さんの応援をするから」
私のクラスの委員長が、立ち上がってそう言ってから、後ろを向き、
「クラスメイトになるんだもんね!みんなで守っていこうね!」
と、クラス全員に向かってそう言った。
「そうだよ。みんなで守ろうよ。応援しようよ」
クラス全員が立ち上がった。
「大事な命、絶対に守ろうよ」
隣のクラスの子も立ち上がった。
それから、どんどんみんなが立ち上がり、菜摘は私の手を取って、私も立ち上がらせた。
私はもう、涙でぐちゃぐちゃになってた。
「ふえ~~ん」
泣きながら、菜摘に抱きついた。
「菜摘、蘭ちゃん、花ちゃん、サンキュー。それから、みんなも本当に、ありがとうございます!」
聖君が涙声でそう言うと、思い切りまた頭を下げた。
ああ、聖君も泣いてるんだ。
パチパチパチ!拍手の音が聞こえた。聖君のお父さんと、私の母、そして祖父と祖母が泣きながら拍手をしていた。
それから、先生方も、みんな立ち上がり拍手をしている。
「榎本さん」
理事長と校長が、舞台に上がってきた。
「私たちも、守っていきますよ。全力で」
校長がそう力強く言った。
「榎本さん。すばらしいお話をありがとうございました。それに、小百合のことまで、心配してくれて、ありがとうございます」
理事長は涙ぐみながら、そう言った。
「こんなに感動したことも、全校生徒がひとつになったことも、創立以来、初めてのことです」
理事長は聖君の手を取って、握手をしている。
「すみません。命の話とか言いながら、僕の妻と子どもを守ることを、みんなにお願いする形になってしまって」
「いいえ。それこそが、大事なことです。命が大事だということを実感して、そして行動に移すこと。それが大事なことなんですよ、榎本さん」
理事長が声を大きくしてそう言った。それから、マイクに向かって理事長が、生徒たちに話をしだした。
「我が校は変わります。学校の伝統を重んじたり、守ったりするのではなく、生徒の皆さんを守り、応援する。そういう学校に変わります。きっと、最初は大変なこともあるかもしれません。親御さんの中には、榎本さんが言うように、非難する人もいるでしょう。マスコミだって、黙っていないかもしれません」
理事長は、一回黙り、息を大きく吸った。
「ですが、命を守っていくこと、大事にしていくこと、そのためには、実行していかないとならない、そう今、痛感しています」
し~~ん。生徒たちはみんな、理事長の話をじっと聞いている。
「皆さんも、変わっていきましょう。ともに、変わっていきましょう。もし、親御さんがわかってくれなかったとしても、それでも、がんばってみんなで、前に進んでいきましょう」
理事長の言葉にも、目にも、声にも、力がこもっていた。
周りの子の中には、泣いている子もいた。
目を輝かせている子もいた。
そして、涙を手で拭きながら、理事長の話を聞いている聖君を、見つめている子もいた。
私は、聖君を見た。聖君は涙を拭くと、私のことを見つめ、優しく微笑んだ。
聖君。
聖君。
「桃子、兄貴のところに行ってきな」
菜摘が私の心のうちがわかったのか、そんなことを言い出した。
「え?」
「ほら!」
菜摘が私の手を取って、歩き出した。
「ちょっとごめん、桃子のこと前にいかせてあげて」
そう菜摘が言うと、みんないっせいに道を開けた。
「兄貴、桃子連れてきたよ」
菜摘が舞台のまん前まで私をひっぱっていき、そう言った。
「サンキュー。菜摘」
聖君はそう言うと、舞台からばっと飛び降りて、私のほうに来た。
「ああ、やっぱり。すげえボロボロになってるや、桃子ちゃん」
私の顔を見て、聖君はそう言うと、ズズっと鼻をすすり、
「俺も、泣いちゃったけどさ」
と、にこって笑ってそう言った。
それから、むぎゅって私を抱きしめてきた。
「わ~~~!」
「きゃ~~!」
生徒たちがまた、私たちを見て、どよめいた。
「ひ、聖君」
私が困っていると、聖君は私から離れ、
「まじで!まじでみんな、桃子ちゃんと赤ちゃんのこと、頼んだよ!」
とでかい声をはりあげた。
「わ~~~!」
また体育館に、どよめきが起こった。拍手も起こった。
聖君はそのまま、私の肩を抱き、先生たちのほうに歩き出した。そして、まず、PTA会長の前に行き、
「ありがとうございました」
とお辞儀をした。それから、担任の先生の前に行き、
「桃子さんのこと、よろしくお願いします」
と深くお辞儀をした。
担任の先生は、
「はい、了解しました」
と、お辞儀をして答えた。
舞台から降りてきた理事長は、拍手をして私たちのところにやってきた。
「本当にすばらしかったわ、榎本さん」
「理事長。こういう機会を与えてくれて、ありがとうございました」
聖君は、理事長にも頭を下げた。
校長もやってきて、
「榎本さん、すばらしいお話でした。あなたは本当にすごいわ。人の心をつかむ才能を持っているわ。どう?大学で教員免許をとって、この学校の教員にならない?」
と、嬉しそうな顔つきをして、聞いてきた。
「まあ、それは素敵なことですね、校長。私も、榎本さんには教師になる才能があると思いますよ」
理事長も目を輝かせてそう言った。
「いえ、僕は、人と接するのは苦手ですし、特に、女の子は、どう接していいかわからないので、無理です」
聖君は慌てて、そう言った。
「ええ?まさか!あれだけ、女子生徒の心をつかんでおいて、よく言いますよ」
理事長が笑いながら言った。
「本当のことです。もともと苦手なんです。僕が心を開けるのは、桃子ちゃんだけだし、他の子は、どうも苦手なんです」
聖君はぼりって頭を掻いた。それから、
「僕は海とか、動物とか、そういう自然のほうが興味もあるし、そういう自然を相手にした仕事に就きたいって思っています。すみません」
と言って頭を下げた。
「そうですか、残念ですね。でも、これだけかっこよかったら、女子校の先生になったら、桃子さんが不安でしょうがないですね」
と、校長が笑いながらそう言った。
「え?あ、はい」
私は思わず、うなづいてしまった。
舞台には教頭先生が立ち、始業式を続けていた。私と聖君と小百合ちゃんは、校長や理事長と一緒に体育館をあとにした。
体育館から出ると、聖君のお父さんと母、そして祖父と祖母がいた。
「聖、よかったぞ」
聖君のお父さんがそう言って、聖君の髪の毛をぐしゃってした。
「ああ、また、すぐそうやって髪をぐしゃぐしゃにする…」
聖君は、そう言いながらも嬉しそうだ。
「聖君、感動したわ」
祖母が鼻をすすりながら、聖君にそう言った。
「本当よ。すばらしかったわ」
母も、目も鼻も赤かった。
「うむ、やっぱり聖君は、人の心を動かす、すごい力を持っているなあ」
祖父も感心している。
「ありがとうございます」
聖君はちょっとテレくさそうに笑った。
「さ、校長室まで、またどうぞお越しください。桃子さんと、小百合さんもどうぞ。あとで、3年C組の担任が呼びにきますから」
「はい」
校長に言われ、私と小百合ちゃんも、みんなのあとをついていった。
校長室に入ると、
「小百合さん、桃子さん、疲れたでしょう。座って」
と、校長が言ってくれた。私たちは、ソファーに腰掛けた。
「桃子さんは、腰冷やさなかったですか?じかに床に座ってたんでしょう?」
理事長も、私を心配してそう聞いてくれた。
「はい、大丈夫です」
「桃子さんと、小百合さんはこれからが大変になるんですよと、お話しようと思っていたんですが、榎本さんのお話で、学校中がお二人の味方になってしまったから、もう大丈夫ですね」
校長がそう優しく言った。
「でも、校長。生徒だけではなく、これからは保護者の人たちに話をしなくてはなりませんよ。私たちから」
理事長が、きりっとした顔で校長に言った。
「そうですね。PTA総会も開いて、お話しましょう。これから、会長もきますから、相談しないといけないですね」
校長もまじめな顔つきになった。
「ですが…」
理事長は私たちを見ると、
「お二人のことは、必ず守りますから、安心してくださいね。そして、もし、何か中傷を受けるようなことがあれば、即座に相談しに来てください。校長にでも、私にでも、担任にでも。わかりましたね?」
と言ってくれた。
「はい」
私はうなづいた。小百合ちゃんは、
「ありがとう、おばあさま」
とお礼を言った。
「榎本さん、本当に今日はありがとうございました。命だけでなく、今に生きること、幸せになること、そんなお話も聞けたし、なにより生徒たちを一丸にさせてしまったこと、生徒たちの心をつかんでしまったこと、もう見てて天晴れでしたよ」
理事長は聖君の肩をぽんぽんとたたきながら、そう言った。
「ありがとうございます」
聖君はまた、頭を下げた。
トントン。ノックをする音とともに、
「失礼します」
という声がして、担任の先生が入ってきた。
「竹内先生。小百合を頼みましたよ」
理事長がそう言った。
「あ、桃子のことも、よろしくお願いします」
母も慌てて、先生にお辞儀をした。その横で、祖父と祖母もお辞儀をしていた。聖君までが、ぺっこりと深く頭を下げていた。
「はい。かしこまりました。では、西園寺さん、榎本さん、教室に行きましょうか」
「はい」
小百合ちゃんが、先に部屋を出た。私もあとから続こうとすると、
「桃子ちゃん、大丈夫だからね」
と聖君が最高の笑顔で言ってくれた。
「うん」
私はコクンとうなづき、
「行ってくるね」
と聖君に微笑みかけ、部屋を出て行った。
コツン、コツン。先生のヒールの音が廊下に響いた。
私は小百合ちゃんの横に並んだ。小百合ちゃんは私を見ると、
「桃子ちゃん、いよいよだね」
と、緊張した顔で言ってきた。
「うん」
私も緊張していて、それ以上は何も言えずにいた。