第92話 命の話
体育館は、ざわめきというよりも、どよめきが起こっている。そのほとんどが、
「かっこいい~~」
「イケメン~~」
という声だ。聖君はしばらく黙り込み、かなり困惑しているようだ。
「ええっと…」
聖君は前髪をかきあげ、眉をひそめた。そんな仕草までが絵になるので、回りのみんながうっとりと見ているのがわかる。
「あ~~、話してもいいですか?」
聖君は、困りながら、そんなことを言った。生徒たちが、
「困ってるみたい。なんだか、かわいいよね」
と言っている。
「僕の話というのは、さっき紹介してくれたように、命の話なんですけど、自分自身の体験なんです」
ざわ…。聖君がひとつ何かを言うたびに、みんながざわつく。
「僕は今、大学1年生で、18歳です。高校2年まで、特にこれといった悩み事もなく、苦難もなく過ごしていました。うん、そりゃもう、のほほんと…」
クスクス。笑いも起きた。
「高校2年のときに、実はあることがきっかけで、僕と父が血のつながりのないことを知りました」
「え~~、どういうこと?」
「お父さんとだけ?」
そんな話し声が聞こえる。
「僕の母は、父と知り合う前に結婚も考えていた彼がいて、その彼が母と別れて、他の女性と付き合いだして、母は母で、父と出会って、付き合いだしたんですけど、その後、僕を妊娠していることがわかったんです」
体育館は、静かになった。みんな聖君の話を、真剣に聞きだしている。
聖君の話し方は柔らかい。声は澄んでいて、体育館によく響く。表情も柔らかく、緊張はしていないようだ。
「母は、妊娠しているとわかって、すごくショックを受けて、父と別れようとしたんですね。僕のことも、産んでも不幸になるだけだと思い込んで、中絶も考えたようです」
まだ、体育館は静まり返っている。真剣に聞いているだけでなく、聖君の声や話し方、表情、全部にみんなが、見入っているっていう感じだ。
「だけど、父がお腹にいる僕のことも含めて、受け入れてくれて、結婚を決意して、父親になる決意もしてくれたんです」
聖君は、ふと体育館の後ろを見た。その視線の先を見ると、そこにはなんと、聖君のお父さんがいた。いつ、呼んだんだろう。お父さんの横には母と、祖父と祖母がいる。
「父は、母のお腹にいた僕が血がつながっていようが、いまいが、そんなこと関係なく、愛してくれたんです。それは父だけじゃない。僕の祖父も祖母も、みんなが僕の誕生も、そして成長もすごく喜んでくれて、親戚中がみんな、血のつながりなんて関係なく、僕を愛してくれました」
し~~~ん。誰一人として、話す生徒はいなかった。
「僕は、血のつながりがあると思っていたから、かわいがってくれるのは当然だと思っていました。ところが、高校2年のとき、偶然にも僕は父と血のつながりがなかったんだと知り、ものすごいショックを受けたんです」
聖君はまた、聖君のお父さんのほうをチラッと見て、そして視線を下げた。
「本当の父親じゃないくせに、父親づらしやがって…とか、俺なんか生まれてこないほうがよかったんじゃないか…とか。そのころは、とんでもないくらいひねくれた考えをしちゃって、父とも口をきかなくなっていたし、血のつながっている本当の父のことも、恨んだりもしました。なにせ、僕の母を切り捨て、他の女性と付き合いだしたわけですから」
「…」
菜摘が、私の手をぎゅって握ってきた。菜摘の顔を見たら、唇をかみ締めている。ああ、そうか。この話は菜摘には、きついよね。お父さんのことだもの。
「母は、実は、こんなこと言って驚く人もいるかもしれないんですけど、海で自殺をしようとしていたところを、父に助けられたんです」
「え?」
菜摘の顔が、顔面蒼白になった。あ!これ、菜摘、知らなかったことなんだ。
私は聖君を見た。その話はしちゃだめ。そう目で訴えた。
聖君はふっと視線を菜摘に移した。菜摘も聖君を見ていた。聖君はすごく優しいまなざしで、菜摘を見ている。
「そこで、父と母は運命の出会いをしたわけです。あはは。父いわく、僕が二人を引き合わせたんじゃないかって…。そんなことを言うこともあれば、俺が聖の命もあのとき、救ったんだから感謝しろなんて、そんな恩着せがましいことを言うこともあるんです」
聖君の笑い声も、笑顔もめちゃ、優しかった。菜摘はその顔を見て、表情を和らげた。
「父と会って、母は変わりました。そして、結婚して僕を生んで…。僕はしょっちゅう母に、生まれてきてくれてありがとうと、言われてました。もう、耳にたこができるくらい」
聖君はにこやかな顔で話をしている。
生徒たちはその笑顔にも、声にも魅了されている。ううん、生徒たちだけじゃなく、先生たちもだ。
「僕はなんでそんなことを言ってくるのか、子供心に不思議でした。でも、そのわけが、高校2年のときにわかりました。僕の命を絶とうかと一回は考えた母は、父と結婚したことも、僕を生んだことも、本当に幸せで、感謝していて、それで、僕に何度も、ありがとうって言ってくれてたんですよね…」
聖君はしばらく黙ってから、
「父は、僕に自叙伝を残しててくれて…。まあ、手紙みたいなものなんですけど、それに、こう書いてあったんです。もし、僕が血のつながりのないことを知って、傷ついたり、悩んだりしたときには、一緒にそれを乗り越えていくよ。…それ、本当に父は、いや、母も、僕が傷ついてつらかったとき、すぐそばにいて、見守っててくれたんですよね」
聖君…。う、やばい、泣きそうだ。私…。
「僕が傷ついたり、苦しんでいるのを見るのは、両親にとってなによりもつらいことだったと、今はわかります。でも、両親は、僕がちゃんと立ち直れる。前を向いて歩いていけると信じてくれてて、見守っててくれたんです」
じわ~~。ああ、涙で、聖君はぼやけて見える。
「そういうの、すごくよくわかっちゃって、それで、だんだんと血のつながりなんか関係ないって思えてきて、父のこと、それまでも大好きだったし、尊敬もしてたんだけど、ますます尊敬しちゃって、そんなことがあってから、絆がまた深まったなって、そう思ったんです」
聖君のお父さんのほうを見たら、目を細めて今にも泣きそうな顔をしていた。そしてその横で、母はすでに泣いていて、ハンカチで涙を拭き、祖母もまた、同じようにハンカチで目を押さえていた。
「僕の父は、21歳で結婚して、僕の父親になりました。あ、母のほうが7歳年上なんですけど。それに、僕の祖父もやっぱり、21歳で結婚して、父親には22歳でなったのかな?僕の家系ってどうも、早くに結婚するようになってるんでしょうかね?」
ざわ…。そこでまた、ざわめきが起きた。
「もしかして、あの人も結婚をするの?」
「え~~。じゃ、やっぱり理事長の孫と?」
そんな会話があちこちから聞こえだした。
「えっと、あれ?何かざわついちゃったけど、なんで?俺、なんか変なこと言った?」
聖君はちょっと慌てている。そして、前のほうにいる生徒たちに、
「何?どうかしちゃった?俺、何を言っちゃった?」
と聞いている。
「あの、榎本さんも結婚をするんですか?」
一番前にいる生徒が聞いた。
「え?」
「もしかして、理事長のお孫さんとですか?」
他の生徒がそう聞いた。
「…小百合さん?違うよ。あ、いや、違います。小百合さんの旦那さんになる人は、もうしっかりと働いている人で、今日は仕事でここには来ていません」
聖君がそう言うと、
「なんだ、違うじゃない」
とか、
「理事の孫とは関係ないんだ~~」
という声がまた、あちこちから聞こえてきた。
「ああ、それが気になってたんですか?そっか~~。ええっと、僕、どこまで話しましたっけ?」
聖君はちらっと、校長のほうを見た。
「お父さんと、おじいさんのお話」
校長が、そう聖君に教えているのが、かすかに聞こえた。
「ああ、そうだった。僕の祖父も、若くて結婚して父親になったっていう話ですよね。祖父は、実は癌で、半年も生きられないと宣告を受けたあとに結婚して、それから赤ちゃんもできたんですよ」
「え~~!」
どよめきが起きた。
「その赤ちゃんって言うのが、僕の父ですけど、祖父はその後、なんと奇跡が起きて、がん細胞が消えちゃって、みごと60歳のこんにちまで、すげえ元気に生きちゃってるわけですが…。そりゃもう、元気すぎるだろっていうくらい、元気で…。あはは」
聖君が笑うと、みんなも顔をほころばせ、でも目はしっかりとハートマークになっていて、その笑顔に見入っているのが、はたから見てもよくわかる。
聖君は、前髪をまたかきあげた。それから、目線を一回下げ、そしてまたあげると、
「父は、祖父と祖母から、ものすごく愛情をかけられ、育ちました。僕もまた、生まれたとき祖父や、祖母とも住んでいたんですけど、すんごくかわいがられて育ちました」
と話を続けた。
「それから父は、家族をすごく大事にしてて、僕は子供のころから、父とサッカーをしたり、泳ぎにいったり、みんなで旅行に行ったり、そうやって、家族、いや、親戚みんな仲のいい環境で育ちました」
聖君の顔、本当に穏やかだな。今、落ち着いているんだな…。
「僕は、そんな中で育ったからか、家族を持つこととか、子どもを持つこととか、そういうことが夢になってたんですよね」
聖君はそう言ってから、ちょっと照れくさそうに頭を掻いた。
「あ、そうだ。忘れてた。これも話しておかないと。さっきの、血がつながってなかったってことを知ってから、両親に見守られたり、あと僕には親友がいるんですが、そいつらも、そばにいてくれたし、だから、立ち直れたし、そうやって落ち込んだり、つらい状況のときにこそ、家族や友達ってのは、必要な存在で、一緒に乗り越えていってこそ、絆が深まるんだなって、そう思ったんです」
し~~ん。体育館はまた、静かになった。なんていうのか、もう、みんな聖君の話に魅せられ、そのあと、どんな話をしてくれるんだろうか、そんな感じで、聖君の話に夢中になっているようだ。
「実は、僕の血のつながった父には、一人娘がいて、僕よりもひとつ下なんですけど、えっと、あまり詳しいことは言えないんですが、妹もいろいろと傷つくことがあって、でも、妹にも両親がいて、それに親友がいて、いつもすぐそばで、見守ってくれてる親友で、だから、きっと妹も立ち直れるって、僕はそう確信してたんですよね」
「…」
菜摘の目が潤んでる。
「母の自殺のことも知らなかったと思うんですけど、きっと、さっきはじめて聞いちゃったことで、今ごろショックを受けてるとは思うんですけど、でも、大丈夫だよね?隣に親友がいてくれてるし、それに、俺もいるし、ね?」
聖君は菜摘のことを見て、にっこりと笑った。
周りがみんないっせいに、菜摘を見た。
「菜摘のこと?」
「あ、そういえば、前に兄貴って呼んでたよね?」
クラスの子達がざわついている。
「…血のつながった妹だって知ったときには、まさか今みたいに、こんなに仲のいい兄妹になるとは、思ってもいなかったんだけど…。まじで、今は仲のいい兄妹なんですよ。はは…。それに、今では、血のつながった父とも、僕はすっかり仲良くって。不思議でしょ?だけど、今はラッキーだって思ってるんです。なにしろ、家族が増えちゃったわけですし」
聖君はそう言ってから、また「あはは」って笑った。
うわ。すごく爽やかな笑顔だ。周りを見たら、みんな目がハートだ。
「僕は今では、生まれてこなかったらよかったなんて、思っていません。逆に生まれてきてよかったって、まじで思ってます。だから、生んでくれた母にも、僕の父親になると決意してくれた父にも、そして、血のつながった父にも感謝してるんです」
し~~ん。みんなの目が、真剣になった。そして聖君の目も、真剣になっていた。
「命って、すごいと思いませんか?もし、僕を生むことを、母が選択してくれなかったら、僕はここにいない。父にも妹にも会えなかった。それに、僕から、今度はまた新しい命につないでいくはずだった絆すら、できなくなるんですから」
ぎゅ!菜摘がまた、私の手を強く握ってきた。菜摘は泣いていた。私も、涙で目がうるうるだった。
「だから、粗末になんてできないし、命をここで断ち切ることもできないんです。小百合さんも、新しい命がお腹にいて、もう毎日成長してて、それを断ち切るのではなく、育てていくほうを選択したのは、僕もなんだか、すごく嬉しいんですよね」
聖君はそう言ってから、小百合ちゃんを見た。
「大丈夫ですか?さっき、顔色悪かったけど、つわり?」
聖君が小百合ちゃんにそう聞いた。小百合ちゃんは首を軽く横に振り、
「もう、大丈夫です」
と言っているのが、聞こえてきた。
「よかった。小百合さん、まだつわりあるみたいだから。つわりってすげえつらそうですよね。でも、女性ってすごいなって思います。お腹に命が宿ったとたんに、母親になるんですよね。つわりがきつかろうがなんだろうが、赤ちゃんのためだからって、我慢できちゃう。まじで、尊敬しちゃいます」
聖君はそう言ってから、また、小百合ちゃんをにっこり微笑みながら見た。
小百合ちゃんもだけど、その周りにいた女の先生方までが、顔を赤くしていた。
「小百合さん、何組になるんですか?」
聖君は校長先生に聞いた。
「3年C組よ」
校長が答えたのが聞こえた。え?うちのクラス?
「そうなんだ。3年C組って、どのへんですか?」
今度は聖君は、生徒たちのほうを見た。うちのクラスの子が何人か、手をあげた。
「ああ、そこらへん?あれ?そうなんだ」
聖君が私と、菜摘を見て、にっこりと笑った。
「大丈夫そうですね。あ、でも、一応、同じクラスになる人に、ぜひ、妊婦さんっていろいろと大変なので、小百合さんの援助をしてあげてくださいね」
聖君は、私たちのクラスの子たちを見ながら、そう言った。
「つわりも、大変だと思います。食べ物のにおいとか、だめみたいだし。あと、重い荷物ももたないほうがいいし、それから、精神的にも情緒不安定になったりとか、物忘れがひどくなったりとか、そういうこともあるみたいなんで、みんなでカバーしてあげてください」
「詳しい~~」
「なんでそんなに、あの子に優しいのかな?」
「なんか、あやしい」
そんな声が、周りから聞こえた。その声は聖君にまで、聞こえたようだ。
「ああ、妊婦さんのことに詳しいのは、最近、そういう本を読んだからで…」
そう言ってから、聖君はぼりって、頭を掻いた。そして、ちらっと私を見て、そのあと、理事長を見た。
理事長は聖君の顔を見ると、こっくりとうなづいた。
「そろそろ、本題にはいってもいいですか?」
聖君がまっすぐ前を向いて、そう言った。
「え?本題?」
「今までのは、違うの?」
また、体育館がざわついた。
「え~と、命の話について、もうひとつ。それと、お願いがもうひとつ」
聖君はそう言うと、しばらく黙った。そして、私をまた見た。
ドキ。私のことだよね。今から話そうとしてるのは…。ああ、やばい。心臓がまた早く鳴り出した。
菜摘が私の手をぎゅっと握った。菜摘を見ると、菜摘は私を見て、こっくりと大きくうなづいた。
私はまた、舞台の上の聖君に視線を移した。
「実は…」
聖君はそう言ってから、下を向き、また黙り込んだ。
「理事長に僕が夏休みの間に会って、こんな命の話をすることになったきっかけっていうのは、僕の…」
また聖君が、話を止めた。どう言おうか、悩んでいるんだろうか。
「そうだよね、なんでそんな話をしたのかな」
後ろからそんな話し声が聞こえた。
「なにかな。本題って」
また、体育館がざわついている。
聖君は顔を上げ、まっすぐに前を向いて、マイクに向かい、
「実は、僕の奥さんが、妊娠したので退学になるかもしれないのを、卒業までいさせてくださいと、申し出るために、理事長や校長に会いに行ったんです」
と、はっきりとした口調で言った。
一瞬、体育館がし~~んとなった。でも、その数秒後、ものすごいどよめきが起こった。
「奥さん?!」
「妊娠?!」
「だれ~~~?!」
「やっぱり、椎野さん?」
私の周りのみんなが、いっせいに私を見た。うわ~~~~。どうしよう。
「あ、もうばれてたか」
聖君がそれを見て、ぼそってそう言った。あ、それもマイクが拾って、体育館中に響いているよ~~!
「うん。そうです。3年C組の椎野さん。でも、夏休みの間にもう籍を入れたから、榎本桃子になってるんですけどね」
聖君がそう言うと、
「椎野さん、結婚したの?」
「きゃ~~~!うそ~~」
という、けたたましい声がいっせいに、周りから飛び出した。
「じゃ、妊娠してるの?」
「椎野さんの旦那さんなの~~?」
ああ、収拾がつかないくらい、みんながさわいでいる。
「えっと!すみません。小百合さんと違って、桃子ちゃん、あ、いえ、僕の妻は、つわりもおさまってるんですけど、でも、やっぱり重いものを持つのもよくないし、いろいろと注意しないとならないこともあるので、ぜひ、クラスの皆さんには、協力してもらいたいなっていうのが、僕からのお願いなんです」
聖君の声で、一回体育館は静まったが、またすぐに、
「妻だって!」
「椎野さんのこと、僕の妻って言ってた。きゃ~~」
と言う声で、私の周りはまたたくまに、にぎやかになってしまった。
私だって、「僕の妻」に、反応して真っ赤になってしまっている。
「あ、えっと。すみません!まだ、話が終わってないので、聞いてもらってもいいですか?」
聖君が、大きな声を出した。
みんながいっせいに、聖君を見て、体育館は静かになった。
だ、だめだ。私の頭には、「僕の妻」が何回も、繰り返されていて、思考回路が止まったままだ。
聖君の話、聞いていられないかもしれない。
でも周りを見ると、みんながまた、真剣な目で聖君を見ている。菜摘までもが…。これから、聖君がどんな話をするのか、ものすごく興味があるのだろうか。
私は、ドキドキと、クラクラと、思考回路のストップ状態で、目の前が真っ白になってしまっていた。