第9話 のろけ話
午後になり、菜摘からメールが来た。
>桃子、調子どう?
>つわりはまだあるけど、今日はけっこう元気だよ。
>じゃあ、今から遊びに行くね。
>うん、待ってるね。
それから30分で、菜摘はやってきた。
「こんにちは~」
「いらっしゃい、菜摘ちゃん」
母と一緒に出迎えた。
「暑かったでしょう」
「はい、今日もすんごく暑いです」
菜摘は汗を拭きながら、そう言った。
「桃子の部屋に行く?冷たいものでも、持って行くわね」
「ありがとうございます」
それから、菜摘と一緒に部屋に行くと、菜摘は、
「うわ!」
と、驚いていた。
「ベッドがでっかくなってる!」
「え?うん」
「そうか。兄貴と一緒に暮らすんだ」
「うん」
なんか、びっくりされられると、恥ずかしいな。
「あれ?このカバン…。兄貴、もう荷物持ってきてるの?」
部屋の隅っこに置いてあったのに、聖君のカバンに菜摘は気がついた。
「うん、昨日から、一緒に暮らすことになって」
「え?もうそんなことになってるのっ!?」
「う、うん」
「ひゃ~~~。そっか。でもそうだよね。もう入籍もすんでるし、夫婦なんだもんね」
「う、駄目だ~」
「え?」
私は真っ赤になってしまった。
「どうしたの?」
「夫婦とか、そういう言葉にまだ慣れてなくって、恥ずかしくって」
「あはは。そうか~~」
菜摘はそう笑った後に、しばらく黙って、
「そうだよね!私も葉君と結婚とか、考えられないし、いきなり結婚しちゃっても、実感なんてわかないと思うよ」
と、声を大にして言ってきた。
「だよね?そうなの。今、まさにその心境なの」
「兄貴も?実感わいてないみたい?」
「ううん、全然。毎日、めちゃハイテンションみたい」
「あははははは!やっぱり~~」
「やっぱり?」
「結婚したってメールが来たとき、おめでとうって送り返したら、ものすごいハイテンションの返事がきたからさ~~」
「どんな?」
「ありがとう~~。俺、めっちゃくちゃ、幸せ。菜摘にも幸せ、分けてあげるねって書いてあって、そのあとハートが10個くらい並んでた」
ひょえ~~~~~。
「びっくりしたよ。あんなの初めて。葉君のところには、思い切りのろけてるメールが来たって」
「の、のろけてるメール?」
「桃子ちゃん、めちゃくちゃ、可愛いんだとか、結婚しちゃったよ。まじで嬉しいとか」
「……」
クラってきた。今…。
「兄貴、キャラ変わってない?って葉君に聞いたら、前から桃子ちゃんとののろけは聞かされてたって言ってたけどさ」
「そうなの?知らなかった」
「私には絶対にそんなメールもよこさないし、話してこなかったから、もうびっくり!」
「……」
そうか。本当に聖君、のろけたいし、言いたくってしょうがないんだな~。
「昨日からってことは、昨日兄貴泊まったんだよね?」
「うん」
「どう?一緒に暮らすって、どんな感じ?」
「…すんごく幸せで夢見てるみたい」
「きゃ~~~。いいな~~~~。ほんとに桃子、幸せそうだ~~!」
菜摘まで、真っ赤になっている。
「そうか~~、いいな~~」
菜摘はどこか一点を見つめ、目を輝かせた。あ、きっと今、葉君との新婚生活を、思い描いているんだろうな…。
「そういえば、学校はどうだったの?」
いきなり菜摘は、現実的なことを聞いてきた。
「まだ、理事長やPTAにも聞かないと、結論は出せないって」
「あちゃ~。うちの学校のPTAうるさそうだもんな~」
「そうなの?」
「うん。お母さんが言ってたことあるよ。特に会長が頭が固いとかなんとかって。あ、でも今年から会長変わったんだ。今度の会長はどうなんだろうね?でも、きっと似たりよったりだよね」
「うん。どうかな」
「桃子、やめてほしくないな。私」
「え?」
「寂しくなるし、一緒に卒業したいもん」
「…ありがとう」
菜摘は本当に、寂しそうな顔をした。
「あ、でもまだ結果がわからないってことは、結婚したってことも、言わないほうがいいってことだよね?」
「うん。聖君が、どっかから噂になるよりも、高校側の対処がはっきりしてからのほうが、桃子ちゃんも学校にいやすくなるでしょって」
「うん。それ、私にも言ってた。だから、私もだ~~れにも言ってないよ。あ、お父さんとお母さんには話してあるけど。お父さんも、他の人には言わないほうがいいって言ってたよ」
「そうなんだ」
「噂って、本当にあっと言う間に広がるし、それも尾ひれついて広まるから、真実なんて伝わりにくくなるって」
「…」
「桃子ちゃんのためにも、菜摘、黙ってるんだよって、お父さんからもお母さんからも言われたよ」
「私のため?」
「兄貴も、桃子のために言ってるんだよね。だって、変な噂流されて傷つくのは桃子だもん」
そうか。みんな、私のために黙っててくれてるんだ。
「あ、これ何?赤ちゃんのものを編んでるの?」
菜摘はベッドの端においてあった、編みかけのおくるみを見つけた。
「つわりがあって、外に出られないから、暇で編み始めたの」
「可愛い」
「おくるみができたら、次はベストか、帽子でも編もうかと思ってるんだ」
「へ~~。あ、これが赤ちゃんのニットの本か~~」
菜摘は、本をぱらぱらとめくった。
「兄貴も、喜んでない?こういうの見て」
「可愛いって喜んでた」
「子供や赤ちゃん、好きだもんね」
「知ってるの?」
「うん。どこでだっけな、一緒にいるとき、可愛い赤ちゃんがいて、目を細めて可愛いなって言ってた事があって。杏樹ちゃんのことも、すごく可愛がってたみたいだよね。あ、今も可愛がってるけどさ」
「いいパパになりそう」
「だよね~~。桃子、幸せ者だよね」
「うん」
「あれ?でもちょっと沈んでない?」
「いいのかなって思って」
「何が?」
「そんな聖君を独り占めにしてるし、私なんかがいいのかなって」
「じゃ、貸してあげたら?そうだ。たとえば、麦さんとか」
「え?」
「たまに、デートくらい、させてあげたら?」
「い、嫌だよ。そんな」
「でしょ?嫌でしょう?」
「うん」
「じゃ、独り占めしてていいのかななんて、言っちゃ駄目だよ。それ、きっと聞いたら兄貴怒るよ」
「そうだよね」
「兄貴は、桃子一筋なんだからね」
「うん」
母が菜摘には、アイスを、私にはところてんを持ってやってきた。
「ところてん、食べられるの?」
「うん、なんだかいきなり食べたくなって」
「やっぱり、すっぱいものがいいんだね」
「そうなのかな」
二人でそれを食べながら、今度は菜摘が葉君とのおのろけ話をしてくれた。
一日は花火大会に行き、お盆休みには、葉君と二人っきりで旅行に行くらしい。幸せいっぱいって顔で、話してくれた。
夜、9時過ぎ、聖君は帰ってきた。また、帰ってくるとすぐさま、部屋にやってきた。
トントンという、軽快な足音が聞こえたから、ドアが開くのを待ち、
「ただいま」
と聖君が言うのと同時くらいに
「お帰りなさい」
と言い、抱きついた。
「うわ!」
聖君は、突然のことで、驚いたようだ。そして、ちょっとの間の後すぐに、私をぎゅって抱きしめて、
「桃子ちゃん!待ってた?俺が帰ってくるの待ってた?」
とすごく嬉しそうに聞いてきた。
「待ってた!」
そう言うと、聖君はもっと、ぎゅって抱きしめてきた。
「ああ、新婚さんだ~~、俺らって!」
その声はめちゃめちゃ、嬉しそうな声だった。
「つわりは?」
「今日はけっこう平気だったよ。なんでかな。駄目な日と、ちょっと調子のいい日があるみたい」
「そうなんだ。でも良かった。元気そうだ」
「うん。それにね、今日菜摘が来てくれたの」
「そう!あいつなんか言ってた?」
「この部屋に来て、羨ましがってた」
「何を?」
「二人で住んでいて、いいなって」
「じゃ、あいつらも早くに結婚したらいいのにね」
聖君ってば、私や菜摘が高校生だってこと、忘れてるんじゃないの?もしや。
聖君は、ベッドにドスンと寝転がった。
「あ~~。疲れた~~」
「お店混んでたの?」
「うん、けっこう混んでた」
聖君はしばらく、うつ伏せのまま、動かないでいた。そんなに疲れたのかな。
「桃子ちゃんの匂いがする」
「え?ベッドから?」
「うん。あ~~。やっぱ、いいよね、ここ」
「え?」
「めちゃ、ハッピーだ~~~」
もしかして、今、幸せをかみしめてたのかな。
ぐるんと今度は仰向けになり、それから私を聖君は見て、
「ここ、ここ」
と聖君の横を指差した。ここに来てってことかな。私は聖君のすぐ横に寝転がった。
聖君は腕枕をしてくれた。
「葉一、来てたよ。仕事帰りに」
「お店に?」
「うん。飯食って帰っていった」
「菜摘と、旅行に行くんだってね。聞いた?」
「聞いたよ。思い切りのろけられた」
「え?そうなの?」
「だから、俺も思い切りのろけてやった。ちょうど、もう朱実ちゃんも帰った後だったし」
「お母さんはいたんでしょ?お母さんの前で、のろけたの?」
「いや、母さんはリビングで、父さんと夕飯食べてたから、聞いてないよ」
「…のろけ話って、いったいどんな話なの?」
「え?」
聖君はちょっと視線を、外して考えてから、
「内緒」
とにやけながら、言った。
「え?なんで?」
「男同士の秘密」
「え?」
何か、とんでもない話をしてるんじゃないよね。
「女の子もそうでしょ?ガールズトークだとか言って、菜摘も桃子ちゃんと話してる内容、教えてくれないよ、いっつも」
「そうなんだ」
「何話してるの?」
「ささいなことだよ?」
「たとえば?」
「う~~~ん。今日は、結婚したこと実感できないよね~~って話してた。それとか、あ!聖君から、ハート10個ついた返信が来て驚いたとか」
「げ!あいつ、ばらしてた?」
「うん。そんなメール来たことなかったから、驚いたって」
「げ~~。あんとき俺、どうかしてたんだよ。すげえ浮かれまくってて、つい…」
「くす」
「何笑ってるの、桃子ちゃん」
「だって、私には可愛いメールくれるから、そういうメールが来てもびっくりしないけど、菜摘は驚いたんだろうなって思って」
「…、桃子ちゃんはもう、驚かないの?」
「え?だっていっつも、可愛いメールくれてるじゃない」
「そうだったっけ?」
そうだったっけって、忘れてるの?
「そっか。そうだよね。桃子ちゃんは俺のあほなところも、全部見せてるもんね」
「変態なところも」
「え?それは桃子ちゃんでしょ?」
「うん」
「あ、俺もか」
「うん」
「あははは!変な夫婦だよね」
「きゃわ」
「きゃわ?あれ?真っ赤だよ?」
「夫婦って言葉にまだ慣れない」
「え?それで真っ赤?」
「うん」
聖君は、おでこにチュッてキスをしてから、むぎゅって抱きしめて、
「可愛すぎる~~」
と足をばたつかせた。
それからしばらく、足をじたばたしていて、ああ、部屋でもいつも、こうやってじたばたしてたんだなっていうのが、わかった。
「いつもならね」
「うん」
「イルカに抱きついて、こうやってる」
「え?」
「桃子ちゃんに抱きつけないから、イルカに抱きついてた」
「…」
「今は、本物抱きしめてるんだもんな~~。ああ、幸せ」
「私の代わりにイルカ抱きしめてた?」
「うん」
「イルカの代わりに、私を抱きしめてるんじゃなくって?」
「うん。イルカの代わりじゃないよ」
良かった。
「でも、クロの代わりかな」
「へ?」
「それからかっぱ」
「ええ?!」
「それから、くま」
「もういい!!」
あははは。聖君はまた、大笑いをしてから、ぎゅって抱きしめてきて、それからまた、おでこや鼻にキスをしてきて、それからまた、ぎゅって抱きしめてくる。
ああ~。そのたびに、ドキドキしてるのにな~~。
聖君の携帯のバイブが、ぶるぶるって振動して、聖君は私を抱きしめてる手を離した。
「誰だ~~?」
ジーンズのポッケから出した携帯を見て、
「なんだよ、桐太じゃんかよ」
と言ったあとに、聖君は、
「ちょうどいいや、思いっきりのろけてやろ」
とにやってしてから、電話に出た。
「おお、桐太?今?桃子ちゃんの部屋にいるけど」
顔が、本当ににやけている。
「え?そうだよ。もう昨日から一緒に暮らしてるよ。いいだろ」
いいだろ?う~~ん、桐太、確かに羨ましがってるだろうけど、桐太の場合、聖君と暮らしている私が羨ましいって思うと思うんだけどな。
「ええ?桃子ちゃん?いるけど、なんで桃子ちゃんと代わんなきゃならないんだよ。ああ、わかったよ。うっせえな。代わるよ」
そう言うと、聖君は私に携帯を手渡した。
「桐太?」
「桃子!聖ともう一緒に住んでるのかよっ」
「うん、昨日からね」
「ちきしょう~~。羨ましすぎだろ、それっ!」
やっぱりね。その声がでかかったから、横で聖君がずっこけていた。
「で、どうなんだよ、聖は」
「どうって、何が?」
「寝相とか」
「悪くないよ」
「寝るときの格好は?」
「暑いからかな。Tシャツとパンツだった」
「パンツ?パンツってどんな?」
「ど、どんなって、えっと、ボクサー…」
「桃子ちゃん、代われ!」
聖君が電話を奪い取り、
「お前、桃子ちゃんに何聞いてるんだよ!あほなこと聞くなよ!」
と怒鳴って電話をさっさと切ってしまった。
「桃子ちゃん、変なこと聞かれても、答えなくていいから」
切ったあとに聖君はそう言うと、
「ちぇ。思い切りのろけてやろうって思ったのに、あいつの方が、まさか桃子ちゃんにあれこれ聞いてくるなんて、思ってもみなかった」
と、かなり動揺していた。
「桃子ちゃんも、びっくりしただろ?あいつこそ変態じゃないの。ほんと、あんなやつに何か聞かれても、答えないでいいからね」
「…」
「桃子ちゃん、聞いてた?俺の話」
「ご、ごめん」
「やっぱ、聞いてなかった?」
「そうじゃなくって。あのね、いつもね、そんな話を桐太とはしてる」
「ええ?ままま、まさか、俺がどんなパンツはいてるとか?」
「それはしたことなかったけど、今日はじめて聞かれたけどさ」
「じゃ、どんな話?」
「聖君の耳掃除をしてあげた話…とか」
「へ?」
「耳の後ろにほくろがあった、とか」
「……。そ、それ聞いて、桐太は、どうすんの」
「へえ!そんなところにほくろあるのか、知らなかったって、喜んで聞いてくれる」
「……」
聖君は無言になってしまった。
「うそ、そんな話で盛り上がってるの?いつも」
「うん」
「うんって…。そんな嬉しそうに桃子ちゃん、返事しないで」
「え?なんで?」
「……桐太と、桃子ちゃんが仲いいの、分かった気がする」
「そう?」
「それに、桐太にちょっとでも、やきもち妬いてたこと、今後悔してるよ」
「え?」
「俺、馬鹿だよな~~」
聖君はそう言ってから、しばらく黙り込み、
「桐太には、もう、のろけ話するのはやめようっと」
とぼそってそう言った。それから、
「耳の後ろにほくろあるの?俺。で、それが何?どうなの?」
とぶつくさ言っていた。
「それを発見したとき、嬉しくって、可愛かった…んだけど」
と、ものすごく小さな声で言うと、
「可愛い?ほくろが?」
と私を見て、聖君は赤くなった。でも、
「やっぱ、桃子ちゃん、変」
とぼそって言った後、
「う!俺もか!」
と頭を抱えていた。
「何?どうして?」
と聞くと、
「桃子ちゃんのほくろ、発見して、俺も喜んでたから」
と、赤くなりながらぼそって言った。
「どこの?どこのほくろ?」
「言えない」
「え?どうして?どこ?どこの?」
「きゃ!」
きゃ?きゃって何~~~?!!!!!なんで頬赤く染めてるの~~!!!
「どこ~~?気になる~~!どこ~~~?」
「教えない」
聖君はそう言うと、背中を向けてしまった。
「もう~~、またからかってるんでしょ?そうやって、私の反応見て楽しんでるだけでしょ?」
「じゃ、まじで教えていいの?恥ずかしいって、真っ赤になるのは桃子ちゃんのほうだよ」
「え?」
え?え?
「えっとね、桃子ちゃんのね」
「いい、言わなくていい!」
「あれ?教えてって言ったじゃん」
「いい、絶対にいい!もういい、言わなくていい」
「なんで?」
「いいから、あ、私シャワー浴びてこよう」
「一緒に浴びる?」
「いい」
「なんだ、バスルームで教えてあげても良かったのに。ほら、ここにほくろあるんだよって」
「いい~~~~!絶対にいい~~~~!」
私は真っ赤になり、慌てて着替えを持って部屋を飛び出した。
部屋からは聖君の、あははははって笑い声と、
「桃子ちゃん、おもしれ~~~」
と言う声が聞こえた。ああ!やっぱり、からかわれたんだ~~~!!
なんだか、結婚しても、夫婦になっても、この関係は変わらないんだなって、思ってしまった。
聖君は、相変わらず、意地悪だ…。