第85話 幻滅?
ひまわりは、朝早くにめずらしく起きたと思ったら、友達と今年最後の海水浴に行くらしい。
「江ノ島?」
聖君が朝ごはんを食べながら、準備をしているひまわりに聞いた。ひまわりは、なぜか聖君のほうも見ず、
「そっちの方面」
と答えた。
「車出そうか?」
「いいよ。女の子4人だし、乗り切れないでしょう?」
まだひまわりは、聖君を見ない。
「どうにか乗れるよ?」
「でももう、駅で待ち合わせしたし」
「新百合の?そこまで車で迎えに行こうか?」
「いい、いい。お姉ちゃんに怒られそうだもん」
ひまわりは私をちらっと見てそう言った。
「え?なんで?」
「女の子だらけなんだよ。それも私以外、みんな彼氏いないんだよ?お兄ちゃんを見たら、全員が惚れるって」
「もう結婚もしてるって言っても?」
聖君が聞いた。
「うん、やばいかも」
ひまわりはちょっと聖君を見ると、またぱっと視線をはずした。
「ふうん。ひまわりちゃんは大丈夫なの?海でナンパなんかされない?」
「私?しないんじゃない?女4人でいでも、声かけてこないよ」
「そうかな~」
「なんで?」
ひまわりはまだ、かばんの中をごそごそしながら聖君に聞いた。
「一応、兄として心配してるんですけど」
「一応、兄なら、裸でいたりしないようにして」
「あ。まだそれ、引きずってたか。どうりで、目も合わせてくれないと思ったよ。ごめんね。そうだよね、ひまわりちゃんは杏樹とは違うよね」
「え?なんで?」
ひまわりは、やっと聖君を見た。
「あいつ、俺が風呂場に裸でいても、平気で入ってくるもん。ノックもせずに。あ、今は桃子ちゃんと一緒に風呂に入ってるから、遠慮して入ってこないけど」
「え~~~!お兄ちゃんが素っ裸でも平気なの?」
「平気なんだよね。あれは、女として問題ありだよね?やっぱり。でもな~。小学校6年まで、たまに父さんと風呂も入っていたし、俺もひまわりが3年生くらいまでは、風呂入れてあげたりしてたし」
「え~~~!それってお兄ちゃんはいくつのとき?」
「中学1年?2年になって、さすがに俺のほうが恥ずかしくなってやめたけど」
「…」
ひまわりは目を点にしている。私も、ちょっと驚いちゃった。
「ほんと、最近なんだよ。あいつが女の子らしくなったのは。それまで、本当に男みたいだったから」
「…それと一緒にしないで、聖君。それにもう私は、高校生だよ」
「だよね。ごめん」
聖君は反省した。
「で、でも、素っ裸で寝ていたってことなの?ねえ」
ひまわりは真っ赤になって、聖君に聞いた。
「あ、あ~~。暑かったから、俺、脱いじゃったのかな~~」
「うそだ~~」
「あはは。ばればれ?」
「…。お姉ちゃん、平気なんだ。お兄ちゃんが裸でも」
「へ、平気じゃない」
私は慌てて、首を横に振った。
「はい、すみませんでした。ちゃんとこれからは、服着て寝ます」
聖君は、頭を掻きながら謝った。
「あ、やばい。こんな時間だ。もう出なくっちゃ」
「え?早いね」
「うん。8時に待ち合わせしてるの。じゃあね」
「江ノ島の海なら、うちの店にでも寄りなね」
「うん、そうする」
ひまわりは、洗濯物を外で干している母に、一言行ってきますと言い、走って駅に向かっていった。
「さて、俺、洗濯物干すの手伝ってくるね」
「え?うん」
聖君は庭に出て行き、私は聖君と私が食べた朝ごはんの片づけをした。
それにしても、聖君が髪を上手に洗ってくれるのも、杏樹ちゃんをお風呂に入れてあげていたからかもしれないな~。
優しかったんだろうな、そのときの聖君も。
2階に行き、部屋の掃除をしていると、聖君がやってきて、
「手伝うよ」
と掃除機をかけだした。
「ありがとう」
あれれ。手持ち無沙汰になっちゃった。
「掃除、一階もしたほうがいいかな?」
「大丈夫だよ。お母さんがするから」
「じゃ、手伝ってこようか」
「平気だよ。聖君もちょっと休めば?」
私がベッドに座ると、聖君は掃除機を片付けに行き、私の横に座った。
「聖君ってまめだよね」
「俺?う~~ん、家でも朝から店手伝ったりしてるし、休みの日にも家の手伝いしてるから、動いてるのが当たり前になってるんだよね」
「すばらしい主夫になれると思うよ」
「でしょ?」
でしょって、にっこりと嬉しそうに微笑んでるし…。
「聖君がお風呂でいつも、上手に髪を洗ってくれるのは、杏樹ちゃんのこと、お風呂に入れてあげてたからなんだね」
「え?それは関係ないよ」
「そうなの?」
「うん。俺が洗うと、目にシャンプーが入るっていっつも、杏樹に泣かれてたよ」
「え?そうなの?」
「それに、遊んでばかりだったし。俺が中学入ってからは、そうでもないけど、まだ小学生だったころは、二人で風呂場で遊んじゃうから、母さんに早く出なさいって怒られてた」
「あ、遊んじゃうって?」
「水鉄砲とか、あと風呂場でできるカラオケとか、あ、おもちゃのだけど、そんなのでいつも遊んでたから」
「…」
「杏樹が幼稚園生だったころなんて、1時間近く風呂入っていたな~~。いろんなおもちゃがあってさ。風呂場でお絵かきができるのとか、二人でずっと絵を描いて遊んでたこともあって、冬だったから、二人で風邪ひいちゃって」
「え~~?」
「で、俺が怒られるの。母さんに、お兄ちゃんなんだから、しっかりしてよって。で、杏樹が俺をかばうの。お兄ちゃんは、私が遊ぼうって言ったから、遊んでくれたんだよ。怒らないでって泣きながら」
「かわいい~~」
「でしょ?あのころは可愛かったんだよ。いつの間にあんなに、憎まれ口たたくようになっちゃったんだか」
「くす」
「何?」
「でも、可愛いんでしょう?」
「まあね」
いいな。杏樹ちゃん。ほんとうにかわいがられているんだな。
「あ、もう10時近いね。俺も行く準備するけど、桃子ちゃんもでしょ?」
「うん、もう迎えに来るかな」
「じゃ、下に行ってるか」
二人で一階に下りた。
「ねえ、聖君」
「ん?」
「ほんとうにひまわりの友達が、お店に行ったら、聖君に夢中になっちゃう子もいるかもよ?」
「あはは。またそんなこと桃子ちゃんまで言ってるんだから。俺はもう結婚もしてるし、大丈夫だって」
本当に?そうかな~~。
「それよりも、自分の妹がナンパされないかを、心配したらって、俺がなんだか、心配になってきた。ちょっと早くに出て、海見に行ってもいい?」
「え?うん」
「ひまわりちゃんの携帯のアドレス教えて?場所聞いてから行くよ」
「うん」
私は携帯を聖君に渡した。
「あ、待ち受け、俺なんだね」
「うん、もちろん」
「まあ、俺もだけどさ」
「そうなの?見せて!」
携帯を見たら、本当だ。私と聖君のツーショット写真だ。あ、あれだ。卒業式で撮ったのだ。私が聖君に送った写真。
「じゃ、俺もう行くね。小百合さんによろしく」
「うん」
聖君は、母にも挨拶をして、颯爽と出て行った。そうか。ひまわりのことも妹として心配してるのか。
だよね?妹としてだよね?っていうか、ひまわり、あんなに聖君のこと意識しちゃってたけど、聖君の裸見て、まさか、惚れた~~なんてことないよね?!
小百合さんは10時3分前に来た。
「すみません。遅くなってしまって」
「ううん、まだ約束の10時にもなっていないし、全然」
「あ、早くに来すぎましたか?」
「ううん、ちょうどよかったです」
そう言うと、小百合さんはほっとした顔をした。母がお茶でもと言ったが、
「運転手を待たせてるので、もう行きます。また今度あらためて、伺います」
とぺこりとお辞儀をした。
「そう。じゃ、今度また、遊びに来て」
母に見送られ、私と小百合さんは車に乗り込んだ。
運転手は白髪頭の60代くらいの人だ。背筋が伸びていて、背も高く、ダークグレーのスーツを着ている。
そして車は発進され、あっという間にデパートに着いた。なんだ、こんなに近いのに、車で移動したんだ。
運転手さんがドアを開けてくれて、私たちは車から降り、そのままデパートに入った。
そして、二人で制服をオーダーして、
「よかったら、ここのラウンジでお茶でもしていきませんか?」
と小百合さんに誘われ、ラウンジに行った。
ホテルのラウンジでお茶なんて、したことないよ。緊張するな~。
「桃子さんは何を頼みますか?」
「私は、オレンジジュースで」
小百合さんはオレンジジュースを二つ頼んだ。
「桃子さんは、今、順調ですか?」
「え?」
「赤ちゃん」
「はい」
「つわりはなかったんですか?」
「ありました。っていうか、同じ年だし、敬語を使わなくてもいいよね?」
「あ、そうか。そうですよね?」
「うん」
「じゃあ、遠慮なく普通に話すね。私はいまだにちょっと、気持ちが悪くなるときがあって」
「え?そうなの?」
「だいぶ良くなってきたんだけど、母が言うには暑いとさらにつわりが酷くなるんじゃないかって。だから、これからは涼しくなっていくだろうし、楽になるかもしれない」
「そっか。私はすっかり、つわりは落ち着いてて、食欲も増しちゃってるからな~」
「桃子さんの旦那さんって、素敵だよね」
「あ、桃子ちゃんでいいよ?」
「じゃあ、私のこともちゃんづけで呼んで」
「うん。小百合ちゃんって呼ぶね」
「わあ。嬉しい。前の学校では苗字で呼ばれていたし、あまり仲のいい友達もいなかったから」
「え?そうなの?」
「進学校で、みんな、勉強ばかりしてたし」
「そうなんだ」
ひゃ~~。私にはそんな高校、無理だな。
「聖君の演説、楽しみだな」
演説?
「ああ。お話?多分、演説なんてものじゃないと思うけど」
「だけど、人を惹きつける力のある人だよね。ああいう人が教師になったら、すばらしい先生になれると思うな」
「先生?」
「女子高生にも人気が出そう」
「わ。考えただけでも、くらってきた。先生になったら、モテまくりそうだから、絶対になってほしくないな」
「モテてほしくないの?」
「うん。だって気が気じゃないし」
「そうか」
「うん」
「その点、私の彼は大丈夫かも。あまりモテないみたいだし」
「そうなの?」
「…。優しいけど、聖君みたいに話もうまくないし、私が聖君の話をしたら、驚いてたし」
「え?」
「みんなの前で話をするのを、おばあさまに頼まれて、嫌がらずに快く引き受けちゃったって話をしたら、自分だったら、絶対に無理だって言ってた」
「う~~ん、聖君はそういうの、苦手じゃないかもしれないな」
「人前で話すのが?」
「うん。文化祭のステージで、歌も歌ってたし」
「へえ。そうなの?」
「ああ、でも、私のほうが緊張するな」
「何が?」
「聖君の話」
「大丈夫よ。きっとすばらしい話をしてくれると思うし」
「それもそれで、ちょっと」
「え?」
「聖君のファンとか、いっぱい現れちゃったらどうしようかな」
それからは、二人で、彼の話をあれこれし始めて、あっという間に1時間はたってしまった。
「そういえば、運転手さんはどうしてるの?」
「うん、多分駐車場で、音楽聴いて本読んでるか、寝てるか…」
「そうなんだ。だけど、すごいよね、運転手がいるなんて」
「桃子ちゃんも、いつでも言ってね。これから電車での登校も大変になるかもしれないし、車で登下校を一緒にしましょう」
「ありがとう。だけど、しばらくは電車でも大丈夫だと思う。そんなに混まないし」
「そう?桃子ちゃんって偉いよね。私もそのくらい、頑張らないといけないよね」
「え?何が?」
「すぐに誰かに頼ろうとしちゃうから」
「い、いいんじゃないかな。私は甘えるのが下手で、いつも聖君から、もっと甘えていいよって言われちゃう」
「え~~。すごく優しいんだね。私は彼にも、甘えちゃうから、子供も生まれるんだし、しっかりしないとねって、逆にそう言われてるの」
「でも、甲斐甲斐しく尽くしてるんでしょ?」
「それと甘えるのは別」
「そっか…」
小百合ちゃんは、誘ったんだからと言って、ジュースをおごってくれて、それから車で私を家まで送ってくれた。
「また、2学期にね」
「うん、またね、小百合ちゃん」
家の前で車を降り、私は車を見送った。
午後は、ゆっくりと過ごした。母はエステがあり、ずっと客間に入っていて、私はリビングで編み物をしていた。
そして夕方、エステのお客さんが帰ってからは、母とのんびりとお茶をしていた。
「ただいま~~」
5時になり、ひまわりが帰ってきた。あ、真っ赤に日焼けしている。
「おかえり。聖君、海に行った?」
「うん。来たよ。ナンパされてないかの確認をしに」
「やっぱり行ったんだ」
「でも、すぐにお店に行っちゃった」
「ひまわりはお店に寄ったの?」
「うん。だって、友達がみんなお兄ちゃんを見て、絶対にお店にも行くって言ってきかないから」
「そ、そうだったんだ」
「みんな、お兄ちゃんのファンになっちゃったよ」
「え?」
「うちにも遊びに来たいって言われたけど、断っておいたからね」
「あれ?なんで?前は自慢したくてしょうがなかったんじゃないの?」
「そうなんだけど、あまりお兄ちゃんの周りで、女の子が騒ぐと、お姉ちゃんが、苦労しちゃうからさ。なるべく、そういう苦労はかけたくないんだよね」
「私に?」
「そう。お腹の子にも、悪影響でしょ?」
ひまわりってば、ちゃんとそういうこと考えててくれたんだ。
「それにしても、お姉ちゃん、本当に平気なの?」
「え?」
「お兄ちゃんが裸でいるの」
「あ、そのことか…」
「でもそっか。一緒にお風呂に入ってるくらいなんだから、平気なのか」
「平気じゃないよ。いつもなるべく視線はさげないようにしてるもん」
「そうなの?」
「だって、恥ずかしいじゃない」
「だよね。私なんて、目を合わせるのも、恥ずかしいって言うか。あ~~。今日は上半身裸の男の人を見るのも、ちょっとだめだったよ」
「上半身裸?」
「海ってみんな、水着じゃない」
「あ、そうか」
私たちは話しながら2階にあがり、ひまわりの部屋で話をしていた。こんな話を母に聞かれたら大変だし。
「かんちゃんに会うのも、なんだかな」
「え?」
「かんちゃんも男の人なんだよね」
「うん」
「ああ。そういうのって、あまり考えたことなかったけど、ちょっと私だめかも」
「だめ?」
「そういうことをしたわけだから、今、赤ちゃんがお腹にいるんだよね」
「あ、ああ。そういうことって、そういうことか」
「よくお姉ちゃんは、体を許せたな~~」
「へ?」
「私、だめかも。それに男の人って、ちょっと怖い」
「え?」
「前は平気だったけど、今日、お兄ちゃんの裸見たら、なんだか怖くなったよ」
ああ、それ、聖君に言ったら、責任感じちゃうかもな~。
「だけど、ひまわりはまだ、高校1年なんだし、それが普通なんじゃないかな」
「お姉ちゃんだって、まだ、高校生じゃない」
「う、そうなんだけど」
「怖くなかったの?」
「聖君のことはね」
「まったく?」
「うん。怖いって思ったことないもん」
「そうなんだ」
ひまわりはうつむいて、何かを考えているようだ。
「付き合ってると、そういうことにもなっちゃうのかな」
「え?」
「手をつないで歩いたりはしてるんだ」
「うん」
「でも、私たちキスもまだだし」
あ。そうなんだ。前にひまわりがご機嫌で帰ってきた日、聖君がキスでもしちゃったんじゃないのって言ってたけど、ひまわりとかんちゃんは、まだまだそんな雰囲気にはなっていないんだな~。
「一緒にいると、話をしてても楽しいし、かんちゃん、かっこいいし、嬉しいんだけど」
「うん」
「ドキドキっていうのも、あまりないし」
「え?そうなの?一緒にいてドキドキしないの?」
「しないよ。お姉ちゃんはしていたの?」
「うん、今でもするよ」
「ひょえ~~。結婚して一緒に暮らしてるのに?」
「え?うん」
「そっか~~。そうなんだ」
ひまわりは本気で驚いている。
「私って、かんちゃんのこと本気で好きじゃないのかな」
「それはどうかな。ドキドキするかしないかで、判断することじゃないかもしれないし」
「そっか~」
ひまわりはまた、黙り込んでしまった。そして、重いため息をした。
「ひまわり?」
「前、付き合ってた人も、メールうざくて嫌になっちゃったじゃない?」
「うん」
「それって、好きでも何でもなかったってことだよって、彼氏いない歴15年の友達に言われちゃった」
「え~~と、まだ彼氏ができたことがない友達ってこと?」
「うん。本当に好きになったら、そんなことでうざくなったりしないよって」
「そ、そうなんだ」
「経験したこともないくせにって、頭にきたけど、でも、やっぱりそういうことなのかな」
「さあ、どうかな」
「お姉ちゃん見てると、本当にどんなお兄ちゃんも好きじゃない?」
「うん」
「幻滅とかしたことないでしょ?」
「うん!」
「やっぱりね…」
「かんちゃんのこと幻滅したことあるの?」
「まだない」
「じゃ、いいじゃない」
「ここだけの話、絶対にお兄ちゃんには言わないで」
「うん」
何かな?聖君に内緒の話って。
「私、お兄ちゃんに幻滅したかも…」
「え?!」
うそ。あの聖君に幻滅するなんてことがあるの?っていうか、ひまわりめちゃくちゃ、聖君になついてたし、大好きだったじゃない?!