第84話 フェロモン
聖君の鼓動を聞いていた。トクン、トクン。とても正確なリズム。
「聖君」
「ん?」
「最近、筋トレがんばってるの?」
「なんで?」
「ちょっと前よりも、腕の筋肉硬くなったような…」
「わかった?」
「…きれいだよね」
「何が?」
「聖君の腕」
「そ、そう?」
私は聖君の腕を触った。あ、今、力こぶわざと作って見せた?
「すごいね。力こぶ」
「でしょ?」
「私、全然ないよ」
「なくていいよ」
「聖君の眉毛、形がいつも整ってるよね」
「え?そう?」
「でも、なんにもしていないんだよね。お手入れとか」
「うん、してないよ」
「いいな~」
「桃子ちゃんの眉毛も、かわいいよ?」
「…」
聖君が私の顔をじっと見つめた。
「聖君の、鼻筋ってきれいだよね。いいな~。私、鼻低いから羨ましいな」
「その鼻がかわいいんじゃん」
「聖君に言わせると、私、全部かわいくなっちゃう」
「あはは。それを言うなら、桃子ちゃんに言わせたら、俺、全部かっこよくなっちゃうよ?」
「だって、かっこいいもん。ぜ~~~んぶ」
「くす」
「でも、聖君の場合は絶対に、私以外にもそう思ってる人、いるもん」
「え?」
「聖君は誰が見たって、かっこいいもん」
「…まいったな。恋は盲目だね」
「ほんとだってば」
「はいはい」
もう~~、本気にしてないな。あんなにモテルくせして。
聖君はまだ、私をじっと見ている。それから、私のほほを優しくなでてきた。
「聖君の、口もかっこいいな~~」
「え?」
「唇も形いいよね」
「もういいよ、桃子ちゃん」
あ、聖君が照れた。そういうところは、かわいい。
私は聖君の胸に、顔をうずめた。
「花ちゃんと籐也君、これからどうなっていくかな」
「さあ。どうなっていくだろうね」
聖君が私の髪をなでながら、そう答えた。
「なんだか、俺、信じられないな」
「花ちゃんと籐也君のこと?」
「いや、そうじゃなくて、もう桃子ちゃんとこうやって、ひっついて寝るのが当たり前になってて、一人で寝ていたころが信じられないんだよね」
「…」
「桃子ちゃん、やべ。俺、眠くなってきたや」
「うん」
「桃子ちゃん、パジャマ着る?俺、このまんま寝てもいい?」
「え?」
「桃子ちゃんは、ちゃんと着てね。お腹冷やしたら大変…す~」
す~?あれ?聖君、寝ちゃった?!
相変わらずの寝つきのよさ。すごいな。これも聖君の得意技だね。
私はそっと聖君の腕の中から抜け出し、下着とパジャマを着た。聖君は素っ裸だ。い、いいのかな。
でも、着せてあげるなんてとてもできないし、聖君にタオルケットをかけて、私もそのはじっこにもぐりこんだ。
今日は、聖君の素肌にひっついて寝られるのか。うわ~~。ちょっとドキドキ。
聖君の鎖骨ってやっぱりきれいだ。寝顔もきれいだ。全部がきれいで、かっこいいよ。
やっぱり、聖君を独り占めにしてる私は、ものすごく幸せものだ。
聖君の胸に顔をうずめて、幸せいっぱいになりながら、私は眠りについた。
夢を見た。ものすごく優しい目で、聖君が見ている。ほほをなで、髪をなで、
「愛してるよ、桃子ちゃん」
と耳元でささやき、優しいキスをしてくれる。めちゃくちゃ、幸せな夢だ。と、思った次の瞬間、いきなり海にいて、水着姿の上半身裸の聖君が、たくさんの女の人に囲まれていた。
え?なんで?なんで~~?
聖君の周りの女の子は、みんな目がハート。聖君にべたべたくっついて、離れようとしない。聖君はどんな表情をしてるのかも、女の人が邪魔でまったく見えない。
聖君の肌に、直接触れてる?べたべた触ってる?誰かが聖君の背中から、聖君に抱きついている。
や~~~め~~て~~~!やだやだやだやだ!絶対にいやだ~~!!!
「聖君!」
女の人をかきわけ、聖君を探す。
「聖君、どこ?」
女の人が、わんさかわんさか、増えていって、まったく聖君のもとに行けない。
「聖く~~~~ん!」
やだよ~~~~。他の人に触れさせたりしないで~~~~!
むぎゅ!女の人の間から、聖君の手が現れ、私の手を握り締めた。
「桃子ちゃん」
「聖く~ん!」
私は思い切り聖君を抱きしめた。ああ、聖君の胸。腕。素肌。背中。聖君の胸に顔をうずめ、今にも泣きそうになった。
「俺がどこかへ、行っちゃう夢でも見た?」
「…」
パチ。目が覚めた。聖君の胸が、目の前にある。それも素肌の…。
「夢?」
「聖く~~~~んって泣きそうな声で言って、手、伸ばしてた」
「ゆ、夢だ~~。あ~~~、よかった」
「悲しい夢?俺、どこか行こうとしてた?」
「ううん。浜辺で、たくさんの女の人に囲まれてた」
「俺が?」
「女の人、いっぱい聖君の胸とか、背中とかにひっついてて、聖君のもとに行こうとしても、いっぱい女の人がいて、私そばに行けなくて」
「昨日、私以外の人も聖君のことかっこいいって思ってるなんて、そんなこと言ってるから、そんな夢見るんだよ」
「…」
そうかな。それでかな。
「はじめは、聖君と抱き合ってる夢だったのに」
「え?」
「聖君、すごく優しくて、私すごく幸せで」
「俺と抱き合ってる夢、見ちゃったの?」
「うん」
「俺、優しかったの?」
「うん。優しく髪なでてくれたり、ほほなでてくれたり」
「あれま。そうなんだ」
聖君がちょっと顔を赤くした。
「キスも優しくしてくれたり」
「え?」
「愛してるよって言ってくれたり…」
「それ、昨日の再現みたいだね」
「うん」
むぎゅ。聖君の胸にまた、抱きついた。
「それなのに、なんで突然場面展開するかな~~」
そう言うと、聖君は、
「ほんとだよね。でもやっぱり、桃子ちゃんの中で、俺はみんなのものとか、そんなことを思ってるからじゃないの?」
と言ってきた。
「思ってないもん」
「そうかな?」
「思っていたとしても、もう、思わないもん」
「なんで?」
「だって、他の人が聖君の素肌に触れるなんて、ぜ~~~ったいにいやだもん」
「え?」
「夢の中で、私、いやだ~~~!やめて~~~!って悲鳴あげてたもん」
「そうなんだ」
「夢でよかった」
「はは。夢でしかありえないって。俺だって、この俺の肌、桃子ちゃん以外の人に触らせたくないよ?」
「…」
「桃子ちゃんだから、触らせてあげてるの」
なんだ、そりゃ。
「桃子ちゃんだけ、特別なんだよ?」
「そうだよね」
トントン。ドアをノックする音がした。
「お姉ちゃん、電話だよ~~」
ひまわりの声だ。
「家に電話?」
誰だろ。それもこんなに早く?
「子機、持ってきたから、ドア開けてもいい?」
「あ、うん。ありがとう」
私はベッドから降りて、ドアのほうに行った。
ガチャ。ひまわりがドアを開け、私に子機を渡してくれたあと、部屋の中を見て、
「うわ~~~!」
と叫んで真っ赤になった。
あ!私は振り返って、しまったと思ったけど、もう遅い。聖君が慌てて、タオルケットを体にかけていた。
「裸で、寝てるの?お兄ちゃんって!」
「いや、いつもはTシャツとパンツくらい着てる」
「じゃ、なんで朝っぱらから、素っ裸なの?」
「見ちゃった?」
「見ちゃったよ~~!もう、ドア開けていいなんて言わないでよ~~」
ひまわりは、そう言うと、真っ赤になりながら部屋を出て行った。
「あちゃ~~~」
聖君も真っ赤になっていた。
「ごめんね、聖君」
「いいよ、それより電話でしょ?」
「あ、そうだった」
ひまわりが、保留ボタンを押してくれてたおかげで、相手に今のさわぎは聞かれていないようだ。
「もしもし?」
それにしても、誰だろう。
「あ、桃子さん?朝早くから本当にごめんなさい」
「えっと?」
誰の声かな?
「私、小百合です」
「ああ!小百合さん。あれ?でもなんでうちの電話」
「あ、校長先生に聞いて」
「それでわかったんですね」
「ごめんなさい。勝手に電話番号聞いたりして」
「いえ、いいです。それよりも、何か用事ですか?」
「はい。実は、その…」
言い出しにくいことかな。
「今日、私制服を作りに行くんですけど、一緒にいかがですか?」
「え?でも、私はもう…」
「お腹が大きくなっても対応できる制服を、特注で作るつもりなんです。桃子さんもお腹大きくなったら、今着ている制服、着れなくなりますよね」
「あ、そうだった」
「一緒にいかがですか?それと、お話もできたらうれしいなって思って」
「お話?」
「はい、いろいろと。私、学校変わるのも、やっぱり不安で。桃子さんがいてくれるのが、何よりも心強いんですよね」
「わ、わかった。一緒に私も行きます」
「じゃあ、車で迎えに行きますね」
「え?車?」
「歩くと大変ですよね?祖母が今日は、車使っていいって言ってくれたので」
「え?もしかして免許持ってるとか?」
「まだですよ。私、17歳だし。運転手がいるから、運転は大丈夫です」
う、運転手つきだったか…。
「10時ころでいいですか?遅いですか?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ、10時に伺います。それと、電話、朝早すぎましたか?まだ寝てましたか?妹さんが出て、お姉ちゃんならまだ、寝てると思うって言われてしまって。もしかして、起こしちゃいましたか?」
「いいえ。起きてたことは起きてたから、大丈夫です」
「よかった。私の家、みんな5時半に起きちゃうから、7時にはもう、活動してて。そのつもりでかけてしまって、すみませんでした」
「い、いえ」
5時半には起きてる家って、どんな家?
「じゃあ、またあとで」
「はい。それでは、失礼します」
わあ。17歳で、失礼しますと言って、電話を切るとは…。
「小百合さんって理事長のお孫さんの?」
聖君が、まだタオルケットにくるまったまま、聞いてきた。
「うん、制服を作りにいくから、一緒に行きましょうって誘ってくれた」
「マタニテイ制服?」
「うん」
「そっか。それで、制服のことも解決するね」
「うん」
「何時に行くの?」
「10時に迎えに来てくれるって」
「そっか」
「運転手つきの車で」
「へ~~、それはまた、すごいね!」
「とことん、お嬢様なんだね…」
「桃子ちゅわん」
聖君がタオルケットから片手を出し、私を手招きした。
「なあに?」
私が聖君のところへ行くと、私の腕をひっぱり、タオルケットの中に私を入れてしまった。
そしてタオルケットを、頭までかけてしまい、
「もうちょっと、いちゃついていようよ」
と言ってきた。
「へ?」
「二人っきりの世界に、もうちょっといようよ」
「…」
ど、どうしたんだ?いつもなら、目が覚めると、さっさと下に行く聖君が…。
「桃子ちゅわん」
聖君は私の胸に顔をうずめてきた。
「桃子ちゃんも、パジャマ脱いじゃう?」
「脱がないよ」
「でも、どうせ、着替えるんじゃん」
「今、ぬいだらやばいでしょ?」
「どうして?」
「聖君がその気になっても困るから」
「う~~ん、もうすでにその気になってるって言ったら」
「だめ!今、その気になられても困る!」
「ちぇ」
ちぇ、じゃないよ。もう~~。
「聖君、そろそろ服着て、下に行こう」
「う~ん」
返事がなまぬるいな。これは、下に行く気、まったくないでしょ?
「聖君ってば」
どうしちゃったの?本気でその気になってるとか?まさかね。
「え?聖君、なんで私の足に、足をからませてくるの?」
「桃子ちゃんが逃げないように」
「何~~?どうしちゃったの?」
「こうやって、タオルケット頭からかぶってると、本当に二人きりの世界になるね」
「へ?」
「でも、足ははみだしちゃうけど」
「…」
「タオルケット、ちょっとまくれちゃってるもん」
「え?じゃあ、直して、桃子ちゃん」
「うん。じゃあ、私の足にからまってる足をどけてね。じゃないと身動き取れない」
「あ、そっか」
私はタオルケットをかぶっているから、中からもそもそとタオルケットの裾を、直そうとした。でも、手を下に持っていこうとして、当たってしまった。
「きゃ~~~~!」
「え?何?何?虫でもいた?」
聖君まで、驚いている。
「違う~~~。触っちゃった」
「何に?」
「だから、聖君の…。うわ~~~」
「へ?」
へ?って気がつかないでいるの?
「もしかして、俺のに触って、そんな悲鳴をあげたの?」
私はこくこくとうなづいて、後ろを向いた。
「なんだよ。それ、傷つくな」
「だだだだって」
「だってじゃないよ。ひでえよ、桃子ちゃん」
え?本気で傷ついてるの?
「ごめんなさい」
でも、やっぱりめちゃくちゃ、恥ずかしい。素っ裸でいるときだって、極力見ないようにしていたのに。触るなんてとんでもないよ~~。
「そんなに嫌?」
「嫌とかじゃなくて、恥ずかしい」
「なんで?」
「聖君にはわからないよ~~」
聖君が後ろから抱きしめてきた。
「今までだって、裸だと、じかに桃子ちゃんの肌にも触れてたじゃんか。こうやって抱きしめたらさ」
「そ、そうだけど。でも、手で触っちゃうのは別なの」
「なんで?」
「だから、聖君にはわからないよ~~」
きゃ~~。もう~~~。
「へんなの」
聖君はそう言うと、また足をからめてくる。
「聖君、もう起きようよ」
「いやだ」
「でも、私10時にはお迎えが」
「まだ、7時だよ」
「でも、聖君だって、10時には家を出ないと」
「だから、まだ7時だって」
「じゃあ、せめて洋服着ようよ」
「なんで?」
「なんだか、どんどん恥ずかしくなってきたよ。裸の聖君に抱きしめられてるの」
「なんで?昨日の夜は、桃子ちゃんも裸で抱き合ってたじゃん」
「それは、その…」
あ~。もう、なんなんだ。今朝の聖君は。おかしいよ。
いや、今日だけじゃない。たま~~に、聖君はおかしくなる。駄々っ子になる。言うことを聞いてくれなくなる。
「だ、だめだ~~。聖君のにおいがする~~」
「へ?俺の?」
「聖君のにおいに包まれてると、おかしくなる~~」
「なんで?安心するって前は言ってなかった?」
「いつもなら、でも、今は聖君、フェロモンだしまくってるよ」
「俺が?!」
「いつもの聖君じゃないもん。男の聖君になってるもん」
「俺が?」
「うん」
「ふうん」
ふうん?何?その反応の薄さ。
「俺はいつでも、男なんだけどな。女だと思ってた?」
「そういうことじゃなくって!」
「桃子ちゃんのこといつも、抱きたいって思ってるのにな。きっといつでもフェロモン出てたと思うけど、今頃気づいたの?」
「え?!」
「俺、普通に男だよ」
「…エッチ」
「エッチだよ」
「スケベ」
「スケベだよ」
もう~~~~。今、何を言ってもこんな反応なの?
「あ~~あ。凪がお腹にいなかったら、今すぐに抱いちゃうんだけど」
「え?」
「そう毎日、毎日はしたらだめだよね」
「そ、そりゃあ、もちろん」
「ぎゅ~~~。今は、これで我慢しとく」
聖君はそう言うと、後ろからまたぎゅって抱きしめ、
「でも、桃子ちゃん、俺はいつでも男だからね」
なんて、そんなことを言ってきた。
「ほ、他の人にも、フェロモン出してる?」
「出さないって」
「本当に?」
出してるつもりはなくても、勝手にあっちから寄ってきたらどうするの?
「桃子ちゃんにだけです!」
聖君はようやくベッドから降り、服を着だした。ちょっとほっとしたけど、聖君の背中とか、胸とかの素肌を見るのは、嫌いじゃない。だって、きれいだし、セクシーだし。
でも、そのセクシーさとは別の、男のフェロモンっていうのがあるのか。さっきは、本当にどうしようかと思っちゃった。
それにものすごくドキドキしちゃった。もう聖君に抱きしめられても、前みたいにドキドキしなくなっていたのにな。
ああ、そんなところはずるいよ。またドキドキさせちゃうなんて。
「さ、顔洗って、ご飯た~~べようっと。俺、腹減っちゃった」
そんなことを言って、伸びをしている聖君はいつものかわいい聖君だ。それに寝癖もかわいい。
いったい、この人は、いくつの顔を持ってるんだろう。かわいい顔、セクシーな顔。かっこいい顔。さわやかな顔。それに男の顔。
もしかして、聖君が言うように、私は聖君が「男」てことを、あまり意識したことはなかったのかもしれない。ああ、私のこと、めちゃくちゃ大事にしてくれてたからかな~。
でも、聖君も、「普通に男」なんだよね。なんて、いまさらながら思ってしまった。