第82話 共感
桐太と麦さんが帰り、そのあと、籐也君も、
「俺もそろそろ帰るよ」
と言って、席を立った。
「じゃあね、桃子ちゃん、またお店来るとき教えて。会いに来るから」
籐也君はにこってして、そう私に言った。
あれ?私に?花ちゃんは?
「じゃあ、聖さん、これ、夕飯代」
そう言うと、籐也君は聖君にお金を渡した。
「あれ?セットで一人1750円だよ?なんで3500円…。ああ、花ちゃんの分?」
「え?私のはちゃんと、自分で払う」
花ちゃんが慌てて、お財布を出そうとした。
「いいよ。練習見に来てくれたお礼」
籐也君は、そう言うとさっさと席から離れ、ドアのほうに向かった。
「花ちゃんの分は、もらう予定なかったんだけどな。ま、いっか。お前が払ってくれるって言うならもらっとくよ」
聖君がそう言って、ドアのほうに行くと、クロがリビングのほうからやってきた。
「あ、クロ。なんだ、籐也のこと見送りにきた?」
クロは尻尾を振りながら、籐也君の足元に擦り寄った。
「クロ、またユキと散歩に行くからさ、一緒に散歩しような」
籐也君がしゃがみこんでクロをなでると、クロは尻尾をぐるぐると振った。
「いいな」
花ちゃんがぼそって言った。
「え?」
籐也君は立ち上がり、
「花ちゃんも犬、好き?なでる?」
と、その場を花ちゃんにゆずってあげた。
「え?ううん、そうじゃなくて」
花ちゃんはちょっと困っている。
「あれ?違った?」
籐也君がきょとんとした顔をした。あ、きっと花ちゃん、クロが羨ましかったんだな。
「じゃ、花ちゃん。またメールするよ。聖さん、ごちそうさまでした」
籐也君はそう言うと、お店を出て行った。
「おやすみなさい」
花ちゃんは、籐也君の背中に向かって声をかけた。籐也君は振り返り、
「おやすみ」
とにこって笑って、手を振っていた。
しばらくドアの外で、花ちゃんは籐也君の後姿を見ていた。
「花ちゃん、そろそろお店に入る?」
私は籐也君の姿が見えなくなってから、そう声をかけた。
「え?うん」
花ちゃんは、お店に入ってきた。
「花ちゃん、ちょっと待っててね。すぐに車だして来るから」
聖君はそう言うと、家のほうに上がっていった。
「わざわざいいのかな、私。送ってもらっちゃって」
「いいよ~~。うちから近いんだし、全然大丈夫」
「ごめんね、桃ちゃん。今日はいろいろと…」
「ううん」
花ちゃんとカウンターに座って、聖君が来るのを待った。
「どうだった?練習。バンドの人たちにも会ったんでしょ?」
「うん。バンドのみんなに、モデル時代の知り合いって、そう紹介してくれた」
「籐也君がそう言ったの?」
「うん。ファンの子だって言われるかと思っていたから、ちょっとびっくりした」
「…そうなんだ」
なんだ。彼女だって紹介したわけじゃないんだ~。
「お待たせ。車こっちに回してきたから」
聖君がお店のドアを開け、外から入ってきた。
「花ちゃん、また遊びに来てね」
キッチンでパートさんと片づけをしていた聖君のお母さんがやってきて、花ちゃんに声をかけた。
「はい、ありがとうございます」
花ちゃんはぺこりとお辞儀をした。
「じゃ、桃子ちゃんもまたね。お母さんやお父さんによろしくね」
聖君のお母さんはドアの外まで、私たちを見送りに来てくれた。
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
私たちは車に乗り込んだ。
「さて、花ちゃんちは、確か、駅前のマンションだったよね」
「うん」
「じゃ、わかりやすいかな」
聖君はそう言うと、車を発進させた。
私は花ちゃんと後部座席に乗っていた。花ちゃんは、しばらく黙っていたが、
「やっぱり聖君、運転上手だよね」
とぽつりと言った。
「そう?」
「そうなんだよね」
私と聖君が同時にそう言った。
「桃ちゃんもそう思う?」
「思う!」
「だよね~。私、車酔いするときもあるんだけど、聖君の運転なら全然だよ」
「あ。なんだ、車酔いしちゃうんだったんだ。送るなんて言わないほうがよかったかな?」
聖君はバックミラーで花ちゃんを見て聞いた。
「ううん。聖君の運転は、上手だから、本当に平気」
「そっか。まあ、桃子ちゃんも乗ってるしさ、極力気をつけて運転してるんだけどさ」
「あ、そうだよね。妊婦さんなんだもんね、桃ちゃんは」
「うん」
花ちゃんは私のお腹を見て、
「まだ目立たないけど、でもちょっとふっくらとしたもんね、桃ちゃん。あ、それに胸も大きくなったけど、妊娠してたからだったんだね~」
とそんなことを言った。
「あ、うそ。胸大きくなったの、わかっちゃったんだ」
聖君がその言葉に反応した。もう~。聖君が反応しないでよ。恥ずかしい。
「聖君も、わかってたの?」
「え?そりゃわかるよ。毎日見てたら」
「そうだよね。いつも一緒にいたら、そういうのもわかるよね」
花ちゃんは、なんとなくぼけっとしながらそう答えた。
「あ~~、どうかな。そういうのって毎日一緒だと、逆にわからないかもしれないけど。しばらくぶりに会ったりするほうが、わかるんじゃない?花ちゃんもしばらくぶりで、わかったんじゃないの?」
「え?でも、今、毎日見てたらわかるって」
花ちゃんは、聖君の言葉に、今度はちゃんと反応して身を乗り出して聞いた。
「え?うん。だから、毎日見てるからわかるってことだよ」
「え?どういうこと?」
「聖君、それ以上はいい」
私は思わず、話を止めた。
「え?何?桃ちゃん、どういうこと?」
わ~~。花ちゃん、聞いてこないで。私は思い切り顔が熱くなってしまった。
「なんで真っ赤なの?あ。毎日見てるって。え?」
「あ、変なこと想像しないでよ、花ちゃん」
花ちゃんまで真っ赤になっているから、聖君がバックミラーでその様子を見て、慌てて言った。
「でも、見てるってことは、その…」
花ちゃんはまだ、赤くなっている。
「もう一緒の部屋に寝泊りしてるんだもんね。夫婦なんだもんね」
花ちゃんが、そう言った。
あ、そうか。着替えとかそういうときに、見てるって思ったのか。ああ、焦った。お風呂に一緒にはいっているんだってことが、ばれたのかと思った。
「でも、でも、大丈夫なの?今、桃ちゃん妊婦さんなんでしょ?そんなときに、そんな…」
え?!
「あ~~。やっぱりそういうこと想像してるしっ。違うよ、花ちゃん、一緒に風呂に入っているから、毎日変化がわかるってことで」
聖君が、慌ててそう言った。
「え?一緒にお風呂?!」
花ちゃんは目を丸くして、それから私を見た。
「そ、そうなの?桃ちゃん」
あ、花ちゃんがますます顔を赤くしていく。
「なんで、聖君、ばらすかな。もう~~~」
私は聖君にそう言った。
「え?だって、花ちゃん、なんだか、すごい想像しちゃってたっていうか、誤解してたから。でも、夫婦なんだし、いいじゃん。風呂、一緒に入ってても。ねえ?花ちゃん」
「聖君~~。普通は夫婦でも、一緒にお風呂は入らないものなの」
私は真っ赤になってそう言うと、花ちゃんは、
「あ、でもうちの親、たま~に、一緒に入るよ。ほんと、たまにだけど」
と、言ってきた。
「え?そうなの?」
私が聞き返すと、聖君は、
「ああ、なんだ。うちだけじゃなかった。やっぱ、いるんじゃん、そういう夫婦」
と安心したように言った。
「聖君のご両親もなの?」
「うん。うちの場合、じいちゃん、ばあちゃんもだけどさ」
「え~~~。そうなんだ。じゃ、榎本家では、それが当たり前なんだ」
「そう。それが当たり前なんだよ」
「うひゃ~。それで、桃ちゃんと聖君も?」
「うん」
うんって、そんなにあっさりと認めてるし!あ~~。恥ずかしいよ~。花ちゃんにばれちゃったよ~。
私は思い切り、恥ずかしくなり、しばらく顔をあげられないでいた。
「な、なんだか、本当に未知の世界だよ。私…」
花ちゃんも真っ赤になっていた。
「籐也、そういえば、バンドの練習、まじめにやってた?」
いきなり、聖君が話題を変えた。
「うん。すごく真剣だった。バンドの人と、口論にまで一回なってて、びっくりしちゃった」
「へえ」
「でも、すぐにまた練習を再開して、最後にはみんな、まとまってたけど」
「あいつ、プロになるし、かなり真剣なんだな」
「うん。上手だったよ。モデルのときよりも、真剣って顔をしてた」
「それ、花ちゃんに見せたかったのかな」
「え?」
「また、応援してもらいたかったんじゃないの?あいつ」
「そうかな」
「ライブ見に行くんでしょ?」
「うん」
花ちゃんははにかみながら、うなづいた。そして、ちょっと私を見ると、突然暗い顔になった。
「どうしたの?」
気になり聞いてみると、
「籐也君って、桃ちゃんのこと気に入ってるよね」
と言ってきた。
「え?」
なんだ、それ?
「なんか、やたらとかまってたっていうか、桃子ちゃん、桃子ちゃんって言ってたから。私が桃子ちゃんと友達だって言ったときも、すごく驚いてたし、桃子ちゃんに会いに行くから、一緒に行こうって張り切ってお店に行ったし」
「それは、違うよ。別に気に入ってたわけじゃないと思う」
「でも…」
「あいつは、ただ、桃子ちゃんのことを落とすゲームをしてただけだよ」
「芹香さんのときみたいに?」
「うん」
聖君がそう花ちゃんに言った。
「でも、どうでもいい子だったら、手出したりしないよね?」
「そうかな。あいつ、本気の子には手出せないって感じだけど」
「え?」
花ちゃんは、聖君の言葉に驚いていた。
「桃子ちゃんは、俺って言う彼氏がいたから、安心して手を出そうとしたんじゃないの?」
「ど、どういうこと?」
「芹香って子を、狙っていたのも、本気で相手にされないってわかってたからかもよ」
「なんで本気でもないのに、そんなことするの?」
私が思わず、聖君に聞いた。
「う~~ん、深いところまではわからないよ。でも、傷つくのが怖いからじゃないかな」
「え?」
「本気になって、振られるのとか、本気になって、相手が離れていくの、怖いじゃん」
「そっか。そういえば、桐太もトラウマになってて、本気になるような子は相手にしなくなったんだっけね」
私がそう言うと、花ちゃんが驚いていた。
「そうだったんだ」
「籐也も昔、そういうことがあったんじゃないの」
「え?」
花ちゃんが聞き返した。
「本気で好きになった子が、離れていった経験、してるんじゃないの」
「いつ?」
「さあ?」
「じゃあ、もし、本気で好きになったら、籐也君、どうするんだろう」
花ちゃんがぽつりと言った。
「さあ?もう本気でぶつかれるようになってるかもしれないし、まだ、怖くてなかなかぶつかれないかもしれないし、どうだろうね」
「じゃあ、変なことを聞いてもいい?聖君」
「え?俺に?何?」
花ちゃんの質問に、聖君は耳を傾けた。
「どうしたら、籐也君に、大事に思ってもらえるのかな」
花ちゃんの質問に、聖君はまっすぐ前を向いたまま、
「花ちゃんが、大事に思っていたらいいんじゃないの?」
と答えた。
「私が?」
「そう。それに、いつも心を開いて、ちゃんと真正面からぶつかれば?あいつも、それにきっと、答えてくれるんじゃないかな」
「嫌がらないかな」
「嫌がらないだろ」
「でも、うっとおしいとか、思わないかな」
「思ってたら、メアド交換したりしないんじゃね?」
「あ…」
花ちゃんは赤くなって、下を向いた。
「桃ちゃん、メールってしてもいいのかな、私から」
「え?うん、していいと思うよ」
「でも、なんてメールしたらいいのかな。やっぱり、何か用事があったときだよね?」
「う~~ん。お礼とか、そういうのは?」
「お礼?」
「今日のお礼とか、練習を見た感想とか。そういうのなら、全然嫌がったりしないと思うけど」
「そっか。そうだよね。じゃ、あとで、してみるよ」
「うん」
「…」
聖君はその会話を黙って聞いていた。でも、ちらちらとバックミラーは見ているようだった。
「桃ちゃん」
また、花ちゃんが私のほうを向き、
「あっちがメールするねって言ってたのに、私からしても本当にいいのかな」
と聞いてきた。
「え?ああ、そっか~~。でも、お礼だったら、別にいいんじゃないかな」
「だけどもし、メールして返事が来なかったらどうしようかな」
「大丈夫だよ。きっと、来るよ」
「私、返信が来るまで、寝れないかもしれない」
「わかるっ!それ、すごくわかる」
私は思わず、花ちゃんの手をとって、そう興奮しながら言っていた。
「桃ちゃんも経験あるの?」
「ある~~。いっぱい悩んで、いっぱいドキドキして、メールしてたもん。私なんて、5分も返信が来ないだけで、どうしようってばくばくしてたし」
「やっぱり、そんなだったの?」
「うん。今頃、あきれてるのかなとか、あんなメール送らなかったらよかったなとか」
「あ~~。そうだよね。ドキドキしちゃうよね」
「そうだったんだ」
聖君が、私たちの話を聞いて、そう赤くなりながらぼそって言った。
「あ!」
やばい。本人がいたんじゃない!
「今のは、聖君、忘れてね」
「え?」
「もう昔の話しだし」
私は慌てて、そう取り繕った。
「うん、わかった」
聖君はやけにあっさりと、そう返事をした。そしてまた、黙り込んで、運転を続けた。
「桃ちゃん」
花ちゃんは私の手を両手でぎゅって握ると、
「メールがなかったら、電話してもいいかな」
と聞いてきた。
「うん、いいよ」
「じゃあ、メールがあっても電話してもいいかな」
「うんうん。いいよ」
「私、一人だと、ドキドキして、おかしくなりそうだし。メールが来ても、嬉しくて、どうにかなりそうだし」
「わかるっ!それもすごくよくわかるっ」
「桃ちゃんもそうだったの?」
「うん!嬉しくて泣いてたときもあるし、最初のメールからずっと、保存だってしてあるしっ」
「あ、私も籐也君からメールきたら、絶対に保存する!」
「だよね。しちゃうよね」
「そうか。嬉しくても泣いちゃうのか」
「うん。メールが来たってだけでも、嬉しいもん」
「そうだよね、桃ちゃん」
「うん」
「うひゃ~~」
聖君が声にならない声をあげた。はっ!私はまた、本人目の前にして、かなり恥ずかしいことをべらべら言ってたんじゃない?
「そうなんだ。俺のメール保存してあるんだ」
聖君は顔を赤くして照れている。でも、次の瞬間、思い切りにやけた顔が、バックミラーに映った。
「メールが来ただけで、嬉しかったんだ。そっか~、そっか~~」
ああ。にやけ顔、花ちゃんにも見られたよ、聖君…。
「聖君、嬉しそう。こういうこと言われて、やっぱり嬉しいものなの?」
花ちゃんが聞いた。
「え?」
聖君はでれでれの顔のまま、バックミラー越しに花ちゃんを見た。
「あ、嬉しいんだね。思い切り、鼻の下、伸びてるもんね」
花ちゃんは、聖君が何も答えなくても、わかってしまったようだった。