第80話 勇気を出して
「桃ちゃん、私怖いよ…」
リビングを出たところで、花ちゃんが立ち止まった。
「大丈夫」
「だって、またひどいこと言われたりしたら」
「傷ついたら、また私や聖君のもとで泣いていいから」
「え?」
「私と聖君がついてるから」
「…」
花ちゃんは、ごくっと一回つばを飲み込み、それからお店に歩いていった。
ちょうど、レジに籐也君と、芹香さんがいた。
「ほら、花ちゃん」
私が背中を押しても、なかなか花ちゃんが動こうとしない。
「籐也君」
私が呼びかけると、籐也君がこっちを向いた。
「桃子ちゃん!見送りに来てくれたの?」
「違う。花ちゃんが話があるっていうから、籐也君だけ残ってくれないかな」
「え?」
籐也君はかなり驚いて、花ちゃんを見た。
「話って何?」
芹香さんが聞いてきた。
花ちゃんは黙っている。
「芹香、先帰ってて」
「ふうん。話聞いてあげるんだ。籐也。あ、そっか。これからプロデビューするなら一人でも多くのファン、必要だもんね~」
芹香さんはそういやみっぽく言うと、
「ま、せいぜいがんばって、高感度あげてね」
と籐也君にそう言ってから、
「聖君、また来るから。今度デートしようね」
と言って、お店を出て行った。
聖君を見ると、まったく違う方向を向いていた。
「めげないわね、あの子」
キッチンの奥から、桜さんがやってきて、苦笑していた。
「聖君、大変だ。あんなめげない子に好かれちゃって」
「好かれてないよ。あれはからかってるだけ」
「そう?案外本気かもよ?」
「本気でも、俺には関係ない」
「お!本調子出てきたね。それでなくっちゃ」
桜さんはそう言って、聖君の背中を思い切りたたいた。
「いって~。痛いって」
そう言いながら、聖君は私と花ちゃんのところにきて、
「花ちゃん、今他にお客さんいないし、カウンターで話していいからさ」
と優しく言った。
「じゃあ、がんばって」
私がそう言って、その場を去ろうとすると、花ちゃんが腕をつかんできて、
「桃ちゃん、ここにいて」
と小声で震えるように言った。あ、コーチのときにも、そう言われたっけ。でも、私、二人きりにさせちゃったんだよね。そして花ちゃんは告白できないで、終わっちゃったの。
う~~ん、そばにいたほうが、花ちゃん、勇気が持てるというなら、そばにいようかな。
私はカウンターの一番はしに座った。花ちゃんはひとつ空けて座り、さらにその向こう側に、籐也君は無表情で座った。
「引き止めてごめんね」
「いや」
「話っていうのは、ひとつ謝りたかったのと」
「え?謝るって?」
籐也君は、目を丸くした。どうやら、謝られるなんて思ってもみなかったようだ。
「籐也君を傷つけたから」
「俺が?別に傷ついてなんていないけど」
「…でも、私、ひどいこと言った」
「何?なんか言ったっけ」
やけに籐也君の口調は冷たい。顔は無表情だし…。花ちゃんは、話しにくそうにしている。
「もう、応援しないって言った」
「いつ?」
「モデルやめるって言ったときに」
「ああ、あんなの。別に傷ついてないよ。だって、モデルやめるのに応援も何もないじゃんか」
「でも、手のひら返したようになるって、怒ってたでしょ?」
「…」
籐也君は黙り込んだ。
「最後のショー…、見に来たんだよな?」
ぽつりと籐也君は、話し出した。
「うん」
「花だけ置いて、帰ったんだろ?」
「花、ちゃんと届いたんだ。よかった」
「…なんで帰ったの?あのとき」
「え?」
「ショー終わって、さっさと帰っていったんだろ?」
「…ごめんね。手渡しするのはどうしても、つらかったから」
「なんで?」
無表情の籐也君が、眉をひそめた。
「なんでって、だって…」
花ちゃんは黙り込んだ。下を向いて、困っているのがわかる。でも、顔をあげた花ちゃんは、どうやら何かを決意したらしい。
「私、モデルを籐也君がやめたら、もう会うこともなくなるし、彼女でもないし、なんの接点もないし、それがすごくつらくって、もう会うのも話すのもつらくって…。最後のショーは、見に行くだけでせいいっぱいだったの」
花ちゃんは籐也君を見て、そうはっきりと言った。
「もう会えなくなるって思ったら、ちゃんと話をしに来たらいいだろ?」
籐也君の表情、ちょっとつらそうだ。
「そ、そうだよね。でも、きっと会ったら私、泣いてた」
「泣けばいいじゃん」
籐也君の言葉に、花ちゃんが首を横に振った。
「なんで?」
「こ、困らせるから」
「俺を?」
「うん」
花ちゃんは下を向き、うなづいた。
「…何、その理由」
籐也君は、眉間にしわを寄せると、花ちゃんをじいっと見た。でも、花ちゃんは下を向いているから、気がつかないでいる。
籐也君のあんな表情、はじめて見た。なんていうのかな、あ、すごく切なそうな、そんな表情。
「俺、なんか馬鹿みてえ」
籐也君が、ぼそってそう言って下を向いた。
「何が?」
聖君がいつの間にか私の後ろにいて、そう聞いた。
「なんでもないっすよ」
籐也君は、下を向いたままそう答えた。
「花ちゃん、ちゃんと心開いてるんだから、お前も開けば?」
聖君は、籐也君をまっすぐに見てそう言った。
「え?」
籐也君は、顔を上げた。
「お前、いつもはぐらかしたり、本音隠すけどさ、本音で話してる相手には、本音で答えたら?」
聖君は、真剣な目で籐也君を見ている。
花ちゃんはそんな聖君と、黙り込んでいる籐也君を交互に見てから、
「い、いいんだ。私は自分の気持ちを言いたかっただけだし。今さらこんなこと言っても、困るだけだよね」
と籐也君に、作り笑いをして、そう言った。
「…」
籐也君は、一瞬また、切なそうな目で花ちゃんを見ると、すっと視線をそらした。
「花ちゃんはさ、モデルもやめて、ただの人になった俺なんか、どうでもよくなったんじゃねえの?」
「え?」
「で、プロデビューするって聞いて、またファンにでもなろうって、そういうことだろ?」
「…」
花ちゃんは何も答えずにいた。っていうか、なんて言っていいかわからないって表情だ。
「ファンになって、応援してくれるの、すげえ嬉しい。また応援頼むよ、花ちゃん」
籐也君がいつもの笑顔で、突然明るく言った。でも、目が笑っていないのが、はっきりとわかる。
「わ、私」
花ちゃんは、顔を引きつらせ、
「もう、3年前みたいには応援できない」
と、震える声でそう言った。
「え?」
「ごめんね。ライブももう行かないから」
「…。つらくなるからってさっきも言ってた。それが理由?」
「うん」
「…ふうん」
「ごめんね…」
「じゃ、遠くで応援してるわけ?」
「…。ごめん、もう応援できるかどうかもわかんない」
籐也君は下を向いたまま、黙っている。何を考えてるのか、どんな表情をしているのかもわからない。
「別に、俺は花ちゃんがファンだろうと、なかろうとかまわないけどさ」
籐也君が、下を向いたままそう言った。声はとても、冷たい。
「そ、そっか。私なんて、別にたいした存在じゃないし、籐也君には、もっと他にもファンの子、いるもんね…」
花ちゃんは声を震わせそう言うと、唇をぎゅっと噛んだ。
「じゃあ、私、もう話も終わったし、引き止めてごめんね」
花ちゃんは、ぐるりと籐也君に背を向けた。背を向けたとたんに、ぼろっと大粒の涙を流した。
「花ちゃん!」
私は思わず、花ちゃんを抱きしめてしまった。
「桃ちゃん…」
花ちゃんも私を抱きしめ、ひい~~っくと声を出して泣き出した。
「リビング行こう、花ちゃん」
「う、うん」
私は花ちゃんの肩を抱き、花ちゃんをリビングに連れて行こうとした。
「なんで今頃、泣くんだよ」
「え?」
「なんなんだよ。なんで今頃、俺と会えなくなるのがつらいとか、そんなこと言ってくるわけ?」
突然、籐也君が切れた。でも、顔はものすごく切なそうな表情だ。
「なんだよっ。なんなんだよっ。いっつも、いっつも、私は平気って顔をしてさ。俺ばっかり、馬鹿みてえじゃないかよっ」
「え?」
花ちゃんは、目を丸くして、籐也君を見ている。
「芹香と付き合ってても、告ってくりゃいいじゃん」
「…」
「モデルやめるって俺が言ったときも、これからも会いたいって言ってくりゃいいじゃん!」
「と、籐也君?」
「こんな俺、モデルやめたら、さっさと忘れられるんだろうなとか、もうとっくに嫌われたんだろうなとか、そう思ってたよ。そう思ってた俺、馬鹿みてえじゃん」
藤也君は、そう言うと顔を赤くした。
「なんだよ、なんで俺の前で、泣かなかったんだよ。泣いて困らせりゃいいだろ!」
「…」
籐也君のほうも、泣きそうだ。花ちゃんも、私もあまりにもびっくりしてしまい、その場から動けなくなってしまった。
私は思わず、次の瞬間聖君を見た。聖君は、ものすごく冷静に籐也君を見ていた。
「違う。俺は困ったりなんかしない。今も、困ってなんかいない。ただ…」
籐也君は、話を途中でやめて、つかつかと花ちゃんのまん前まで歩いてきた。
「籐也君?」
花ちゃんは、目を丸くしたまま、籐也君を見ている。
「ただ、泣くなら、ちゃんと俺の胸で泣けよ!」
「えっ?!」
花ちゃんが思い切り驚いてる。
私もだ。今、なんて言ったの?
「げ、くせえ台詞」
後ろで、聖君がぼそってそう言った。
「うっせえよ!聖さん!」
それが聞こえてたらしい。籐也君は聖君をにらみつけたあと、一気に真っ赤になった。
「い、今、なんて?」
花ちゃんは、呆けたままだ。
「もう言わない。2度も言わない」
籐也君は、まだ真っ赤だった。それから、また花ちゃんから視線をはずし、
「つらいのは、俺が芹香と付き合ってたから?」
と聞いた。
「そ、それもある」
「俺と会えなくなるから?」
「う、うん」
花ちゃんは、まだ今の状況が飲み込めていないのか、目を丸くしたまま、うなづいた。
籐也君はまた、花ちゃんを見た。あれ?その目つきは、聖君が私を見るときと、よく似ている。
「でも、俺、今はフリーだよ」
「…」
花ちゃんは、黙ったまま籐也君を見ている。
「それに、会えなくなるとか、そんなふうに思わないでさ、会いに来たらいいじゃん」
「ライブ?」
「ライブにも来たらいいだろ。なんで勝手につらくなってるんだよ…」
籐也君は腰に手を当てると、下を向き、はあってため息をした。
「私、嫌われてないの?」
花ちゃんが恐る恐る聞いた。
「嫌ってないよ」
籐也君はちらっと花ちゃんを見てそう言うと、また下を向いた。
「これから、籐也君のそばにいてもいいの?」
花ちゃんがそう言うと、籐也君は顔を上げ、目を細めて花ちゃんを見た。そして、何も言わず、しばらく花ちゃんのことを見ていた。
「…」
花ちゃんは黙って籐也君が見ているからか、困ってしまっていた。
「あ、あの…。それはその、図々しいよね?」
「え?」
「ファンでいるってことだよね。ライブを見に行ったり、いろいろと応援したり。そうだよね、うん。私、それだけでも、全然」
「メアド、交換しよう。携帯貸して」
籐也君がそう言うと、花ちゃんは携帯をポケットから出して、籐也君に渡した。籐也君は自分の携帯を出し、赤外線通信をして、また花ちゃんに返した。
「…。今度、メールする」
「う、うん」
「あ、電話も…」
「え?」
花ちゃんが聞き返した。
「俺、もうバンドの練習があるから、行かなくっちゃ」
籐也君はそう言うと、花ちゃんをちらりと見て、
「見に来る?練習」
と聞いた。
「え?私が?」
「うん。藤沢のスタジオで練習するんだ」
「い、いいの?」
「いいよ。たまに俺のクラスのやつも見に来てるし」
「うん、じゃあ、行く」
花ちゃんは顔を真っ赤にさせて、嬉しそうにうなづいた。
「何時まで練習あるの?」
聖君が聞いた。
「今日は、2時間スタジオ借りたから、7時半かな」
「じゃ、終わったらまた来いよ。夕飯食ってけば。そんで花ちゃんは俺が車で送っていくから」
「桃子ちゃんと一緒に?」
「ああ、そうそう。もちろん」
「じゃあ、そうする?」
籐也君が花ちゃんに聞いた。
「うん」
花ちゃんはまた、真っ赤になってうなづいた。
「それじゃ、練習終わったらまた、花ちゃんと来るよ」
「おう。待ってるよ」
聖君はにっこりと笑って二人を見送った。私も、小さく花ちゃんに手を振った。花ちゃんも、赤くなりながら、私に小さく手を振り返した。
「なんだか、もしかして、すごい進展?」
私は、二人の後姿を見ながら、聖君に聞いた。
「うん。それに籐也のやつ、いつもの仮面がはずれてた」
「仮面?」
「うん。本音を隠してた仮面。ずっと今まで、素を見せないでいたじゃん」
「聖君も感じてた?」
「うん」
「私も。籐也君ってどれが本当なのか、わからなかったんだ」
「あれが本当の籐也だろ?」
「え?」
「花ちゃんの前でいるのがさ」
「今まで見たことない籐也君だったもんね」
「うん」
「なんだか、切ない顔して花ちゃんを見てたよ」
「ああ、俺も気がついた」
「それから、聖君が私を見るときみたいな目で見てた」
「え?それってどんな目?」
聖君が私の顔を覗き込んだ。
「もしや、こんな目?」
聖君は思い切り、にやけてみせた。
「違うよ~~。もう~~。もっと、目を細めて、花ちゃんのことじいって見ていたの!」
「あはは。わかった。俺もそれには気がついてたよ」
「なんだ、気がついてたの?あれは、どんなことを思ってるとき?」
「そりゃ、あれだよ。俺の場合だったら、桃子ちゃん、いじらしい~~~って思ってるときだ」
「え?」
「花ちゃんのこと、いじらしいって思ってたんだろ?あれは、かなりまいっちゃってるよね」
「まいるって、何が?」
「籐也、花ちゃんに惚れてる」
「え?惚れちゃったの?今日?」
「今日じゃないだろ。きっと、もう前からだ」
「ええ?」
「でも、本音を言い出せないでいたのかもな」
「…」
「あいつ、実はめちゃくちゃシャイボーイなんじゃないの?そのわりには、すげえくさい台詞、平気で言ってたけど」
「ああ、俺の胸で泣けって言ってたあれ?」
「そう。俺だってあんなこと、桃子ちゃんにこっぱずかしくって言えないよ」
聖君はそう言うと、きゃって言って、わざと恥ずかしそうな身振りをした。
「え?え?じゃあ、じゃあ、聖君」
私はそんな聖君の身振りは無視して、聖君の腕をぐいぐいとひっぱり、
「あの二人、両思いなの?」
と聞いた。
「だろ?どう見たってそうだろ?」
聖君はにこって笑ってそう言った。
「え?でででも、花ちゃん、それ気づいてないかも」
「え~~~。そうかな」
「ファンでいられるって、そんなふうに思ってるかも」
「…なんかほんと、花ちゃんと桃子ちゃんは似てるよね」
「え?どうして?」
「そういうぼけてるところがさ」
「ぼけてる?」
「桃子ちゃんだって、俺がもう付き合ってる気でいたのに、そんな気、まったくなかったじゃん」
「あ、ああ、そうだったっけね」
「籐也も苦労するな、ありゃ」
「え?どうして?」
「こんなぼけてる子と付き合うとね、彼氏は苦労するんだよ」
「え~~~!聖君も苦労してるってこと?」
「うん、俺も苦労が絶えないよ。ほんと」
「もう~~~」
私は聖君の腕を、ぐるぐると振り回した。
「あはは、痛いってば、そんなに振り回さないで、桃子ちゃん」
「あのね~~~。聖君、そこでいちゃついてないで、ディナーの準備してって、お母さんが言ってるよ」
桜さんがキッチンから顔を出し、そう言ってきた。
「ああ、はいはい。今行きます」
聖君は桜さんにそう返事をして、私を見てにこっと笑い、
「桃子ちゃんは、リビングで休んでいていいからね」
と優しく言ってくれた。
私はリビングに行き、ソファーに座った。すぐにクロが、私の足元に擦り寄ってきた。
「クロ。なんだか、すごい展開になっちゃったよ」
私はドキドキしていた。花ちゃん、今頃、籐也君と一緒で、ドキドキしていないかな。ああ、他人事ながら、ドキドキする~。
それにしても、籐也君、今日は、はじめて見る表情ばかりだった。今までは、仮面をかぶっていたんだ。
聖君のお母さんの言葉を思い出した。本気で誰かを好きになったら、どんなふうに変わるんだろうって。
切なそうに花ちゃんを見ていた、あの目。いじらしいって思いながら見ていた、あの目。それに、突然切れたり、泣きそうになっていたり。
聖君もそういえば、そんな表情を見せたときがあったっけ。
クールな聖君も、ポーカーフェイスで、誰にでも笑顔で接していた籐也君も、誰かを本気で好きになっちゃうと、あんなにも冷静でいられなくなったり、表情が表に出ちゃうんだね。
花ちゃんも、もう、泣きたいのを我慢することもなくなるのかな。
「俺の胸で泣けよ」
あの台詞、聖君はくさいって言ってたけど、ちょっとドキッてしちゃった。私も聖君にあんなふうに言われたら、どうするかな。メロメロになっちゃうかな。
でも、聖君はきっと、あんなふうには言わない。
「桃子ちゃん、泣くときは俺の胸で泣きなね。ね?」
な~~んて感じできっと、優しく微笑みながら言うんだ。ああ。そんな聖君もいいっ!!!
私は知らぬ間に、クロを思い切り抱きしめていたようで、クロが苦しがっていた。
「ごめん、ごめんね、クロ」
私は、そっとクロを抱きしめ、
「あ~~~。今頃、花ちゃんはどうしてるのかな~~~~。両思いだって、気がついてるのかな~~~」
と、そんなことをつぶやいていた。