第8話 心を開ける鍵
公園から戻ると、玄関にひまわりが仁王立ちしていた。
「ひどい!」
かなりご立腹の様子だ。
「え?なんで怒ってるの?」
聖君が聞いた。いや、理由は明らかだよ。聖君が知らない間に消えちゃったから。
「どこ行ってたの?」
まだ、ひまわりの顔は怒っている。
「そこの公園だけど?」
聖君はそう言いながら、リビングのソファーに座った。
「私も誘ってくれたら良かったのに」
ひまわりが後ろから、ついていきながらそう言った。
「だって、ひまわりちゃん、まだ朝ごはんも食べていなかったし」
「そんなのあとでもいいもん」
「でも、いきなり庭にいたら、行きたくなっちゃっただけだから。それにすぐに、戻ってきたじゃん」
「一言、言ってくれてもいいじゃん!」
ひまわりはまだ、怒っている。
「ひまわり、あんたね」
母がさすがにその様子を聞き、客間から顔を出した。だが、聖君が、
「あ、エステのお客さん来るんですか?準備進めてていいですよ」
と、客間に母を追い返してしまった。
ひまわりはそれを見て、ちょっと嬉しそうな顔をした。だが、聖君は、ひまわりをかばったわけでもなければ、助けてあげたわけでもなかった。
「ひまわりちゃん、ちょっといい?」
そう言うと、ひまわりを自分の前のソファーに座らせ、聖君はひまわりには、いつも見せないような真剣な表情をした。
「な、何?」
さすがのひまわりも、これはいつもの聖君と違うと悟ったらしい。表情が固まった。
「ひまわりちゃんは、もう俺の妹だからって思ってるからこそ、きちんと言うよ?」
「え?うん」
ひまわりは、さらに顔をこわばらせた。それだけ、聖君からは、いつもと違うオーラが漂っている。
「俺、ひまわりちゃんも大事に思ってるけど、でも、桃子ちゃんが1番なんだ」
聖君は、まっすぐにひまわりのことを見て、そう言った。そして、
「だってさ、俺、桃子ちゃんと結婚したんだ。これから、赤ちゃんも生まれる。その子も含めて俺は、守っていかないとならないんだ」
と、すごく落ち着いた声で話した。
「う、うん」
ひまわりも、顔が真剣になってきていた。
「ひまわりちゃんだって、彼氏いるよね?」
「うん」
「もし、何かを一緒にしたいんであれば、彼氏にお願いしたらいい。優先順位なんかをつけて悪いとも思うけどさ、でも…」
聖君は一瞬黙った。ひまわりが泣きそうになったからだ。
「私、邪魔だった?」
「え?」
「聖君、迷惑してた?」
「……」
聖君は黙り込んだ。でも、またひまわりのことをしっかりと見て、
「邪魔とか、迷惑とか言ってないよ。ただ、俺は桃子ちゃんの旦那なの。桃子ちゃんのパートナーなの。ひまわりちゃんのそばにいるのは、俺じゃなくって彼氏のほうでしょ?って言ってるんだ」
と、冷静に言った。
旦那!パートナー!うわ。なんだか、聞いてて顔が…。
「桃子ちゃんもさ、赤くなってないでしっかりと聞いてね」
「え?う、うん」
わ~~。今の聖君、かなり本気モード。それを聞いて、ひまわりの顔つきが変わった。
「ごめんなさい」
ひまわりがいきなり、謝った。
「え?」
私はびっくりしてしまった。
「お姉ちゃんが羨ましかったんだ。だって、こんなに素敵な人と結婚して、大事にされてるから。だから、同じくらい、大事にされたいって思って」
「俺から?彼氏からそう思われたいってならないの?」
「…」
「ひまわりはね、そういうところがあるのよ」
客間から、母が話を聞いていたようで、現れた。
「え?そういうところって?」
聖君が聞いた。
「桃子のものを欲しがるの」
「…え?」
聖君はちょっと驚いていた。
「きっと、今までそうやって、なんでも手に入れちゃったのよね。桃子、いっつもひまわりが欲しがると、自分は我慢して、ひまわりにあげていたから」
「…」
聖君は私を見た。
「甘やかして、育てちゃったかな」
母がそう言って、ため息をついた。
「そ、そんな、私、お姉ちゃんのものなんて欲しがってない」
「そう?自転車は?ピアノは?ピアノを習いだしたのは桃子なのに、あんたが欲しがったから、桃子、譲ってピアノもやめたじゃない」
「だって、お姉ちゃん、もういらないよって言ったから」
「あんたが欲しがったからよ」
母はそう言うと、リビングのソファーに座った。
「それから、幹男君もでしょ?桃子と仲良くしてて、あんたやきもち妬いて、やたらと幹男君の気を引こうとしてたじゃない。今の聖君みたいに」
「そ、そんなことない。私だって、幹男君が大好きで、幹男君も可愛がってくれたんだもん」
「でも、あんたはすぐに、他のものがよくなるのよね」
「え?」
「本当に欲しいものじゃないから、すぐに他のものに目移りするの。ピアノも3ヶ月でやめた。自転車も、どこかになくしてきた」
「…」
ひまわりは泣きそうだった。
「もう、本当に自分が欲しいものや、好きなものを見つけなさいよ」
「だって…」
「だって何?」
「お姉ちゃん、ずるいんだもん」
「何が?」
ひまわりは半べそをかいていた。母はそんなひまわりに、きつく聞いた。
「おばあちゃんも、おじいちゃんも、いつもお姉ちゃんを可愛がるの。いくら、私が寄っていっても、お姉ちゃんのことばかりを気にかけるの。お母さんも、お父さんだって!」
そんなふうに思っていたの?
「それはね、桃子はいっつも、自分の気持ちを言わないし、欲しがらないし、だから、こっちから聞かないとならなかったのよ」
「え?」
母の言う言葉にも驚いた。
「あんたは、自分から甘えられるし、今だって、聖君にどんどんわがまま言えるじゃない。桃子は言えないの。言いたくても黙って、我慢するから、こっちから聞かないとならないの」
そうか。ものすごく私はみんなの気を使わせていたんだ。
グ…。泣きそうになった。でも、ひまわりも泣くのをこらえてるんだもん。私がここで泣いたら…。
「じゃあ、お姉ちゃんも言えばいいじゃん!欲しいなら欲しい。渡したくないなら渡したくないって!聖君のことだって、言えばいいじゃん。私が邪魔ならそうはっきりと!」
いきなりひまわりは、私に向かってそう言ってきた。
「周りがどうにかしてくれるとか、わかってくれるとか、そんなふうにしてるのがずるい!そうやって、結局はみんなお姉ちゃんの方を気遣ってる!」
あ、これ、麦さんにも言われた。
自分から言わないと。前に葉君にも言われた。
「卑怯だよ。私は欲しいなら欲しいって言う。正直に言ってるだけだよ。なのに私ばっかりわがままって言われちゃうなんて!」
ズキン…。
「ひまわりちゃん」
聖君が、すごく優しい声で話しかけた。
「え?」
ひまわりは、今にも泣きそうな顔をして、聖君を見た。
「桃子ちゃん、自分が失いたくないものは、ちゃんと言うよ?」
「え?」
「自分が大事なものは、わかってて、それは本当に守ろうとする。たとえば、ここで、俺がひまわりちゃんとすんげえ仲良くなって、ひまわりちゃんが、俺のことをもらうねって言ったら…」
聖君が私を見た。私は思い切り、横に首を振った。そんなの絶対に嫌だ。
「きっと、ひまわりちゃんにきちんと、言うと思うよ」
「……」
ひまわりは私を見た。
「だけど、もしひまわりちゃんがね、何かで苦しんだり、辛い思いをしていたら、桃子ちゃんは、ひまわりちゃんのために、頑張ると思うよ」
「え?」
「桃子ちゃんって、自分が大事なもののためなら、すごい力出すからさ」
「……」
「ピアノより、ひまわりちゃんの思いを大事にしたんだよね?」
聖君は私に聞いてきた。ああ、びっくりだ。聖君、なんでわかるの。私はコクンとうなづいた。
「あの時、ひまわりが本当に、ピアノ、弾きたがってたから…」
声を詰まらせて、私はそう言った。
「自転車は?」
母が横から聞いてきた。
「私、自転車に乗るの、苦手だったし、ひまわりにちょっと貸したら、すぐに乗れるようになって、すごく楽しそうだったから、ひまわりが乗ったほうがいいと思って」
「ええ?そんな理由なの?」
母が驚いた。
「じゃあ、我慢したわけじゃないの?」
「多少、我慢することもあったけど、でも、ひまわりが喜ぶ笑顔好きだったから」
「…あんたって子は」
母が目を細めて私を見た。
「うわ~~~ん」
ひまわりが突然、泣き出した。
「ごめん、ごめんね。お姉ちゃん。だって、だって、ヒック」
すごい号泣だ。
「だって、聖君に取られたくなかったんだもん!」
「え?」
「お姉ちゃんを取られたくなかったんだもん」
「なんだ、そっち?」
聖君がそれを聞いて、一瞬目を丸くしてから、くすって笑った。
「だって、杏樹ちゃんにも取られちゃうかと思ったんだもん。お姉ちゃん、聖君の家に行っちゃったら、私、寂しいもん。お姉ちゃんのこと大好きなんだもん」
「……」
母も私も目が点になった。でも、聖君だけはひまわりを、優しく見ていた。
「だから、お姉ちゃんから聖君を離していたの。もし二人が一緒にいたら、私も間に入って、お姉ちゃんが遠くに行かないようにしてたの」
「ひ、ひまわり、あんたって子は」
母は涙を流していた。
「でも、私、聖君も好き。だから、お姉ちゃんをあげないなんて、言えなかったんだもん」
「ひまわり~~」
私も限界だ。涙がぼろぼろ流れた。ひまわりを抱きしめ、一緒に泣き出してしまった。
「もう、あんたたちって、本当に」
母もやってきて、私たちを一緒にぎゅって抱きしめてくれた。
「やべ、もらい泣き」
聖君の小さなつぶやきが聞こえた。でも、3人でおいおい泣いていて、聖君の泣いてる姿は見ることができなかった。
ああ、なんだよ~~。ひまわり、私はずっと知らなかったよ。そういう思い。心の奥に抱えていたんだね。
そういえば、花ちゃんのお姉さんの時といい、桐太といい、聖君は、人の奥底にあるものを引き出してくれる。なんなんだろう、その力。
みんな、心を開いて、自分を見せ始める。そうすると、みんながあったかい、本当の自分に会える。葉君も、花ちゃんのお姉さんも、桐太も、あったかい優しいハートを持ってた。ただ、凍っていたり、ハートに鍵をかけていただけだった。
ハートを開く鍵、氷を溶かすあったかさ。そんなものを聖君はもっているんだろうか。
真正面から向き合い、ハートを開かせる。でも、開いたら、それを包み込んでくれたり、開いたところからあったかいパワーを送り込んであげてるんだ。
ああ、聖君って、やっぱりすごいな。
おいおい泣いた後、ひまわりは、もう一回聖君にごめんねって謝って恥ずかしそうに部屋に行ってしまった。
母は涙を拭き、鼻を思い切り噛み、
「ああ、嫌だ。化粧直してこなくっちゃ」
と寝室に行ってしまった。
「聖君」
私はまだ、べそべそ泣きながら、聖君の横に座った。
「何?」
「聖君ってすごいね」
「へ?俺?何もしてないよ」
「ううん。ひまわりに正面から向かった。ひまわりの心を開いてあげた」
「あはは。俺じゃないよ。ひまわりちゃんが自分でそうしたんだし、それに俺じゃなくって、今のはどう見ても、桃子ちゃんの力でしょ?」
「ううん、ううん。絶対に聖君。だって、私がピアノをあげた理由とか言ってないのに、わかっちゃったでしょ?すごいよ」
「ふ~~~ん」
あれ?ふうん?なんか自慢げなふうんだったけど。
「そりゃそうだよ。俺をなんだと思ってるの?ひまわりちゃんのことはわかんないけど、桃子ちゃんのことならわかるよ?」
「え?」
「さすがにひまわりちゃんのは、わかんなかった。俺じゃなくって、桃子ちゃんを取られたくなかったってのはさ。でも、桃子ちゃんの思いならわかる。だって、俺、桃子ちゃんの旦那さんだから!」
うわ。すごい自慢げ!
「そ、そうなんだ」
「うん!」
聖君はそう言うと、ぐすって鼻をすすった。
「あ、俺もさっき、泣いちゃった。見てた?」
「ううん。3人でおいおい泣いてたから、見れなかった。残念」
「なんで?」
「泣き顔見たかった」
「なんで?!」
「可愛かっただろうなって思って」
「俺の泣き顔が?」
「うん」
「桃子ちゃんも、十分変態」
「かもしれない。自分でもそう思う」
「あはは!バカップルで、変態カップルじゃん。やべえ、俺らって」
聖君はそう言うと、目を細めて笑って、
「桃子ちゃんの家族、いいね。俺、大好きだよ」
とそう言って私を、むぎゅって抱きしめた。
ああ、だから、そう言っちゃえるところがすごいんだってば。でも、きっと本人は自覚してないね。
聖君がね、すごいの。心を開くすごい力を持っていて、あったかいの。
何かな。その力って、もしかすると愛の力なのかな。なんてそんなことを、思ったりもした。