第76話 報告
お昼を食べ終わり、花ちゃんたちと食後のコーヒー(私はホットミルク)を飲みながら、話をしていた。
「聖君って桃ちゃんちで暮らしてるの?」
花ちゃんが聞いてきた。
「え?そうなの?」
咲ちゃんとメグちゃんが驚いた。
「うん、今はうちで暮らしてるよ」
「も、もしかして、一緒の部屋?」
メグちゃんが聞いてきた。
「そりゃ、そうでしょ。夫婦なんだから」
咲ちゃんがそう言った。
「う、うん。私の部屋で一緒に暮らしてる」
「うひゃ~~」
メグちゃんが、顔を真っ赤にした。
「なんだか、もう信じられない世界だ~~」
「そっか。聖君と…」
花ちゃんも咲ちゃんも、ほほを染めている。え?なんで、なんで?
「聖君って、その」
咲ちゃんが、言葉につまった。なんだろう。
「私、彼氏もいないし、まったく予想もつかないんだけど、たとえば、二人きりになったときには、桃子!なんて呼び捨てにしてたりするの?」
桃子?いまだかつて、呼ばれたことないよ。
「ううん、いっつもちゃんづけだよ」
それどころか、ちゅわんづけにもなったりするし。
「じゃ、態度が横柄になったりとか?」
「ないない!」
「じゃ、逆に甘えん坊になったりとか?」
「…」
私が無言になると、3人が目を丸く見開きながら、
「甘えん坊になるんだ~」
と言ってきた。
「え、ど、どうかな。私もほかの男の人って知らないし、よくわかんないな」
そう言ってごまかそうとしたけど、
「まさか、二人っきりになると、桃ちゃんまで、ちゃんづけしてたり」
と、さらに咲ちゃんに質問されてしまった。
「ちゃんづけ?」
「聖ちゃんとか、あ、ひーちゃんなんて呼んじゃったり」
「ないないないない」
私は赤くなりながら、咲ちゃんの言うことを思い切り否定した。
「聖君は、いつも聖君だもん」
「そっか~~。な~んだ、つまんないの」
咲ちゃんは片手にメモを持ちながら、がっかりしている。あ、もしや、メモを取ろうとしてた?
「でも、甘えん坊なんでしょ~~~。どうやって甘えてくるの?」
「それよりも、一緒のベッドなの?」
「寝相とかいいの?悪いの?」
わあ。3人いっぺんに聞いてきたよ~~。
「聖君ってあのとき、優しいの?」
咲ちゃんのその一言で、ほかの二人が黙り込んだ。
「あ、あのときって、あのとき?」
花ちゃんは顔を赤くしながら、咲ちゃんに聞いた。
「そう、もちろん」
「ストップ!」
知らない間に、テーブル席のすぐそばに来ていた聖君が、話を止めた。手には、水のはいったピッチャーを持っている。
「すごいね、これがガールズトーク?でも、うちの店では、やめておいてくれる?」
「え?」
「けっこう、小声で話してても、響いてる」
周りを見ると、ほかのお客さんがみんなこっちを向いていた。
あ、あれ?まさか、聞こえてた、とか?
「あ…」
3人とも、周りを見渡し、慌てて飲みかけていた飲み物を飲んで、
「それじゃ、私たちはこれで、失礼しようかな。じゃ、会計をお願いします」
と言って、立ち上がった。
レジには桜さんが行って、聖君はテーブルの上を片付けた。でも、レジで私もお金を払おうとしていたら、
「タンマ、タンマ!桃子ちゃんは払わなくてもいいから」
と聖君が慌てて、レジにトレイを持ったままやってきた。
「あ、そうだよね。桃子ちゃんのはもらわなくてもいいんだよね」
桜さんはそう言って、私が渡したお金を返してくれた。
「ほんとにもう、桃子ちゃんはうちの家族なんだから、いいんだからね、お金支払わなくたって」
「そうなの?」
私がそう聞くと、
「俺の奥さんが、何言ってんだか」
と、頭を掻きながら、聖君が言った。
「奥さん…」
花ちゃんと咲ちゃんが、その言葉に反応して赤くなってる。
「うわ~~」
メグちゃんは、口に手を当て、
「なんだか、変な感じ」
と驚いている。
「じゃ、桃ちゃんはまだ、お店にいるんでしょ?私たちもう、帰るね」
花ちゃんがそう言って、お店のドアを開けた。
「うん、また、2学期にね」
私がそう言うと、
「あ!聖君の講演楽しみにしてるから」
と聖君に花ちゃんが言った。
「講演じゃないって…」
聖君は、困ったって顔をした。
「なに?聖君、何をするの?」
「うん、駅に行く途中に教えるね」
そんな会話を花ちゃんはメグちゃんとしながら、お店を出て行った。
「桃ちゃん、聖君、また、取材させてね。じゃあ、お幸せにね~~」
咲ちゃんはそう元気に言って、手を振りながら、歩いていった。それを聞き、花ちゃんとメグちゃんも振り返り、
「お幸せに~~」
と手を振った。
「…」
私も聖君も、無言で小さく手を振った。
そして、お店に二人で入ると、お客さんが思い切りこっちに注目していた。
テーブルの食器はもう、桜さんが片付けていて、聖君はトレイだけを持って、キッチンに向かった。私もそのあとをちょこちょことついていった。だが、聖君は、お客さんに呼び止められた。
「聖君、お幸せにって、もしかしてその子、彼女?」
20代半ばくらいの常連さんだ。近くの洋服屋さんで働いている。
「え、ああ、はい」
「じゃ、噂の彼女か~~」
その女の人が言った。
「え?彼女なの?でも、さっき一緒に暮らしてるって言ってなかった?」
私たちのテーブル席に、一番近いところにいた、別のお客さんが聞いてきた。多分、まだ大学生くらいの若い女の子だ。ああ、聞いてたんだ、私たちの話を。
「え?そうなの?聖君って、ここが自宅でしょ?ここで一緒に暮らしてるの?」
常連さんが聞いてきた。
「ああ、えっと。今は彼女のほうの家にいます」
「ええ?ご家族と?」
常連さんは目を丸くしている。
「はい」
「なんでまた?」
「え、えっと~~」
聖君が返答に困ってしまった。
「家の人と、もめた?それとも一緒に暮らす何か理由があるの?」
ああ、この人、そういえば、この界隈の噂をいっつも話してる人だっけ。桜さんや聖君つかまえては、話していた。
やばい~~。すごくおしゃべりな人に、聞かれちゃったんだ~~~。もしかしたら、しつこくしつこく聞いてくるかも!
「俺、結婚したんです」
聖君が突然、その人に言った。
「え?」
その人も、ほかのテーブルにいたお客さんも、みんな目が点になっていた。
「け、結婚?結婚するの?」
「いえ、先月、もう籍入れたんです。桃子ちゃん、来年の春には、赤ちゃんが生まれるんで、もう一緒に暮らしてるんです」
「…」
し~~~~ん。店の中が、一瞬静まり返った。まったく音がない状態にでも、なったかのように。でも、次の瞬間、その静けさはやぶられた。
「え~~~~!!!!!!」
その場にいたお客さん、全員がおたけびをあげた。
「結婚?」
「赤ちゃん?」
「聖君が?」
お店には、3組のお客さんと、常連さんは一人で来ていた。全員で、7人。ほとんど同時に叫んだので、一気にお店の中はにぎやかになった。
その後も、聖君は全員から質問攻め。
「あ~~。すみません、一気に聞かれても、答えられません」
聖君が、困り果てた顔でそう言うと、次の瞬間また、その場が静まり返った。
「とりあえず、さっき言ったことは本当のことです。先月、ここにいる桃子ちゃんと籍を入れて、今は桃子ちゃんの家に俺は住んでいます。それから、来年の春には、子供が生まれます。子供が生まれて落ち着いたら、桃子ちゃんがうちで暮らすようになるかもしれないし、お店の手伝いをしてくれるかもしれないし、このへんをそのうち、俺の子がちょろちょろするかもしれないし。そうなったら、よろしくお願いします」
聖君は一気にそう言うと、ぺこってお辞儀をした。
「大学はどうするの?聖君」
大学生くらいの女の人が聞いた。
「あ、行きますよ、ちゃんと」
「お店は?」
「大学始まったら、夜だけバイトします」
「奥さんは今、おいくつ?」
常連さんが聞いた。
「一個下です」
「じゃ、高校生だったの?」
「今も高校生です」
「え~~!学校にはまさか、内緒?」
もう一組のお客さんのうちの一人が、驚いて声をあげた。
「いいえ。ちゃんと卒業もさせてもらえるように、話もしてあります」
「じゃ、これからお腹大きくなっても、高校に行くの?」
常連さんが聞いた。
「それ、確か、うちの高校でもいたけど」
「あ、そっか。桑田さん、高校の先輩だっけ」
「そうよ。私より何期下だったかな。大変だったみたいよ、彼女。まあ、友達がいろんな意味で、助けてたみたいだし、先生方も協力してくれたみたいだけど」
「うん。それ、話聞いたことあるよ、俺も。桃子ちゃんもきっと、友達や先生が助けてくれると信じてるし」
「そんな甘いこと言って」
「桑田さんも、応援してくれるでしょ?そりゃ、かわいい後輩なんだしさ」
「聖君のこと?」
「そう」
「もう~~、当たり前じゃない」
常連さんが、嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。そう言ってくれると思ってました」
聖君はめちゃ、かわいい笑顔でそう言った。ああ、そんな笑顔で言われたら、誰も文句言えなくなっちゃうよね。
と、思っていたけど、思い切り、暗い顔をしているお客さんがいた。もう一人の人が、なんだか、一生懸命に慰めている。ああ、どうやら、相当聖君のことを好きだった人みたいだ。
聖君はその人をちらっと見たが、そのままさっさと私の背中に手を回し、私をキッチンに連れて行ってしまった。
「気にしちゃだめだよ」
「え?」
キッチンの奥で、聖君は小声で言ってきた。
「もし、傷ついてる人がいたとしても、桃子ちゃんは気にしちゃだめだから」
「…」
ああ、ホールで暗い顔をしている女の子のこと?
「そうよ。桃子ちゃんだって今までに、恋のひとつやふたつもしてきたでしょ?片思いだったり、失恋もしたでしょ?そうやって、恋に破れる子もいれば、恋が実る人もいるの」
桜さんも私のそばに来て、そう言った。
「聖君のことが好きで、桃子ちゃんと聖君が結婚したことで、傷つく子、泣く子はたくさんいるかもしれないけど、気にしないでいいのよ。桃子ちゃんは、自分の幸せを一番に考えてたらいいんだから。その子たちの分まで、幸せになってあげるんだくらいの気持ちでいて。そうしたら、その子たちもきっと、自分にぴったりと合う素敵な人にめぐり合って、幸せになれるわよ」
桜さんの言葉は、私の心に響いた。
「はい」
そうだよね。桜さんの言うとおりだよね。
「桃子ちゃん、リビングで休んでいていいからね」
聖君のお母さんが言ってくれた。
「あ、そうだよ、宿題の本読むんでしょ?店はちょっと、注目浴びそうだから、リビングで読んでるといいよ」
聖君も言ってくれた。
「うん、じゃ、そうする」
私は自分のかばんを持って、リビングにあがった。
「は~~」
ソファーに座ると、思わずため息が出た。リビングにはクロもいなかった。お父さんの部屋にでもいるのかな。
ああ、なんだか心臓がばくばくしてる。きっと、さっき聖君がみんなに結婚のことを話してるのを聞いて、めちゃくちゃ緊張しちゃったんだ。
ああ、聖君が私の高校に来て話をするときなんて、どれだけ私は緊張しちゃうんだろう。話すのは聖君だとはいえ…。
かばんから本を出した。そのとき携帯も一緒にかばんから出すと、メールが来ていることに気がついた。
「あ、菜摘だ」
メールには、
>兄貴からメールが来た。学校、退学にならないですむんだね!おめでとう。もう、蘭にも報告していいのかな?
と書いてあった。聖君、菜摘にメールで知らせてたんだ。
桐太からもメールが来ている。
>聖から聞いたけど、学校卒業できるんだな!これでもう、結婚してるってことをみんなにばらしてもいいんだろ?麦にも言っていいの?俺、隠してるの、心苦しくって。
あ、そうか。そうだよね。麦さんと桐太付き合ってるのに、隠してるのは心苦しいよね。
>うん、麦さんにも話しておいてね。
私は桐太にそうメールした。それから、菜摘には、
>蘭に話すときには、菜摘も一緒にいてくれる?
とメールした。すぐに菜摘から返信が来た。
>もちろん。私が話しちゃうよりも、やっぱり桃子から話したいよね。
>うん、蘭には私から話す。
蘭には間接的ではなく、直接言いたいなってそう思っていた。怒るかもしれない。隠していたこと。それに、みんながみんな、祝福してくれないかもしれない。メグちゃんのことで、それはもう、期待しなくなった。
もし、否定されたとしても、受け入れていかなくっちゃ、そんな気持ちに私は変わっていた。
だけど、それは覚悟ができたわけではなかった。本当は怖い。どんな言葉が返ってくるのか、どんな反応が返ってくるのか。
それを全部受け入れていけるのか。そんな余裕私には果たしてあるのか。
聖君、聖君がそばにいてくれたら、今日みたいに私を守ってくれたり、あの高校の先輩に対してみたいに、応援してくださいって言ってくれたり、もし泣いている子がいたとしても、気にしなくていいよって言ってくれたら、きっと私はそのたびに、安心できるのに。
そうだよ。大丈夫。聖君がいてくれる。聖君がいつもいてくれるから。
私はそう自分で、必死に思い込もうとしていた。




