第73話 覚悟
ブル…ブルル…。テーブルの上に置いてあった、私の携帯が振動した。聖君の腕から抜け出し、携帯を見た。
「誰?!いちゃついてるところを邪魔するやつは?」
聖君は私の後ろから、私を抱きしめながら聞いた。
「花ちゃんから電話!」
私は慌てて、電話に出た。
「桃ちゃん?起きてた?」
「うん、ごめんね、出るの遅くなって」
「こっちこそ。今、大丈夫?」
「うん」
聖君がまだ、後ろから抱きしめている。それに髪にキスしてくるし、くすぐったい。
「桃ちゃん、もう桃ちゃんの家だよね?」
「うん」
「いきなりなんだけど、明日メグちゃんと咲ちゃんが、れいんどろっぷすに行こうって誘ってきたの。桃ちゃんは行く?行くなら一緒に行かない?」
「お店に?」
「うん。夏休みももう終わっちゃうし、終わる前に聖君にみんな会いたいんだって」
「そうなんだ」
どうしようかな。本を読むのにれいんどろっぷすには行こうかと思っていたけど。
「花ちゃん、店に来るの?」
後ろから聖君が聞いてきた。
「あれ?今の聖君の声?一緒にいるの?でも、桃ちゃんの家だよね?」
「え?うん。今度は、その…聖君がうちにいて…」
「泊まりっこしてるの?!」
「えっと、うん」
ああ、なんだか後ろめたい。
「すごいね~~。家族公認の仲だよね」
花ちゃんが電話の向こうで、驚いているのがわかる。
「あ、じゃ、桃ちゃんはわざわざお店に行かないか」
花ちゃんにそう聞かれた。
「明日は行こうかな~~とは、思ってたんだけどね」
私がそんな話をしていると、聖君は私の耳元で、小声でささやいた。
「花ちゃんに言わないの?」
うわ。くすぐったい。耳、弱いんだってば!っていうか、何を?
「もう、内緒にしておかなくても、大丈夫だよ」
あ、結婚のこと?
「何?何か聖君言ってる?」
花ちゃんが聞いてきた。
「え?うん。あのね」
でも、電話で話すことかな。ちゃんと会って話したいな。
「明日、話があるんだ」
「話?」
「うん」
「そうだ。桃子ちゃん」
いきなり聖君が普通の声で、話しだした。
「明日車でみんなのこと、店まで送るよ。11時までに俺も行けばいいし、新百合の駅にみんなで来てもらったら?」
「え?聖君の車で、送ってくれるってこと?」
花ちゃんは聖君の声が聞こえていたようだ。
「あ、でも私、その前に二人で花ちゃんと話がしたい」
そう言うと、花ちゃんは、
「じゃ、30分くらい早くに私だけ、桃ちゃんの家に行こうか?」
と言ってくれた。
「うん、ごめんね」
そして、電話を切った。
「は~~~~」
私は携帯を握り締め、長い息を吐いた。
「どうしたの?桃子ちゃん」
「うん、花ちゃんに結婚の話黙ってたから、明日言ったらきっと、驚くだろうなって思って」
「そうだね。俺も明日か明後日にでも、基樹に言おうと思っててさ。あいつ絶対に怒るだろうな」
「黙ってたから?」
「うん」
「だよね~~。花ちゃんは怒りそうもないけど、蘭が怒りそうだ」
「ああ、確かにね、蘭ちゃんならね」
「…」
私と聖君はしばらく二人して、黙り込んだ。
「それに…」
聖君は重たそうに口を開いた。
「俺、桜さんとか、朱実ちゃんとか、麦ちゃんにも言わないとならないんだよな。あ、サークルのみんなにも」
「うん」
「あれ?前は早くにみんなに自慢したいとか思っていたけど、今はちょっと気が重いって言うか」
「なんとなくわかるよ、それ」
「隠してたんだもんな~~。今まで」
「だよね…」
「…ま、いっか。悩んでもしょうがない。怒るなら受けて立つしかないね」
「え?」
「基樹。飯でもおごったら、機嫌直すかな~~」
聖君はまだ、私のことを後ろから抱きしめて、ぼそっとつぶやいた。
「でもね、聖君」
「ん?」
「私が今、一番緊張してるのは」
「うん」
「高校」
「そうだね。みんなどんな反応するんだろうね」
「うん」
「大丈夫!桃子ちゃんがちゃんと堂々と高校通えるように、俺がしっかりと話をするから」
「え?」
「そのために、校長からの頼み、俺聞いたんだし」
「そうだったの?」
「あったりまえじゃん。桃子ちゃんのためじゃなかったら、引き受けないよ、そんなわざわざ目立つようなこと」
「そ、そうだったの?」
「俺、文化祭で懲りたもん。これからは目立たないように生きていこうって、心に決めてたし」
そ、そうなんだ。でも今も、いるだけでどこにいても目立つような気がするけど。
「花ちゃん、わかってくれるよ」
いきなり聖君はそう言うと、私のことを聖君のほうに向かせ、キスをしてきた。
「…」
私は聖君の胸に顔をうずめた。
「そうだね。きっとみんな、祝福してくれるよね」
私の言葉に聖君は、何も答えなかった。でも、しばらく黙って私を抱きしめ、そして、
「もし、祝福してくれないやつがいたとしても、桃子ちゃんは傷つかなくてもいいからね」
と、優しい声で言った。
「え?」
「もし、やっかむやつとか、変なこと言ってくるやつがいても、無視していいからね?」
「うん」
「でももし、傷ついたり、落ち込むようなことがあったら、すぐに俺に言って」
「うん」
聖君は私の顔を覗き込み、
「まじで、すぐに言ってね?俺に遠慮はいらないから」
と、真剣な目でそう言った。
こくんと私はうなづいた。
「でもね、でも聖君」
私は聖君の目を見ながら、話し出した。聖君はまだ、真剣な目で私を見ている。
「私なら、大丈夫。凪を守ることだけを考えるし」
「…」
「それに、聖君がいてくれるから」
聖君は目を細めた。
「今、桃子ちゃん、すげえ強い目、してた」
「え?」
「もう、母の目だったよ。すごいね」
「…母は強し?」
「うん」
聖君はくしゃっとした顔をして笑うと、私をぎゅって抱きしめた。
「そうだね。二人で凪を守っていこうね」
「うん」
うん!聖君。守っていくよ。そして聖君のことも。
聖君はその日も、すぐに眠りについた。すうっていう聖君の寝息は、私を安心させてくれる。
私は聖君の寝顔を見ながら、聖君の覚悟を思い知っていた。
聖君はいつも、楽天的なようでいて、ちゃんといろんなことを覚悟している。なんでもうまくいくよって言いながらも、もし何かうまくいかないことがあったとしても、私のことを守ろうって、そんな覚悟。
高校生で妊娠して、結婚。それに、妊婦でありながら高校を通うってことは、かなり大変なことなんだよね。
先生だって、いろんな考えの人がいるだろうし、生徒の親にいたっては、もっと価値観が違うだろうし。
これがもし、マスコミとかに知れたら、もしかしたら取材に来たりもするのだろうか。校長も、理事長もそんなことまで全部を覚悟して、賛成してくれたんだろうな。今さらながら、頭の下がる思いをした。
聖君だってそうだ。18で結婚して、父親になる。家族を持つってことは、やっぱり覚悟のいることだと思う。ただただ、夢が叶ったって喜んでいるだけじゃないんだろうな。
聖君、前よりもずっとお店で働くことにたいして、真剣になったような気もする。お客さんに対しての態度も、それで変わったのかもしれない。
じゃ、私に遠慮してサークルに行かなくなったとか、友達と遊びに行かなくなったわけじゃないのかな。もしかしたら、そういうのも全部、結婚をしたからっていう、そんな覚悟からしている行動なのかもしれない。
聖君にそっとキスをした。
「ん…」
聖君がちょっとだけ、頭の位置をずらし、またすうってかわいい寝顔で、寝入ってしまった。
「聖君、大好きだよ」
赤ちゃんが生まれるって、一つの命が誕生するってことだよね。その命を守って、育てていくんだよね。
私も、覚悟しよう。きっといろんなことがあるんだな、これから。でも、聖君と一緒に、守っていくんだよね?凪を…。
私はお腹に手を当てた。凪…。今、お腹の中で、すくすくと育ってる?
大丈夫。凪のパパは、いっぱい凪を愛してくれるよ。それに私だって。
私は、また聖君の胸に顔をうずめ、それから眠りについた。
翌日、9時半に花ちゃんが家に来た。
「いらっしゃい」
私は花ちゃんを出迎えた。
「いらっしゃい。花ちゃん、ひさしぶりね」
母も花ちゃんを出迎えた。
花ちゃんは、2年生のころよくうちに遊びに来ていた。3年になってからは、そういえば、来たことなかったな。
「花ちゃん、おはよう」
リビングに花ちゃんを通すと、聖君がにっこりと笑い、出迎えた。
「おはよう」
花ちゃんはちょっと赤くなりながら、挨拶をした。
母は冷たいお茶と、クッキーを持ってリビングに来て、
「午後エステのお客様が来るから、花ちゃんごめんね、準備してくるわね。ゆっくりしていって」
と言い、客間に入っていった。
「なんだか、普通に聖君がいてびっくり」
花ちゃんがソファーに座ってそんなことを言った。
「え?なんで?」
「なんだか、家族の一員みたい」
「え?」
私も聖君も、ちょっと焦ってしまった。
いや、焦っている場合じゃない。話さなくっちゃいけないんだよね。
「あの、花ちゃん。話っていうのはね」
「うん」
花ちゃんは、お茶を飲み、クッキーを食べた。話のことについては、たいしたことないと思っているのか、
「あ、このクッキー美味しいけど、桃ちゃんの手作り?」
なんて聞いてきたりしている。
「ううん。それはお客様からのもらいもの。それより、話なんだけど、あの…。まずは謝らないとならないの」
「え?なんで?」
花ちゃんは、もう一個クッキーを手にしていたが、それをお皿に戻した。
「ずっと、隠してたから。ごめんね?」
「え?何を?」
花ちゃんは私と聖君を交互に見た。聖君も真剣な顔になっているからか、花ちゃんもまじめな顔つきに変わった。
「何を隠してたの?」
「あのね…」
ああ、どう切り出したらいいのかな。
「隠してたっていうか、黙っていたのは、桃子ちゃんのためだったんだ。いろいろと、変な風に噂になっても困るから」
聖君のほうが先に、口を開いた。
「まあ、これからも噂になるだろうし、いろいろと言われちゃうかもしれないんだけど、そういった噂を花ちゃんが聞いたりする前に、桃子ちゃん本人からちゃんと、話したかったんだよね?」
聖君が私を見て、優しく微笑んだ。
「うん」
私は思い切りうなづいた。
「え?何?噂になるって、何?」
花ちゃんは、私を凝視しながら聞いてきた。
「私ね、高校を退学になるかもしれなかったの」
「え?なんで?何かしちゃったの?!」
「うん」
「何?何をしちゃったの?」
「…あ、あ」
「あ?」
赤ちゃんができたの。って言い出しにくい。
「桃子ちゃん、妊娠してるんだ」
聖君が私の代わりにそう言った。
「…」
花ちゃんが固まった。それから、
「え?」
と今度は聖君を凝視した。
「赤ちゃん、いるんだ。今、4ヶ月」
「…誰の…子?」
花ちゃんが呆然としたまま、そう聞いてきた。
「俺のだよ。当たり前じゃん」
聖君はそう言うと、一回私を見た。私は、そのあともなんて言ったらいいか浮かばず、ただ花ちゃんを見ていた。
「それで、先月籍も入れたんだ」
そんな私を見て、聖君は話を続けた。
「籍って…、え?け、結婚ってこと?!」
花ちゃんは目を真ん丸くした。
「そう、結婚したんだ」
聖君はちょっと微笑みがら、そう答えた。
「どひょえ~~~~~っ!!!!!」
花ちゃんが、のけぞった。
「ま、ま、ま、待って!予想外すぎる、その展開!」
そう言うと、しばらく頭を抱えてしまった。あ、きっと今、頭真っ白だ。
「え、えっと、妊娠してて、もう結婚もしてて、4ヶ月で、それで、高校退学?」
そして頭の中を、整頓しているらしい。
「花ちゃん、退学じゃないよ。高校は卒業までいられるよ」
聖君が花ちゃんに、そう言った。
「え?でも退学になるかもって」
「うん。わからなかったんだけど、この前理事長や校長と話しをしてきて、卒業までいさせてくれることに決まったんだ」
「…」
花ちゃんは黙って、聖君を見た。私も聖君を見ていた。
「それでね、花ちゃん。俺、理事長に命について話をしたんだけど、それをいたく感動されられちゃって、全校生徒の前で、話をするよう頼まれちゃったんだよね」
「へ?」
花ちゃんの目が点になった。
「9月のはじめに、みんなの前で話をするんだ。でも、話すならさ、命の大事さだけじゃなくて、桃子ちゃんをちゃんと、全校生徒のみんなに守ってもらうよう、お願いもしちゃおうかななんて、ちゃっかりそんなことも今、たくらんでいて」
たくらんでる?
「花ちゃんも協力してくれる?」
「な、なんの?」
花ちゃんはまだ、目が点だ。
「きっと変なこと言ってくるやつとか、変な噂を立てるやつがいると思うんだよね。でも、桃子ちゃんのこと、そういうやつから、守ってくれないかな」
「聖君、そんなことお願いするなんて」
ただでさえ、隠し事してたっていうのに、そんな都合のいいこと…。
「うん、もちろん、そんなこと頼まれなくてもするけど」
花ちゃんはそう言うと、いきなり顔を真っ赤にさせて、
「え?じゃ、もしかして今、一緒に住んでるとか?」
と聖君に聞いた。
「ああ、うん。これからも凪が生まれるまで、桃子ちゃんの家に俺が住むことになると思うけど」
「凪?」
「あ、赤ちゃんの名前」
「凪ちゃんっていうの?かわいい」
「でしょ?」
聖君はにこって笑った。
「そ、そっか。あ、やっとこ今、思考回路が回りだしたよ。そっか。赤ちゃんがいるのか。それで、結婚もしたんだ。そうなんだ」
花ちゃんはそう言うと、一回大きな深呼吸をした。
「うわ~~」
そして、さらに顔を赤らめて、
「驚いたけど、嬉しいかも~~」
と喜んだ。
「え?」
私は思わず、聞き返してしまった。
「だって、こんなおめでたいことってないじゃん!私、すごく嬉しい!桃ちゃんも聖君もおめでとう~~~!」
花ちゃんが思い切り笑顔で、そう言ってくれた。
「ありがとう」
私は目頭が熱くなって、泣きそうになった。
「結婚式は?」
「ああ、赤ちゃんが生まれてからする予定」
聖君が答えた。
「桃ちゃん、お母さんになるんだ。それより何より、桃ちゃん、聖君の奥さんなんだ。すごいね~~~!!!」
花ちゃんは、いきなり私の手をとって、
「聖君の花嫁さんになるの、叶っちゃったんだね~~~!!」
と目を輝かせて言った。
「え?どういうこと?桃子ちゃんの夢だったの?」
聖君が聞いた。
「そんなの~~、恋する乙女なら夢見ちゃうよね!それもこんなに素敵な彼氏なら、絶対に夢見ちゃうよね!」
花ちゃんが思い切り、そう言った。あ、花ちゃんの後ろに、何百本ものバラが今、見えた気がする。
「そ、そうなんだ」
聖君が思い切り照れている。
「そっか。そっか~~」
花ちゃんはまだ、目を輝かせたままだ。
「花ちゃん、怒ってないの?」
私はこわごわ聞いてみた。
「え?何を?」
「黙ってたこと」
「そんなの~~!今、こうやって話してくれてるじゃない!全然怒ってないよ」
花ちゃんはそう言うと、にっこりと笑って、
「あ、でも、メグちゃんや咲ちゃんには、言ってもいいのかな?」
と聞いてきた。
「桃子ちゃんはどうしたい?自分から言いたい?」
「う、うん。そうだな。自分から言おうかな」
「そっか。じゃ、あとで、お店で話す?」
「お店?」
わああ、話しにくいよ、それは。
「だよね~。俺も、みんなに話さないとならないし、今日あたり、店に来た知り合いには、ちゃんと話すようにするよ」
聖君がそう、頭を掻きながら言った。
「え?ほんと?もう言っちゃうの?」
「黙ってて、変な噂が勝手に広まるよりいいでしょ?学校で俺が話をした時点で、みんなに知れ渡るだろうし、誰かに言えば、どこかから、噂は広がっていくだろうしさ。だったら、会った人、会った人に、直接言っちゃったほうがいいかな、俺」
「そうだよね」
聖君のそれも、覚悟なのかな。あ、花ちゃんにだって、結局は全部聖君が言ってくれた。私のことを守ってなんてことまで、お願いしてくれたんだ。
「花ちゃん、ありがとう」
私は花ちゃんが私を守るのを、引き受けてくれたことを思い出し、お礼を言った。
「へ?何が?」
花ちゃんが驚いて聞き返した。
「私のこと、守るって引き受けてくれて」
「ああ、何言ってるの?そんなの当たり前だよ。だって、友達なんだよ?」
花ちゃんがちょっと、鼻を膨らませながらそう言った。
「そんなの頼まれなくてもする。だって、これが逆の立場でも、桃ちゃんはそうするでしょ?」
「も、もちろん」
「でしょ?だったら、お礼なんて言ってこないで。それよりも、桃ちゃんは、赤ちゃんのこと大事にすることだけ、集中してて」
「え?」
「従兄弟でね、流産した人がいるの。ちょっと無理して、働いてたんだ。あ、そのあとまた妊娠して、仕事もやめて、元気な赤ちゃん産んだんだけど、妊娠してるときには、何よりも、赤ちゃんのことを優先しないとだめよって、その人も言ってたよ」
「そうだよな。うん、無理は絶対にだめだよな」
聖君がそれを聞いて、うんうんってうなづいていた。
「大丈夫。もし変なこと言うやつらがいたら、もう高校なんて行かなくてもいいよ」
花ちゃんがそんなことを言った。
「え?」
「無理はしないほうがいい。ね?」
「うん。でも、きっと大丈夫」
私はそう言って微笑んだ。
「私、ちゃんと堂々と高校には行くよ」
私の言葉に、花ちゃんは黙り込んだ。それから、
「じゃあ、私も、堂々と桃ちゃんのこと守るからね」
と力強い言葉を言ってくれた。