第72話 奥さんだという自覚
夏休みも残り、あと数日となった。残暑はまだまだ厳しいが、高校を退学になることにもならず、私は2学期の準備に追われていた。
そう。宿題を一個忘れていて、ひょ~~え~~ってなっていたのだ。
感想文なので、本を読まないとならない。でも、本を開いて部屋で読んでいる間に、寝てしまう…。
「聖君、本を読んでいると寝ちゃうんだけど…」
夜、一緒にバスタブにつかりながら、そんな話を聖君にした。
「ああ、宿題の?つまらない本を選んじゃったんじゃないの?」
「う~~ん、だって、5冊の中から選ばないとならないんだけど、全部、つまらなさそうなんだもん。その中でもまだ、ましかなっていうのを選んだつもりなんだけど」
「あはは。そりゃ、大変だね。あ、だったら、うちの店来たら?けっこう店で読んだりすると、集中して読めるかもよ?部屋だとベッドとかあるし、リビングもつい、ソファーでうたた寝しちゃうんじゃないの?」
「うん。本読んで5分後、うたた寝どころか、熟睡してる」
「あはは!そりゃ、まずいって」
聖君はそう笑いながら、後ろからむぎゅって抱きしめてきた。
「んね?お店に来て読みなよ」
「あ、もしかしてまた今日も、お店でさびしがってた?」
「え?なんでわかるの?」
「だって、店に来いってやたら誘うから」
「ばれた?」
「でも私がお店に行って、藤也君が来たら?」
「そしたら、さっさとリビングに行きゃいいよ」
「そっか」
そうして、リビングのソファーで寝ることになるような気もするけど…。
「そういえば、おじいちゃんが今日電話してきて、聖君はいつ絵を描きにくるんだって聞いてきたよ」
「え?まじで?」
「うん」
「そっか。あれ、本気で言ってたのか~~」
「それから、おばあちゃんもうちの高校での聖君の講演会、楽しみにしてるって」
「講演会?!」
「そうおじいちゃんが言ってた」
「ちょ、やめて。講演会なんておおげさなものじゃないんだから」
「わかんないよ。垂れ幕とか下がってたりするかも」
「なんて?!」
「榎本聖 講演会」
「やめてってば!もう、桃子ちゃん、ほんと、最近俺のことからかって遊ぶよね」
「え?ばれてた?」
「もう~~~~~~!」
聖君がまた、むぎゅって抱きしめてきた。ああ、可愛いな~~。
「桃子ちゃんさ」
「うん。なに?」
「胸、また大きくなったね」
「…」
なんでいきなり、胸の話題?!
「そういえば、今、マタニテイの服とか、俺のTシャツ着てるじゃん」
「え?うん」
「制服はどうすんの?」
「え?」
「スカート、入るの?」
「ガ~~~ン」
「え?」
「それ、考えてなかった」
「忘れてた?」
「うん、ああ、どうしよう」
「お母さんに風呂出たら、相談しようね」
「うん」
そうか。そうだよ。高校続けられるかどうかもわからなかったから、そんなことまで考えてなかった。これからどんどんお腹大きくなったら、絶対にスカート入らないよ。ボレロだって、着れないよ!
お風呂からあがり、髪の毛もぬれているままで、母のところに行き、
「お母さん、制服どうしよう?」
と突然聞いてみた。客間で、エステの準備をしている母は、いきなりの質問できょとんとしていた。
聖君は後ろから、バスタオルで頭を拭きながらやってきた。
「桃子ちゃん、これからどんどんお腹大きくなっていくし、制服着れなくなるんじゃないかと思って」
聖君が、ちゃんと母に説明してくれた。
「あら!そうよね!」
母も今、気がついたようだ。
「ちょっと明日にでも校長に電話して、相談してみるわね」
「うん」
母はそう言うと、またさっさとエステの準備にとりかかってしまった。
「んにゃ~~」
「うわ!しっぽ~~」
しっぽがどこからかやってきて、聖君の足に擦り寄っていた。聖君はしっぽを抱き上げて、首のところをなでた。しっぽがグルグルと嬉しそうに喉をならした。
「お兄ちゃん」
ひまわりが聖君のところに来て、
「明日かんちゃんの誕生日なの!」
と話しかけた。
「え?そうなんだ」
聖君がひまわりと話し始めると、しっぽは聖君の腕から抜け出し、寝室へと消えていった。その代りにひまわりが聖君の腕をひっぱり、リビングのソファーに連れて行ってしまった。
聖君はすっかりひまわりと、話し込んでいる。
「先、部屋に行って髪乾かしてるよ~」
そう言ってみたが、聖君はちょっとこっちを見て、うんとうなづき、またひまわりと話し出してしまった。
あ~あ。そう言えば、一緒に部屋に行くかなって思ったのにな。
2階に一人であがり、ベッドに座り込んで、髪を乾かした。ブオーーッ。ドライヤーで髪を乾かしながら、なんだか寂しくなった。髪、乾かしてほしかったな…。
ドライヤーを止め、しばらくぼけっとしていた。すると、トントンと軽やかに、一段抜かしをして階段をのぼってくる聖君の足音が聞こえた。
「桃子ちゅわん。髪、乾いちゃった?」
聖君がドアを開けながら、聞いてきた。
「うん、半分くらい」
「あとは、俺がやるよ」
聖君もベッドに座り込んで、私の髪を乾かし始めた。
「…」
もしかして、急いで来てくれたのかな。
「ひまわりとの話、もう終わったの?」
「うん」
終わったから、来たのかな。
「寂しかった?」
「え?」
「ひまわりちゃんに、俺、取られちゃったって思った?」
「…ちょびっと思ってた。なんでわかったの?」
「も~~~。桃子ちゅわんってば!寂しがり屋なんだからっ」
聖君がドライヤーを止め、むぎゅって後ろから抱きしめてきた。
「俺、桃子ちゃんが一人できっと寂しがってると思って、慌ててきたんだよ」
「…」
ああ、顔がほてる。嬉しいかも。
「なんつって」
「え?」
「俺が抱きしめたかっただけなんだけど」
「…」
聖君は私のうなじにキスをすると、
「桃子ちゅわん。なんでこんなに可愛いんだよ」
といきなり言ってきた。
うわわ。嬉しいけど、突然なに?!
「あ、首真っ赤だ」
「だって、いきなりそんなこと言ってくるから」
「今日さ~~。店にね」
「うん」
「夜、カップルが二組も来たんだ」
「へえ、予約入れて?」
「一組は予約入れてきた。OLとサラリーマンかな~」
「うん」
「もう一組は大学生くらいの、カップル。この二組がさ、べったべったにいちゃついてたんだ」
「へえ~~」
「大学生のほうは、初々しかった。彼女のほうが、恥ずかしそうにしていたし」
よく見てるんだな~~。
「OLとサラリーマンのほうは、見つめ合ったり、テーブルの上で、手つないでたり。違うところでいちゃつけよ。今日は桃子ちゃん、店にいないんだよ、ちきしょう!って思いながら、見てた」
見てたんだ…。
「でさ、大学生のほうがさ、俺が水を入れにいったら、彼女のほうが俺にお礼を言ったんだけど、そのときに、あ、君、俺の彼女に色目使わないでねって言ってきて」
「へ?」
色目?
「俺の彼女、可愛いから、手出されたらたまんないな~~って言って、笑うんだ。彼女のほうは、真っ赤になってたけど、俺は心の中で叫んでたよ」
「なんて?」
「俺の奥さんのほうが何倍も可愛いから、手なんて出さねえよって」
「………」
うわ、何を心で叫んでるんだ。聖君は…。ああ、顔がますますほてってきた。
「さすがにそれは言えないからさ、大丈夫です。人の彼女に手なんて出しませんからって言ったけど…」
「そしたらなんて?」
「それを聞いて安心したって、彼氏のほうが笑って言ったけど」
「聖君がかっこよくって、きっと彼女のほうが聖君に見とれちゃってたんじゃないの?」
「え?まさか。それはないだろ?彼氏連れだよ?それも多分、付き合って間もないんじゃないのかな」
「でも、聖君、かっこいいもん」
「………」
あ、無言になっちゃった。っていうか、聖君、顔赤い。
「ねえ、聖君」
「なに?」
「聖君って、出会ったときより、かっこよくなってるよね」
「はあ?!」
聖君は髪をとかしてくれている手を止めて、後ろから思い切り私の顔を覗き込んできた。
「出会ったころは、ちょっとね、まだ少年っぽさが残っていたの。でも最近、男っぽくなってきたって言うか、大人っぽくなってきたって言うか」
「老けたってこと?」
「違うよ~~~」
「じゃ、どの辺が男っぽくなってきたんだよ?自分じゃわかんないよ」
聖君はそう言うと、私を聖君のほうに向かせた。
「まず…」
「うん」
「ひげ、濃くなったよね?」
「ああ、前よりはね」
「それに喉仏、出てきたよね?なんとな~~く声も低くなったような気もする」
「え?そう?声変わりしちゃった?俺」
「胸板も前より、あつくなったし、肩や腕の線も変わったような」
「ああ、それはあれだ。筋トレグッズのおかげだ」
「あ、そうなの?」
「多分ね。高校2年のころは、そんなに筋トレしっかりとしていなかったし」
そっか~。
「他は?」
「あごの線とか、目つきとか、あと、どこかな~~。あ、髪型も?のびたからかな~」
「顔細くなったとか?それは母さんからも、言われたっけ」
「そうなの?」
「うん」
じ~~~。私は思い切り聖君の顔を、まじまじと見た。
「そんなに見つめられたら、恥ずかしいってば」
聖君はわざとらしく、恥ずかしがった。
「わかった!」
「え?」
「仕草だ。仕草が大人っぽかったり、男っぽかったりするの」
「今の仕草?」
聖君は、わざと、しなを作って見せた。
「違うよ~~~。そういうのじゃなくて、車運転したりとか、足を組んで座ったりとか」
「そりゃ、高校2年じゃ、車運転しないしな~~」
聖君はどうも、わざと話をはぐらかしているようにも見える。
「運転してるときって、セクシーだよね」
「俺が?」
「運転してるときの手、きれいだもん」
「そ、そう?」
あ、かなり照れてるぞ。
「あとね、聖君、お店でコップやお皿持ってきたとき、テーブルに置くでしょ?」
「うん」
「その手もきれいなの」
「へ?!」
「ついうっとり、見ちゃうんだ。きっと、そう思ってる人、他にもいるよ」
「いないって、そんなマニアックな人」
「そうかな」
「桃子ちゃんくらいだよ。俺の手を見て喜んでるの…」
そう言うと聖君は、赤くなって下を向いた。それから何気に自分の手を見ているようだ。
「指、きれいだもん」
私は聖君の手をつかんだ。それから、聖君の手のひらと私の手のひらを、合わせてみた。
「大きいね」
そう言うと、聖君は目を細めて笑い、
「桃子ちゃんの手、可愛い」
と言ってきた。
そしてそのまま私の手を握り締め、キスをしてきた。
「聖君」
「ん?」
「わかった」
「何が?」
「聖君がかっこよくなったわけ」
「へ?」
「きっと、私がますます惚れちゃったから、かっこよく見えちゃうのかも」
「あはは。何それ」
「今、照れてるの?」
「俺?」
「うん、顔赤いよ」
「照れてるよ。さっきから、桃子ちゃん、めちゃ恥ずかしくなるようなこと言ってくるから」
やっぱり照れてた。聖君、めちゃくちゃモテルくせに、こういうこと言われなれてないのかな。シャイだよね。でも、思い切り、可愛い。
「聖君」
「ん?」
「可愛い」
「…、もういいって!」
「あ、ますます照れた?」
「照れた!だからもういいです!」
「聖君の髪、乾かしてあげるね」
「うん」
聖君は赤い顔のまま、後ろを向いた。私は聖君の髪を、乾かし始めた。
「聖君」
「今度は、何~~?」
聖君が照れくさそうに聞いてきた。
「男の人って、尽くしてくれる女の人が好きなのかな?」
「え?」
「小百合さんみたいな」
「どうかな?でも、桃子ちゃんの聞きたいことって、男の人って、じゃなくって、聖君ってって聞きたいんじゃないの?」
「う、図星」
「あはは、やっぱり?桃子ちゃんもめちゃ、俺に尽くしてくれてるよ?健気で一途!」
「そ、そうかな」
「そうだよ。俺のために、セーターやマフラー、編んでくれたんだよ?俺、あれめっちゃ、感激したんだ」
「ほんと?」
「うん。特にさ、最近凪のために、編み物してるでしょ?」
「あ、ごめんね。聖君のものも編むね」
「ああ、いいんだ。そうじゃなくって、編み物してるとき、桃子ちゃん、すごく心を込めて編んでるのが見ててわかるから、俺のを編んでいたときも、こんなふうだったんだろうなって思って、それ見てるだけでも、感激しちゃうんだよね」
「え?」
「俺のことをきっと思いながら、編んでいてくれたんだろうな~~って。そういうのって、俺、嬉しくってさ」
「…」
「好きな子が自分のことを思いながら、編み物してくれてるとか、チョコ作ってくれてるとか、やっぱ、そういうの、俺嬉しいよ」
むぎゅ。私は思わず、聖君を後ろから抱きしめていた。
「そう言ってもらえると、めちゃくちゃ私も嬉しい」
「そう?」
「うん。編んでよかったって思うもん」
「そう?」
聖君は、なんだか、また照れてるみたいだ。
「聖君って、もしかして」
「え?」
「ううん、なんでもない」
「なんだよっ。言いかけてやめるのはずっこいよ。内緒ごとは無しだよ!」
「う、うん。でも、笑わない?」
「え?」
「呆れない?」
「うん、笑わないし、呆れないから言ってみ?」
「聖君って」
私は聖君の背中に、私のほっぺたをくっつけてぼそぼそってつぶやいた。
「え?聞き取れなかったよ。何?聖君ってのあと、なんて言った?」
「聖君って、私のことすごく好きなのかな~~って」
「は?!」
「あ、呆れた?呆れないって言ったのに」
「いや、呆れてないけど、どういう意味って思って」
「だから、すごく好きなのかなって」
「え?!そうだよ?今までそれに気づかないでいたとか?まさかね。俺、言ってきてたし、もう知ってたことでしょ?それ」
「すごく大事にしてくれてるって、それは何度も感じて、感動したけど」
「うん」
「もしかして、すごく好きなのかなっていうのは、今、気がついた」
「は?すごく大事にしてるのと、すごく好きなのは同じでしょ?」
「違うよ」
「どう違うの?!」
「聖君は、杏樹ちゃんや菜摘もすごく大事にしてる」
「うん」
「それと同じように、私もすごく大事にしてくれてる」
「うん」
「それと、すごく好きなのはちょっと違う」
「へ?」
「私、ひまわりのことを大事に思ってる」
「え?うん」
「菜摘や蘭も」
「うん」
「聖君のことも」
「う、うん」
「でも、大事なだけじゃなくって、聖君は大好きなの」
「…」
聖君は頭をぼりって掻いた。そして、
「それは知ってるよ?俺にすご~~く惚れちゃってるのも」
「うん、そうなの、すご~~く惚れてるの」
「うん」
「聖君も私に、すごく惚れてるの?」
「へ?」
「もしかして、そうなのかなって、さっき、思ったの」
「え~~~?!!!!何を今さら!」
「やっぱり呆れた?」
「呆れてないけど、怒ってる!」
「え?」
「なんで今頃になって気づくわけ?俺、ず~~~っと言ってきたじゃん」
「だって、そういうの実感がわかなくって」
「へ?!」
「どっかで信じられないって言うか」
「いまだに?!」
「ううん、さっき、聖君は私のことすごく好きなんだって、実感できた」
「ガク。今頃?」
「ごめんね」
「うそ。めちゃくちゃ、惚れてるって、何度も何度も、そりゃ、何千回も言ってきたのに、今頃?」
「だから、ごめんね」
「へこんだ」
「う~~、ごめんねってば~~」
聖君のほうに回りこみ、私は思い切り抱きついた。聖君も、私を抱きしめてきた。
「じゃ、もう、あれだよね?」
「え?」
「俺の奥さんなんだってことは、自覚できたってことだよね」
「…」
「なんで無言?!」
聖君が私の顔を覗き込んだ。
「聖君、私の旦那さんだって自覚ある?」
「あるよ」
だよね…。今、自信満々だって顔をしてた。
「聖君は、私のことすごく好き?」
「そう言ってるじゃん」
「めちゃくちゃ、惚れちゃってる?」
「惚れてるって言ってるでしょ?桃子ちゃんもそれに気がついたんでしょ?やっとこ」
「うん」
聖君がじ~っと私を見ている。
しばらく聖君と見つめ合ってしまった。ああ、聖君は本当にかっこいいな~。
私は思わず、聖君にキスをした。
「え?」
聖君が驚いている。それから私は聖君を抱きしめた。
「私、世界一幸せだと思う」
「なんで?」
「聖君が私の旦那さんだから」
「…」
聖君が照れているのがわかる。
「あ、じゃあ、自覚したってこと?」
「うん」
「やっとこ?」
「うん」
聖君も私を抱きしめ、髪にキスをした。そして、
「桃子ちゃん、俺、あと5年は自覚してくれないかもって、そう思ってたよ」
と笑って言った。