第70話 命の尊さ
聖君は私の後ろに立っていた。私の肩に手を乗せ、
「大丈夫?」
と耳元でそっと聞いてきた。私は黙って、こくりとうなづいた。何を聞いてきたとしても、何を言われたとしても、大丈夫。
多分。自分のことならね。でも、聖君に対しての暴言だったら、大丈夫かな~~。
「お名前は?」
理事長が聖君に聞いた。
「榎本聖です」
「その若さで、逃げ出さず、責任を取ったことは認めますよ」
聖君は、ちょっとため息をついた。きっと、また責任という言葉が出てきたからだろう。
「ですが、こんなに早くに結婚して、後悔するのが見えていますよ。自分のやりたいこと、自由、いろんなものを奪われ、子供を生んだこと、結婚したことを悔いて、家族もないがしろにして、いつか、崩壊…。若くに結婚してしまい、人生を狂わせる」
「…」
聖君は、私の肩に乗せていた手を、私の肩から外した。
「なんでこの二人に、そんなことを言い出すんですか?」
母が、理事長に聞いた。声がかすかに震えている。怒りを抑えているようだ。
「今ならまだ、後戻りできるからです」
「それ、離婚して子供をおろせっていうことですか?」
聖君が、ものすごく低い声でそう言った。
「聖君、冷静になりなさい。のせられてはいけないよ」
祖父がそう冷静に聖君に言うと、理事長は祖父と母に、
「今は、桃子さんと彼と話をしているんです。口をはさまないようにしていただけますか?」
と言った。
「でも…」
母が何かを言いかけた。それを聖君が止めた。
「お母さん、大丈夫です。頭に血がのぼりかけたけど、下がりました」
聖君は、私の後ろから、横に移動した。
「あ、桃子ちゃんの隣に椅子持ってきて、座っていいですか?どうも、隣にいて、桃子ちゃんの表情とか見ていないと、落ち着かなくて」
聖君がそう聞くと、綿貫会長がぱっと椅子を持って、私の横に置いてくれた。
「すみません」
聖君は座ると私のほうを見て、にこっと微笑んだ。あ、大丈夫だ。聖君、余裕だ。
それから、まっすぐに理事長を聖君は見ると、
「理事長が何を言いたいのかも、聞きたいのかも、まったくさっきから理解できません。何を僕たちに言いたいんですか?」
と、冷静に聞いた。
「それは私が聞きたいことです。この若さで結婚もして、子供も生もうとしていることが、私には理解できませんよ。あなたたちには、明るい未来が待っていたというのに」
「は?!」
聖君は、思い切り眉をひそめ、
「明るい未来って…。えっと?」
と、考え込んだ。
「あなたも大学生活、楽しみたかったのではないですか?それに、夢もあったでしょう。まだまだお友達とも遊びにいきたかったでしょうし、やりたいことはあったはずです」
「はあ」
聖君は、拍子抜けしたようにそう言うと、
「あ、それが理事長の言う、明るい未来ですか?」
と聞いた。
「桃子さんだって、こんなに早くに子供を生んでしまっては、やりたいことが何もできなくなってしまう。いつか子供のせいにして、子供が不幸になるのも目に見えていますよ」
「…」
私はその言葉に絶句していた。え?なんで、不幸になるって決め付けちゃうの?なんで、聖君と結婚すること、子供を生むこと、家庭を持つことが私のしたいことだって、思ってくれないんだろう。
「あの、私、子供が不幸になるなんて思っていませんし、後悔なんてしないと思います」
私がそう言うと、理事長は思い切りため息をついた。
「今はわからないんですよ」
「でも、私、ちゃんとしたいことしていますし、これからだって、していきたいことをしていくつもりです」
私がそう言うと、母も祖父も私を見てうなづいていた。聖君だけは、まっすぐに理事長を見ていた。
「していきたいこと?」
「はい」
「子供がいるのに?」
「はい」
「なんでそんなに考えが甘いのかしら。そうやって若い人は、子供をないがしろにして、自分が好きなことをしようとする。放任主義の母親が増えて、やっぱり子供が不幸になるんですよ」
「いえ。子供をないがしろにすることが、私のしたいことじゃなくって、子供と遊んだり、お弁当作って、家族で水族館に行ったりって、そういうことです…けど?」
「え?」
理事長は、目を丸くした。その横で、小百合さんも下を向いていたのに、顔をあげた。
「子供としたいことをするんですか?」
「いえ。家族でです。聖君ももちろん、一緒に」
そう言うと、理事長と小百合さんは、聖君を見た。
「そんなの理想でしかないですよ。いざ、子供ができたら、そんな奇麗事言ってられなくなって」
「なぜ、そう思われるんですか?」
聖君が、冷静な声で聞いた。
「まず、生活はどうするんです?あなた、まだ大学生でしょ?」
「それは、父や母に甘えることになりますけど、でも」
「ほら。他人に頼ろうとばかりする。これだから若い人は」
「それのどこがいけないんですか?」
聖君は、少し声が大きくなってきた。
「そういう考え方がもう、子供なんですよ」
「…。だけど、家族です。家族が助け合って、何が悪いんですか?」
聖君は、まったく理事長の言葉に動じない。
「か、家族って言ってもね…」
「僕の父も22歳で結婚したし、父親にもなりました。でも父は後悔もしていないし、僕だって不幸にもなっていない」
「え?」
理事長はまた、目を丸くした。
「それに、じいちゃん、あ、祖父も祖母も一緒に住んでいたけど、それから父の妹も。みんなで僕をかわいがってくれました。僕はめちゃくちゃ、両親や、親戚のみんなから、愛されて育ちましたよ」
「…」
「失礼ですけど、さっきから若い若いって言ってるけど、若くたって僕の父は、ちゃんと僕を育ててくれてますよ」
聖君の声は、だいぶ大きくなっていて、ちょっと興奮している。どうやら、顔も声も冷静に見えたが、心のうちは、燃えていたのかもしれない。
「それに、僕の祖父も、22歳で結婚して父親になったけど、僕の父を立派に育てました。僕はそういう環境で育ってきてるせいか、若くして結婚することにもあこがれていたし、それが不幸になることだとも思っていないし、子供を持つことも、家族を持つことも、僕の夢だったんです」
「ゆ…め?」
理事長はかなり驚いていた。
「僕は、桃子さんとも結婚すると決めていたし、それはお腹に赤ちゃんがやってくる前から、もう決めてたことです。だから、責任を取って結婚したわけではありません。結婚も、桃子ちゃんと家族を持つことも、もう決めてたことだから、そうしただけです」
「…」
理事長は、聖君のきらきらした目の輝きに、圧倒されているようだ。その隣で、小百合さんも、聖君の言葉や目に、惹きこまれている。
「僕は、凪、あ、赤ちゃんの名前ですけど、凪のことももう、愛しています」
「え?」
理事長はさらに、驚いていた。
「僕と桃子ちゃんとで、毎日、凪に日記を書いているんです」
「日記を?なんのために?」
「凪は、いつか自分の母親が高校生で妊娠したとか、それで両親が結婚したとか、そういうことを知って、心無い人から、中傷されることがあるかもしれない。でも、そんなとき、自分がお腹にいるころから、どれだけ両親に愛されていたか、両親だけじゃない。凪のおじいちゃん、おばあちゃん、ほかにもたくさんの人から、祝福を受けてこの世に生まれてきたんだって、それを知ってもらうために、日記を書いているんです」
「…」
「自分が生まれてこなかったらよかったとか、そんなことを一瞬でも、凪には感じてほしくない。生まれてきたことを、心から喜び、生まれてきてよかったって、そう思ってもらいたいんです」
「そ、そうよね。凪ちゃんには、そう思ってほしいわ、私も」
母が私の横で、目を潤ませていた。
「そうか。そんな日記をつけているのか。うむ、すばらしいことだ」
祖父が、うなづきながらそう言った。
「素敵ですね。そんなことを考えられるなんて、ご両親から愛されて育ったからできることですよね」
綿貫会長も目を潤ませていた。
「…」
理事長は、黙ったまま下を向いた。
「もう、赤ちゃんに名前まで考えて、そんなにも愛情をかけているんですね」
小百合さんが、声を震わせてそう言った。
「小百合さんの中にだって、大事な命があるんですよね」
聖君は優しい目で小百合さんを見ながら、そう言うと、
「それ、絶対に守らないとならない命だって、俺はそう思います」
と今度は力強い目になり、小百合さんと理事長に向かって、はっきりと言った。
小百合さんはお腹に手を当てた。それを理事長が横目で見ていた。
「俺、さっきのPTA会長の言葉、感動していました。俺も、この世に生まれてなかったかもしれない命だったし」
そう聖君が言うと、会長も校長も、理事長や小百合さんまで、えって驚いた表情になった。
「でも、あなたのご両親も、その親御さんも、みんなあなたが生まれることを、望んだんじゃないんですか?」
理事長が聖君に聞いた。
「あ、そうなんですけど」
聖君は、一瞬黙り込み、そのあと意を決したのか、また綺麗な澄んだ目で、みんなを見つめながら話をしだした。
「俺、父さんと血がつながっていないんです」
「え?どういうことですか?」
理事長も、他の人も驚いた。
「俺は、母が父に出会う前に、付き合っていた人との間にできた子なんです。その人と別れてから、母は父に出会ったんです。お腹に、赤ちゃんがいるってわかったときにはもう、父と母は愛し合っていたから、父は血のつながりも何もない、俺のことまで含めて、受けいれて、結婚したんです」
「あなたの、父親になることも決意して?」
「はい」
綿貫会長の質問に、聖君はまっすぐした目をして答えた。理事長と小百合さんは、黙ったまま、聖君を見ている。
「父さんは、血のつながりがあろうとなかろうと、そんなこと関係なく、お腹にいるころから俺を、愛してくれました。あ、父さんも俺宛の手紙って言うか、そういうのパソコンで書いて、俺にくれました」
「え?」
「俺が、自分と血のつながりがないということを知り、ショックを受けるかもしれないってそう思ったからかもしれないですけど」
「どういった手紙だったんですか?」
理事長が聞いた。
「…。母とのなれそめとか、そういったことから、俺が母のお腹にいるとわかって、結婚を決意したことや、それに…、俺に対しての感謝の言葉や、生まれてきてありがとうとか、これからもめちゃくちゃ愛していくから、覚悟してとか、そういった内容の…」
聖君は少し、顔を赤らめた。でも、またすぐに顔をまっすぐに向けて、
「俺、そんな父をめちゃ、尊敬してるし、俺も大好きなんです。そんな父親になろう、俺も子供ができたら、めちゃくちゃ愛そう、そうそれを読んで、思いました」
聖君の目がきらりと光った。あ、もしかして、泣いてる?
「俺、まじで、凪のこと、今すでに愛しいんです。それに桃子ちゃんのことも。すげえ大事。結婚したことも、赤ちゃんができたことも、すごく幸せなことだし、後悔だなんてしません。凪にも絶対に生まれてきたこと、後悔なんてさせません」
聖君…。
「俺、生まれてよかったって思ってます。生んでくれた母にも、俺の父親になってくれた父にも、それに、俺の本当の父にも感謝しています」
「本当の、父親って、血のつながっている?」
「そうです」
「あなたのお母さんと、別れたって言う?」
理事長は目が点になったまま、そう聞いた。
「そうです。あ、妹がいるんです。この高校に通ってる、萩原菜摘っていう…。桃子ちゃんとは、親友で、すごくいい子なんです」
「その子は、つまりあなたとお父さんが同じってこと?」
「はい。腹違いっていうんですか?」
聖君はにこりと笑いながらそう言った。
さっきから、小百合さんは下を向いている。肩が振るえ、泣いているようだった。
「おばあさま。私も、私もこの子が大事」
「小百合」
「大事です。桃子さんたちのように、この子に愛情いっぱいかけて、育てたいし、生まれてくることを祝福してあげたい!」
小百合さんは顔をあげた。目が涙で潤んでいるけど、すごく力強かった。
「小百合、あなた…」
理事長は、しばらく小百合さんの力強い目を黙って見ていた。
「もし、母が父との結婚をあきらめたり、父が俺のことを受け入れてくれなかったら、俺の命はここにはありません」
聖君はまた、力強く話し出した。
「そうしたら、凪もこの世には存在できないだろうし、桃子ちゃんにも会えなかったし…」
そうだ。そうだよ。
聖君は私を見ると、ぎゅって手を握ってきた。
「生まれてこなかったら、いろんな、すげえたくさんの素敵な体験、俺、できなかったんですよね」
聖君はまた、目を輝かせてそう言うと、
「ああ、やっぱり、凪にも、たっくさんのすばらしい体験してもらいたいな。海にも一緒に潜る。めちゃくちゃ、俺、大事にする!」
じわ~~~。やばい。私が泣いてどうする。でも、駄目だ。ほんとはずっとずっと、我慢してた。感激して何度も、嗚咽がでそうになるくらい、泣きそうになるのを。だけど、もう限界みたいだ。聖君!
「う、うわ~~ん」
「え?!」
いきなり私がかなり大きな声を出して、泣き出したので、周りのみんなが驚いていた。
「桃子ちゃん?大丈夫?」
聖君が私の顔を覗き込んできた。
「聖君。ひっく!」
私は聖君の腕にしがみつき、ひっく、ひっくと、しゃくりあげて泣いた。
「わ、私も凪を、大事にする。めいっぱい愛しちゃうからね」
「うん」
「そ、それに、聖君のことも」
「うん」
「そ、それから、聖君、生まれてきてくれて、ありがとうね」
「うん」
聖君はさっきから、私の涙を手で拭きながら、うん、うんって優しい声でうなづいている。
「それにね、お母さん、私を生んでくれてありがとう」
私がそう言うと、母は驚いた顔をした。
「な、何をいきなり言ってるの!」
「おじいちゃんも、お母さんを生んでくれてありがとう」
「あっはっは。桃子、生んだのはおばあちゃんだよ」
「あ、あ、そっか。ひっく」
「椎野さん、大丈夫ですか?」
校長先生がテイッシュの箱を私に渡しながら、聞いてきた。
「はい。すびばせん」
鼻水も出てきて、私は慌てて鼻をかんだ。
理事長と小百合さんは目を丸くしたまま、私を見ていた。
「あ、ごめんなさい。話の邪魔しちゃうし、ずっと泣くのこらえていたんですけど…」
そう私が言うと、聖君が隣でくすって笑った。
「あ、あの、私、本当に生まれてきてよかったって思ってます」
「え?」
私がまた、いきなり話し出したので、理事長が私の顔をまじまじと見た。
「凪には、生まれてきてくれてありがとうって、何度も言うつもりです」
「…」
「凪のせいで、私も聖君も不幸になったりしません。それに、後悔なんて絶対にしません。それよりもむしろ、めちゃくちゃ今から幸せをもらってます。凪は、私たちに幸せを運んできてくれたんです」
「幸せを?」
「はい。だから、後悔はしません」
私はまだ、涙を流しながら、そう言った。
「そう…」
理事長は私と、聖君を交互に見ると、小百合さんを見た。
「小百合…。あなたも、後悔しませんか?」
「はい、おばあさま」
「一人の命を、育てるのは大変ですよ」
「はい。でも、私も聖さんと同意見です」
「え?」
「お母さまも、お父さまも、きっと赤ちゃんをかわいがってくれます。私がもし、大変だったら、遠慮なく私は、二人に助けを求めます。だって、家族ですから」
「…」
理事長はしばらく黙り込み、とても優しい表情になった。
「家族ね。いい響きですね。私にとっては、ひ孫になるんですね」
「はい。おばあさま」
「私も、助けになることがあったら、助けますよ」
「え?」
「大事な大事な孫のためなら」
「お、おばあさま?」
「校長!」
理事長がいきなり、大きな声で校長を呼んだ。
「はい?」
「私はこの高校を守るため、今まで必死でした。祖父が築いたこの伝統ある高校を、つぶしてはいけないと、がんばってきました」
「存じております」
「今までその、伝統ある学校にふさわしい学生を育てるよう、あなたや、先生方にも言ってきましたね」
「はい」
「どこに出しても、恥ずかしくない、そんな生徒を」
「はい」
「この学校にふさわしくない生徒には、やめてもらったこともあります。それが学校を守ることだと私はずっと、思ってきました。そうやって、私はこの高校を守ってきました」
「はい」
「ですが、私は間違っていたことに、気がつきましたよ、校長」
「は?」
理事長は、やわらかく微笑み、私と聖君を見て、
「私たちが守らなければいけないのは、学校ではなく、この学校に通う一人一人」
「え?」
校長が驚いた声を出した。
「一人一人の命、心、尊重し、守らなければいけなかったんですね」
校長はものすごく感動している様子だ。口元が振るえ、今にも泣きそうだった。
「確か、5年前でしたか。自殺未遂をした生徒がいましたね」
「はい」
「マスコミにさわがれないよう、どこからもその情報が漏れないよう、大変な思いをしました。その生徒には、すみやかにやめてもらいましたね」
「はい。病気になり、しばらくは、田舎で療養をするという名目で、やめてもらいました。でも実際にあの子は、精神的に不安定だったので、お母様のご実家で、療養していました」
「もう元気になり、大学に通っているとか…」
「心理学を学んでいます。あのあと、心理カウンセラーにカウンセリングを受け、あの子は立ち直ったようです。それで、自分も心理カウンセラーになり、いろいろと相談に乗りたいと言ってましたから」
「校長は、あの子と会っているんですか?」
「はい。お母様とも時々お会いして、話をしたりしていますよ」
「そうですか」
理事長は、ふっとため息をつき、
「私は、学校を守ることしか考えてきていなかった。でも、校長はちゃんと、生徒も守っていたんですね」
「一度は私の学校の、生徒だったんですから、当然だと思っていました」
「そうですか」
理事長は、しばらく黙って宙を見つめた。
「命を大事にするのは、大切なことですね。簡単に命を絶とうとするなんて、私はおろかなことを口にしていたんですね」
「理事長…」
校長は、目を細め、理事長を見ていた。
「小百合。あなたは、この学校に編入してきなさい。でも、それなりの覚悟は必要です」
「え?」
「誰も知ってる人がいない、そんな中で、妊娠もしていて、結婚もしているという状況なわけですからね」
「そ、それじゃ?」
「今度、その輝樹さんを、うちに連れてらっしゃい」
「はい!」
小百合さんは、元気にうなづくと、ぽろぽろと涙を流した。
「でも、小百合」
「はい?」
でもと、言われ、小百合さんの顔色が変わった。
「あなたには、私という味方がついている。私は大事な孫と、そしてひ孫をちゃんと守っていきますよ」
「お、おばあさま」
小百合さんの顔は、くしゃくしゃになった。嬉しいので、笑おうとしているが、涙も同時に流れ、くしゃくしゃになっているようだ。
「それから、桃子さん」
「はい」
理事長に呼ばれ、私は姿勢を正した。
「あなたも大事な私たちの生徒。あなたのことも守りますよ」
「じゃ、私も退学には」
「もちろん、退学になんてさせません。この高校は、一つの命も、一人の人生も大事にしていく、そんな高校にしていきますから」
「理事長」
校長先生は泣いていた。
「校長。これからが大変ですよ」
「そ、そうですね。でも、私もがんばります」
「だけど、きっととても大事なものを、生徒たちは学んでくれると思います」
「大事なもの?」
「命です」
「そ、そうですね!」
「綿貫会長。私は孫をこの学校に編入させるにあたって、2学期の初めに全校生徒に話をしたいと思います」
「はい」
PTA会長は、神妙な顔つきになった。
「命の大切さについて。私は小百合のためにも、話をしたい。そのとき、あなたもさきほどの、自分の命を両親が守ってくれたあのお話、していただけませんでしょうか」
「はい。喜んでお受けします」
「娘さんが、この高校にいますが、大丈夫ですか?」
「娘には、何度も話してありますから」
「そうですか」
理事長はそのあと、聖君のほうを見て、
「榎本聖君」
と、声をかけた。
「はい」
聖君も神妙な顔をしている。
「あなたにも、お話をしてほしいんですが、引き受けてくださいますか?桃子さんがこのまま、高校に通われるということは、いろんな中傷を受けるかもしれないということです。それを防ぐためにも、生徒の皆さんには、理解していただきたい。それには、さきほどの命の話をしていただきたいのです」
「桃子ちゃんと凪のためなら、俺、いくらでも引き受けます!」
聖君は目を輝かせ、そう言った。
「ひ、聖君がうちの学校で?」
私が驚くと聖君は、
「桃子ちゃんのために、ちゃんと話すからさ」
とにっこりと微笑んでそう言った。
「すごいわね!この高校自体が、がらりと変わるような、すごいことになりそうね」
母はかなり興奮している。
校長も、綿貫会長も、目を輝かせている。小百合さんは私を見た。私も小百合さんを見た。私たちはきっと、同じ表情をしていると思う。
ああ、えらいことになってるみたいだ~~~。っていう、そんなちょっと困った表情…。
でも、私たちのためを思い、みんなががんばろうとしている。それなのに、そんなの困りますとは言えず、ただただ、私と小百合さんは二人で、困ったなっていう表情を浮かべていた。