第68話 奪ってみせる
お風呂に入り、部屋で聖君と凪に日記を書いていると、菜摘からメールが届いた。
>お母さんがお風呂に入っている間に、お父さんと二人で話をしたの。私は高校卒業したら、専門学校に行きたいし、将来はジムとかで働いて、インストラクターになりたいって言ったら、菜摘は体を動かすのも好きだし、ぴったりじゃないのかって言ってくれた。
「へえ。あいつ、そんなこと考えてたんだ」
聖君がメールを読んでそう言った。
「あれ?聖君は知らなかったの?」
「うん」
そっか…。
>お父さんとそんな話ができて、よかったね。
そう私は返信した。するとまたすぐに、
>お父さんが、葉一君はもう真面目に働いているし、菜摘も高校卒業して好きなことを仕事にしていって、二人で一緒に生活をしていってもいいかなって時がきたら、結婚も考えたらいい。お父さんだって、結婚は25歳過ぎまで考えられなかったし、まだまだ先のことだから、焦って考えることもないと思うよって。
「ふうん。菜摘のお父さんはそんなに、堅苦しく考えてはいないんだな。やっぱり、お母さんのほうが神経質になっていただけなんだね」
聖君がそのメールを読んで、そんなことを言うと、
「菜摘、安心したんじゃない?お父さんがこう言ってくれてさ」
とにっこりと笑った。
「そうだよね」
「ま、俺らがめずらしいだけで、普通は菜摘のお父さんのような考え方だと思うよ」
「え?」
「っていうか、俺の場合は、父親が早くに結婚してたっていうのもあったし、家族思いの両親だし、だから、俺も早くに結婚がしたいとか、思っちゃったんだと思うけどさ」
「…」
そうか。もし聖君のお父さんが、早くに結婚していなかったら、聖君もまだまだ、結婚は考えられないとか、そんなことを思っていたのか。
「それと…」
聖君は私を優しく見つめると、
「ずっと一緒にいたいって子と、出会っちゃったってのも大きいけどね」
と言って、私を抱き寄せた。
「え?」
「桃子ちゃんと出会ってなかったら、結婚なんて考えないよ」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと」
「…私も」
「え?」
「聖君だから、一生そばにいたいって思った」
「うん」
聖君を抱きしめた。ああ、思い切り幸せを感じる。
「凪さあ、日記を見て、自分の両親ってなんてバカップルなんだろうって、あきれないかな~」
聖君が私を抱きしめたまま、聞いてきた。
「う、う~~ん。仲が悪いよりも、いいと思うんだけどな」
私がそう言うと、聖君は、
「そうだよねっ!」
と言って、抱きしめる腕に力を入れた。
ベッドに横になっても私は、聖君にひっついていた。
「明日はいよいよだね」
聖君が言った。
「高校?」
「そう。桃子ちゃん、ドキドキしてる?」
「うん、ちょっと」
「俺はワクワクしてる」
「え?どうして?」
「わかんないけど、どういうふうになっていくのかなって思ったら、ワクワクするんだよね」
ほんとに、聖君はすごいよ。だけど、そんな聖君といると、私までいろんなことを楽しめちゃう。
「PTA会長とか、理事長って、どんな生活してるのか、まったく思いつかないよね。どんなだと思う?」
と、突然聖君は言い出した。
それから、聖君と、校長先生やPTA会長、理事長はどんな人で、どんな生活をしているかってことを、勝手に妄想して遊んでいた。聖君の発想は面白くって、二人で笑いながら話をしていた。
それから、聖君は、
「あいつらも俺、よくわかんないんだけどさ、どういう毎日を送ってるんだろうね」
と言い出した。
「あいつら?」
「ほら、藤也と…。えっと、なんて名前だっけ?」
「芹香さん」
「ああ。そうそう。どうしても覚えられない。何か覚え方ない?」
「…。聖君、女の子の名前覚えるの苦手だよね?」
「うん。バイトとかしてくれる子は、こっちも呼ばないとならないから、一回で覚えるようにしてるけど。でも、覚えられないときもあるけどさ」
「興味ないからかな?覚えないのって」
「だろうね。まったく興味ないもん。今日の子も…」
なるほど…。
「でも、興味のない私の名前は、覚えてたよね」
「も、桃子ちゃん。その興味のない私ってのは、やめようね。俺、前にも言ったけど、桃子ちゃんの名前は一回で覚えたって」
「なんで?」
「だから~~、椎野桃子って名前、ぴったりあっている子だなって、そう思えたんだってば。桃子ちゃんは、椎野さんでもなく、桃子でもなく、桃子ちゃんだよな~~って、俺、なんとなくそう思ってたし」
「いつ?」
「名前聞いたときだよ」
「そんな最初のときに?」
「うん、思ってたよ」
「蘭は?」
「蘭ちゃんも、名前がぴったりの子だって思ってたよ。蘭の花、似合いそうじゃん」
「…じゃ、菜摘」
「ああ、なつみってさ、菜を摘むって漢字はめずらしくない?菜を摘むって書くなんてかわいいなって、思ってた」
「…、聖君。あのとき結局、みんなの名前に興味持ったってことじゃないの?」
「そうだね」
「芹香さんも、それで覚えちゃえば?」
「え?」
「芹ってほそっこい草じゃなかったっけ?」
「あれでしょ?七草粥にいれるやつでしょ?」
「そうそう」
「芹とかナズナとかだっけ?」
「そう、それ」
「なるほど。ひょろってしてる草だっけ?俺、芹だのナズナだのって、どういう違いがあるのかも、わかってないけど」
「私もわかってないよ」
「う~~ん、俺それで覚えたら、ナズナとかって間違えて呼びそう」
「…」
やっぱり聖君、面白いよ。
「あいつらって、モデルやってたんだよね?」
「芹香さんは現役のモデルさんだよ」
「ああ、そう言ってたっけ。モデルって、何?誰かの彼女を奪うだの、落とすだの、そういう遊びでもはやってんの?」
「まさか。あの二人の間だけじゃないの?」
「ふうん。でもさ、そんなことして何が面白いんだと思う?」
「さあ?」
「勝ち負けかな。落とした時点で、ゲームは終わるのかな。それってさ、結局はまともに相手を好きになったり、付き合ったりはしないってことなのかな」
「さあ?私にもよくわかんない」
「だよね~~。俺にもまったくわかんないよ。勝負しますみたいにいどまれても、こっちは勝負しようとも思ってないし。だいたい、奪うだの落とすだのってこと自体、興味ねえしな~」
「うん」
「…。たださ~」
「え?」
「もしも、藤也のやつが本気で、桃子ちゃんを好きになったら、そりゃもう、全力で阻止すると思うけどさ、俺」
「本気で?」
「もしね、俺が桃子ちゃんには彼氏もいるのに、桃子ちゃんに惚れ込んじゃったら、そいつから奪ってやるくらいの気持ちにはなるかもしれないからさ」
「え?!」
「彼氏がいるんですなんて言われたくらいじゃ、あきらめつかないだろうな~、俺」
「ほ、ほんとに?」
「うん。まじで、どうしたら桃子ちゃんを、俺のものにできるかとか考えてたかも」
「そ、それって…」
どんななの~~~?!!!
「桃子ちゃん、俺、本気で惚れたから。あの彼ってやつと、真正面から勝負するよ」
とか、
「桃子ちゃん、俺、あいつから桃子ちゃんのこと奪ってみせる」
とか、
「桃子ちゃん、俺は絶対に君をあきらめない」
とか、
「桃子ちゃん、俺があいつのことなんて考えられないようにさせてやる」
とか…。聖君が言ってきちゃうの?!!!
うきゃ~~~~~!!!
「桃子ちゃん!」
「え?」
「今、なんかすごいこと、妄想してた?」
「え?」
「してたよね。どっかに意識飛んでいってたし、真っ赤だったよ」
「う…」
「どんな妄想?言ってみ?」
「…。もし、私に彼氏がいて、聖君が私に迫ってきたらっていう妄想」
「俺が、迫る?」
「うん。今日の藤也君みたいに」
「…で?そうしたら、桃子ちゃん、どうなった?」
「もう、一瞬にして、聖君に落ちてた~~」
「なんだよ、それ」
「ごめん、つまらないね、そんなの」
「いや、つまる、つまらないの問題じゃないけど」
聖君は眉をひそめて、黙り込んだ。それから、私の上に覆いかぶさると、
「桃子ちゃん」
と、まじめな声で言ってきた。
「な、何?」
まさか、いきなり、迫ってくるの?
「藤也に、一気に落ちたりしないよね?」
「へ?」
「藤也にせまられて、落ちたりしないよね?」
「あったりまえじゃない!」
「本当に?」
「聖君にだけだってば」
「…」
聖君はまだ、私のことを見ている。相変わらずの綺麗な顔立ちで。
なんて綺麗なんだろうと、うっとりして見ていると、
「あ、その目、やばい」
といきなり、聖君が言った。
「え?」
「その目、色っぽいから駄目。そんな目で藤也のこと見ちゃ、絶対にだめ。あいつ、今は遊びかもしれないけど、そんな目で見たら本気になっちゃうよ」
「見ないよ~~。だって、その色っぽい目ってよくわかんないけど、聖君ってなんて素敵なんだろうって、ウットリしてる時の目だと思うもん。だから、聖君を見る時だけだよ、そんな目になるの」
私がそう言うと、聖君は一気に真っ赤になった。
「じゃ、俺に見とれている時の目ってこと?」
「うん」
「そっか…」
聖君は私に顔を近づけた。
「桃子ちゅわん」
「ん?」
「もしね、もしも桃子ちゃんが他のやつに惚れそうになっても、俺、何度でも、俺のほうに向かせるから」
「へ?」
「それで、他のやつのことなんか、考えられなくしちゃうから」
どひゃ~~。なんだか、その台詞、思い切り恥ずかしい。さっき私が、妄想してた台詞のようだ。
「あ、真っ赤だ」
「だって…。今、一瞬にして、もう聖君に落ちてた~~」
「え?そうなの?」
「うん」
くす。聖君が笑った。
「めちゃ、桃子ちゃん、可愛い。ああ、俺も桃子ちゃんに落とされた」
そう言うと、聖君はキスをしてきた。
ああ、やっぱり、私たちはバカップルだ。こりゃ、どうしょうもないくらいの、バカップルに違いない。でも、まあ、いっか…。
めちゃくちゃ幸せを感じながら、私は聖君の腕の中で眠りについた。そして、また夢を見た。
夢、見ると思ったんだ。て、夢の中で私は、ちょっとだけ思っていた。
誰か知らないけど、顔もわからないような人が私の彼氏だった。付き合ってどのくらいたつのかも、なんにもわかってないけど、とにかく彼氏がいるようだ。
彼は、どこかの店でバイトをしている。私もそこで手伝いをしている。彼と話をしていると、そこへ聖君が来た。
ああ、雑貨屋か何かだ。聖君が、店内を歩き回っている。他の女のスタッフが、聖君を見て、きゃっきゃってしている。それから、私たちのところに聖君は来て、
「こういうグラスは置いてないですか?」
と聞いてきた。
「あ、こちらにありますよ」
私は聖君を案内した。聖君は、それからも、こういうのはないですかっていろいろと質問してきた。私はそれも全部、案内したり答えていた。
聖君はいきなり、小声で、
「さっき、話してたやつは君の彼氏?」
と聞いてきた。
「はい」
私が恥ずかしがりながら答えると、いきなり壁に私を押し付け、顔を近づけて、
「俺、あいつから、君のこと奪っていい?」
と聞いてきた。
「え?!」
どひゃ~~~!!この人、何を言ってるの?!!!
「名前、なんていうの?」
「し、椎野桃子」
「椎野桃子ちゃん?可愛い名前だね。ぴったりとあってるね」
「ええ?!」
聖君の顔がまん前にある。すごく綺麗な顔立ちで、目がめちゃくちゃ色っぽい。
「俺、桃子ちゃんのこと絶対に落とすから」
「…」
何?何?この自信。
「俺のことしか、考えらないようにさせるから」
きゃ~~~!!待って、待って。私には彼氏がいるの。彼、いや、旦那。あれ?
「違うの」
「何が?」
顔が目の前に迫ってきていて、もう少しで唇が触れる。
「私の名前、違うの」
「え?」
「椎野桃子じゃないの。だから、私にあってるかどうか…」
「じゃ、なんて名前?」
「私は、榎本桃子」
「うん」
あわわ。唇、触れる~~!そんなに近づかないで!心臓が爆発する~!!
「そ、それに私、彼氏じゃなくて、旦那がいる!」
「うん」
「うんじゃなくって、だから、私の名前も変わったの」
「榎本桃子に?」
「そう」
「俺は榎本聖。俺が君の旦那さんでしょ?」
あれ?そう。聖君が旦那さん。聖君は私にキスをしてきた。私は夢の中で、なんで旦那の聖君が、私のこと奪いにきたんだろうかって思いながらも、ああ、この人に、落ちちゃったわ~~なんて思っている。
パチ。目が覚めた。聖君が顔のまん前にいて、私を見ている。変な目で。
「どんな夢かな?」
「え?」
「桃子ちゃんの今日の寝言、かなりえぐかったけど」
「え?えぐい?!」
「浮気してる夢だ…」
「ええ?!!!!!」
私は首をぐるぐる横にふった。いや、待てよ。聖君以外の人が、彼氏だったから、浮気って言ったら、浮気?いや、でも…。最後まで顔もわからなかったし。
「寝言、何を言ってた?」
私はびくびくしながら聞いた。
「言ってもいい?」
「え?」
「後悔しない?」
ドキ~~~~。そそそんな、変な寝言?
「私、彼氏じゃなくて、旦那がいるって叫んでた」
「…」
「だから私の名前も変わったの、って言ってた」
「…」
「誰に言ってたのかな?昔知りあったやつ?例えば、幹男とか、穂高とか」
私はぐるぐると首を横に振った。
「ああ、なんとかって水泳のコーチもいたっけね」
「違うよ~~」
「じゃ、誰に言ってたんだよ?私には旦那がいるの~~なんてさ。誰かに迫られてたんだろ?あ、まさか、藤也?」
「聖君」
「え?」
「だから、聖君に迫られてた」
「俺~~?俺に、旦那がいるのって言ってるのって、変じゃない?!」
「うん。私の夢っていっつも変だから」
「だろうね、理解不能だ。いったいどんな流れになってる夢だよ」
「だって、昨日寝る前に聖君があんなこと言うから、だから、変な夢見た」
「どんな夢だよ、言ってみ?怒らないで聞いてやるから」
「…。顔もわからない彼氏が私にはいるの」
「誰?俺じゃないんだよね?!」
「だから、顔もわからない」
「…」
聖君はむすっとした顔をした。
「そ、それで、私は雑貨屋でその人とバイトしてて、そこに聖君が買い物に来るの」
「ふうん」
ああ、顔が能面のようになってる。
「それで、私にこういうグラスはないですか?とか、いろいろと聖君が聞いてくるから、案内してあげてるの」
「桃子ちゃんが?」
「うん」
「ふうん。で?」
「店の奥のほうに行ったら、聖君は、さっき話していたやつは、君の彼氏?って聞いてきたの」
「うん」
「そうだって答えたら、いきなり壁に私を押し付けて、顔を近づけてきて」
「え?俺が?!」
「うん。それで…」
私は夢で聖君が言ったことに、真っ赤になった。
「な、何?俺、なんかとんでもないことした?!」
「ううん。そうじゃなくって。なんだか、すごいこと言ってたの」
「俺が?な、なんて?」
「君のこと、奪っていい?とか」
「う、うん」
「名前聞かれたから、椎野桃子って答えたら、ぴったりあってる可愛い名前だねって」
「うん」
「それで、桃子ちゃんのこと、絶対落とすからとか、俺のことしか考えられなくさせるからとか…」
そう言うと、聖君は真っ赤になった。
「もう、桃子ちゃん、なんつうこと夢の中で俺に言わせてるんだよっ」
そう言って、恥ずかしがっている。
「そ、それで、私、自分の名前がそういえば、違ってたって思い出して、私の名前は榎本桃子で、彼氏じゃなくて旦那がいるって聖君に言ってるの」
「俺に?」
「うん、そうしたら、聖君はうなづいて、俺は榎本聖、桃子ちゃんの旦那さんだよって」
「って言ったの?俺が?」
「うん。それで、私、ああ、そうだ。聖君が旦那さんなのに、なんでその旦那が私を奪いに来たんだろうって思ってて、でも、それでも目の前の聖君に、落ちちゃうんだ」
「は?」
「聖君、最後にキスしてきた」
「…」
聖君は頭をぼりって掻いた。
「もしかして、桃子ちゃん、俺に迫られたかったとか?もう、エッチ」
「違うよ!昨日あんなこと聖君が言ったから…」
私がそう言い終わる前に、聖君は私に覆いかぶさり、首筋にキスをしてきた。
「桃子ちゃん」
「う、うん?」
「桃子ちゃんを、俺のものにしてやるから」
もうなってるけど。
「俺のことしか、考えられないようにさせてやるから」
それも、もうなってる。
「えっと~~」
聖君が少し考え込み、
「ああ、そうだ。桃子ちゃんを落としてみせる」
「もう落ちてる」
「だね…」
聖君は私の鼻にチュッてキスをすると、
「さ、今日は高校行くんだよね。もう起きて、支度しなくっちゃね」
と言い、さっさとベッドから降りて着替えをし、部屋を出て行った。
う~~ん、それにしても、なんであんな夢を見たんだろうか。やっぱり私、聖君に迫ってほしかったのかな。
ああ、聖君だったら、他に彼氏がいたとしても、私を奪ってほしいな。
は!今なんて思った?私!
自分が思ったことに、恥ずかしくなって、顔から火が出た思いだった。