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第64話 心のうち

 私は杏樹ちゃんの部屋に行った。菜摘と杏樹ちゃんは、かなり盛り上がっていた。

「お兄ちゃんのさ、そういうところがあほなところなんだよ」

「お茶目なところって言ってあげなよ。兄貴、すねちゃうよ~~」

 どうやら、聖君の話で盛り上がっていたようだ。


「あ、兄貴、休憩終わったの?」

「うん」

 私は杏樹ちゃんのベッドに座った。

「それにしても、あの籐也ってのは、ものすごい自信家だよね」

と、杏樹ちゃんが言った。

「よくわかんない」

 私は、首をかしげた。彼の本音って、どれなんだろうか。


「そうそう。あのひょろってした子」

「芹香さん?」

「兄貴に、自分の自慢をしていたの。モデルをいくつからやっていて、どんな雑誌に出ててって」

「ふうん」

「兄貴、へえ、すごいねとか言いつつ、まったく興味なしっていうのが、ちょっと見ただけでもわかったよ」


「お兄ちゃん、前はもっとクールだったのにね」

「え?」

「お客さんと、話をしなかったもん。オーダー聞いたらさっさとキッチンに来る。話しかける人には、すみません。忙しいのでって言って、クールに断ってたし」


「最近でしょ?あんなに愛想よくなったのって」

 菜摘が私に聞いてきた。

「うん。聖君の中で、確実に何かが変化したかもしれないな」

「お姉ちゃんの影響じゃない?お兄ちゃん、お姉ちゃんと付き合うようになって、優しくなったし、丸くなったし」


「でも、杏樹ちゃんには前から優しかったでしょ?」

「私にはね。でも、他の女の子には、クールだったから」

「初めて会ったとき、そうでもなかったよね。ね?桃子」

「うん。あ、でも基樹君や蘭と、はしゃいでばかりいたかな」

「ああ、そういえば、馬鹿ばっかりしてたかも」

 菜摘は思い出し笑いをしていた。


「お兄ちゃん、ひょろっとしたあの人にも、バシッてきつく言っちゃえばいいんだよね」

「言ってたよ」

「え?」

 杏樹ちゃんと菜摘が、同時に聞いてきた。

「かなりきついこと。でも、芹香さん、全然動じていなかった」

「へ~~」

「逆に、燃えちゃった感じだったな~~」

「燃えるって?」

 菜摘が聞いた。

「落としがいがあるってやつだね」

 杏樹ちゃんが、にやって笑って言った。


「え?何それ」

「籐也って人が言ってたよね。だけど、お兄ちゃんが落ちるわけないよね。っていうか、お姉ちゃん一筋なんだから、見向きもしないって」

「そ、そう思う?」

 私は思わず、確認してしまった。

「絶対だよ。だから、安心してていいよ。お姉ちゃん」

「ありがとう」


 ちょっとほっとしたりして。

「それに籐也も、自信満々に、お兄ちゃんからお姉ちゃんのことを奪うって言ってたけど、無理だよね」

「うん」

 それは私も、100パーセント無理だと思う。

「そうだよね。桃子は兄貴にべた惚れだし、兄貴なんか、桃子いなくなったら、生きていけないくらいになってるしさ」

「うんうん」

 杏樹ちゃんが思い切りうなづいた。


「それはおおげさだよ」

「おおげさじゃないって!お兄ちゃん、昨日なんて、休憩時間にどれだけため息ついたり、どよんってしていたか、見せたかったよ、お姉ちゃんに」

「へ?」

「桃子ちゃんいないと、この家、すげえ暗いよね。とか、桃子ちゃんいないと、なんでこうも、つまらないんだろう。とか、そういうこと言って、ずっとふさぎこんでた」


「うそ」

「本当だよ。もう見てて、うざいのなんのって」

「うざい?」

「ほんと、お兄ちゃんはお姉ちゃんがいないと、かっこ悪いったらない。あ、でも、お姉ちゃんといると、にやけっぱなしだし、結局かっこ悪いけどさ」

「…」

 杏樹ちゃん、さっきからぼろくそに言ってるな~~。


「お姉ちゃん、うっとうしくないの?うざくなったりしない?もしかして二人きりでいると、お兄ちゃん、お姉ちゃんにべったりしてるんじゃない?」

 う、見破られてる。あ、いちゃついてるところも見られたっけ?そういえば。

「うざくない。そんなこと思ったこともない」

「なんで~~?私だったら絶対に嫌だよ」


「そう?そうなの?私は、聖君が甘えてきたり、べたってくっついてくるなんて、きっと、私にだけなんだろうなって思ったら、すごく嬉しいけど」

「ひょえ~~。本当にお姉ちゃんは、お兄ちゃんにぞっこんだよね!籐也が落とせるわけないよ」

 杏樹ちゃんが驚いてそう言った。


 菜摘はさっきから静かだった。でも、

「兄貴、二人でいると甘えたり、べったりしてくるんだ」

とぽつりと言った。あ、やばい。ばらしちゃったよ。

「は~~。葉君はそういうのないな~~」

「いいじゃん!そっちのほうが!」

 杏樹ちゃんが、菜摘に向かって大きな声をあげた。


「よくないよ。私は甘えることもあるけど、葉君は全然なの。それに、あまり自分の思ってることも言ってくれないから、私に心開いてくれていないのかなとか、私といても、リラックスできないのかなとか、あれこれ考えちゃう」

「そうなの?そんなこと考えちゃうの?」

 杏樹ちゃんが言った。


「なんかね、気を使わせてるのかなって思っちゃうんだ。でも、どうやったら、気を使わなくなるのか、心を開いてくれるようになるのか、それがわからなくって」

 菜摘はため息まじりにそう言った。

「私の彼氏も、一緒にいても静かで、お兄ちゃんみたいにはしゃぐこともなくって、大人だな~~って思ってたけど、もしかして、私に気を使ってるだけなのかな~」

 杏樹ちゃんが、ちょっと暗くなりながらそう言った。


「それはわかんないよ。本当に物静かな人なのかもしれないし」

 菜摘はそう言って、杏樹ちゃんを安心させようとした。

「自分が何を思ってるかなんて、やっぱり言ってくれないよ」

 杏樹ちゃんは、まだ暗くなっていた。

「そっか~~。じゃ、もしかして、兄貴がめずらしいのかもしれないよね」


「うん。そうかも。聖君、顔に出てわかりやすいし、単純だし」

 私はそう言ってから、あれ?待てよ?って、昔のことを思い返した。

「付き合ってすぐは、あまり言ってくれなかったかな」

「え?」

「沖縄に行くことも、悩んでるってことも、そういえば、言ってくれなかった」

「ああ、そうだよね。桃子には言わなかったっけ」


「私も遠慮して言えないこといっぱいあった。何度も聖君に、内緒ごとはなしだよって言われた」

「え~~。兄貴だって、言わなかったくせにね」

「そうだね。きっとお互い、だんだんと心を開いていって、自分の気持ちを言えるようになったのかもしれない」


「そっか~~。じゃあ、私と葉君も、これからだんだんと、心を開いていけばいいのかな」

「うん」

 菜摘は、ちょっとほっとした顔をした。

「私にはまだ、わかんないや」

 杏樹ちゃんはそう言うと、

「ま、いっか。だってまだ、私は中学生だし」

とそう言った。


 だよね~。まだ、中学3年なんだ。なのに、こうやって恋の話に入ってきてること自体、なんだか、不思議だよ。私なんて、中学のとき、遠くで見てるのがやっとの人が、同じ駅にいたくらいで、恋のこの字も経験していなかった。

 だけど、高校一年で聖君に出会って、それから、聖君といろんなことがあって、今なんて、結婚もしてて、妊娠もしてて。なんだか、それもまた、不思議だよな~。


 そう。すごく不思議なこと。もし、私が中学生で、身近で高校3年の子が妊娠をして、結婚をしたとしたら、思い切りドン引きしてただろうな。信じられない。まだ高校生なのに?って。

 だけど、自分でそれを体験しちゃってて、結婚してることも、一緒に暮らしていることも、いつも聖君と一緒にいること、赤ちゃんが来年生まれること、それが当たり前のように感じてきている。


 あれ?それって、やっと聖君の奥さんになったことを、自覚できるようになったってことかな?

 一緒にいることが当たり前で、離れていることが不自然に思えるなんて、これって、すごい進歩?もう、私奥さんって、自覚ばっちり?


「それにしてもさ。籐也って人も芹香って人も、桃子と兄貴が結婚してるってわかったら、どうするかな?」

 菜摘が突然そんなことを言った。

「びっくりするだろうね。そうしたら、落とすだの奪うだの、言わなくなるかな?」

 杏樹ちゃんも、ちょっと面白がっている。


「う…」

 私は、思わず、身を硬くした。結婚してるってことを言う?言うの?言っちゃうの?うひゃ~~~。

「桃子、大丈夫?顔が凍りついてるけど」

「う、だって。結婚してることを言っちゃうなんて、そんな…」

「何言ってるの?もうすぐ高校から、結果もくるんでしょ?そうしたら、これからは結婚してること、隠さないでもよくなるんだし、堂々とみんなに言うことになるんだよ?」 

「う、うん」

 あ~~。私、やっぱりまだ、奥さんだって自覚ない~~。


 杏樹ちゃんと菜摘とのガールズトークに、途中から麦さんも参加した。

「麦さん!おめでとう」

 3人でそう言うと、麦さんは真っ赤になった。

「これから、桐太のところに寄っていくの?」

 私が聞くと、ちょっと顔を出そうかなって思ってるって、真っ赤になりながら言った。


「なんだか麦さん、可愛い」

 杏樹ちゃんが言った。

「や、やめてよ」

 麦さんはさらに真っ赤になった。


「あ~~、会うの恥ずかしいな~~」

 麦さんはそう言って、顔を手であおいだ。

「でも会いたいんでしょ?」

 菜摘までが茶化している。

 麦さんは、じゃあ、そろそろ行くねって言って、下に下りていった。


「なんだか、新鮮」

 菜摘が言った。

「付き合いだした頃って、私もあんなだったかな~」

 菜摘は思い出しながらそう言って、

「違うな~。私、葉君が好きだったけど、あんなに意識してなかったっていうか、友達の延長って感じだったからな~」


 菜摘は、そう言うと、はあってため息をついた。

「桃子は?付き合った当初って、どうだった?」

「私は…。なかなか自分が彼女だとか、付き合ってるって思えなくって、片思いの延長だったよ」

「なるほどね」


「だから、メールが来るだけで感激してた」

「ふうん。なんだかいいね。それも」

 菜摘はそう言うと、またため息をした。

「どうしたの?菜摘」

「うん。私と葉君、もっと仲良くなれるかな」


「え~~?私から見た二人は、十分に仲良かったけどな」

「そうかな。桃子と兄貴に比べたら、全然」

「そんなことないよ。菜摘、葉君に甘えてるし、そういうのいいなって思ってたよ?」

「甘えてないよ。肝心なところで、心閉じちゃうから」

「葉君?」

「私…」


「前に兄貴にも言われたことがある。本心を見せないで、強がっていたら、もっと俺を信頼しなさいって」

「え?」

「兄貴がね、大丈夫だよ、俺は菜摘の兄貴で、血のつながりはなくならないから、縁が切れることもないし、だから、嫌うこともなければ、別れがくることもないんだから、もっと安心していいよって、そう言ってくれたことがあるんだ」


「お兄ちゃんが?」

「杏樹を見てたらわかるだろって、そう言ってたこともあるよ」

「え?私?」

「杏樹がどんなに甘えても、わがまま言っても、俺のこと文句言ってたとしても、俺は杏樹の兄で、杏樹を見放したり、嫌ったりしない。それと同じように、菜摘のことも大事な妹だって思ってるからって」


「そんなこと言ってたの?」

 杏樹ちゃんは、目を丸くした。

「それでも私、兄貴に本心が言えないときもあるし、泣いていても、悲しくても、強がっちゃうときがあるの。だけど、兄貴はそういうのもわかってて、すごく優しい言葉をかけてくれたりする」


 わかる。昨日の電話でも、それは思い切りわかった。

「葉君は違うんだもん」

「え?」

「いつか別れがくるかもしれない。離れていくかもしれない。嫌われるかもしれない。いろいろと考えちゃうよ」

「…」


「だから、怖くて、本音が言えなくなったりするの」

「うん、わかるよ、私もそうだったし」

 私は、菜摘の言うことがものすごくよくわかった。でも、いっつも聖君に言われてた。もっと俺を信じてとか、ちゃんと俺に言ってって。


 そう。内容じゃなかった。私が本心を隠していたり、うそをつくことが聖君を傷つけてた。私が苦しんでいることを知らないでいる。それが何よりも、聖君にとって、痛手なんだってこと、前に言われたっけ。

「きっと葉君は嫌ったりしないよ。大丈夫」

 私がそう言うと、菜摘は、ありがとうとそうつぶやいた。


 トントン。ノックの音がして、聖君が、

「店、今だれも客いないから、お茶しにこない?」

とドアを開けて、私と菜摘にそう言ってから、

「あ、杏樹。そういえば、お前の彼氏、店に来てるよ。どうする?追い返す?」

と、ものすごく意地悪いことを言った。


「え~~!追い返すわけないじゃない。お兄ちゃんのあほ!」

 杏樹ちゃんはそう言うと、ものすごい勢いで一階に下りていった。

「もう、意地悪だな。聖君」

 私がそう言うと、

「ふんだ。いいんだよ。このくらいはしても」

とすねた声で言った。まったく困ったお兄ちゃんだな~。

 菜摘は横で、くすくすと笑っていた。


 お店に行くと、もう杏樹ちゃんも彼氏の姿もなかった。どうやら、二人でどこかに行ってしまったようだ。

 私と菜摘は、カウンターの席についた。聖君が、

「飲み物はどうする?あと、スコーンでも食う?」

と聞いてきた。


「うん。じゃ、スコーン一個と、ホットミルク」

と私が言い、菜摘は、あったかい紅茶とスコーンを頼んだ。

「了解」

 聖君はにこってして、キッチンに行った。キッチンからは、元気な朱実さんの声が聞こえた。


 カラン…。一人のお客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 聖君が、すぐにお水とメニューを持って、ホールに出てきた。

「こちらにどうぞ」

 聖君はテーブル席に案内した。


「こんにちは」

 お客さんが聖君に挨拶をした。

「私、わかります?」

「え?」

「美容院の…」


「ああ、アシスタントさん?」

「良かった~~。覚えててくれて。実はあの店やめちゃって…」

「ああ、そうなんだ。そういえば、この前行ったとき、別の人が髪洗ってくれた」

 それを聞き、私は「ああ、そうか。美容院では女の人が、聖君の髪を洗っているのか~~」と、ショックを受けていた。


「榎本さんとはまた会いたいなって思って、確かれいんどろっぷすってお店で、バイトしてるって言ってたよなって、思い出して、それで」

「へえ、覚えててくれたんですか。店の名前」

「うん。素敵なお店だね」

「ありがとうございます」


「今は、藤沢の美容院で働いてるの。良かったら、割引券あるし、今度来て」

「ああ。嬉しいけど、でも、今の美容院、けっこう気に入ってるからな~」

 聖君はぼりって、頭を掻いた。

「店長のお気に入りだもんね、榎本さんは」

「…あはは、そうかな」

 聖君は、ちょっと困ったように笑った。


「榎本さん来ると、店長も他のスタッフも、喜んでいたもんね」

「…」

「私も喜んでた。榎本さんの髪洗えるの、嬉しかったし」

「え?」

 聖君はちょっと戸惑っている。


「兄貴目当てか」

 菜摘が小声でぼそって言った。

「聖君の髪を、洗ってあげてたんだね。なんだか、複雑」

 私もすごく小さな声で、そう言った。

「え?もしや、やきもち?」

「う…。だって…」

「桃子も、兄貴の髪、洗ってあげちゃえば?一緒にお風呂に入ってさ。兄貴、一緒に入りたがってたじゃない、旅行の時とか。きっと喜ぶよ」


「う、そうだよね」

 ああ、顔が引きつる。実は毎日、一緒に入ってるの、とは言えない。

 でも、そうか。聖君の髪、洗ってあげたことないけど、今度洗ってあげちゃおうかな。


「時々、ここに来ていい?常連になっちゃおうかな」

「ぜひ、また来てください。昼はランチのセットもやってるし」

「榎本さんはいつも、バイトに出てる?」

「はい、今は。大学始まったら、夜だけになると思うけど」

「そうなんだ。そっか。大学生だものね」


「えっと、ご注文は?」

「あ、コーヒーください。あったかいの」

「はい」

 聖君はにこりとさわやかに笑うと、キッチンにオーダーを通しに行った。


 私は気になり、テーブル席のほうをちらっと見た。年は聖君よりも上だろうな。茶髪の髪に、ピアス。化粧も濃い目。だけど、かわいらしい人だ。携帯を操作しながら、ちらちらと聖君を見ている。そして、ふうってため息をついた。


 聖君が美容院に来て、好きになっちゃって、そこの美容院やめることになって、でも、聖君にどうしても会いたくて、それで、ここまでやってきちゃった。って、そんな感じかな。っていうか、それしか考えられないか。


 聖君は私と菜摘に、スコーンと飲み物を持ってきた。

「お待たせ~~~」

 けっこう機嫌がいいようだ。

「母さんが特別に、アイスものっけてくれた」

「わあ、嬉しい」

 菜摘が喜んだ。


「なんか今日、お客少ないし、俺も休憩入っちゃおうかな」

「いるじゃない。お客さん」

 菜摘がそう言って、テーブル席のほうを見た。

「うん、だけど、一人だけだし、朱実ちゃんいるから、大丈夫かな」

 聖君はそう言うと、エプロンを外し、私の横に座った。


「いいの?」

 私が小声で聞くと、

「うん」

と聖君はにっこりと笑った。

 そっとテーブル席のほうを見た。あ、やっぱり、こっちを見てる。もしかすると、聖君と話をもっとしたかったんじゃない?それなのに聖君、カウンターに来ちゃってるし、エプロンまで外して、すっかり休憩モードだし。


 朱実さんが、

「聖君、コーヒーできた」

と聖君に向かって、声をかけたけど、聖君がエプロンを外しているのを見て、

「あれ?休憩に入るの?」

と聞いた。


「うん。ちょっと早いけど、入っちゃうよ。わりい、朱実ちゃん、それホールによろしくね」

 聖君はそう、朱実さんに言った。朱実さんは、トレイにコーヒーをのせ、テーブル席に運んだ。

「おまたせしました」

 朱実さんがそう言って、コーヒーを置くと、お客さんが何か朱実さんに話しかけた。

「ちょっとお待ちください」


 朱実さんはそのまま、聖君のところに来ると、

「榎本さんを呼んでくださいだって。聖君のことだよね?」

とぼそぼそって、聖君に話しかけた。

「え~~。休憩中って言って」

「休憩中だから、呼んだんじゃないの?」

「は~~~」


 聖君は重いため息をつき、席を立った。そして、てくてくとテーブル席に歩いていった。

「なんの話かな?」

 菜摘が興味津々って感じで、テーブル席のほうを見た。

「どう見ても、聖君を好きだよね、あの人」

 朱実さんも、小声でそう言った。


 その人は、小さな声で話をしていて、ちょっと内容はわからなかった。でも、時々、笑い声がしていた。

 それにしても、どうしてこうも、聖君目当ての人が次々に現れるんだろうか。聖君がもてるのは、今に始まったわけじゃないけど、こうも次々にやってくると、気が安まりゃしない。


「ほんと、兄貴はもてもてだね」

 私の心のうちが見えたかのようなことを、菜摘が言った。

「本当よね。桃子ちゃんも気が気じゃないわね」

 朱実さんはそう答えると、

「さ、仕事仕事」

とキッチンに戻っていった。


「は~。ほんとうだよ」

 私はつい、ぼやいてしまった。

「落ち着く日ってくるかな」

 私がそう言うと、菜摘は、

「結婚したことを知れば、少しは減るのかもね」

と、小声でそう言った。


 本当にそうだろうか。結婚してても、好きな人は好きでいるんじゃないだろうか。そんな不安が押し寄せてきた。

 ちらっと聖君を見た。あ、笑っているけど、ちょっと距離を置いている。そして、

「じゃ、ごゆっくりしていってください。俺、これから休憩で、ちょっと家の中ですることあるんで」

と言い、テーブル席を離れた。


 それから、カウンターに来て、

「桃子ちゃん、菜摘、食べ終わった?リビング行こう、リビング」

とそうささやくように言い、私のまだ飲んでいないホットミルクと、菜摘の紅茶も勝手に持って、さっさとリビングのほうに行ってしまった。


 


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