第56話 弱気
掃除も終わり、リビングで聖君とのんびりしていた。母は午後からエステのお客さんが来るらしく、客間で準備をしている。
ブルルル…。電話だ。テーブルに置いてあった、私の携帯が振動した。菜摘の名前が表示されている。
「もしもし、菜摘?」
「桃子~~~~。今、桃子の家?」
「うん」
「ねえ、今日にでもうちに来れないかな」
「え?いいよ」
「兄貴はいる?」
「うん、今も横にいるけど」
「兄貴は来れないよね?」
「11時から仕事だから、待って、今替わるね」
私は、聖君と電話を替わった。
「もしもし~~、菜摘?久しぶりじゃん、元気?」
聖君は、元気に電話に出た。
「え?元気じゃないの?腹でも壊した?夏バテ?」
あ~~あ、妹だからって、女の子になんつう質問を…。
「あ~~、そんなに怒るなよ。俺が昨日、腹、壊してたから。え?そうだよ。夏バテだ、きっと」
あはは。やっぱり怒られたんだ。
「ん~~~。もう大丈夫。元気になった。…今日は、10時にはこっちを出るかな。菜摘の家、寄ってもいいけど、今からすぐに行っても、1時間くらいしかいられないよ?」
時計を見ながら聖君が言った。そうだよね、もう9時になってるし。
「うん、わかった。今すぐに出るよ。ああ、大丈夫。今、桃子ちゃんとのんびりしてるところだったから」
聖君は「じゃ、あとで」と言って、電話を切った。
「菜摘、どうしたのかな。急用かな?」
「窮地だな」
「へ?」
「お母さんを説得してってさ。俺の話なら聞きそうだって。なんかやらかしたんだな、あれは」
「何かって?」
「多分、葉一がらみだろ?」
「…まさか、別れた」
「ちゃうだろ?お母さんを説得って言うんだから」
「け、結婚とか?」
「え?それもないだろ。まだ、菜摘、高校生だよ?」
「私もそうだよ」
「う…。桃子ちゃんの場合は、ほら、赤ちゃんが…」
え?まさか、菜摘も…とか?
聖君も今、同じことを思ったらしい。目を丸くして私を見ると、
「ちょ、早く菜摘の家に行こうか、桃子ちゃん」
と、慌ててソファーを立った。
「お母さん、菜摘の家に聖君と行ってくるね」
客間に声をかけた。
「あら、こんなに早くに?」
「うん、聖君お店に行く前に寄るって言うから。あ、私はちょっと遅くなるかもしれない」
「あまり遅くなるようなら、一回電話入れなさいよ」
「わかった~~」
聖君の車に乗り込み、菜摘の家に向かった。まさかね、まさか菜摘まで。
「メール来なかったのって、何か大変なことになってたからなのかな」
私は心配になって、聖君に言った。
「そうだな~。なんかあったのかな~~」
聖君も心配みたいだ。返事がちょっと、上の空っぽい。
すぐに菜摘の家についた。チャイムを押すと、すぐに菜摘がドアを開けた。
「桃子!兄貴!」
顔がかなり必死って顔をしている。やっぱり何かあったんだな。
「あがって!お母さん、桃子と兄貴が遊びに来てくれた」
私と聖君の腕をひっぱって、菜摘はリビングに入っていった。
「あら、桃子ちゃん、聖君、いらっしゃい」
「お、お邪魔します。すみません、突然」
私がそう言うと、聖君は、
「店、11時からなんで、その前に寄らせてもらいました。結婚パーテイにはわざわざ来てもらっちゃって、すみません」
とさわやかに言って、ぺこりとお辞儀もした。
「お店に行く前なのに、来てくれたの?どうせ、菜摘が呼んだんでしょ?」
菜摘のお母さん、わかっちゃってるんだな、そういうの。
「あ~、まあ、来てとは言われましたけど、お礼もちゃんとしてなかったし」
「ふふ…。聖君、桃子ちゃん、ソファーにかけて。今、冷たいお茶を持ってくるから」
「あ、いいです。俺のは…。桃子ちゃんにだけで」
「あら、喉渇いてなかった?」
「いえ、お腹の調子、今、よくなくて、冷たいものはちょっと」
「あらまあ、お腹壊したの?冷たいものの飲みすぎ?じゃ、あったかいお茶淹れてくるわよ」
「すみません」
菜摘のお母さんは、キッチンに行った。そのすきにという感じで、菜摘が小声で、
「ごめんね、桃子、兄貴。急に呼び出して」
と、私と聖君のほうに顔を向けて話し出した。
「説得って何を説得するの?」
聖君が聞いた。
「実は、葉君と二人きりで旅行に行ったのが、ばれちゃったの」
「え?」
「お母さんにだけなんだ。お父さんにはまだ、ばれてないの。だから、お父さんにお母さんが言う前に、二人にどうにか、お父さんには黙っててっていうのを説得してもらいたいの」
「お父さんにばれたら、やばいの?」
私は、こそこそと小声で、菜摘に聞いた。
「やばいなんてもんじゃないよ、きっと。付き合ってるのも反対されるかもしれない」
「お母さんは、二人で旅行に行ったの、怒ってないの?」
「怒ってるよ~~。お父さん、今出張中なの。あさって帰ってくるの。一昨日ばれて、お母さんがかんかんになって、お父さん帰ってきたら、報告しますって」
「あちゃ~~」
聖君が、頭を抱えた。あれ?どうして?いつも楽天家の聖君が。
「お父さん、すげえ菜摘のこと大事にしてるもんな。一人娘だしさ」
ああ、そっか。聖君は菜摘のお父さんのこと、よく知ってるもんな~。
「でしょ?兄貴も、お父さんに知れたらやばいって思うでしょ?」
「う~~ん、でもなあ」
「何か相談事?」
菜摘のお母さんが、お茶を持ってリビングに来た。
「あ、すみません、いただきます」
聖君がぺこって、頭を下げた。
「ありがとうございます」
私も頭を下げた。
「今、聖君は、桃子ちゃんの家にいるの?」
お母さんが聞いてきた。
「あ、はい。昨日まで桃子ちゃんが、うちのほうに泊まってたんですけど、昨日戻ってきて」
「あら、桃子ちゃん、聖君の家に泊まってたの?」
「はい。お店も手伝ったりしてて」
「まあ、そうなの」
お母さんはお盆をソファーの横にたてかけ、菜摘の横に座った。
「聖君を呼んだの、察しはつくわよ。旅行のことでしょ?」
お母さんのほうから、話し出した。そりゃ、そうだよね、それしか考えられないよね、きっと。
「兄貴」
菜摘が小声で、聖君にそう言って、口だけ、「お願い」と動かした。
「あ~~~、葉一と旅行に行ったっていうことですが」
聖君は、そこまで話したけど、言葉に詰まってしまった。
「そうよ。この子、親に内緒にして、旅行になんか行ってたのよ」
菜摘のお母さんが、すぐ隣に座っている菜摘を睨んだ。うわ。ちょっと怖い。
「だって、言ったら絶対に反対したでしょ?」
「当たり前でしょ!嫁入り前だし、まだあなた、高校生なのよ?わかってるの?そういうの」
「それ、あまり、桃子の前で言わないほうが」
菜摘が私のほうを見て言った。私は思い切り、体をすぼめて小さくなってしまっていた。
「あら、ごめんなさい、桃子ちゃん」
「いえ…」
菜摘のお母さんは、一瞬黙り込み、真面目な顔をして話し出した。
「でも、実はね。桃子ちゃんと聖君にはこんなこと言うの、悪いなって思ってるんだけど。あ、もちろん二人の結婚も祝福しているし、赤ちゃんのことも、おめでたいなって思ってはいるんだけど」
あ、何か思い切り、含んだ言い方だな。
「やっぱりね、高校生で、結婚は早いと思うし、お母さんになるのも早いと思うのよ。もし菜摘だったとしたら、賛成できたかどうか」
「…赤ちゃんをおろせっていうこと?」
菜摘が聞いた。
「違うわよ。そういうことを言いたいんじゃなくて」
「そういうことでしょ?!」
菜摘は、お母さんに向かって大声をあげた。
「菜摘、まあ、落ち着いて」
聖君が菜摘をなだめた。
「だ、だって」
菜摘は私のほうをチラッと見た。きっと私のことを考えて、怒ってくれたんだろうな。
「そうじゃなくて、お母さんはきっと、そうなることを事前に防ぐって言うのかな。そうならないように気をつけなさいって言いたいんだと思うよ?」
「そうなのよ、聖君の言うとおりよ。まだ高校生なんだし、赤ちゃんができるようなそんなことを、軽はずみにしてほしくないのよ。おろすとか産むとか以前の問題で、そうならないようにしてほしいのよ」
「…。だけど…」
菜摘は何を言っていいのか、わからない様子だ。
お母さんはかまわず、話を続けた。
「聖君のことを責めようともしてないんだけど、それに今、あれこれ言ってもしょうがないことだしね。でも、やっぱり、桃子ちゃんの将来は制限されちゃうでしょ?もちろん、聖君の将来だって。結婚をしたことも、赤ちゃんを産むことを決意したことも、すごくえらいと思うわよ?そうやって、聖君は責任をとるわけだし。だけど、もし赤ちゃんができていなかったら、まったく違う人生にもなるわけだし」
「あ、それはちょっと、反論しちゃってもいいっすか?俺」
聖君は黙って、菜摘のお母さんの言うことを聞いていたが、いきなり背筋を伸ばし、手をあげた。
「え?」
菜摘のお母さんは、きょとんとした顔をした。
「桃子ちゃんの将来も俺の将来も、制限なんてされません。それに俺、責任をとったっていうより、もともと桃子ちゃんとは結婚するって決めてたし、それが早まっただけです」
「…」
聖君のお母さんは、黙ったまま聖君を見ている。聖君の目は輝いてるし、声は澄んでいるし、お母さんは、何も言えなくなっているみたいだ。
「それに、赤ちゃんがもし今できなくても、俺、桃子ちゃんと家族を持ちたかったし、いつかそうなっていただろうし、まったく違う人生にはならないと思います」
「そ、そう…。じゃあ、聖君は、ちゃんと未来を考えてたってこと?」
菜摘のお母さんは、戸惑いながらそう聞いた。
「はい。決めてました。あ、俺、本当は沖縄の大学に行こうと思ってて」
聖君はあいかわらず、さわやかな顔つきだ。
「知ってるわ。うちに来てもそう言ってたし。でも、ぎりぎりでやめちゃったのよね?」
「はい。本当は何をしたいのかとか、未来、どうなっていたいのかとか、自分は何を一番に大事に思っているかとか、あれこれ考えて」
「それで?」
「今いる家族や、未来の家族を大事にしたいって、それが一番したいことだなって気がついて、それで沖縄に行くのはやめにしました」
「へ~~~~~~」
菜摘のお母さんは、思い切り感心している。
「聖君は、しっかりしてるのね~~~」
「そうですか?でも、家族がいて、俺がいて、初めていろんな夢を叶えていけるんだなって思ったし、俺、桃子ちゃんの隣が俺の居場所なんだって、そう思っただけです」
「そうだったんだ。兄貴」
菜摘も感心している。
「…、じゃあ認識が違ってたのね」
菜摘のお母さんがそう言った。
「お父さんもね、聖はちゃんと責任を取ってえらかったし、それを認めた聖のご両親はえらいなって、そんなことを言ってたの。でも、そういう受け取り方をしてたこっちが、間違ってたのね」
「はい。うちの両親も、桃子ちゃんのことは家族同様に思ってたし、結婚することも手放しに喜んでくれたし、赤ちゃんが生まれてくることも、めっちゃ喜んでくれてます。責任がとか、そういうことじゃなくて、普通に結婚して、出産して家族が増える、そんなことを家族、いやもう親戚中で喜んでるって感じです。」
「…そう」
「そういうの、この前の結婚パーティでも感じてもらえたかと思ったんですけど。うちの親戚みんな、すごく喜んでいましたよね?」
「そうね。みんな祝福して、いいパーティだったわよね…」
菜摘のお母さんは、しばらく黙り込んだ。それから小さくため息をした。
「だけど、聖君と葉一君とでは、違うし」
「どこが?」
菜摘は、お母さんの言葉にまた声を上げて聞き返した。
「どこが違うっていうの?」
菜摘は顔を赤くさせ、興奮している。
「菜摘」
聖君が、菜摘を呼んだ。その声で、菜摘は聖君のほうを向き、少し冷静になった。
「菜摘。俺と桃子ちゃんを呼び出さないで、葉一を呼ばなきゃ駄目じゃん。葉一は、今のこの状況知ってるの?」
菜摘は無言で首を横に振った。
「なんで言わないんだよ?一番に言う相手だろ?」
「でも…」
「あ~~あ。もう。俺を呼んでお母さんを説得するより何より、まず、葉一に相談することだろ?葉一がそれから、お母さんやお父さんと話しにくることであって、相談する相手を間違ってるよ」
「だって」
菜摘は下を向いてしまった。
「えっと、あと30分あるし、菜摘の部屋行って話そう。今、俺と桃子ちゃんがお母さんと話をしてても、意味ないよ。すみません、菜摘と部屋に行ってきます。あ、桃子ちゃんも来て」
聖君はそう言うと、菜摘の手を取って、階段をのぼりだした。
菜摘の部屋に3人で入った。
菜摘は、カーペットに座った。聖君は、菜摘の前に座り、私は聖君の横に座った。
「で、なんで葉一には言えないの?」
聖君が聞いた。
「今、仕事忙しい」
「でもさ、今の状況って、二人の未来にとっても、重要なことなんじゃねえの?葉一だって、相談してくれないほうが寂しいと思うよ」
「わかってる」
「じゃ、なんで言わないんだよ」
菜摘は黙り込んだ。
「私でも、言えないかも」
私は思わず、そう言ってしまった。
「え?」
聖君は私を見た。
「怖いもん」
「なんで?」
「信用してないとか、そういうことじゃなくて、ただ、反応が怖いんだよ」
「誰の?相手の?」
「うん」
「なんで?」
「だって、こういうのって、未来にかかわってくるでしょ?」
「二人の?そうだね。ちゃんと未来のことまで見ないとならない場面だろうね」
「それが怖い」
「どうして?」
「いろいろと悪いほうにも考えちゃうから」
「…桃子ちゃんもそうだったのか」
「うん。怖かったよ。ものすご~~く」
菜摘は黙って、私たちの会話を聞いていた。
「だけど、俺に話してどうだった?」
「楽になったし、聖君のこと信じていたらよかったって思ったし、それに、二人で乗り越えていくことなんだなって、そう思ったけど」
「でしょ?」
「うん。多分これからは、一番に聖君に相談するだろうけど…。けど…」
「けど、何?」
「菜摘にとっては、これがはじめて二人で乗り越えて行くことになるのかもしれないし、それにまだ、葉君との未来を二人で、話したり決めたりしてないのかもしれないし。だとしたら、怖いよ、やっぱり」
「桃子、そうなんだ。私と葉君、まだ未来のことなんて、話したことない」
菜摘がぽつりとそう言った。
「結婚のことも話したことない。ううん、兄貴と桃子が結婚した時、ちょっと話したけど、考えられないよね、俺らじゃまだってそう言われちゃったし、だから、何も考えてないのと一緒」
「じゃ、今が考える時じゃねえの?」
聖君がそう言った。
「考えてくれなかったら?」
「葉一が?あいつはそんなに、ちゃらんぽらんじゃないと思うけど。でも、考えてくれないようなら、そんとき俺にまた相談しろよ。俺の大事な妹のことなんだし、ちゃんと葉一に、考えるよう俺からも言うから。それでも、中途半端なことしてるなら、一発ぶんなぐることくらいするし」
「それはしなくてもいいけど…」
.菜摘が慌てて、そう言った。
「ん~~~。でも、もう少しあいつのこと信じてやってもいいんじゃねえの?」
「え?」
「結婚のことは今、考えられないって言っただけで、ずっと考えられないって言ったわけじゃないよ。あいつだって、働いて間もないし、給料も安いし、そりゃ、今すぐには考えられないだろうけど、この先、菜摘とずっと付き合っていくなら、考えていくようになるだろ?」
「でも、今じゃないよね」
「あ~~。もう、暗いな!だから、そういうのも全部、俺じゃなくて葉一に言え!心のままを素直に全部言っちまえよ」
「言えないよ」
「言ってもらいたいって、あいつも思ってるよ」
「葉君だって、言わないもん」
「え?」
「あまり心で思ってること、口にしないもん」
「だ~~~~~っ!」
聖君は頭を両手でぼりぼりって掻いた。相当じれちゃってるようだ。こんな聖君、めずらしいな。いつも私の前だと温和で、気が長いのに。
「もっとお互い、心開きなさい。恋人同士だろ?何まだ遠慮しあってるんだよ」
聖君が菜摘に、そう言った。
「でも」
「でももくそもないの!!!でもって言ってる暇があったら、メールでもしろよっ!」
わ~~。聖君、言葉も悪いし、命令口調だし。菜摘、傷つくかも。いや、怒り出す?
「わかった。今してみる」
あれれ?素直に聞いてるよ?
菜摘は、携帯を取り出し、メールをしようとして、
「でも、なんて書いたらいいかな」
と手が止まった。
「相談があるとか、聞いてほしいことがあるとか書けば?昼休み利用して、電話くれるんじゃねえの?」
「忙しいかも」
「忙しかったら、忙しいって返事が来るだろ?そんなことまで、あれこれ考えてたら、前に進むものも進めなくなるよっ」
「う、うん」
そうか。こうやって、菜摘にはトントン言ってあげたほうが、前に進みだすのか。
菜摘はメールをぽちぽちと打ち出した。言葉を相当選んでいるようだ。でも、それを見てて、わかるな~~って、私は菜摘の心のうちを感じていた。
私だって、聖君にあてるメール、考えながら打ってた。こんなの送ってどう思われるかなとか、嫌がらないかなとか、そりゃもうあれこれ考えちゃって。
それにしても、聖君って、やっぱり気が短かったのか。そういえば、麦さんの話を聞いてても、時々ぐるりと前を向かせて、背中をばんってたたきたくなるって言ってたっけね。
なぜかな~~。私にはないんだよな~~。私だって、相当ぐちぐち言ってたと思うんだけど。
「ほれ、書いたなら即送信。考えてたら、送れなくなるよ。そういうのは勢いで送らなくっちゃ」
「う、うん」
聖君にそう言われ、菜摘は送信をした。
「あ~~、送っちゃった」
「内容まで書かなかったんだろ?」
「うん、相談があるって書いただけ」
「それで、あんなにどう書くかまで、悩むわけ?」
「兄貴にはわからないよ」
「どうして?」
「だってさ、兄貴はいっつも桃子から好かれてるっていう、自信があったでしょう?嫌われたらどうしようかとか、ふられたらどうしようかとか、そういうの…。ああ、あるか」
「なんだよっ。そうだよ、あったよ、そんな時だって」
聖君がちょっと顔を赤くして、そう答えた。
「あ、あったの?」
私が驚いて、聖君に聞いてしまった。
「いいって、桃子ちゃん、そこはつっこまないで」
聖君にそう言われた。でも、私でなく、菜摘が反撃したかったのか、あれこれ聖君に言い出した。
「兄貴から直接聞いてないけど、葉君が一時、言ってたもん。聖のやつ、桃子ちゃんが離れていったらどうしようとか、自信ないとか、他のやつに取られたらどうしようとか、そんなことで悩んでる。だったら、沖縄行くのきっぱりやめりゃいいのにねって」
「あ~~い~~つ~~。菜摘に全部ばらしてたな。なんなんだよ、このカップル。人のことはあれこれ言ってる癖して、自分の心のうちを見せ合わない。人のことはほっといて、自分らのことをもっと話し合えよ」
聖君はそう言うと、頭をぼりって掻いて、
「もう昔の話だから。うん、相当昔の話」
と、私に笑って誤魔化した。
「うん。あとで、菜摘にもっと詳しく聞く」
「聞かなくてもいいから」
「じゃ、聖君から聞く」
「お、俺からっ?!」
「うん。ほら、素直に心のうちは見せ合わないとね?」
私がそう言うと、
「もう、昔の話じゃんかよ~~~」
聖君は、困り果てたって顔をしてそう叫んだ。それを見ている菜摘は、
「兄貴、本当に、桃子には弱いね。絶対に尻に敷かれるよね」
とちょっと、弱みを握ったぞって顔をしてそう言った。
その時、菜摘の携帯が振動した。
「あ。葉君から電話だ!今、かかってきちゃった」
と、菜摘は慌てふためいた。
「いいから、出たら?」
聖君が携帯を菜摘に渡した。
「も、もしもし。ごめんね、葉君」
菜摘の手がちょっと震えている。相当怖いんだな。
「う、うん。そうなの。相談があって。でも今仕事中でしょ?」
声もじゃっかん、震えてるかも。
「え?移動中?じゃ、もう切ろうか?」
菜摘、切りたいのかな?
「え?大丈夫なの?うん。…相談って言うのはね」
聖君も私も、黙って菜摘を見守っていた。
「お母さんにこの前、二人で行った旅行の写真を見られてばれちゃったの。ごめんね。私写メに撮ったのを、プリントアウトしちゃってて、それ、見られちゃって。問い詰められて、二人で行ってきたって、ばらしちゃったの」
そうか。それでばれたのか。
「ごめんなさい」
ああ、平謝りしてる。もしや、葉君怒ってるの?
「え?今日の帰りに?でも、うちに来ても、お母さん、家には入れてくれないかも」
聖君が、ぼそっと外で会えって小声で言った。そしてまた、
「それか、桃子ちゃんち」
とひそひそ声で言った。
でも、その声はしっかりと葉君に聞こえていたようだ。
「え?うん。そうなの。今、兄貴と桃子がうちに来てて。う、うん。相談に乗ってもらってた」
菜摘はそう言うと、しばらく黙り込み、
「う、ごめんなさい。これからはそうする」
とぼそって言った。何かな?
「桃子、家に行っても大丈夫?」
菜摘が受話器を耳からはなして、私に聞いてきた。
「うん。全然。あ、でも、夕方からでもいい?午後、友達と会う約束してるの」
「うん、葉君、来れるの6時過ぎになるだろうから、6時くらいに行く」
「うん。いいよ」
「いいって。桃子の家に来てもらってもいい?うん。じゃあ、あとでね。ごめんね、仕事中にメールしちゃって。うん。じゃあ、仕事頑張ってね」
菜摘は電話を切った。確かに、どことなくいつもの菜摘と違う。弱気というか、遠慮気味というか。
「怒られた?葉一に」
「うん。聖や桃子ちゃんに言う前に、俺に相談してって、そう言われた」
「でしょ?俺も、それ、よく桃子ちゃんに言ってる。桃子ちゃん、俺よりも桐太に相談したりするんだもん。あれ、けっこう傷つくんだよね。俺って、じゃ、何?みたいな」
「そうなの?桐太に相談しちゃってるの?」
菜摘が驚いて私に聞いた。
「う、だって、桐太、話しやすい…」
私がそう言うと、ますます聖君は肩を落とし、
「どうせね。俺は話づらいでしょうよ~~」
とへそを曲げてしまった。
「ち、違うの。もう聖君に一番に言う。言うから、ね?」
「なんだ~~。桃子と兄貴だって、私らと同じようなもんじゃない」
「うっせ~~。一緒にするな。こっちはもう、夫婦だぞ。一緒に住んでるんだぞ」
あ~~あ。小学生の男の子みたいだよ、聖君。
「じゃ、そろそろ店行くよ。桃子ちゃんはどうする?俺、桃子ちゃんちまで送るくらいの時間ならあるよ」
「でも、菜摘ともうちょっと話がしたいから」
「わかった。じゃ、またな、菜摘。もし葉一ともめたら、俺に相談しろよ。俺、今桃子ちゃんの家にいるし、すぐにこうやってまた、来れると思うから」
「うん、ありがとう」
聖君を見送りに、下まで二人で下りた。菜摘のお母さんも玄関に出てきて、
「わざわざ、ごめんね、聖君。くるみにもまた、お店に行くからって言っておいて」
とそう言って、送り出した。
「桃子ちゃんはいいの?おうちに帰らなくても」
「はい。あ、このまま2時までいてもいいですか?駅前で2時に、友達と約束してるから」
「いいわよ。じゃ、お昼作るから、それまで菜摘の部屋にいる?」
「はい」
私は菜摘と2階の菜摘の部屋に行った。菜摘はかなり、ほっとした顔つきになり、
「あ~~。良かった。一人で本当にどうしようかって、ドキドキしてたの」
とそう言って、しゃがみこんだ。
「大丈夫だよ。葉君がついてるし、聖君だってついてるし。鬼に金棒だよ。あれ?たとえが変かな?」
「ううん。変じゃない、変じゃない。それに桃子もいてくれるしね。本当に私、救われたよ~~」
そう言いながら、菜摘は私に抱きついてきた。ああ、こういうところが聖君に似てるよ、と言いそうになったけど、言うのはやめておいた。聖君が実は甘えん坊で、いつもこうやって甘えてくるのなんて言ったら、聖君はばらしたなって、あとで怒りそうだもん。いや、怒らないで、へこみそうだよね。
いつも私のことになると、強気の菜摘。自分のことだと弱くなる。やっぱり、みんなそうだよね。自分の恋には、弱くなるよね。
抱きついてきた菜摘がまるで、聖君みたいに可愛く思えて、私は思わずぎゅって抱きしめ返していた。