第54話 元気がない
部屋に行き、聖君の髪を乾かしてあげた。
「もう横になって休む?聖君」
「う~~ん、大丈夫そう。凪に日記書くよ」
「あ!今日撮ったのをプリントアウトしたかった」
「下のパソコン貸してもらおうか」
「うん」
聖君と一階に下りて、写真をプリントアウトした。
「なんの写真?」
夕飯の準備をしている母が、聞いてきた。
「今日、ベビー用品の売り場を見てきたの。それで、おもちゃを選んでる聖君の写真を撮ったんだ」
「へ~~、それ、どうするの?」
「日記に貼るの。あれ?お母さんに日記の話してなかったっけ?」
母にまだ、日記のことを言ってないことを思い出し、私はキッチンで夕飯の支度をしている母の横で説明をした。
「素敵ね~~。ね、お母さんやお父さんや、ひまわりのことも日記に書く?」
「うん。書くよ」
「じゃ、今度写真も撮って貼ってね」
「うん」
聖君は、ずっと静かだった。
「聖君、2階に行って、日記に貼ろう」
「あ、うん」
聖君とまた、部屋に行った。聖君は日記に、自分の写真を貼って、
「こんなの凪、喜ぶのかな~~」
と、つぶやいた。
「喜ぶよ。パパが自分のおもちゃを、真剣に選んでるんだよ?絶対に嬉しいよ」
「そうかな~~」
聖君はそう言ってから、ドスンとベッドに横になった。
「大丈夫?」
「うん」
「でも、ちょっと疲れてるでしょ?」
「う~~ん、そういうわけじゃないけど、どうして?」
「いつもと違うもん」
「俺?」
「うん、下であまり話さなかったし」
「ごめん、そうだった?」
「あ、いいの。気を使ったり、無理をしたりしないでね。話したりしたくない時は、部屋に来ちゃっていいから」
「うん、ごめんね」
聖君はうつぶせになり、こっちを見た。
「桃子ちゃんといる分には、全然平気。すげえ、安心していられて話せるし、いつもの自分に戻れたかなって思えるんだけど」
「うん?」
「やっぱ、ちょっと駄目だった。お母さんと話せるほど元気なかったや。ごめんね」
「謝らないでもいいよ。お母さんだってわかってるよ」
「うん」
聖君は、ベッドにうつぶせたまま、ずっと私を見ている。私はクッションに座り、編み物をまた始めた。
「なんかいいね」
「え?何が?」
「桃子ちゃんの編み物をしてる姿。お母さんって感じがする」
「もう?そんなふうに見えてる?」
「うん」
そうなんだ。
「見てるだけで、ほわってする。すげえ幸せだなって思える」
「私も、こうやって赤ちゃんのものを編んでると、すごい幸せを感じるよ」
「やっぱり?」
「うん」
「幸せって顔してるもん」
「私?」
「うん」
聖君はにこにこしながら、私を見ている。
「そういえば、菜摘、最近店に来なかったね」
「うん、それにあまりメールも来てなかった」
「そうだな。俺のところにも、全然よこしてこないな。前はしょっちゅうメールきてたのにな。もしかして俺らに遠慮でもしてるのかな」
「葉君からは?」
「あ、葉一もくれないや。基樹からは来た。海に行こうとか、あれこれ来るんだけど、バイトだから行けないってそう返事してた」
「基樹君、それで怒ってなかった?」
「うん、別に。あいつもバイトはしてたみたいだし。ただ、合コン行きまくってたのに、彼女はできないって嘆いてたな~~。海での出会いを期待してたみたいだよ」
「バイトは何をしてたの?」
「女の子との出会いを期待して、ファミレス。でも、そこのファミレス、主婦のパートばっかりなんだってさ。主婦層に人気はあるみたいだけどね」
「基樹君が?」
「うん。それも嘆いてた」
そっか~。まだ彼女できないのか。
「蘭のこと、まだ引きずってるってことはないよね?」
「ああ、あるかもな~」
聖君はしばらく黙ると、なぜか足をぱたぱたさせた。
「どうしたの?」
「え?何が?」
「足、今、動かしてた。運動?」
「ううん。別に」
「?」
「桃子ちゃんといて、嬉しいからかな」
「ええ?クロの尻尾みたいだね」
「あ、そうかも!」
聖君は、ごろんと今度は仰向けになった。
「桃子ちゃんちでも、まさかお風呂一緒に入れるようになるなんて、思ってもみなかったな」
「本当だよね」
「お母さん、寛大だよね」
「…お父さんはなんて言うかな」
「大丈夫。父さんからもらった、酒でつるから」
「え~~」
「駄目かな」
「わかんないけど。一緒に釣りに行くって言えば、上機嫌になるかも」
「あはは、そっか。でも、また俺も行きたいな、釣り」
こう見るといつもの聖君なんだけどな。母の前では、すごく静かになっちゃってた。いつもなら、あはははって母と大笑いをして、家全体を明るくさせちゃうのにな。
トントン。
「桃子、ご飯持ってきたわよ」
ノックとともに、母の声がドアの外から聞こえた。
「あ、ありがとう」
私はドアを開けた。母がお盆をテーブルに置き、
「聖君、どう?体の具合」
と聞いた。
「あ、はい。もう、なんとか…」
聖君は、ベッドに座って、作り笑いをしている。
「そう、良かったわね。じゃ、桃子、食べ終わったら片付けに来てね」
「うん」
母が部屋を出て、階段を下りていくと、また聖君はベッドに横になった。母が来たから、わざわざ、ベッドに座ったのか。
「そんなに気を使わなくてもいいのに」
「え?」
「お母さんに」
「ああ、うん」
聖君は頭をぼりって掻いた。それから、私のご飯を覗き込むと、
「美味しそうだね。コロッケ?」
と聞いてきた。
「食べる?」
「う~~~~。食べたい。でも、揚げ物だし、やめとく」
「だよね」
聖君は、本当に羨ましそうに私を見ている。
「私、やっぱりここで食べないほうが良かったかな」
「あ、いいよ。食べて食べて。俺、桃子ちゃんが食べてるところ、見てるから」
「そんな見られたりしたら、食べられないよ」
「なんで?桃子ちゃん、よく俺のこと見てるじゃん。さっき、俺がお粥食べてる時も」
「だって、美味しそうに食べるから、つい、可愛いな~~って思って」
「俺も可愛いな~~って思って、見てるだけだよ?」
「恥ずかしいよ」
「なんでだよ」
「う~~~」
私は、抵抗しつつ、食べだした。
「桃子ちゃん」
「え?」
「高校、卒業できたらいいね」
「…そうしたら、聖君とずっといられなくなるよ」
「そうだけどさ。やっぱり、高校生活、最後まで送ってもらいたいななんて、思っちゃって。って、俺、身勝手かな」
「ううん」
「俺は、これからずっとずっと、桃子ちゃんといられるわけじゃん?でも、桃子ちゃんの高校生活は今しかないんだし、友達と過ごすのもあと半年しかないんだしさ」
「…」
「ごめん、湿っぽくなってるね、ご飯食べてるのに。コロッケ美味しい?」
「うん。美味しい」
「やっぱり、一口もらおうかな~~」
「じゃがいものところだけ食べる?」
「うん!」
聖君はベッドからおりると、私の前に座って、あ~んって口を開けた。え?私が食べさせるってことかな…。
私はじゃがいものところを箸でつまんで、聖君の口に入れた。
きゃわ~~~。聖君に食べさせてあげちゃった。これって、新婚さんみたい~~。って、新婚だった。
「うん、うまい」
聖君は目を細めて喜んだ。可愛いな~~。
「でへ」
「え?」
「あ~~んっていうの、やってもらいたかったんだよね~~」
そうなんだ。ああ、顔がにやけまくってるよ~~。
「今も、でへって言ってた」
「俺?」
「うん」
「あ~~、やべえ、無意識ってのがやばい。でへってのが、口癖になってたらどうしよう~~」
「大丈夫だよ。他の女の子の前じゃ、にやついたりしないでしょ?」
「え?ああ、まあね」
「聖君さ~」
「うん」
「うちでもしかして、気を使ってた?」
「え?なんで?」
「さっき、お母さんが来た時に思ったの。うちで、明るく振舞ってくれてたんじゃないの?」
「いや、そんなつもりはないけど」
「ほんと?無理してなかった?」
「…俺、いつもの元気な俺なら、いくらでも明るくできるし、だから、それが無理してるって自分では思ったこともないし」
「うん」
「でも、体調崩すと、ちょっとその元気がから元気になるからさ、笑うのも作り笑いになったり」
あ、さっきもそうだったっけ。
「そういうのを見せるのが、悪いなって、そんなことは思ってるかな」
「じゃ、作り笑いをして見せたり、から元気にならないでもいいのに」
「うん、そうだよね。でも、これも無意識にしてるかな。自分でもわかってるんだ。だから、すごく疲れちゃうんだよね。店とかでは特にさ、具合が悪いからって、不機嫌ではいられないし、笑顔でいないとならないからさ」
「そっか…」
それで、明るく振舞うのが癖になっちゃってるのかな。
「でも、桃子ちゃんの前では、無理してないよ。俺、さっきから作り笑いもしてないでしょ?」
「うん。すごく自然」
「桃子ちゃんの前だと、無理しないでも元気になれたり、明るくなれるし、もし、笑えなくても、桃子ちゅわんって、甘えられるし、たまに泣き言も言ってるしね」
「そうだね。他で無理しちゃってる分、私の前では自然体でいてね。無理して笑わなくてもいいし、泣き言も言っていいし、甘えてもいいから」
「もうそうしてます、俺」
聖君はそう言うと、私の後ろから抱きついてきた。
「これだと、食べづらい?」
「うん、ちょっと」
「じゃ、少しだけ」
聖君は私を抱きしめると、すぐに離れて、またベッドにゴロンと転がった。
「俺、やっぱり幸せ者」
聖君は、ぼそって小さな声でつぶやいた。独り言のように。そしてまた、うつ伏せになり、足をぱたぱたと動かしていた。
トントン。
「はい?」
「お兄ちゃん、いる?」
あ、ひまわりだ。帰ってきたのか。
「聖君、開けてもいい?」
「うん」
私はドアを開けた。
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
「ひまわりちゃんも、お帰りなさい」
聖君はまだ、ベッドで横になっていた。あ、ひまわりだとそんなに、気を使わないのかな。
「お母さんが、お兄ちゃん、具合悪いって聞いて」
「うん。腹壊しちゃった。多分夏バテ。で、横になってるんだ」
「まだ、つらいの?」
「だいぶ良くなったけど。横になってるほうが楽だから」
「そっか。じゃ、今日はやめとく」
「え?何が?」
聖君が不思議そうに聞いた。
「んとね、もうすぐカンちゃんの誕生日で、何を買ったらいいかわからなくって、お兄ちゃんに相談しようと思ってたんだ」
「あ、なるほどね。うん、いいよ。明日でいい?明日ならもっと、元気になってると思うから」
「うん。じゃ、明日ね。おやすみなさい」
「おやすみ、ひまわりちゃん」
ひまわりはそう言って、バタンとドアを閉めた。
「ひまわり、私にはな~~んにも、声かけてくれなかったよ。やっぱり私のことは、どうでもいいんだよ」
「へ?」
「いてもいなくてもさ~~」
「あはは。そんなことないよ。桃子ちゃん、へそ曲げちゃったの?」
「そうじゃないけど」
なんとなく、寂しいな~~。
「プレゼントで悩むなんて、可愛いよね」
「…」
私だって、悩んだりしたもん。
「でも、好きな子にだったら、なんでも嬉しいよね」
「…」
「あれ?なんで無言になってるの?」
聖君がベッドの端まで来て、私の顔を覗き込んだ。
「聖君も、喜んだ?」
「え?好きな子からの?」
「うん」
「…。俺、好きな子からのプレゼントって、桃子ちゃんからのだけだよ」
「え?」
「ちゃんと付き合ったのだって、桃子ちゃんだけだし」
「じゃ、私からのプレゼント、嬉しかった?」
「はあ~~?何を言ってくれちゃってるの?あったりまえじゃん」
「…」
私は黙って、聖君を見た。
「え?え?俺が喜んでないとでも思ってるの?全部、大事にとってあるし、ちゃんと使ってたし。でしょ?冬、手袋もマフラーも、帽子もセーターも、俺ちゃんと使ってた」
聖君はちょっと、慌てていた。
「うん、使ってくれてた」
「…もう、なんでそんなこと聞くかな」
聖君は頭をぼりって掻いた。
「そんなこと言うならさ、桃子ちゃんはどうなんだよ。俺、ちょっと気にしてたんだよ、実は」
「何が?」
「ネックレスも、指輪もしてくれないんだもん」
「お出かけの時、ネックレスはするよ。指輪は…」
「うん?」
「指、太くなっちゃって、入らなくなっちゃったんだもん」
「え?うそ」
「むくんだのかな~。お母さんに聞いたんだ。そうしたら、妊娠してるからだろうって。きっと産まれたら、戻るんじゃないって」
「そうなんだ」
「ごめんね?本当はしていたいんだけど」
「え?いいよ。それはいいけど。結婚指輪、買わないとね」
「いいよ、それはいつでも」
「よくないよ。指輪買うために、バイト代だって貯めてるし」
「え?そうなの?」
知らなかった。
「うん、だから、結婚式にまでは間に合うと思うんだけど」
「式?」
「産まれたら、挙げるでしょ?すぐだと桃子ちゃんが大変だから、生まれて、半年位したら大丈夫かな?」
「…」
「何?何?なんで、うるうるしてるの?」
「嬉しいなって思って」
「…」
聖君はベッドからおりてきて、また私のことを後ろから抱きしめた。
「もう!桃子ちゃん、可愛いんだから」
「…聖君」
「ん?」
「絶対、紋付袴もタキシードも着てね」
「…。それ思って今、感動してた?」
「うん。聖君の紋付袴も、タキシードも見れるんだって思って、じ~~んってなってた」
「あ、あ、そう…」
聖君は抱きついてた手を離して、頭をぼりって掻くと、
「ま、その心境、わからなくもないけどさ。俺も、桃子ちゃんの白無垢も、ウエディングドレスも見たいから」
とぼそって言った。
私は食べたものを片付けに行き、それから、お風呂に入った。出てくると父が、ダイニングで夕飯を食べていた。
「桃子、お帰り」
「うん、ただいま」
「聖君は具合が悪いんだって?」
「うん。夏バテみたい」
「そうか。今、部屋で休んでいるのかい?」
「うん。あ、そういえば、聖君のお父さんから、お酒もらってるの。リビングにあったはず」
私はリビングに置いてある紙袋を持って、父に渡した。
「あ~~、これはいいお酒じゃないか」
「そうなの?」
「そうだよ。なかなかの高級品だ。お礼を言わないとな」
「またお店にも来てくださいって」
「そうか~~」
「あら、美味しそうね。早速今日、飲みますか?お父さん」
母が、お茶を持ってダイニングに来て、そう聞いた。母はどうやら、ひまわりと夕飯を済ませたようだった。
「今日はやめておくよ。聖君とゆっくり話しながら、一杯飲みたいしね」
「聖君はお酒、まだ飲めないよ」
「聖君は、お茶かな」
「じゃ、酔っ払いの相手をするってことでしょ?可愛いそうだよ」
「ええ?なんだい、桃子。言うようになったな~~。はっはっは」
あれ、お酒飲んでないのに、上機嫌だ。
「聖君に、ゆっくり休むように言ってくれ。お父さんが顔を出したりすると、きっと気を使うだろうから、お父さんは今日は、聖君には会わないでおくよ」
「うん」
そっか。父は、聖君はいつも気を使ってたこと、知ってるんだな。
「気を使わなくてもいいのにね。本当の親みたいに思ってくれても」
母がそう言うと、
「まあ、いきなりは無理だろう。暮らしていくうちに、そうなってくるさ」
と父は、お茶をすすりながら、そう言った。
私は2階に上がった。部屋に入ると、ベッドに寝転がってる聖君が、私の枕を抱きしめながら、
「桃子ちゅわん、遅い…」
と、私を見て甘えた声を出した。ほんと、クロみたいだな。
「お父さんが帰ってきてた」
「え?本当?俺、挨拶いったほうがいいよね?」
「ううん。部屋でゆっくりと休んでって。あ、それから、聖君のお父さんからもらったお酒、渡しておいたよ。すごい高級なお酒だって、喜んでた」
「そうなんだ。酒のこと詳しくないから、わからなかった」
「そりゃ、詳しかったらびっくりだよ」
「それもそうか」
私は髪を乾かそうと、ドライヤーのスイッチを入れると、
「俺が乾かすよ。ここに座って」
とベッドの上に座って、自分の横を指差した。
「いいの?」
「うん」
私は聖君の隣に座った。聖君は、髪を乾かし始めた。嬉しいな。聖君に髪を乾かしてもらうの、大好きなんだ。
すごく上手だから、きっと美容師にだってなれるよ。あ、でも他の女の人の髪を洗ったり、乾かしてあげるんじゃ、ちょっと嫌だな。
髪が乾くと、聖君はさっさとドライヤーとブラシを片付けて、それから私の横にまた座ると、むぎゅって抱きしめてきた。
「桃子ちゃん、明日はなるべく早くに帰ってくるからね」
「うん」
聖君とベッドに横になった。私は聖君の胸に顔をうずめた。聖君は私に抱きつき、
「ごめん、もう寝るね。おやすみ」
と言って、私の髪にキスをして、少しすると寝息を立てた。
もしかして、かなり調子悪かったのかな。まだ10時なのに、ぐーすか寝ちゃった。さっきも1時間半寝ていたというのに。
私は聖君の顔を見た。顔色も悪くないし、寝息もいつもと変わらない。ただ、疲れてるだけかな。夏の疲れが出ちゃったのかな。
「おやすみなさい」
そっとささやき、聖君にキスをした。聖君の寝顔は、あいかわらず、無防備で可愛かった。