第53話 「いい旦那さん」
聖君は、そのまま1時間以上寝ている。私はそっと起きだして、クッションに座り、赤ちゃんの編み物の続きをしていた。
「ん~~」
と、時々聖君は寝返りをうった。まだ、お腹痛いのかな。ちょっと苦しそうな声だな…。
聖君のことを見た。大きな背中を丸めて寝ている聖君が、小さく見える。
こんなふうに、体調を崩す時も、これからもあるんだよね。一緒に暮らすのって、いつも元気な聖君を見てるだけじゃなくなるんだな。
凪も生まれるし、私もっともっと、強くなろう。なぜだかわからないけど、そんなことを思っていた。
人って、愛してくれる人ができると甘えたり、いつも一緒にいたりして、弱くなったりもするけど、大事な人を守ろうと思えば、強くもなれるんだね。
私はまた、編み物を始めた。
高校はどうなるのか、さっき不安にもなったけど、大丈夫。何が起きたって、聖君がいてくれるし。それに何より私は凪を守る。無事に元気な凪を産む。それだけは絶対に、貫くから。そう思いながらお腹をさすった。
ブルル…。携帯がなった。開けてみると、咲ちゃんだった。
>こんにちは。早速メールしちゃいました。今度会って、また話を聞かせてください。桃子ちゃん、夏休みの間にはもう、時間取れないかな?
あ、そっか~。いろいろと話を聞かせてって言われてたんだっけ。
>多分、大丈夫だと思う。また明日、メールします。
そう書いて返信した。
明日にはもう、聖君の具合もどうか、わかるだろうし。元気になっていたら、咲ちゃんに会いに行っても、大丈夫かな。
携帯をテーブルに置こうとして、床に落ちてしまった。あ、聖君、今の音で起きなかったかな。聖君を見ると、よく寝ている。良かった。
なんとなく私は携帯を手にして、昔の着信を見てみた。
聖君からのメールは保存されている。それを読み返すと、ああ、こんなにも嬉しい言葉を、聖君はくれてたんだって、じ~~んって感動してしまった。
今、読み返すと、聖君はこの頃も今も変わらず、私を大事に思ってくれてたのがわかる。だけど、最初の頃、私、それを信じられなかったんだよな。
信じられない。私のことを聖君が好きだなんてって、自分に自信が持てなくて、いっつもいじいじしてた。
出会った当初なんて、聖君に絶対に好きになってもらえないって勝手に思い込んで、地球の裏側まで落ち込んで行っちゃってたしな。
でも、裏側行ったら、明るいブラジルに出るだけだったか。
なんてあほなこと思えるくらい、私も聖君みたいに、楽天家になれたってことかな。うん。やっぱり聖君はお日様で、私にいっぱい光を当ててくれたんだね。
「桃子ちゃん」
聖君の声が聞こえた。
「聖君、起きた?」
ベッドを覗き込み、私は聖君を見た。あ、もう顔色もいいし、元気そうだ。
「夢見てた~~」
「なんの?」
「変な夢…」
「どんな夢?」
「…桃子ちゃんが、海の家に来て」
「うん」
「俺が一目惚れしてる夢」
「へ?」
「桃子ちゃんがさ、かき氷を注文して、にこって笑うと、ほわんってその場が一気にあったかくなって、俺、一気に桃子ちゃんに恋に落ちちゃうんだよ」
「それで?」
「それで、俺、どうしたら名前がわかるかなとか、いろいろと考えてると、菜摘や蘭ちゃんが来て、桃子って呼んでて、名前を知ることができて」
「うん」
「でさ、蘭ちゃんが基樹に、一緒に泳ごうって言って、休憩時間に6人で泳ぎに行くんだ。でも、桃子ちゃんは泳げないって言うから、俺、泳ぎを教えてあげて仲良くなるチャンスだって思って、一生懸命に誘うんだけど、桃子ちゃん、かたくなに断るんだ」
う~~ん、本当にそんなことがあったとしても、断りそうだな。だって、泳げないの恥ずかしいし、教えてもらうのも恥ずかしいし。
「そんで、俺、めっちゃ落ち込んでるの」
「どうして?」
「嫌われてるのかもとか思っちゃって。それに桃子ちゃん、俺だと話しにくそうにしてるのに、葉一とは、普通に話してて、それ見ても俺、ショック受けてて」
「うひゃ~~、なんだかありえないような夢だよね」
「なんで?」
「だって、その夢、まったく立場が逆だもん」
「うん。そうだよ。もし、俺のほうが一目惚れしてたら、そんなことになってたんだよ、きっと」
「え~~~。聖君が落ち込むの?」
「そりゃ、好きな子に嫌われてるかもって思ったら、落ち込むでしょう」
「そっか」
「まだ続きがあるんだ」
「夢の?」
「うん」
1時間半くらいで、そんなに長い夢を見てたの?
「桃子ちゃんが泳ぎに行かないならって、俺、桃子ちゃんと荷物番することにして、一緒に浜辺に残ったんだ」
「うん」
「それで、ドキドキしちゃって何も話せなくて、ただ隣にいるだけなんだけど、なんだか心はほわってして、すごく安心してるんだよね」
「…」
それ、私が聖君の隣にいて、感じてたことかも。
「桃子ちゃんのほうを見ると、まっすぐ前を見てるんだけど、時々ちらって俺を見て、顔を赤くしたりしてて」
「夢の中での私も、聖君を好きなんだね?」
「うん」
聖君はにっこりと笑った。
「それ見て、ますます俺、桃子ちゃん、可愛い~~って思ってて、ドキドキしてて、テレまくってて」
「…」
その聖君、見てみたかったな。
「すごい勇気出して、桃子ちゃんに話しかけるんだ。どこに住んでるの?とか、兄弟は?とか。でも、聞く前に答えを知ってて、すごく不思議で」
「え?」
「俺、桃子ちゃんのこと、なんでも知ってるの。それで、すげえ不思議がってると、桃子ちゃんがにこって笑って言うんだ」
「なんて?」
「だって、聖君は私の旦那様だからって」
「ひょえ~~、そんなこと私、言ったの?」
「うん。俺、え~~~!!!って驚いたんだけど、あ、そうだった。桃子ちゃんとはもう、結婚したんだったって思い出すっていう、ね?変な夢でしょ?」
「うん」
私は聖君の横に寝そべって、聖君の胸に顔をうずめた。
「もう、聖君、元気になった?」
「うん。もうしっかりと」
「夕飯はどうする?」
「う~~ん、なんか食えそうな気もするけど、どうしようかな」
「私、お粥作るよ。なんのお粥がいい?」
「お粥?桃子ちゃんの作るお粥?」
「あ、お粥嫌い?」
「ううん。すげえ、嬉しい」
わ、本当に顔が喜んじゃってるよ。
「なんのお粥でもいい」
「うん、わかった。じゃ、あとで作って持ってくるね」
「うん!」
聖君、なんだか小学生くらいの男の子に見えてきた。
「桃子ちゅわん」
「うん?」
「やべ~~~」
「え?」
「俺、幸せ」
「…」
お粥がそんなに嬉しかったかな。
6時になり、私はお粥を作りにキッチンに行った。聖君は、もうかなり元気になっていたけど、下に来て、母と話したりする元気はないようだった。やっぱり、気を使っちゃうのかもしれないな。
「聖君のお粥?」
母が聞いてきた。
「うん」
「聖君、まだ寝てるの?」
「ううん、起きてるけど、ごろごろしてるよ」
「そう」
「だいぶ良くなってきたみたい。お粥なら食べられそうだって」
「良かったわね」
「うん」
私はお粥を作ると、お盆にのせ、2階に上がった。部屋に入ると、聖君は、私の本棚にあった漫画を読んでいた。思い切り、少女漫画だ。
「すごいね、少女漫画って」
「そう?」
私はテーブルにお粥を置いた。
「うわ~~、すげえ美味そう」
聖君の目が輝いた。これなら、もうなんでも食べられるんじゃないかな~。
「いただきま~す」
「熱いから気をつけて」
「うん」
聖君はふうふうしながら、ぱくって一口食べ、目を細めてうまいって喜んだ。あ~~、それ、その表情がめちゃくちゃ可愛い。
「桃子ちゃん、絶対にいいお母さんになるよね」
「そうかな」
「俺が保証する」
「ありがとう」
なんか照れちゃう。
「…」
聖君はじっと私のことを見て、
「それから、いい奥さんにもなってるよね」
とにこって笑った。
「私が?どこが?家事も何にもしてないよ。聖君のほうこそ、いい旦那さんになってるよ」
「俺?ほんと?」
「うん」
私は思い切り、うなづいた。
「でへへ」
あれ?にやけた。
「そっか~~。いい旦那さんなんだ、俺」
わ、すごく嬉しそうだ。
「あ、ねえ聖君。今、でへへって笑ったよ」
「うそ、いつ?」
「だから、今…」
「え~~~!気づかなかった」
まったくの無意識なんだ。面白いな~~。
食べ終わると聖君は、満足そうにごちそうさまでしたと言って、また、漫画を読み出した。
「すごいね、この漫画」
「え?そうかな」
「なんか、ぐちゃぐちゃしてるし」
「ぐちゃぐちゃ?」
「こっちの人が好きかと思ったら、今度はこっちとか」
「ああ、三角関係どころか、四角関係くらいになってるもんね」
「…でも、俺らも最初は、複雑だったか」
「う~~ん、そうだよね。知恵の輪みたいに絡み合ってるなって、私思ったことあるもの」
「知恵の輪?」
「だって、聖君の好きな人は実の妹で、聖君の親友も、その子が好きで、その子は実の兄が好きで、その子の親友も聖君が好きで」
「…う~~ん、そういう言い方されられると、すげえややこしい」
「そうだよね」
「でももっと、簡単に言えば、俺と菜摘は、ちゃんと仲のいい兄妹になって、兄のほうは自分を好きでいてくれた子と結婚して、妹のほうも、自分を好きでいてくれたやつと付き合ってる。ね?全然絡み合ってないよ」
「そうだね」
すごいな。簡潔にまとめてくれちゃった。
「桃子ちゃんはご飯食べたの?」
「まだ」
「じゃ、食べてくる?」
「できたらここに、持ってきてくれるって」
「下で食べないの?」
「うん」
「でも、せっかく久々に帰ってきたんだから、みんなと食べたら?」
「聖君が寂しがるから」
「…」
聖君は目をふせてから、
「うん、まあ、そうなんだけどさ」
とテレながら、そう言った。
「聖君、お腹は大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「良かった。あ、そうだ。咲ちゃんが会って、話がしたいってメールがきてて、明日かあさってにでも会おうかなって思ってるんだ」
「咲ちゃんって?」
「あの漫画家の」
「あ~~、恋するカフェだっけ?」
「うん。会ってもいいかな?」
「え?もちろん、いいよ。なんで俺に聞くの?」
「聖君、明日とか、大丈夫かなって思って」
「体調のこと?」
「うん」
「ああ、もう平気。店のバイトもあるし、食うもんには気をつけるけど、大丈夫だよ。会っておいでよ」
「うん」
「あ、でも、あまり俺のことべらべら話さないでね」
「え?う、うん」
それを聞きにくると思うんだけどな。
トントン。
ノックの音?母かな。
「聖君、体調良かったら、お風呂入る?」
母がドアの外から聞いてきた。
「あ~~、はい。入っちゃいます。すみません」
聖君は、自分の荷物を開け、下着と着替えを出した。
「俺、風呂入っちゃうから、桃子ちゃん、もし今ご飯食べるなら、お母さんと食べてていいからね」
と言って、一階に下りていった。
私もすぐに、聖君の食べた食器を持って、一階に下りた。夕飯の準備はまだできてなくて、父の帰りにあわせて、作っているようだ。
「手伝おうか?」
母に言うと、
「いいわよ。それより、もうちょっとかかるけど、桃子は、ご飯まだあとでもいいの?」
と、逆に聞かれてしまった。
「うん、いいよ。そんなにお腹すいてないし」
「8時でもいい?そのくらいに、お父さんもひまわりも帰ってくるから」
「うん、いいよ」
「聖君、お粥全部食べたみたいね。良かったわね。さっき見たら、顔色も良くなってたし」
「うん。本当に良かった。元気のない聖君ってあまり見たことないし、どうしようかと思っちゃった」
「そうよね~。いっつも元気だものね」
母は、ふかしたじゃがいもをつぶし始めた。どうやら、今日はコロッケのようだ。聖君、好きなんだよね。食べられなくて、残念がるかな。
私は聖君が出てくるまで、リビングでテレビを観ていた。すると、聖君が、体から湯気を出しながらやってきた。
「あ~~~、いい湯だった」
顔もピンク色だ。
「どうだった?お風呂平気だった?」
「うん…」
と言うわりには、元気がない。
聖君は私の横にぺとって座ってきて、
「桃子ちゃんと一緒に入れないんだもん。寂しかったよ」
とすごく小さな声で、そう言った。
「あ、そっか」
そうだよね。ずっと一緒に入ってたんだもんね。
「そうか、寂しいな。私も」
「え?そうなの?!」
聖君が驚いた。
「どうして驚くの?」
「だって、桃子ちゃん、ずっと一緒にお風呂入るの、恥ずかしがってたし、寂しがるとは思わなかった」
「…そうだけど。そうなんだけど」
私は聖君の手を握り締め、
「ずっと一緒に入っていたからか、一緒なのが当たり前になっちゃって、別々に入るの寂しいんだもん」
と小声で言った。
「桃子ちゅわん」
聖君は私を抱きしめようとしたけど、視線に気がつきやめてしまった。
私も気がついていた。後ろから母がこっちを見ていることに。
「聖君のおうちで、一緒にお風呂入っていたの?」
げ!あんなに小声で話してたのに、母に聞かれてた。
「うわ、は、はい。あの、桃子ちゃん、そそっかしいし、俺んちの風呂、すべりやすくて危ないから、それで」
聖君が、ものすごく慌てて、そう母に言った。
「向こうのご両親、驚かれなかった?」
「あ、いいえ。うちの両親、いっつも一緒に風呂入っているから、全然」
「え?一緒に入っているの?!」
「はい」
「いつも?!」
「…はい」
母の驚きように、聖君のほうがちぢこまってしまった。
「そうだったの。聖君のおうちのお風呂大きいの…。そうね、うちのお風呂じゃ二人は…。でも、桃子とひまわりは、ひまわりが中学にはいるまで、一緒に入っていたし、入れるんじゃない?」
「え?」
私と聖君が、同時に聞き返した。
「ちょっときついかもしれないけど、今のうちなら入れるかもよ。桃子のお腹が大きくなったら、どっちかがバスタブに入って、どっちかが出ないとならないでしょうけど」
母の言葉に、私も聖君も目が点になっていた。
「ちょっと、お父さんが驚いちゃうかもしれないけど、もう夫婦なんだし、明日から一緒に入っちゃえば?なんだ。だったら、今も一緒に入れば良かったのに、ねえ?」
「え?いいんすか?」
聖君は、目を点にしたまま聞いた。
「いいわよ~~。狭いけど、それでいいなら」
「あ。それは大丈夫ですけど…」
聖君は頭をぼりって掻いて、私のほうを見ると、
「じゃ、明日は一緒に入ろうね」
と、ちょっとだけ口元を緩ませて、そう言った。
「うん」
私がうなづくと、聖君は顔をふせた。あ、きっと思い切りにやけたいのを我慢してるんだろうな。




