第5話 ドキドキの毎日
聖君がお店に行ってから、ひまわりが帰ってきた。友達と買い物に行っていたらしいが、
「あれ?聖君は?まだ来ていないの?」
と、変なことを聞いてくる。
「もう帰ったわよ」
と母が言うと、
「え~~~~!!!!」
とひまわりはおたけびをあげた。
「何?ひまわり、そんなに驚いて」
「だって~~。聖君にって思って買ってきたものもあったし、渡したかった」
「あら、それでもしかして、早くに出かけていたの?」
「そうだよ~~。なんだ~。夜バイトに入るのかと思っていたから、まだいるかと思った」
ひまわりは明らかにがっかりしていた。
「いいじゃないの。お店から帰ってきたら、渡せば」
母がそう言うと、
「お店から帰ってきたらって?」
とひまわりが聞いた。
「今夜、聖君、戻って来るんだし」
「え?なんで?泊まるの?」
「今日からここに暮らすのよ。言ってなかったっけ?」
「え~~~!!!」
「あら、言ってなかった?だから昨日もお父さんとお母さん、片づけやらいろいろとして」
「知らない」
「あんた、昨日も1日、出かけてていなかったもんね~」
「うひゃ~~~~!うひゃ~~~!お姉ちゃん、そうなの?今日から聖君、うちに住むの!?」
「うん」
「やった~~!!!!」
すごいはしゃぎようだ。
「もう!だったらお母さん、聖君、帰ったわよなんていい方しないでよ!まぎらわしい」
ひまわりは、ダイニングでお茶をすすっている母に、そう文句を言った。
「じゃ、なんて言ったらいいの?」
「お店にバイトに行った…。で、いいじゃん」
「ああ、そうね~」
ひまわりも、手を洗うと冷蔵庫からコーラを取り出し、ダイニングに来て、ゴクゴクと飲んだ。
「ぷは~~~、生き返るね。外、暑かった~~」
「あら、でも、ひまわり、今日もバイトでしょ?」
「うん。だけど、聖君だって、来るの9時過ぎるんじゃないの?」
「そうね。あら?夕飯はいるのかしらね。桃子、メールでもして聞いておいてね」
「うん、わかった」
「ああ!今日はどうしようかな。トランプか、テレビゲームか、それとも」
ひまわりは目をきらきらさせて、考え出した。
「ひまわり!聖君はバイトで疲れて帰ってくるんだから、遊ぼうなんて考えちゃ駄目よ。わかった?」
母に釘をさされ、
「え~。は~~~い」
とひまわりは、口を尖らせながら返事をした。
そうだよ。聖君は私の旦那様なんだから、ひまわりと遊ぶために帰ってくるわけじゃないんだからね。とのどまで出かかった言葉に、自分で驚いた。
私の、旦那様~~~?うきゃ~~~~!!私ってば、そんなこと考えているだなんて!!!
その場に真っ赤になって、下を向いていると、ひまわりは目ざとくそれを見つけ、
「いやらしい。お姉ちゃん、何を妄想してるの?」
と聞いてきた。
「い、いやらしくない!変な妄想もしていない!」
私は慌ててそう言うと、さっさと自分の部屋に行った。
「顔、あつ~~~~」
まだ顔がほてったままだった。
部屋に入って、編み物の続きをした。今は、可愛いおくるみを編んでいる。
母が昨日、また出産の本を買ってきた。といっても、月刊誌で、中身は可愛い赤ちゃんの服や、可愛いマタニティなどで、埋め尽くされている雑誌だ。
マタ二ティも、可愛いのやおしゃれなのがいっぱいある。お腹が大きくなったら、どんなの着ようかなって、今、わくわくしている。
それから、赤ちゃんの服やグッズ。こんなにいろいろと可愛いのがあるんだ!
それからいろんな、産婦人科の紹介もあり、なんと退院する前の日、旦那様と一緒にワイン飲んで、フランス料理を食べられるという、超豪華な産院もある。驚きだ。
あと、家で出産をしたという、レポートもあり、写真も載っていた。生まれたばかりの赤ちゃんや、お母さんの嬉しそうな表情まで。
わあ。なんか感動的だな~。
出産って人生の、一大イベントだなって思う。でも、どんなに大変な出産でも、そのときだけで、そのあとの子育てのほうが長いし、大変なことも多いんだろうな。
だけど、聖君となら、すごく楽しい子育てができちゃいそうなそんな気もしている。それから聖君のお父さんやお母さん。きっと、楽しいだろうな、毎日が。
そんなことを雑誌を読みながら、感じていた。
ひまわりは、知らない間にバイトに出かけたようだ。一階におりると、静かだった。母は客間に入り、明日するエステの準備をしていた。
私も客間に行くと、ベッドの上で、しっぽと茶太郎が寝ていた。
「あれ?ここ寝床にするつもりじゃないよね?」
「今日マットを干したからでしょ。きっと」
「ああ、そっか~~」
ベッドに座ると、しっぽも茶太郎も、ベッドが揺れたからか、目を開けた。そして、こっちを見て、なんだよ、桃子かよって顔をして、またそのまま寝てしまった。
「ねえ、桃子」
「うん?」
「聖君の好物って何か知ってる?」
「知らない」
「あんた、旦那さんの好物も知らないの?」
旦那!ああ!その言葉に反応して、顔が真っ赤になる。でも、必死でそれを隠しながら、
「聖君、なんでも美味しそうに食べるから、何が好きで何が嫌いかなんて、わかんないんだもん」
とそう言った。
「好き嫌いがないのかしらね」
「そうかも」
「でも、バイトがある日は、お店で食べてきちゃうかしら」
「うん、きっとそうすると思うよ。だって、帰ってくるまでに、お腹すいちゃうでしょ」
「そうよね~~」
母は、そう言いながら、エステの準備をしていた手を止めて、
「ふ…」
とため息を漏らした。
「どうしたの?」
「う~~ん、なんだか不思議だなって思って」
「え?」
「ついこの前、桃子が生まれたのに、もうその桃子が赤ちゃんを産むのかって思って」
「……」
「早いわね、月日が流れるのは」
この台詞を、私も何年後かに口にするのだろうか。ああ、早くに流れていく月日なら、ますますかみしめて、大事に生きていかないと。
母がまたエステの準備をしだした。それを眺めながら、ここまで育ててくれたんだなって、そんな思いがこみ上げてきた。
それから客間を出て、リビングやダイニングを歩き、そしてまたリビングに行き、ソファーに座った。あとどのくらい、この家で私は過ごすんだろう。
この家には、私が4歳のとき、引っ越してきた。いまだに引っ越してきた日のことを覚えている。
広い家に、わくわくと怖さを感じていた。母や父がいない部屋に行くと、なんだか一人ぼっちになった気がして、怖くって、すぐに母のいるところにすっとんでいった。
お母さん、お母さんと言いながら、いつもひっついていたっけな。
おばあちゃんの家に預けられたときには、おばあちゃんにひっついて歩いた。桃子ちゃんは、甘えん坊ねってよく言われたっけ。
甘えなくなったのは、いつからかな。ひまわりが大きくなってきて、母やおばあちゃんにひっつくようになって、私の居場所がなくなったと感じてからかな。
母も、おばあちゃんも、
「もう、桃子はお姉ちゃんなんだから」
という言葉を言ったことがない。でも、どっかで、私より小さいひまわりを、優先しているなって感じていて、私から甘えるのをやめてしまったと思う。
今、思うと、あの頃から甘えるのが下手になったのかもしれない。いまだに、母や父の前で、遠慮をしてしまうし、聖君にだって。
わがままだよな、こんなこと言ったら、って先に思ってしまって、言うのをやめてしまうこともあるし、自分から、聖君の胸にすりよったり、抱きついたりすることは、本当にまれなことで、たいていが聖君の方から、むぎゅって抱きしめてきてくれる。
それはすごく嬉しい。っていうことは、聖君だって、私が抱きつくと嬉しいのかな。
8時半、チャイムが鳴った。慌てて一階に下りていくと、ひまわりのただいまって声が聞こえた。
「なんだ、ひまわりか~~」
と玄関に出て行きかけたのをやめて、リビングに戻ると、ひまわりが、
「聖君はまだなんだね!」
とそうさけびながら、リビングに来た。
「かんちゃんは?一緒だったの?」
「かんちゃん、今日休みなんだもん」
「あ、そう~~」
「それより、聖君」
「まだだよ」
「良かった~~。走って帰ってきちゃったよ。あつ~~い。水、水!」
カバンをリビングに投げ出し、ひまわりは水を飲みにキッチンに行った。
「う!」
私は、母がひまわりの夕飯の準備をし始めたので、気持ち悪くなり、2階に非難した。
私は今日もお蕎麦だった。あれなら、どうにか食べられる。でもさすがに、我が家全員が毎日お蕎麦を食べるわけにもいかないもんね。
セミダブルのベッドに座り、ドキドキしながら、聖君を待った。ああ、遊びに来るのとはちょっと違う。だって、聖君は我が家に、帰ってくるんだから。
でも、聖君からしたら、変な感覚かな。自分の家から、うちに来るんだもんね。
ピンポン。チャイムが鳴った。ああ!聖君だ~~~。とドアを開け、一階に行こうとしたが、ご飯の匂いでまた、部屋に引き返した。
く、臭い。駄目だ。ここから出られない…。
ドアを閉めていても、聞こえる、ひまわりのおたけび。お兄ちゃん、お帰り!とものすごいハイテンションの声と、きゃ~~きゃ~~言ってる黄色い声。聖君は、アイドルかっていうくらいの黄色い声…。
ずるい。私だって、誰よりも1番に「お帰り」と言いたかったのに。
床のクッションの上に座り、ため息をついていると、軽快に階段を上ってくる、聖君の足音がした。
「ただいま~~~」
聖君がドアを開け、すごく可愛い笑顔を見せた。
うわ!胸キュンだ!
「お、お帰り」
あまりにも可愛い笑顔で、クラクラして、お帰りの声も小さくなってしまった。
「ただいま~~~!奥さん!」
聖君は、にっこにこの笑顔で私に抱きついてきた。うひゃ~~。お、奥さんってまた言った!
「もう!桃子ちゃんってば」
「え?」
何?
「さっきのお帰りの声、可愛かった。照れちゃったの?」
違うけど、そう思ってるなら、そうしておこうかな。
むぎゅ~。聖君はしばらく私に抱きついていて、
「早く会いたかった」
とぼそってつぶやいた。
うわ~~~~~。私はますます顔がほてっていった。早く会いたいも何も、数時間前に会ったばかり。
「ああ、俺、やばいかも」
「え?何が?」
「店で、いろいろとヘマをしちゃって」
「え?」
「コップ一個割った。オーダー間違えて、持っていった。つり銭間違えて渡した。お客さんにコーヒー、こぼしそうになった」
「え?」
そんなに?めずらしくない?絶対に失敗しない聖君が。
「あ~~。それにずっと、にやけっぱなし。母さんに何度も、顔、顔って注意された」
「顔って、言われるの?」
どういう意味?
「顔がしまりないって、注意されるの」
「……」
「客にも、今日の聖君、違ってますねって何度も言われた。なんかこう、浮かれてますよねって」
「え?」
「でも、顔が締まらないから、そうなんです、ちょっといいことがあってって、そのままにへらって笑って誤魔化してたんだけどさ。あ、誤魔化してないか。それ、そのまんまだよね」
聖君はそう言うと、またぎゅ~~って抱きしめてきて、
「あ~~。嬉しい、俺!」
とめちゃくちゃ喜んでいた。
「お兄ちゃん」
いきなりドアを開けて、ひまわりが入ってきた。
「わ!」
聖君は慌てて、私から離れた。
「あれ?お取り込み中だった?」
「ひまわり、ノックしてから入って」
私が真っ赤になってそう言うと、
「ずるい」
とひまわりは口を尖らせた。
「何が?」
私と聖君が同時に聞くと、
「だって、私にはただいまって笑顔だけで、お姉ちゃんにはハグしてあげてるんだもん」
ひまわりは、ますますそう言うと口を尖らせた。
「ひまわりちゃん、お姉ちゃんは、だって、俺の奥さんだから、特別なんだよ」
聖君はそうひまわりに言った。
うわ!なんて過激なことを言うの?私が真っ赤になる!
さすがのひまわりもその言葉に赤くなりながら、
「わ~~、のろけてる~~。それにお兄ちゃん、にやけてる~~」
と言って、そのあとひゅ~ひゅ~~って、ひやかしてきた。
「ひまわり、用事は?」
私は、どうにか冷静を取り戻してそう聞いた。
「あ、そうだ。聖君、ご飯は食べてきたよね?ってお母さんが私に聞いて来いって」
「うん」
「それと、お風呂、お先にどうぞってさ」
「え?俺、あとでいいよ」
「でも、バイトで疲れたでしょうって」
「それならひまわりちゃんだって。いいよ、先に入って」
「じゃ、あとで呼びに来るね」
「うん」
ひまわりは部屋を出て行った。
「…鍵、つけてもらう?」
「あ、いいかも」
聖君の提案に賛成した。
聖君は、ベッドにいきなり寝そべった。
「ふわふわ~~。気持ちいい~~」
こういうところは、ほんと、可愛いよね。無邪気というか、なんというか。
「桃子ちゃんはお風呂入った?」
「まだ、それにシャワーで済ませるよ」
「じゃ、一緒に浴びようね!」
「え?!」
ドキ~~。いきなり何を言い出すの?
私がぐるぐる首を横に振ると、聖君は、
「え?なんで?もう夫婦なんだからいいじゃんか」
とそんなことを言ってきた。
「無理無理無理無理」
そう言うと、聖君は、
「ちぇ~~」
と、思い切り残念がっていた。まさか、そういうことを考えて、わくわくしながら帰ってきたんじゃないよね。
「じゃ、いつになったら一緒に、風呂入れるんだよ~~」
まだ、聖君はすねていた。ああ、そんなところも可愛すぎるよね。
聖君は、ベッドの隅に置いてあった、出産の雑誌を見つけて、寝そべったままぺらぺらとめくっていた。
「へ~~、いろんなグッズがあるんだね」
とか、
「わ、家で出産なんてする人もいるんだね」
とか、
「へ~~、この赤ちゃんの服、可愛い~」
とか言っている。
それを私はクッションの上に座ったまま、ぼんやりと眺めていた。ああ、聖君がいる。私の部屋にいる。聖君の匂いがする。なんだか、いきなり部屋にお日様が当たった感じがする。あったかくって、きらきらしていて、気持ちいい。
「桃子ちゃん」
「え?」
「俺がいなくて寂しかった?」
「へ?」
「……」
ものすご~く寂しいって言うのを期待している、聖君のまなざし。
「寂しかったよ」
「早くに会いたかった?」
「会いたかったよ」
「俺が恋しかった?」
「こ、恋しかったよ」
言っててだんだんと恥ずかしくなってきた。もう~~、何を言わせるんだ。
聖君はベッドに座り、私を呼んだ。私が聖君の横に座ると、またむぎゅ~~って抱きしめてきた。
「すげ、幸せ」
聖君がまた、そう言った。
私は抱きしめられながら、ドキドキしていた。ああ、こんなふうに毎日、ドキドキしながら暮らしていくのかな。
ドキドキするけど、幸せで、嬉しくって。私も聖君に抱きついた。
はあ。このまんま時間が止まったらいいな。幸せだな~~。
バタン!
「お兄ちゃん、お風呂あいたから入って!」
ひまわりが突然、ドアを開けた。
「わあ!」
私は思い切り、慌てて聖君から離れようとしたけど、聖君はそのまま私を抱きしめていて、
「ひまわりちゃん、今、お取り込み中なの、ごめんね」
とひまわりに冷静にそう言った。
「ごめん!これからは、ちゃんとノックする」
ひまわりの方が慌てて、部屋を出て行った。
さすがだ。聖君。きっともう、ひまわりが、突然ドアを開けることはないだろうな…。