第47話 ありがとうの言葉
夕飯は、聖君のお母さんやお父さん、杏樹ちゃんと食べた。聖君はお客さんが帰ってから、お店で食べたようだ。私がお父さんや杏樹ちゃんとテレビを観ていると、夕飯を終えた聖君が、リビングに来た。
「おう、お疲れ、聖」
お父さんが声をかけた。
「あれ?テレビなんて観てる暇あるの?」
聖君がお父さんに聞いた。
「夕方、仕事片付いた」
「そうなんだ。すげ、早かったじゃん」
「なんかね、一気にわ~~ってできちゃったんだよね」
「ふうん」
聖君はリビングに座りもせず、
「桃子ちゃん、風呂入ろうよ、風呂」
と言って、2階に上がっていった。
私も着替えを取りに2階に行った。着替えを取り、バスルームに行くと、聖君は、またいつものようにさっさと服を脱ぎ、さっさとお風呂場に入っていった。
私は服をゆっくりと脱ぎながら、「素直に心のままを言うぞ」とまた、決意を固めていた。今日のことを謝ったり、今までのことをありがとうって言ったり…。うん、言うんだ。私。
お風呂場のドアを、ゆっくりと開け、静かにお風呂場に入った。聖君は、ゴシゴシと体を豪快に洗っている。
「桃子ちゃん」
「え?」
「今日も…」
「う、うん」
背中、洗ってあげるって言うのかな?
「あ、そうか」
「え?」
「なんでもな~~い」
聖君はそう言うと、さっさとシャワーで石鹸の泡を流し、バスタブにボチャンと入ってしまった。
あれれ?背中洗ってあげるっていうのはないの?
私は椅子に腰掛け、タオルに石鹸をつけた。本当に背中、いいのかな。自分で洗っちゃっても。ちらりと聖君を見ると、こっちをじっと見ながら、
「桃子ちゃん、俺に何か言うことない?」
と聞いてきた。
ドキ~~。
心の中を見抜かれたのかな。謝ろうって思っていたの、わかっちゃったのかな。
「今日はごめんなさい」
私が謝ると、聖君はきょとんとした顔をした。
「何が?」
「え?」
「え?何で謝ったの?」
あ、あれ?そのことじゃないの?
「今日、花ちゃんたちと出て行っちゃって、心配かけた」
「あ~、そのこと。いいよ、別に俺、怒ってないし。久々に会えて、嬉しかった?いっぱい話できた?」
「うん」
「良かったね」
にこ~~。聖君が笑った。うわ!その笑顔に胸きゅんだ。それにしても、怒ってないの?いっぱい話ができたこと、一緒に喜んでくれるの?
じ~~~ん。
あ、そうだった、ありがとうも言うんだった。今だって、一緒に喜んでくれてありがとうって…。
「そうじゃなくて、桃子ちゃん」
「え?」
「他に言うことない?俺に今」
「え?え?」
「…」
聖君がなんでわかんないんだよって感じの目で、何かを訴えている。
「せ、背中?」
背中洗ってっていう私の言葉を、もしや待ってる?
「そう!」
あ、聖君の目が輝いた。ああ、聖君から言ってこないと思っていたら、私から言うのを待っていたのか。いや、強引に言わせようとしてるって感じだけど。
「せ、背中洗って…」
きゃ~~、これ、かなり恥ずかしい。聖君は、うんって言って、バスタブを元気に飛び出してきた。
「でも、背中だけでいいからね、聖君」
私がそう言うと、聖君の動きが一瞬止まったけど、すぐに、
「桃子ちゃん、俺に遠慮はいっさい、いらないから」
と、にこにこしながらそう言って、背中を洗い出した。
「遠慮してないよ。本当にいいから」
「いいって、そんなみずくさい」
「ほんと、いいから」
「桃子ちゃんって、頑固」
いや、それは聖君のほうじゃないの~~!
聖君は背中と腕だけを洗って、またとぼとぼとバスタブに入りに行った。腕は何も言ってないのに勝手に洗っちゃった。
「あ~~~あ、思い切り甘えてくれると、思ったのにな~~~」
すごくわざとらしく、落ち込んでいる。
でもでも、そんな聖君もめちゃ可愛い。聖君のこういうところも、可愛いの。これも話したいけど、まさか、私の体を洗うのを拒否されて、落ち込んじゃうんだよなんて、誰にも言えないよね。
「聖君…」
「なに~~~?」
あ、声が低い。まだ、落ち込み中?
「可愛い」
「へ?何が?」
「聖君が…」
「へ?どこが」
「今、落ち込んでるところが」
「…」
聖君は、しばらく目を点にしていたけど、そっぽを向き、
「なんだよ。まじで俺は今、落ち込んでるの。からかわないでよ」
と最後は、おねえ言葉まで使っている。面白いな~~。
私が体を洗うと、聖君は、
「髪は…」
と言いかけ、また黙り込んだ。あ、そうか。私から言うのを待っているのか。
「聖君、髪、洗ってもらってもいい?」
そう言うと、うんって元気に言って、バスタブを飛び出した。
そして、鼻歌交じりに洗ってくれる。ほんと、わかりやすいな~~、聖君って。
「髪は抵抗ないんだね?」
「え?」
「俺に洗ってもらうの」
「うん、だって、気持ちいいし」
「あれ?体洗うのは、気持ち悪いって事?」
「違う。べ、別の意味で気持ちよくなるから、駄目…」
あわわ。私、何言っちゃってるの!
「うひゃ。そうなんだ。あ、前にうずうずするから駄目って言ってたっけ。もう~~、桃子ちゃんのエッチ!」
か~~。顔が思い切り熱くなった。
「でも、いいのにな~~。うずうずしちゃっても、気持ちよくなっても。俺は全然かまわないけど」
「私が困るの」
「なんで?ねえ、なんで?」
聖君は顔を覗き込んで聞いてきた。
「だって、お腹張っちゃうこともあるし」
「え?そうなの?そっか~」
聖君はしばらく黙り込み、
「じゃ、凪が生まれてからなら、大丈夫なんだね」
とぼそって言った。
「駄目」
「なんで~~~?!」
「その頃は、凪も一緒にお風呂入るから」
「が~~~!そうか!!!!」
聖君はショックを受けている。
「そうか。桃子ちゃんが妊娠する前に、やっぱり一緒に風呂にはいるべきだった」
「まだ、結婚前ってこと?」
「そう。桃子ちゃんってば、ずっと拒絶してたけど、入っちゃえば良かった」
「強引に?」
「そう、強引に。い、いや、そじゃなくて、えっと」
「…」
「う~~~~~~~ん。あ、そうだ!いいこと考えた」
「なあに?」
「凪を時々、父さんや母さんに風呂、入れてもらって、俺ら二人で入る。お!これはいいアイデア。父さんも母さんも、絶対に喜ぶよ」
「……」
「決めた!これだ!」
き、決められてもな~~。
「結局聖君のほうが、エッチなんじゃん」
「え?」
「スケベ親父…」
「なんだよ~~~!!なんで、いっつもそうやって俺をいじめるんだよ」
「いじめてないよ」
「いじめてるとしか、思えないよ」
うそ。いじめてないのにな。あれ?いじめてることになるのかな。
私の髪を洗い終えた聖君は、場所を交代して、自分の髪を洗い出した。私はバスタブに入り、は!そうだった。いじめてる場合じゃない。お礼の言葉言ってなかったと、気がついた。
聖君がバスタブに入ってくると、いつものように私の後ろにいかず、横に座ってきた。
あれ?
「桃子ちゃん、もうちょっとずれて。きつい」
「うん」
聖君はそう言って、まったく違うところを見て、
「あ~~、いい湯だ」
と、わざとらしくしている。
「聖君」
「何~~?」
「…」
聖君は無表情の顔で、こっちを見た。あ~~、絶対に私が甘えるのを待ってるんだ。
どうしようかな。口にして、何か言うのはすごく恥ずかしいし。
えい!抱きついてしまえ!私はドキドキしながら、聖君に真横から抱きついてみた。
「うわ…」
聖君は、私が突然抱きついたからか、驚いていた。それからしばらく黙り込んだ後、
「あ、駄目だ~~~。顔がにやける~~」
と言って、思い切りにやついた。
「桃子ちゃんも、抱きしめてほしい?」
にやついた顔のまま、聞いてくる。
「うん…」
うなづくとむぎゅって抱きしめてきた。
「やっぱ、これだと、抱きしめづらいね」
聖君はいつものように、後ろに回って後ろから抱きしめてきた。
「桃子ちゅわわん」
聖君が甘えた声を出し、
「俺、桃子ちゃんが甘えられるようにって、甘えるのを我慢したけど、やっぱ、駄目~~~。甘えたくてしょうがない~~」
と抱きしめる腕に、力を入れた。
そうなんだ…。甘えるのを我慢してたんだ。それでわざと、無表情になっていたのか。
「聖君からこうやって甘えてもらうの、すごく嬉しいから、我慢なんかしないでいいよ」
私がそう言うと、聖君は、
「桃子ちゅわん!もう!優しいんだから!」
と言って、耳にキスをしてきた。
うわ。くすぐったい!それにうなじにも、キスをしてくる。
あ、あれ?違った、違った。優しいのは聖君だってば。それで私、ありがとうって言うんだったっけ。
「聖君も、あの…。いっつもありがとう」
「へ?」
私がそう小声で言うと、聖君が聞き返してきた。
「いつも、ありがとう」
「う、うん」
聖君はしばらく黙り込み、
「え?なんでいきなり、お礼を言われたの?俺」
とまた、聞き返してきた。
「だって、いつも聖君は優しくて、それにずっと私は甘えてきてて、ちゃんとありがとうも伝えてなかったから、だから」
「甘えてる?桃子ちゃんが?いつも甘えてるのは俺でしょ?」
「ううん。今日だって、花ちゃんたちと一緒に駅まで行って、しゃべりこんじゃって。私、お店の手伝いも休んでいたっていうのに。そういうの、聖君、許してくれちゃうし、それに、一緒に喜んでくれるし」
「なんだよ~。そんなこと。だってさ、桃子ちゃんはずっと友達とも会えてなかったんだし、ああやって、話をするのも久々だったんだから、そりゃ、一緒にもっといて、話したいだろうなって、そう思ったし…。そんなの、気にしなくていいよ?会いたかったらいつだって、友達と会っていいんだからさ。ただ、無理だけはしないでほしいけど」
「…」
「あれ?なんで無言?」
「…」
「あ、もしかして泣くの我慢してる?」
「だ、だって、やっぱり聖君、優しいから、じ~~んってなっちゃって」
「あはは!もう!桃子ちゃんってば!」
聖君がぎゅって抱きしめてくれた。
「いいんだよ?まじでさ、友達に会いたいとか、どっか行きたいとか、そういうのも言ってくれてさ。桃子ちゃん、つわりでどこにも行けなかったし、今だってお店の手伝いいっぱいしてくれてて、ずっと店の中にいるだけなんだしさ」
「今日ね、私、久々に花ちゃんたちと会って、恋の話とかで盛り上がって、すごく楽しかった」
「こ、恋?えっと、誰かが恋してるとか?」
「うん。あ、みんなして聖君にね」
「へ?!」
「聖君の話で盛り上がってたから」
「…」
聖君は黙り込んでしまった。
「花ちゃんがまた学校でねって、最後に言ったの。私、学校行けるかわからないし、ちょっと寂しくなったの」
「…うん」
「でも、大丈夫ってすぐに思えたよ。聖君だってそばにいてくれるし、友達とはいつでも、ああやってまた、会えるんだろうしって」
「ほんと?強がってない?桃子ちゃん」
「うん」
「まじで?」
「今日も実感したの。聖君はいつも優しいし、大事にしてくれてて、私ってすんごい幸せものだなって」
「え?」
「すごくすごく幸せで、それなのに、聖君にありがとうも言ってなくって…。ごめんね?聖君」
「え?え?」
聖君は少し戸惑っていた。
「えっと…。うん、こちらこそ、いつもありがとう」
いきなり聖君も、お礼を言った。
「え?なんで?」
「なんでって、桃子ちゃんだって、めちゃ優しいし、いっつもあったかいし」
「…」
「俺、いつも癒されてるし、まじでいつも甘えてるし」
「…」
「だから、俺のほうこそ、ありがとうなのにな」
じわ~~~~~。
「桃子ちゃん?あれ?また泣いちゃった?」
「だ、だって」
「ほんとにもう。もっと甘えてって言ってるのに、いきなりありがとうとか言ってきちゃうし…」
聖君は私を抱きしめ、しばらく黙り込んだ。
「やべえ」
「え?」
「俺、まじで」
「な、何?」
「涙出た」
え?!
「あ、鼻水も出そう」
そう言うと、聖君はずずって鼻をすすってから、
「もう~。桃子ちゃんってば、俺のこと泣かせないでよね」
と、またおねえ言葉を使った。
聖君のお父さんが言ってたっけ。聖、泣いちゃうよって。本当に泣いちゃった…。ああ、そういうところも全部全部…、
「聖君、可愛い」
「へ?」
「めちゃくちゃ、可愛くて大好き」
「な、なんか照れるけど、それ」
「照れてるのも可愛い」
「ああ、もういいってば!」
やっぱり、聖君はシャイだよね。
そんな聖君も可愛い。でも、これ以上言うと、聖君が耐えられなくなるだろうから、私は心の中でつぶやいていた。