第44話 自分から
思い切り甘えることについて、聖君がお店に戻ってから、考えた。どうしたら、思い切り甘えてることになるかな。
いきなり抱きつく。とか…。
仕事終わって聖君が来たら、寂しかったって言ってみる。とか…。
それとも、私からお風呂に入ろうって言ってみるとか。
それとも、背中洗ってって頼んでみるとか。
う~~わ~~~!絶対に無理!無理~~!ああ、考えただけでも顔がほてってきた。
そんなことをしていたら、聖君のお父さんが2階から下りてきた。
「腹減った。今、店混んでるかな。あれ、桃子ちゃん、顔赤くない?」
「あ、なんでもないです」
うわ~~。恥ずかしい。赤くなってるところを見られた。
「ちょっと昼、食べてくるね」
「はい」
お父さんはお店の方に行った。
「クロ~~。思い切り、甘えるってどうしたらいいんだろ~~」
私はクロに抱きついた。クロは私の顔をぺろぺろ舐めてきた。ああ、今日だけクロになりたい気分だ。
3時になり、麦さんがリビングまで来て、
「桃子ちゃん、これから桐太の店、行ってくるね。がんばってくるね」
と言って、出て行った。
桐太、どうするかな。また意地悪なこと言ったりしないかな。ちょっと他人事ながら、ドキドキしちゃうな。
私は、2階に上がり、ルーフバルコニーに出た。ベンチに座って、潮風を感じた。
「あ~~、気持ちいいな。今日もいい天気」
洗濯物がすっかり乾いていて、私はそれを取りこんだ。
「桃子ちゃん、それ、一階に持っていくのはやるよ」
後ろから聖君に、声をかけられた。
「あれ?休憩?」
いつの間に、2階に上がってきたのかな。
「うん」
聖君は、取りこんだ洗濯物を持って、一階に下りていった。私はそのあとに続いて、一階に行った。
「お店、大丈夫なの?」
「うん。あ、桃子ちゃんにレモネードも持ってきたよ」
「ありがとう」
あ、こんな現れ方だったから、寂しかったって言えなかった。今頃言っても、変だよね。
聖君は、座ってコーラをゴクッて美味しそうに飲んだ。
私はソファーに座って、レモネードを飲んだ。聖君は私の前に座っていた。
隣に来てくれると、嬉しいんだけどな。レモネードがソファーの前においてあったから、ここに座っちゃった。
あ、今から隣に行けばいいのかな。それとも、隣に来てって言えばいいのかな。
どうしよう。こういうのは、素直に言えばいいだけだよね…。
「聖君」
「ん?」
「あ、あのね」
「うん、何?」
聖君が、にこにこしながら、私が話すのを待っている。
「と、隣に行ってもいい?」
「え?」
「…」
あれ?無言?変な聞き方だったかな。
「あ…。いいよ、ソファーに座ってて」
と聖君に言われた。
「え?」
え~~…。隣に行ったら駄目なの?
と思っていたら、聖君が立ち上がり、私の横に座ってきた。
「なんだ。俺の隣が良かったの?」
「うん」
「…」
聖君は黙って、下を向いている。え?どうしたのかな。
にやけてる?ちょっと顔を見た。普通の顔をしている。そのまま、黙ってただ床を見ている。
どうしちゃったのかな。
「あれ?」
聖君がこっちを見た。
「桃子ちゃん、抱きついてくると思ったのに。それで隣がいいって言ったんじゃないの?」
わ。そっか。私がぎゅってするのを待っていたのか。ああ、私はただ、隣が良かっただけなんだけど。ああ、どうしたら…。
ええい!
むぎゅ。聖君の胸に抱きついた。
あれ?いつもなら、聖君も抱きしめてくれるのにな。それとか、可愛いって言ってからかってきたり。
黙ったまま、聖君は動かない。
そっと顔をあげて、聖君を見てみた。聖君はどこか、遠いところを見ている。
え?な、なんで?
後ろに誰かいるとか。いや、聖君が見ている先は壁しかないし。
なんだろう。嫌がってる?そんなことないよね。なんで?なんで?なんで~?
どうしよう。このまま、抱きついていていいのかな。もしかして、疲れてるのかな。
もう一回、顔をあげてみた。ああ。やっぱり、どこかを見ている。え~~と。その顔もかっこいいんだけど、でも、どうしたらいいんだろうか。
「俺に、どうしてほしい?」
聖君にいきなり、聞かれた。
「え?」
「これから俺に、どうしてほしい?」
「えっと、えっと。わ、私もぎゅってしてほしい、かな?」
聖君はぎゅって抱きしめてくれた。
「それから?」
聖君がまた、聞いた。
「そ、それから?それからは、えっと」
ぎゅってしてほしかった、だけなんだけど…。
「えっと…。じゃ、じゃあ、髪とかなでてくれると嬉しい、かな?」
「髪?いい子いい子って?」
「うん」
聖君は、髪をなでなでしてくれた。
う、う~~ん。まるで子供にするみたいだな。それより、なんで聞いてくるのかな。それに、なんでそんななで方するのかな。いつもと違うよ。
むぎゅ~~。私は聖君のことを思い切り、抱きしめた。でも、聖君はさっきと同じように、抱きしめてるだけだ。
「聖君」
「ん?」
「もう、もうちょっとぎゅってしてほしいな」
聖君は腕に少し、力をいれ、ぎゅってした。
「聖君」
「ん?」
「あの…、あのね」
私は聖君の顔を見た。顔が目の前にある。聖君はじっと私を見ている。
ああ、その顔もかっこいいんだよね。直視されられると、それだけで、とろけそうだ。鼻筋も綺麗だし、唇もすごく綺麗な形をしていて…。思わず、手で触れてしまった。
「なに?」
聖君に聞かれて、手をひっこめた。でもまだ、聖君はじっと私を見ている。ただ、見ている。すごく近くで。
ちょっとでも、顔を動かせば、唇が触れる距離だ。あ、やばい~~。視線が合って、それを外せなくなってしまった。きゃ~、なんだか照れる。
う。でも、聖君、かっこいい。いや、色っぽいっていったほうがいいかな。目、色っぽいよ。それに、それに、唇も…。ああ、やばい。今度は唇に目がいってしまって、目がはなせなくなった。そして、吸い寄せられるように、聖君の唇に近づき、触れてしまった。私の唇が…。
わあ。私、今、自分からキスしちゃったよ。あわわ。
聖君はまだ、私を見ている。照れてもいないし、何も反応していない。だけどまだ、色っぽい目で見ている。
な、なんで?
「桃子ちゃん」
「な、何?」
「もっといろいろと、俺にこうしてほしいって言っていいよ?何せ今日は、桃子ちゃんが俺に思い切り甘えてくる日になってるんだし」
「…」
それ、勝手に聖君が決めたんじゃないか…。
「それに、思い切り甘えてこないと、俺、許してあげないし」
あ。それでか!それで、無反応なのか!く~~。もしかしてすごく、意地悪なことしてない?聖君。今も顔がちょっと、いや、だいぶ、意地悪い顔になってる。
「…でも、どうやって思い切り甘えていいか、わからないんだもん」
「してほしいとか、こうだったらいいなってことを素直に言ったり、してきたらいいだけじゃん」
「ふだん、聖君がしてるみたいに?」
「そうそう。って、何?俺、そんなにいっつも、思い切り甘えてる?」
「うん」
「…」
聖君は黙り込んだ。でも、またこっちを向いて、
「じゃ、いつもの俺みたいにでいいよ」
と、言ってきた。
「…」
いつもの聖君みたいに。みたいに?
「俺が甘えてたら、甘えられないでしょ?」
「あ、それで聖君から何もしてこなかったの?」
「え?」
「今…」
「あ~~、違う、違う。桃子ちゃん、どうやって甘えてくるのかなって思ってさ、観察してた」
「…」
それで?う~~、やっぱり意地悪だ。
「でも、俺が黙ってたり、な~~んにもしないと、桃子ちゃんからキスしてくれたりするんだね?これから、何もしないでいようかな」
「え?!」
「でへへ」
あ、今、思い切りにやけた。にやけるの、我慢してたんじゃないの?っていうか、何それ!やっぱり意地悪だ。っていうか、悪趣味だ。
「そうしようっと」
「え?そうするって?」
「だから、俺から何もしないでおこうっと」
「それ、絶対に楽しんでるよね?」
「え?」
「私の反応見て、面白がってるよね?」
「…うん」
ひどい~~~!もう~~!私は無言で、聖君の腕をぽかすかたたいた。
「痛い、痛いってば。あはははは。桃子ちゃんが切れてる!可愛い~~」
え?可愛い?もう~~。こっちは本気で、怒ってるのに!
「痛いってば」
むぎゅ。聖君が抱きついてきた。
「これ、喧嘩になるのかな」
「え?」
「夫婦喧嘩」
「違うだろ。それはただ、いちゃついてるだけだろ?」
聖君の背後から声がした。聖君の後ろには、聖君のお父さんが立っていた。
「うわ!なんでいるんだよ」
「コーヒー、もらいに行こうと思って。仕事してたら、眠気が襲ってきてさ。あ~~、なかなか終わんないよ。仕事。聖、手伝ってよ」
「やだよ。店のバイトあるし。それより、さっさと店行けよ。邪魔だよ、邪魔」
「あ~。邪魔して悪かったね。じゃ、ごゆっくり」
聖君のお父さんはそう言うと、お店の方へ行ってしまった。
「…そうか」
聖君は、また私を抱きしめ、
「やっぱ、これ、夫婦喧嘩じゃないのか」
とつぶやいた。
「俺らの場合、喧嘩になりそうもないよね」
聖君は私の顔を間近で見ながら、そう言った。
「え?」
「だって、桃子ちゃんが怒っても、俺、可愛いって思っちゃうだけだからさ」
そう言って、鼻の頭にキスをした。
「…」
う~~。本気で怒ってもそうなのかな。それより、なんで鼻?
「…」
聖君はじいっと私の顔を、間近で見つめている。
「な、何?」
「鼻だけでいいの?」
「え?」
「キス」
あ!また私からキスするの、待ってたのか!う~~。どうしようかな。思い切り今、聖君のことを押し返してみようかな。別にキスなんて、してほしくないもんって言ってみようかな。
聖君、どうするかな。すねるかな。へこむかな。そうやって、反撃してみようかな。
でもな。でも…。
でも、自分の心に正直になってみると、キスしてほしかったりして。
ええい!今日は甘えていい日だから、
「鼻だけじゃ、やだ」
思い切って言ってみた。でも、聖君はじっとしたままだ。ずるい!
ええい!
自分から、聖君に思い切ってキスをしてみた。きゃ~~。心臓ばくばく!
うわ。聖君が思い切り、抱きしめてきた。それから、
「もう~~。桃子ちゃんってば!」
って言って、また鼻の頭や、ほっぺや、おでこや、あちこちにキスしてくる。
「あ、でももう、おしまいにしないと。父さんが店から戻ってきちゃうね」
聖君はそう言うと、さっと私から離れた。そして、
「キスしたいのに、キスしてくるのを待ってるのも、つらいんだね」
とぼそってそう言った。
私はしばらく真っ赤になってた。そこにお父さんが戻ってきて、
「あれ?桃子ちゃん、また赤くなってるね。今日はなんだか、ずっと顔赤いけど、熱があったりしない?」
と聞いてきた。
「いえ、大丈夫です」
私の顔は、さらに熱くなってしまった。聖君のお父さんが2階に上がってから、聖君が聞いてきた。
「何?いつ赤くなってたの?」
「さっき、聖君のお父さんがお昼を食べに、お店に行くとき、ここを通って、顔が赤いのを見られちゃって」
「桃子ちゃん、一人でいたよね?」
「うん」
「一人でいて、なんで顔が赤くなるの?」
「だって、今日どうやって聖君に思い切り甘えようかって、悩んでいたから」
「へ?」
「いろんなシチュエーションを考えてるだけで、赤くなっちゃったみたいで」
「うへ?」
うへ?
「そうなんだ!いろんなシチュエーション考えちゃってるんだ。うわ、俺、すげえ楽しみ」
「え?」
「えへへ」
聖君は思い切りにやけてから、また素の顔に戻り、
「思い切り甘えないと、まじで許さないからね?」
とそう言って、またうつむいて、にやけていた。
ああ、もう、この人は。絶対に私で、遊んでいるよね…。こっちが、ドキドキしたり、悩んだりしてるのなんて、まったくおかまいなしなんだから。
でも、本当に思い切り甘えてもいいってことだよね?いいんだよね?わがままも許してくれちゃうってことだよね?
聖君の手をにぎってみた。聖君はちらって私の顔を見た。私は手をにぎったまま、レモネードを飲んだ。ああ、すっかり冷めてる…。聖君も、手をにぎったまま、コーラを飲んだ。
そして、
「手、にぎってほしかったの?」
と、嬉しそうに聞いてきた。
「ううん」
と首を横に振ると、
「え?」
って、ちょっと驚いた表情をした。
「手を、にぎりしめたかったの」
と私が言うと、聖君は一瞬黙り、
「あ、そ、そっか」
と赤くなってうつむいた。
あ、発見。聖君って、実はシャイなんだよね。自分からすることには、けっこう照れたりしないみたいだけど、私からすることに対しては、照れたりするんだよね。
そうか。それ、自分で気がついてるのかな。気がついてないよね。じゃなきゃ、甘えてなんて言わないもんね。
ちょっと私の中でも、意地悪心が芽生えてしまっていた。ふっふっふ。