第43話 思い切り甘える
私はいつの間にか、寝ていたようだ。夢の中は、春だった。あったかい陽気の中、優しい風が吹いている。
私は聖君の学校の前にいた。校門には入学式の看板が立っている。
あれ?私、この高校に入学したんだ。
校門を抜けた。新入生を案内している生徒がいた。
「入学おめでとう」
にっこりと微笑んで、新入生の胸にリボンをつけているすんごく素敵な人がいる。
残念ながら、私には別の人がリボンをつけた。
隣にいた子が、私に声をかけた。
「あの人、かっこいいね」
「うん」
「私のことは栗ちゃんって呼んで」
「私は桃子」
私と栗ちゃんは同じクラスだった。教室に入ると、すごく素敵な人が先輩でいるねって話で、盛り上がっていた。さっきの人のことみたいだ。
栗ちゃんと私は、帰りも一緒に帰ることにした。そうしたら、偶然にもあの素敵な先輩を見ることができた。
男子生徒と、ふざけあっている。その笑顔はすごくまぶしい。
「聖!」
一人の人が駆けてきて、その先輩の肩に腕を回し、げらげらと笑いながら、何かを話している。
「聖先輩っていうんだね」
栗ちゃんが言った。
「素敵だよね」
私が言った。
ああ、あの笑顔に私、恋しちゃったな。
それから、夢はあちこちに飛んだ。いきなり体育館で歌を歌っている聖君。それから、体育祭で、活躍している聖君。
そして海の家でバイトをしている聖君。
でも、聖君は私に笑顔を向けてくれることはなかった。
「あの笑顔を向けてくれるなんて、そうそうないよね」
栗ちゃんが言った。でも栗ちゃんは、近づくために文化祭実行委員になった。私はそんな勇気がなくて、ならなかった。
私はいつも遠くから、聖君を見ていた。聖君の笑顔を見れたらそれでもう、満足だった。話ができなくても、それでもよかった。
「嘘ついちゃった。でも、聖先輩といっぱい話ができたよ」
ある日、栗ちゃんが私に言った。
「嘘?」
「そう、彼氏がいるって言ったの」
「そう言ったら、話ができるの?」
「うん」
話がしたい。あの笑顔をやっぱり、私に向けてほしい。ああ、心の奥ではそんなことを望んでるんだ。私は。
ある日、廊下で栗ちゃんが聖君と話をしていた。あの笑顔を聖君は、栗ちゃんに向けていた。ものすごく羨ましかった。
「栗ちゃん、彼氏いるんだね」
聖君が、笑顔で栗ちゃんにそう言った。
「はい」
栗ちゃんがうなづいた。ああ、本当だ。彼氏がいるって言えば、話すことができるんだ。
私は二人に近づいた。聖君にこんなに近づくのは、初めてだ。ドキドキしながら私は、小さな声で話しかけた。
「私、彼氏がいるんです」
言った。言ってしまった。これでもう、私にも話しかけてくれる?
聖君はこっちを見なかった。なぜか、栗ちゃんのほうを見て、にこりと笑った。
あれ?なんで?なんでその笑顔を私に向けてくれないの?言い方が悪かったの?
「私、付き合ってるんです」
もう一回言った。栗ちゃんがこっちを見た。でも、聖君は下を向き、黙っている。
「あの、私…彼が…」
私の声が小さくなる。
聖君が頭を掻いた。そして、栗ちゃんのほうを見ると、
「ごめんね。俺、もう結婚してるんだ」
といきなりそんなことを言った。
栗ちゃんは、顔を青ざめさせた。でも、
「それなら、いさぎよくあきらめます」
ときっぱりと言い切った。
私はその場に立ち尽くした。結婚?え?どうして、栗ちゃんはそんなに簡単にあきらめちゃえるの?
私は、私は…。ああ、目の前が真っ暗だ。
「栗ちゃんにはもっと、素敵な人が現れるよ」
聖君は栗ちゃんに、笑顔でそう言った。栗ちゃんは、はいってうなづいた。それから私を見ると、栗ちゃんは、
「桃子ちゃん、すっぱりあきらめて、もっと素敵な人、見つけようね」
と、そう言ってきた。
嫌だ。あきらめたくないよ~~。嘘なんてつかなかったらよかったよ~~。ああ、頭の中がぐちゃぐちゃ。
「桃子ちゃん」
え?聖君がいきなり、私のほうを見て、名前を呼んだ。なんで、名前知ってるの?
「俺のこと、あきらめなくてもいいから」
え?
「っていうか、どんな夢みてんの?」
聖君の顔が度アップだ。
でも、笑顔じゃない。それに、思い切り寝癖がある。あれ?そんな寝癖あったっけ?
「目、覚めた?まだ寝ぼけてる?」
「あ、あれ?ここは?」
「あ~~。まだ、寝ぼけてるし。まだ、6時だから、もうちょっと寝るよ?俺」
「…」
「いったいどんな夢だったんだか」
「夢…」
「どんな夢?言ってみ?」
「わ、私、何か言ってた?」
「私、聖君のことあきらめたくないよ~~って、半べそかいてた」
「え?!」
「もしかして、俺にふられる夢?」
「う、ううん。告白もしてない」
「ふうん、じゃ、どんな夢?」
「聖君が、俺、結婚してるんだって言ってた」
「うん、それ、正解。当たってるけど?」
「それで、栗ちゃんがすっぱりあきらめてて」
「へえ、栗ちゃんも出てきたんだ」
「でも、私はあきらめたくなくて」
「待って待って。どんな夢だよ。俺が結婚してるのは、桃子ちゃんでしょ?」
「夢の中じゃ、聖君と話したこともないくらいの、片思いをしている最中で」
聖君の顔は、一気に呆れたっていう顔になった。
「あ、そう。そりゃ、良かったね。じゃ、俺もうちょっと寝るから。桃子ちゃんももう少し寝たら?」
「う…」
そりゃ、良かったねって、全然よくないよ…。
聖君は後ろを一回向いた。でもすぐにこっちを向いて、抱きついてきた。
「今度の夢では、あつあつの夫婦でいてよね。じゃないと、あんな寝言聞かないとならないことになるから、俺」
「え?」
「いきなり、横で大声で、聖君のこと、あきらめたくない~~って言われたら、すげえびっくりするから、俺」
「ご、ごめんなさい」
聖君は私に抱きついたまま、あっという間に、くーって寝てしまった。ほんと、寝つきいいよな~。私もその寝息を聞きながら、目を閉じた。
まったく、なんであんな夢をみてしまったのか。相当、栗ちゃんの話に、共感しちゃったんだろうか。
ふ…。私は、さっきの場所に戻っていた。
「え?今、なんて言ったの?」
私は聖君に、聞き返した。
「だから、桃子ちゃんはあきらめなくてもいいって言ったの」
聖君がそう言った。栗ちゃんが横で、どうしてって聞いた。
「だって、桃子ちゃんが俺の奥さんだから」
聖君はそう言うと、にこりと私に笑顔を向けた。
「え?」
私も栗ちゃんも驚いた。
「私が奥さん?」
もう一回聞いてみた。すると、聖君はまた、にっこりと笑って、
「そうだよ。桃子ちゃんが俺の奥さんだよ。だって、結婚したじゃんか」
と言ってきた。
私は真っ赤になって、
「え?私が聖君の奥さん?結婚したの?え~~~!」
と叫んでいた。すると、聖君が鼻をむぎゅって摘んで、
「起きて。また、変な夢見て、変なこと叫んでるよ。桃子ちゃん!」
と言うから、驚いてぱちりと目を覚ました。
「どんな夢を見たのかは、察しがつく。さっきの続きでもどうせ、見てたんでしょ?」
「うん」
「は~~。まったく、夢の中でも奥さんだって自覚ないんだね」
「ごめんなさい。今度こそ、夫婦でいる夢をみるから」
「うん、でももう、7時になるよ」
「え?ほんと?」
「あ~あ。結局寝れなかった、俺」
「ごめんね」
聖君は謝った私に抱きつき、
「今日は思い切り、俺に甘えてこないと、俺、許してあげない」
と、口を尖らせてそう言ってきた。
「ええ~?」
私がたじろぐと、
「まじで、許してあげないけど、いい?」
と、ちょっと意地悪な声で聖君は言った。
「い、嫌だ」
「じゃ、思い切り甘えてね?奥さん」
「う、うん」
聖君はぱっと立ち上がり、またさっさと着替えをして出て行ってしまった。ああ、なんて早いんだ。いつものことだけど。
それにしても、甘えるってどうやって?それも思い切りなんて、甘えられるんだろうか?
私はしばらく布団に寝転がったまま、悩んでいた。
お店に行くと、聖君のお父さんが朝ごはんを食べていた。聖君も自分の朝ごはんを持って、カウンターに座った。
「桃子ちゃんの分もすぐに作っちゃうわね。あと聖から聞いたんだけど、昨日お腹張っちゃったんだって?大丈夫?」
聖君のお母さんが、優しくそう聞いてくれた。
「はい、今はもう大丈夫です」
「良かったわ。でも今日は、お店の手伝いはいいからね?ゆっくりと休んでいてね」
「はい」
「あ、でも桃子ちゃん、洗濯物干すだの、掃除するだの言ってたよ」
聖君がばらしてくれた。
「いいのに、そんなことしなくても。ゆっくりしててよ」
聖君のお母さんにも、そう言われてしまった。
「大丈夫です。そのくらいはできます」
「じゃ、あとで洗濯物を干すのを手伝ってもらうわ。掃除はいいからね?」
「はい」
お母さんはキッチンに戻った。聖君はいただきますと言って、元気に食べだした。
「今日のバイトは、桜さん?」
「ん~~と、麦ちゃんだっけか。3時からは朱実ちゃんも来るし、桃子ちゃんは休んでいても、全然大丈夫だよ」
「うん」
「麦ちゃんは、ホールの方をいつも手伝ってくれるから、俺、キッチンに入るしさ」
「それじゃ、聖君目当ての子が、聖君を呼んじゃわない?」
「麦ちゃん、そのへん、うまいんだよね。今、キッチンで手がはなせないようなことを、うま~く言ってくれるの」
「へ~~~」
知らなかった。
「だから、桃子ちゃんは店のことは心配しないで、ゆっくりとするんだよ。いい?」
「はい」
聖君にそう言われ、つい、はいって答えてしまった。今度は、過保護のお父さんみたいだった。
「それから、今日は、思い切り甘えること、いい?」
「え?」
「いい?」
「う、うん」
今度のは、いつもの強引な聖君だよ…。
それを聖君のお父さんが聞いていて、くすって笑っていた。ああ、聞かれてたじゃないの。恥ずかしいな~~、もう。でも、聖君はまったく動じず、ばくばくとご飯を食べている。
私も朝ごはんを食べ、それから、家にあがった。お母さんが来て、一緒に2階に行き、洗濯物を干すのを手伝った。
「何日もごめんね、桃子ちゃん」
「え?何がですか?」
「お店よ。いっぱい手伝ってもらっちゃって、それでお腹張っちゃったのかもしれないわよね」
「いいえ、そんな…」
「立ちっぱなしもよくなかったし、それにお店、エアコンが効いてるから、それもよくなかったかもしれないわね」
「そんなに冷えちゃった感じは、なかったんですけど」
「でも、妊娠してるときは、いろいろと注意しないとね」
「はい」
「さ、終わった。桃子ちゃんはリビングで休んでいてね。あ、ちゃんとお腹にはひざ掛けか何かを、かけておいてね」
「はい」
お母さんはまた、お店の方に行った。私はリビングのソファーに腰掛けた。クロがお店からやってきて、足元に寝転がった。
「いってきま~~す」
杏樹ちゃんが元気に、2階から駆け下り、私にそう言って、お店から塾へと出て行ったようだ。
「さて、一仕事するかな」
聖君のお父さんは、カウンターで新聞でも読んでいたんだろう。お店の方から家に上がり、2階に上がっていった。
「クロ、今日は聖君に思い切り甘えないとならないの。どうしたらいいと思う?」
クロに頭をなでながら聞くと、クロは尻尾を振って喜んでいる。
「尻尾、私にもついていたら、聖君の前でぶるんぶるん振っちゃうのにな」
それから抱きついて、それから…。ああ、私が本当の犬だったら、甘えるのもきっと簡単だ。
その日は、私はリビングで本を読んだり、テレビを見たりして過ごしていた。クロはずっとそばにいてくれた。
お昼も、聖君がリビングまで持ってきてくれた。
「聖君は?」
「俺はあとで食べるよ。先、食べちゃっていいからね」
一緒に食べたかったな。一人で食べるなんて…。あ、そうか。これか。
「聖君」
「ん?何?」
聖君はトレイから、お皿をテーブルに並べながら聞いてきた。
「聖君と一緒に、食べたい…な」
「え?」
「一人じゃ、寂しいよ」
そう言って、ちらりと聖君を見ると、聖君は思い切りにやけて、
「桃子ちゅわんってば。それ、甘えてるの?」
と聞いてきた。
「うん…」
うなづくと、むぎゅって抱きしめてきて、
「じゃ、待ってて。これ、先に麦ちゃんに食べてもらっちゃうから」
と、一回テーブルに置いたお皿をまたトレイに乗せ、お店に戻っていった。
あ、うそ。私のわがまま、きいてくれちゃうんだ。うわ。びっくり。甘えても、先に食べてって言われると思ったのに。わ~~。ちょっと、感動だ。
でも、麦さんに悪かったかな。それに、今、麦さんが食べたりして、お店大変じゃないかな。私、お手伝いしたほうがいいのかな。
ああ、甘えてみたものの、いろいろと気になってしまう。
「桃子ちゃん、こっちでお昼食べてもいい?話がしたくて」
麦さんがトレイを持ってやってきた。
「え?はい、どうぞ」
ここで食べるのか。じゃ、お店はそんなに混んでないのかな。
「あの、今、お店」
「ああ、なんだかすいてるのよ、今日は。もう夏休みも終わりだからかしらね?」
麦さんはそう言うと、私のまん前に座った。
「話っていうのは、桐太のことなんだけど」
麦さんは、食べながら話し出した。
「はい」
やっぱり、桐太のこと。
「昨日も、お手伝いに行ったの。まだ、店長、横になってるみたいで」
「まだ痛むんですか?」
「うん。そうみたい。でも整体にも行ってきて、今日から働けるようになっていたけどね」
「それはよかったですね」
「店長のほうはね、良かったけど。でも、店長戻ってきたし、私、もう用がなくなっちゃって、桐太に会うこともできなくなっちゃった」
「サーフィンにまた、桐太と行けばいいじゃないですか?」
「桐太、今度は店長と行けばって言うのよね」
「え~~。桐太ってば、何を言ってるんだろう」
「…そういう時に私、素直に一緒に行きたいって言えないんだ」
「え?」
「桐太となんて、こっちから願い下げよって、つい言っちゃったし」
うわ。そんなことを…。
「ばかでしょ?私」
麦さんは、落ち込んでしまって、声も沈みこんでしまった。
「で、でも、もう一回、一緒に行こうって誘ってみたら?」
「…どうやって?」
「どうって。こうなったら、素直になって、桐太と一緒に行きたいって」
「い、言えないよ」
「だけど、麦さん、聖君には、いつも素直だったって言うか」
「聖君は優しかったから。相談とか乗ってくれてたし」
「…桐太は?」
「ずっと憎まれ口たたいてたのに、今さら素直になんて…」
そうか。そういうものか。
「は~~~」
麦さんはため息をついた。
「もし、桃子ちゃんなら、どうする?」
「私?」
「今まで憎まれ口言ってた相手に、どうやって、接していく?」
「…。一回、素直に気持ちを言ってみるかな」
「え?」
「あ、わかりません。そうなってみないとわからないけど、でも、素直に気持ちを言ってみないと、始まらなさそうだから」
「何も始まらないか…」
「はい」
「怖い!」
「え?」
「桐太に、バカにされたり、嫌がられたらどうしたらいい?」
「え、えっと。そんなに冷たいことしないと思うけど。でももし、桐太に冷たくされたら、私も聖君もいるし」
「そ、そうだよね。そうだよね!桃子ちゃん」
え?え~~?麦さんが私に、抱きついてきた。
「ありがとう。勇気出てきた」
「よ、よかったです」
私はどうしていいものか、固まっていたけど、とりあえず、そう言ってみた。
「よし。じゃ、今日バイト終わったら、お店行ってくる」
「はい」
「もしかしたら、帰りに寄るかもしれないけど、そうしたらまた、話を聞いてね」
「はい」
「…ああ、嬉しいな」
麦さんは本当に嬉しそうに、はみかみながら笑った。
「え?何が?」
素直になることがかな。
「私、こういう話ができる友達がいなかったから。桃子ちゃんが聞いてくれるのがすごく嬉しくて」
「そ、そんな。私でよければ、いつでも」
なんだか、照れくさいな。そう言われるの。
「ありがとう、本当にありがとうね」
麦さんはそう言うと、ランチをばくばくと食べだした。
「さ、午後のバイトもがんばってこよう。じゃあね、桃子ちゃん」
「はい」
麦さんは、元気にお店に戻っていった。
それからしばらくして、聖君が私と聖君のお昼を持って、やってきた。テーブルに並べ終わると、いきなり私に抱きつき、
「俺が来て嬉しい?嬉しい?」
と聞いてくる。ああ、クロが抱きついて、尻尾を振ってるみたいだ。
はっ!でもここでも、思い切り私のほうが甘えていいんだよね。
「聖君」
私は聖君に抱きつき、
「すごく嬉しい」
と言ってみた。それから、しばらく、ぎゅうって聖君を抱きしめていた。
「桃子ちゃん、すげえ嬉しいけど、ご飯冷めちゃうから、またあとで甘えてね?」
聖君は思い切りにやけたまま、そう言って、いっただきま~~すと手を合わせ、がつがつとご飯を食べだした。あ、ご飯を食べていても、顔がにやけている。
「いいね、桃子ちゃんに思い切り甘えてもらうのって」
聖君はそう言って、また、思い切りにやついていた。