第42話 もしも…
夜、お風呂に入りながら、私は聖君に栗ちゃんとの会話を話していた。
「いさぎよく、どうしてあきらめられるのかな」
「新しい恋をしようって思ったんでしょ?よかったじゃん」
「うん…」
私はバスタブにつかりながら、髪を豪快に洗い出した聖君を見ていた。聖君は洗い終わると、濡れた髪をかきあげた。髪からも、顔からも水がしたたり落ちる。う、かっこいい。
ぼけ~っとしばらく、見とれてから、
「不思議」
とつぶやいた。
「何が?」
聖君が、こっちを向いて聞いてきた。
「私も栗ちゃんみたいに、ずっと聖君に片思いをしてるだけの女の子に、なったかもしれないのにって思って」
「へ?」
「何がどうして、どうなっちゃって、私は今ここで、聖君と一緒にお風呂に入ってるんだろう」
「は?」
聖君は、何言っちゃってるの?って顔をした。それからバスタブに入ってきた。
「それはあれだよ、運命ってやつだね」
聖君は私のことを後ろから抱きしめながら、そう言ってきた。
「運命?」
「出会うべくして、会った。必然ってやつ」
「…私と聖君?」
「そ!」
むぎゅ!聖君は抱きしめている腕に力を入れた。
「文化祭、本当に出ないの?」
「出ないよ」
「見たかったな、また、私も」
「ステージで歌う俺を?」
「うん」
「…やっぱ、出ない」
「どうして?」
「あれね、けっこう練習する時間取られるんだよ。ぶっつけ本番ってわけにはいかないし。やるからには、俺、完璧目指しちゃうし」
「そうなんだ」
「そうするとね、大学とバイトのない日っていうと、週末の昼間でしょ?それが全部、練習に当てられちゃうかもしれないってことなんだよね」
「そうなんだ」
「そうなんだって、他人事みたいに言ってるけどさ、そうなるとね、休みの日に桃子ちゃんと一緒にいられなくなるんだよ?」
「え?」
「いいの?それでも」
「…」
「平日は大学と、バイト。土日はバンドの練習と、バイト。それでもいい?」
「い、嫌かも」
「でしょ?」
「じゃ、私のために断ってくれたの?」
「そうだよ。桃子ちゃんのためなんだよ」
「…」
そ、そうか。そうなんだ。じ~~ん。
「なんてね」
「え?」
違うの?今、感動してたのに。
「本当は俺が、桃子ちゃんといたいからなんだけどさ」
「…」
あ、今、顔が熱くなった。きっと真っ赤だ、私。
「照れてる?」
聖君に聞かれた。
「う、うん」
「あはは。可愛いな~、もう~~」
またむぎゅって、抱きしめられた。
「もし、私だったら、いさぎよくあきらめられそうもないな」
「何が?」
「聖君に付き合ってる子がいるとか、そういうのわかっても」
「…へ?」
「栗ちゃんみたいに」
「もしなんてないんだから、そんなこと考えなくてもいいよ。桃子ちゃんは、俺の奥さんなんだから」
「うん」
そうだよね。そうなんだけど。
「桃子ちゃん、紗枝ちゃんといい、栗ちゃんといい、すっかり話が合っちゃうみたいだけど、どんな話してるの?」
「え、えっと…。聖君が素敵過ぎて、どきどきして話せないとか、聖君の笑顔に、一目惚れしたとか、そういう話」
「へ?」
「私もそう!ってつい、言っちゃうから、盛り上がっちゃって」
「…」
聖君が無言になった。
「だって、そういう話、いっぱいしたいのに、周りに聞いてくれる人いないし」
「…」
「あ、一人いた」
「誰?」
「桐太」
「あ、そう。桐太ともそんな話してるんだ」
「うん。桐太は、聞いてくれるんだ、そういうこと」
「…」
聖君は黙り込んだ。それから、
「そうだよね。さすがに俺、そんな話されられても、共感できないや」
とつぶやいた
「それにしても、どうして自分が彼女なんだってことは言わないの?」
「どう言っていいかわからないもん」
「ただ、私は聖君と付き合ってますとか、彼女は私なんですとか言えばいいだけじゃん」
「言えないよ、そんな…」
「なんで?俺だったら、言っちゃうけど」
「え?」
「桃子ちゃんのこと好きなやつが来たりしたら、桃子ちゃんは俺の彼女だから、手出すな!とか、好きになっても無駄だから、あきらめろ!とか」
あ、そういえば、コーチに言っていたような…。それから、穂高さんにも。
「どうしてかな。自信のなさかな」
「え?」
「言えないのは…」
「でもさ、これからは、彼女なんですどころじゃないんだよ?聖君は、私の夫ですとか、結婚していますって、そう言うようになるんだし」
「そうだよね」
夫…。私の夫。ああ、なんだか、まだまだ、そんなこと言えないよ~~。恥ずかしくって。
「俺の妻です」
いきなり聖君はそう言った。
「え?え?なに?」
私はさらに顔が熱くなった。
「俺の奥さんです。ワイフです。嫁です。う~ん、何が一番しっくりくるかな」
「あ」
なんだ、呼び方?
「奥さんが一番しっくりくるかな。どう思う?」
「わかんない。どれもドキドキしちゃって、みんな一緒に聞こえる」
「そうなの?じゃあ、桃子ちゃんはなんて俺のこと紹介する?私の夫?旦那?主人?」
「え?」
「主人…。なんだか、変な感じだね」
「うん。やっぱり、どれもどきどきしちゃって、どれもしっくりとこない」
「え?そうなの?!」
聖君はちょっと声をあげてそう言うと、
「なんだよな~。でもさ、もう少ししたら、まじでそう紹介するようになるんだし、今から慣れておいてよ」
と、ちょっとすねた感じで言った。
「う、うん」
そうは言われても、なかなか慣れそうにもないな~。
「あ、外国ふうに、ダーリンとかどう?」
「ええ?!」
「じゃ、俺はハニーって呼ぶ?」
「いい、そんなの恥ずかしいよ」
私はまっかっかになった。
「あはは!」
聖君はそんな私を見て、大笑いをした。ああ、もしやからかって、遊んでる?
聖君がお風呂を出ると、お父さんが、
「聖、新しい筋トレグッズ買ってきたけど、やる?」
と言って、聖君を自分の部屋に連れて行ってしまった。
私は一人で、和室に行き、凪に日記を書いた。
今日は、パパのことをずっと好きだったっていう人がきました。と書きかけ、消してから、パパは今日も、モテモテでした。と書いた。
凪がいくつの時にこれを見るかわからないけど、パパのことを好きで、ずっと片思いしてる人が来たっていうのは、やっぱり、娘として、あ、息子かもしれないけど、そんなに知りたいとは思わないことだよね。
あ、そういえば最近、聖君のこと、写真に撮ってないな。と思い、私はデジカメを持って、聖君が筋トレしている姿を撮りにいった。
聖君とお父さんは、洗面所の前にあるルーフバルコニーに出て、筋トレ中だった。
「聖君、凪の日記に貼る写真、撮らせてね」
とそう言ってカメラを構えると、思い切りポーズを作って見せた。顔まで、めちゃりりしい顔になってる。
パシャ。すると、お父さんまでが、
「俺も撮って、撮って。それで日記に貼って」
と言うので、撮ってあげた。それから二人はまた、うお~~っと言いながら、筋トレをし始めた。面白い親子だな~~。
私はしばらくそれを、ぼけっとしながら見ていた。ああ、ああやって、聖君のきれいな腕の筋肉は出来上がっていくのか~~。
「あ、久々にやったから、もうばてた。明日筋肉痛だ」
聖君がそう言った。
「俺なんか、あさって筋肉痛だ」
お父さんがそう言うと、聖君は大笑いをして、
「もうどんだけ、親父なんだよ」
とお父さんの背中をたたいていた。
やっぱり、仲のいい親子だよな~。そんな光景を見ていられるのも、嬉しいな~。
「潮風、気持ちいいな」
聖君のお父さんが言った。
「あ~~。めっちゃ気持ちいいけどさ、なんか夜はだいぶ涼しくなってきたよね」
聖君も、風に当たりながら、そう言った。
「夏も終わって、秋になるんだな」
聖君のお父さんが、しみじみとそう言うと、
「お前、いつ桃子ちゃんちに戻るの?」
と聞いた。
「そうだな。桃子ちゃん、学校が始まるし、そろそろ帰らないとね。明日か、あさってには帰る?」
聖君が私に聞いてきた。
「じゃあ、水曜に」
「うん。車で雑貨屋回ってから、桃子ちゃんちに帰ろうか?」
「うん」
聖君のお父さんは、お風呂はいってくるよと、一階に下りていった。聖君と私は、ルーフバルコニーにあるベンチに腰掛け、風に当たっていた。
「学校、どうなるんだろうな」
私がぽつりと言うと、聖君は、
「うまくいくよ。退学になったってうまくいくし、卒業できるようになったって、うまくいく。どっちになったとしてもさ、桃子ちゃんのそばには俺がいるんだし、桃子ちゃんが幸せでいることには、変わらないんだから」
と、にっこりと笑いながら言った。
聖君の発想、好きだな。どんどん気持ちが楽になっていく。
「そうだよね。聖君といられるんだもん。私、幸せだよね」
私は聖君に抱きついてみた。
「甘えてるの?」
聖君が聞いてきた。顔を見たら、思い切りにやけている。
「うん。甘えてるの」
「もう~~、桃子ちゃんってば、甘えんぼ!」
そう言うと聖君は、私のことをぎゅって抱きしめ返して、髪にキスをしてから、
「あ、髪、半乾きじゃんか。ちゃんと乾かさないと」
と、立ち上がった。それから和室に行くと、聖君は鼻歌交じりで、私の髪を乾かしてくれた。
聖君の髪も乾かしてあげると、聖君は、
「さてと」
と言って、日記を開いた。
「え?何これ」
私が書いたところを見て、聖君は赤くなっている。
「なんだよ。今日もモテモテでしたって」
「だって、本当のことじゃん?」
「え~~!あ、そうか!ママにパパはモテモテだったってことか」
聖君はそんなことを言い、ノートにもそう書き足していた。
「違うよ。そうじゃなくって」
私が後ろからそれを見て、そう言うと、
「いいんだよ。俺は、桃子ちゃんだけにもてりゃ、それで満足なんだから」
と、ノートを閉じてしまい、
「デジカメ貸して。プリントアウトしてきちゃうから」
と、ノートまで持って、自分の部屋に行ってしまった。
なんだろうな。凪に自分がモテていたこと、知られたくないのかな。それとも、モテること自体が、嫌なんだろうか。
あ、でもさっき、なんだかすごく嬉しいことを言ってくれたような。
「桃子ちゃんだけにもてりゃ、それで満足」
か~~。思い出して、顔がほてってしまった。
ああ、私もだ。聖君に愛されていたら、それだけで幸せ。
は!愛されていたらだって!恥ずかしいことを思ってしまった。きゃ~~~!
しばらく私は、真っ赤になっていた。すると、聖君が戻ってきた。
「桃子ちゃん、見て~~。俺も父さんもたくましく写ってるよ。桃子ちゃん、写真撮るの上手って、なんで真っ赤なの?」
「なんでもないっ。ちょっと今、恥ずかしがってただけ」
「なんで?何に?」
「私もね、聖君にだけ、もてたら、それでいいからね?」
「うん。で、なんで恥ずかしがってたわけ?」
「なんでもないよ~~~」
愛してるとか、愛されてるとか、そういう言葉はまだ、恥ずかしいな。
「さてと、日記も書けたし」
聖君はにっこりと微笑んだ。
「寝る?でもまだ、10時半だね」
私がそう言うと、聖君は、抱きついてきて、
「桃子ちゅわわん」
と甘えてきた。
「ごめん、今日は、ちょっと」
「え?」
「ちょっとだけど、お腹が張るの」
「え?大丈夫なの?」
「うん」
「痛いとかは?」
「ないよ、大丈夫」
「お店でがんばり過ぎちゃったかな。立ちっぱなしってよくないよね?明日は、休んでいていいからね?」
「じゃあ、洗濯物干したり、掃除したりするね」
「駄目だよ、それじゃ意味ないじゃん。休んでなきゃ」
「大丈夫。そのくらいなら」
「そう?」
「うん」
「桃子ちゃん、まじで、体大事にしてよ」
「うん」
ああ、ほんと、聖君って優しい。
「もし学校行ける事になったら、大丈夫かな」
「え?」
「無茶は駄目だよ。ラッシュの時間に電車も駄目だよ。あ、俺が送っていくから」
「大丈夫だってば」
「体育なんかしちゃ駄目だよ」
「しないよ~~」
「学校でお腹張ったらすぐに、保健室で休むんだよ?」
「うん」
なんだか、過保護のお母さんみたいだな。うちの母は、けっこうほったらかしにしてくれるから、こんなに大事にされられると、くすぐったいな。
「じゃ、もう横になってて。ね?」
「うん」
聖君は、私の隣に寝転がり、私の頬を優しくなでた。そしてすごく優しい目で、私を見つめた。
「聖君、目、優しい」
「俺?」
「うん」
「そう?だって、桃子ちゃん、可愛いから」
「…」
「あ、赤くなってるし…」
聖君は目を細めて笑った。ああ、その顔、すごく可愛い。
「栗ちゃんがね、言ってたんだ。聖君に笑顔を向けてもらえるのって、すごく貴重だったって」
「え?」
「聖君の笑顔を遠くから見られるだけでも、嬉かったって」
「…そうなんだ」
聖君は頭をぼりって掻いた。
「その笑顔を独占してるのって、すごいことだね?」
「へ?」
「ね?」
「…そりゃ、奥さんなんだから、当然のことでしょ?」
「…そ、そっか」
くす。
聖君に笑われた。そして鼻を、むぎゅって摘まれた。
「おやすみ、桃子ちゃん。寒くない?エアコン、効きすぎてない?」
「うん、大丈夫」
聖君の胸に顔をうずめた。ああ、聖君の匂い、それに心臓の音が聞こえて、ものすごく安心する。
「おやすみなさい、聖君」
私は目を閉じた。聖君は、優しく私の髪をなでてくれていた。