第4話 ピンク色の部屋
聖君は店のお手伝いをしに、夕方には帰っていった。そして、そのあとすぐに、母が帰ってきた。
「すれ違いだ。今、聖君、帰ったんだよ」
父がリビングに入ってきた母にそう言ったが、母はめちゃくちゃ機嫌の悪い顔をしていた。
「ああ!もう!嫌になる。これだから、私立の学校は!」
ああ、校長先生から、退学を言い渡されたのかな。
「駄目だったのかい?」
父が冷静に聞くと、母は、
「まだよ!まだわからないわ」
と言って、キッチンに行き、水をコップに入れ、一気に飲み干した。
「校長だけの判断では、なんにもできないんですって。理事だのPTAだの、その辺と相談したり、会議もしないとならないかもって」
母は、そう言いながらまたリビングにやってきた。
「会議?」
「よくわかんないけど、今までもあったらしいのよね、在学中に妊娠って。その子、子供をおろしたんだけど、それでも転校させられたらしいわ」
「そうか」
父はため息を吐きながら、ソファーの背もたれに、よっかかった。母は父の隣に座った。
「おじいちゃん、すごく頑張ってくれたのよ。校長もね、桃子はまじめだし、勉強も頑張っていたし、特に問題を起こしたこともないし、いろいろと力にはなりたいんだけどって、そうは言ってくれたんだけどね」
「そうか」
「だけど、そんなまじめな生徒が、妊娠なんてって驚いてた。もしかして、ひと夏のアバンチュールみたいな感じで、男にだまされたんじゃないかとか、最初言われちゃって。おじいちゃんと、そうじゃなくって、まじめに付き合ってる人との間にできた子供で、もう入籍もしたんだって言ったんだけどね」
「アバンチュール?死語だね。それはもう」
「ほんとよね。校長、古い人だから」
「アバンチュールって何?」
私が聞くと、
「ひと夏だけの冒険とか、あぞびとか、そんな感じかしらね」
と母が言った。
「ひと夏?」
とんでもない。もう知り合ってから3回目の夏だよ。
「入籍をもうしたんですかって驚いてた。でもね~~。卒業は難しいかもって」
「校則ではあるのかい?結婚しちゃいけないとか、赤ちゃん産んじゃいけないとか」
「お父さん、そんなのあるわけないでしょう。だいたい、そんな校則作らないでも、高校生で妊娠だの結婚する人はまれなんだから」
「だろうね。じゃ、校則にもないし、堂々と結婚でも、出産でもしたらいいじゃないか」
「お父さん、まじめに考えてる?」
「ああ、もちろんだ」
「は~~。やっぱりね、一回認めたら、これからもそういう生徒が増えてしまうんじゃないかとか、他の生徒に影響を及ぼすんじゃないかとか、そういうことが理由なのよね。あとは、こういうのがマスコミに知られたら、学校の評判も落ちるとか、どんな教育をしているんだと、つつかれても困るとか」
「校長がそんなことを言ったのかい?」
「言ってたわよ。こっちの事情もわかってほしいって。とりあえず、理事長に相談するって言われたけどね」
「そうか~~。やはり、難しいか~~」
父がうなだれた。
「桃子」
母は私の顔を見た。
「桃子は、あまりショックを受けてないのね」
「私?うん」
「どうして?」
「どうしてって、そんなにすぐに認めてもらえると思ってなかったし、退学になる覚悟もできてるから」
「そうなの?」
母が目を丸くした。
「うん。もう聖君のお父さんから言われてたんだ。退学の覚悟はできるかい?って。私、もし退学になっても、聖君とはもう結婚していて、これからも一緒に暮らしていくんだし、そっちの人生をちゃんと受け入れて、聖君と生きていくよ」
「あらま~」
母はもっと目を丸くした。
「ははは。なんだか、桃子のほうがずっと大人だな。まあ、でも、そうだな。退学になったとしても、結婚にも赤ちゃんが生まれることにも、なんの支障もないんだから、そんなにショックを受けることでもないんだろうな」
父は、表情を明るくしてそう言った。
「そうね~」
母はそう言うと、なんだかすっきりしたのか、
「さて、夕飯の準備でもしようかしらね。桃子、蕎麦なら食べられるって言ってたから、買ってきたわよ」
と、ソファーから立ち上がってそう言った。
「ありがとう」
「じゃ、用意できたら呼ぶから、2階にいる?あ、そういえば、お父さん、納戸はもう片付いたの?」
「ああ、聖君と二人で片付けておいたよ」
「聖君、いつから来るって?」
「月曜日から来たいって、言ってたよ」
私がその質問に答えた。
「月曜日ね、わかったわ。じゃ、明日には全部、準備を終わらせないとね。お父さん、明日もあいていたのよね?」
「ああ、大丈夫だ」
「じゃあ、明後日からはもう、聖君がここに住むのね~」
母は目を輝かせ、キッチンに向かった。
私は2階に行き、聖君にメールをした。母の言っていたことを、そのまま書いた。返事は来なかった。今頃はお店の手伝いで忙しいんだろうな。
退学になるかもしれない。悲しいのは、菜摘や蘭、花ちゃんと離れることだ。でも、友達じゃなくなるわけじゃないし、半年早くに卒業になったと思えば、それでいいのかもしれない。
校長からは、もしかすると夏休みが終わり、2学期にならないと返答がこないかもしれないということだった。
夏休みはまだ、ひと月もある。じゃ、その間は、高校のことなど考えず、聖君との新婚生活を楽しんでいたらいいのかな。
あ、今、私、なんて考えてた?
新婚生活?し、新婚生活。
きゃわ~~~~!!!自分でも驚きだ。そんな言葉を使ってるなんて!!!でもそうじゃん。私たち、新婚なんじゃないの~~~!!!!
新婚、それは甘い響き。新婚、それはめっちゃくちゃ、いちゃついてるイメージ。新婚、それはこの部屋のように、ピンク色のイメージ。
は!そうだ。聖君は、こんなピンクピンクいている部屋で、寝泊りするのに抵抗はないんだろうか。聖君の部屋は、すんごいシックだというのに。
それも、メールしてみた。ピンク色の部屋で暮らすの、抵抗ない?って。
それから、私たちって、新婚なんだね。それも思い切って、書いてみた。聖君から、どう返事が返ってくるかな~~。ドキドキ。
母が夕飯ができたと呼んでくれて、冷たいお蕎麦を食べた。どうにか食べることができた。
あと、食べられるのが不思議なことに、ファーストフードだ。それこそ、気持ちが悪くなりそうだが、食べられる。
それから、トマト。食べられるのは、それだけ。
お風呂に入り、出てくると、ひまわりがダイニングにいた。ひまわりも、お蕎麦だったが、てんぷらを揚げているらしく、その匂いで、気持ちが悪くなりそうになり、慌てて2階に逃げた。
部屋に入り、髪を乾かしていると、携帯が鳴った。
「聖君?」
「うん、俺」
聖君だ~~。今日も会ったというのに、なんだか懐かしさすらある。なんでかな。
「学校のことは、2学期にならないとわからないんだね?」
「うん、そうなんだ」
「じゃ、ま、それまでは、すっかり忘れていようよ。考えてもしょうがないことだしね」
「うん」
「えっと、部屋、ピンクでもいいよ」
「本当に?」
「うん。いいじゃん。ピンク色だなんて、思い切り、新婚さんって感じでさ」
「……」
う。新婚…。その言葉聞いただけで、顔が熱い。
「新婚か~~。いいね!その響き!」
聖君は喜んでる。
「新婚。でへへへ」
あ、聖君、きっと思い切りにやけてる。
聖君はそのまま、デレデレになりながら、電話を切った。
聖君のこういうところも、可愛いと思うし、大好きだけど、聖君を好きな女の子たちは知らないだろうな、こういうにやけてる聖君のこと。
だって、いっつもクールだし、にやついてるところなんて、絶対に見せたこともないだろうし。もしかして、このにやついてるところを見せたら、ファンも減ったりして。
あ、だからって、にやついてるとかっこ悪いっていうわけじゃないけど。
ただ、にやついていようが、なんだろうが、かっこいいし、可愛いし、素敵だし。って思うのなんて、やっぱり私くらいしかいないんじゃないかって、ちょこっと最近、思ったりもする。
そして、そして、月曜がとうとうやってきた。
午前中に、聖君が来て、ベッドが届くと、配達した人とともに、2階にベッドを運ぶのを手伝い、私の部屋にあったベッドを一階に下ろした。
それは客間に移動して、これからは、ベッドを使ってエステをするんだって、母が張り切っていた。
私の部屋にセミダブルのベッドが入った。それにマットや、布団、そして薄い肌掛け布団もかけ、ふかふかの枕もおいた。
「わ!」
枕も、肌掛け布団も、白の地に白の細かい花柄。シーツも真っ白。カーテンはピンク。絨毯もピンク。すごい色っぽい部屋になってる。
「はは。なんつうか、新婚を通り越してるような気も…」
聖君の顔がひきつっている。
「ね?やっぱり、カーテンだけでも変えた方が、よさそうでしょ?」
私がそう言うと、後ろから、
「そうよね、やたらと色っぽい部屋になってるわよね。ベッドの白はいいのよ。だから、カーテンを、クリームとか、ベージュとかに変えてみたら?」
と母までがそう言った。
「だよね、お母さんもそう思うよね」
母も腕を組み、これはちょっとねって顔でしばらく部屋を見回していた。部屋には、ピンクのクッションまで置いてある。
「今度、聖君、見てきたら?カーテン」
「そ、そうですね…」
母はそう言うと、早速メジャーを持って、窓のサイズを測った。
「いつも思うんですけど」
聖君も測るのを手伝いながら、
「お母さんって、行動が早いですよね」
と、母に言っていた。
「私?そうね。思い立ったら即行動しないと、いらいらしてきちゃうのよね」
「へえ」
「ひまわりがそうかもね」
「ああ、そんな感じもしますね」
「桃子は違うけどね」
「おばあちゃん似だから、私は」
「そうね。似てるわ。あの、人のこととなると、いきなり切れるところも似てるわよ」
「切れる?」
切れるって?
「そうよ。だから、桃子が妊娠してるって聞いて、聖君にあんなに怒っちゃったんじゃないの」
「ああ、そういうことか」
「桃子も、蘭ちゃんのことを前に悪く言っちゃったら、いきなり切れて怒り出したことがあって。ね?桃子。あの時はお母さん、驚いちゃった」
「ああ、あの時。だって、蘭のこと何も知らないくせに、ひどいこと言うんだもん」
「あはは、桃子ちゃん、人のことだと、変わるもんね。いきなり強くなるよね」
「聖君も、桃子のそういう性格知ってるんだ」
「え?はい、まあ」
「こういう子はね、子供生まれると変わるわよ、きっと」
「え?どんなふうにですか?」
「子供を守るために、俄然強くなっちゃうのよ。人が変わったみたいになるかも。どうする?聖君なんて優しいし、尻に敷かれちゃうかもよ?」
「え?俺がですか?」
「ちょ、お母さん、何を聞いてるのよ。それに私、尻になんて敷かないよ」
「わかんないわよ~、それは」
母に、そう言われてしまった。聖君のほうを何気にちらりと見ると、ちょっとにやついてから、
「俺、桃子ちゃんだったら、尻に敷かれてもいいかな」
と、ぼそって小さな声でそう言った。
「え?」
母がびっくりして目を丸くして、
「聖君って、意外と変態なのね~」
と、驚いた顔のまま、そう言った。
「へ、変態?」
聖君は、一瞬固まると、私の方を見て、
「俺が変態だって、ばれちゃったよ」
と、私に小声で言った。
変態って…。あ、でも私もか。にやついてる顔の聖君すら、かっこよく見えるなんてきっと、変態だよね。あ、変人かな?
母は笑いながら一階に下りていった。聖君は、いきなりベッドに寝そべると、
「わ、広い。セミダブルいいね!」
と大の字になった。
「今までの狭かったもんね、二人で寝るの」
「うん」
「桃子ちゃんも横になってみて」
私は聖君の横に、そっとねそべってみた。
「ほら、余裕だ」
「うん、本当だ」
「お腹大きくなっても、大丈夫だね」
「聖君、赤ちゃんが生まれるまで、ずっと一緒に暮らすの?」
「俺?うん。生まれてからも、しばらくこっちにいてもいいよ?」
「…」
「あ、なんで無言?嫌なの?」
「ううん。ずっと、こうやって、隣にいてくれるんだと思うと、感動しちゃって」
「あはは、泣きそうになってたとか?」
「うん。でもどっかで、信じられないっていうか」
「どの辺が信じられないの?」
「…」
じっと聖君の顔を見て、
「だって、聖君が横にいること自体が不思議で」
と私は言った。聖君は、はあ?って顔をして、私の鼻をむぎゅってつまんだ。
「まあ、いいや。毎日、毎日隣にいたら、そっちが当たり前になるよ、きっと」
聖君はそう言うと、時計を見て、
「あ、そろそろ行かないと。スコーンを焼く手伝いしないとならなかったんだ」
と、ベッドを降りた。
「つわりがおさまったら、私、絶対にお手伝いに行くね」
「うん、わかった。母さんにも言っておくよ」
聖君はそう言うと、私に優しくそっとキスをして、
「じゃ、行ってくるね、奥さん」
と笑って言った。
「え?」
うひゃ~~~~。新婚さんみたいだ。これで、私がいってらっしゃい、あなた、なんて言ったら…。
あ、待って。新婚だったんだっけ!!
「いってらっしゃい。聖君」
「うん。わ、なんだか、新婚みたいだね」
聖君がそう言った。そしてドアを開け、出て行こうとしてから振り向き、
「新婚みたいじゃなくって、新婚なんだね、俺ら」
と照れながらそう言った。
なんだ、聖君だってまだ、新婚だって自覚ないんじゃない。なんて思わず、私は思ってしまった。