第38話 夏の朝
朝、いつものように目が覚める。きっと聖君が、横で可愛い寝顔で寝てるって思いながら。パチ…。目を開けると、まんまえに聖君の顔。
「おはよう、桃子ちゃん」
あれ?今日は聖君のほうが、早くに起きちゃってたの?
「おはよう」
「桃子ちゃん、寝言言ってたよ」
「え?なんて?」
「教えない」
「な、なんで?」
「秘密」
「どうして~~?」
聖君は私をぎゅって抱きしめ、それからぱっと起き上がると、さっさと着替えて部屋を出て行ってしまった。
あ、あれ?もう行っちゃうの?それに本当に寝言教えてくれなかった。
ふと時計が目に入った。あ!もう7時半だ。私も起きて着替えをして、部屋を出た。
お店はいつものように、すでにコーヒーの香りが漂っている。お母さんは明るい笑顔で、
「おはよう、桃子ちゃん」
と言ってくれる。カウンターにはお父さんもいて、新聞を広げている。
「おはよう、桃子ちゃん」
「おはようございます」
バタバタと足音をたて、杏樹ちゃんが2階から下りてくる。
「おはよう~~」
杏樹ちゃんのいつもと変わらない元気な声。
聖君はクロとお店でじゃれついている。
「クロ、今日は俺と散歩に行くか?」
「ワン!」
聖君にそう言われ、クロが尻尾を振って喜んだ。そして、
「桃子ちゃんも一緒に行く?」
と、にこにこの笑顔で聖君が聞いてきた。
「うん」
外は、もうセミが鳴いている。でも、この時間なら、空気も気持ちがいい。晴れていて、空が青い。そして海も、太陽の光を浴び、キラキラと輝いていて、ものすごく綺麗だ。
浜辺に着くと、サーファーが何人かいた。クロは、喜んで走り回り、聖君もクロを追いかけていた。
「聖君!」
犬を連れた女の人が近寄ってきた。
「久しぶりじゃない?朝の散歩」
「あ~~、ジュリー、久しぶり」
ジュリー?聖君がその人が連れてる犬に抱きついた。ゴールデンレトリバーだ。
なんだ、ジュリーって犬の名前か。女の人の名前かと思っちゃった。
「お店には出てる?」
「出てますよ。夏の間は昼間も」
「あら、そうなの?じゃ、今度行くわね」
「はい、ぜひ」
その人は私をちらっと見ると、
「これが噂の、聖君の彼女?」
と聖君に聞いた。聖君は赤くなりながら、
「ああ、はい、そうです」
と答えた。
う、噂の?
「可愛いわね~。これじゃ、泣いちゃう女の子がいっぱいいるんじゃない?」
そう言って、その人は笑いながら、犬を連れ、去っていった。
「今の人は?」
私が聞くと、
「ああ、浜辺でよく会ってた人。お店にもたまに来てくれてた」
と聖君は、クロをなでながら答えた。
「いくつくらいの人なの?」
「う~~ん、いくつかな。25とか、26とか?」
「ふうん」
そうか。大人な女の人なんだ。
「噂のってなあに?」
「ああ、桃子ちゃんのこと、ちまたじゃ噂になってるんだよ」
ちまたでって?
「俺、桃子ちゃんとこの辺も腕組んで歩いたりしてたし、れいんどろっぷすの看板息子に彼女ができたって、江ノ島界隈ではもう、有名だよ」
「な、何それ~~」
「あはは、ほんと、ほんと。俺、一時この辺の店はいるたびに言われたもん。聖君、彼女できたんだって~~って」
「うそ」
「本当だってば」
「でも、まだまだ聖君目当ての子お店来るよね」
「前より、近所の人は来なくなった」
「そうなの?」
「うん」
どれだけ、聖君目当ての人が多いんだろうか。
「海の家でバイトしてた時も、聖君目当ての人多かったんじゃないの?」
「どうだろ。れいんどろっぷすの客や、近所の人も来てたけど、でも地元の人より、海水浴に来てた客のほうが多かったし」
「話しかけられたりしなかったの?」
「したよ。逆ナンもあったけどさ。たとえば、蘭ちゃんとか?」
「え~~っ!」
「あはは。基樹が一瞬にして蘭ちゃんのこと気にいったの、俺わかってたよ」
「そうだったの?」
「目、輝かせてたもん。あ、これは完全に惚れたなってわかったから、俺も協力しなくちゃって思ってた」
「でも、聖君だって、菜摘のこと…」
「はじめは別に、なんとも思ってなかったし」
「じゃ、いつ菜摘のことが好きだって思ったの?」
「う~~んとね、いつかな?元気に自己紹介したあたりから?」
「じゃあ、最初の頃じゃん」
「あれ、そう?」
「うん。聖君、最初、蘭と菜摘、二人で来てるかと思ってたんだよね?」
「そうだった?」
「私がいて、あれ、3人なの?って聞いてきたもの」
「よく覚えてるね、俺、覚えてないよ」
なんだ、都合の悪いことは覚えてないんだな。
「ただ、3人でいるところを見て、蘭ちゃんと菜摘と雰囲気の違う子がいるって思ったのは覚えてるけど」
「雰囲気が違うって?」
「うん」
「私の第一印象って?おとなしそうな子って思った?」
聖君はぼりって頭を掻いた。それから、海のほうを見て、
「ふわ…」
と一言言った。
「え?」
私が聞き返すと、私のほうを見て、
「だから、ふわって感じ」
とそう言った。
「ふわ?」
「うん、なんかふわってした子だなって」
なんだ、そりゃ。ふわ…が第一印象?
「じゃあ蘭は?」
「蘭ちゃんは、積極的な子だなって」
「菜摘は?」
「元気な子だなって」
う、う~ん、それで私は、ふわ…なの?それ、どう解釈したらいいんだろう。
「で、やっぱり桃子ちゃんは、ふわってした可愛い子だった」
「え?ふわって可愛いの?」
「うん!」
聖君はそう言って、にっこりと笑うと、私の肩に手を回してきた。
「今日、波けっこうあるし、サーファー多いね」
聖君は海を見ながら、私の耳元でそう言った。
「うん」
耳元で話すから、くすぐったかった。
「あれ?」
聖君が浜辺の先を見ながら、指をさした。
「あそこにいるの、麦ちゃんと桐太じゃない?」
「え?」
私も指をさした方を見た。あ、本当だ。サーフボード持って、こっちにやってくる。
「桐太!」
聖君が大声で呼んだ。クロはワンワンと尻尾を振りながら、桐太の方に駆けていった。
「クロ~~」
桐太がサーフボードを置き、クロをなでまわすと、クロは桐太に飛びつき、大喜びをした。
「聖、桃子、クロの散歩?」
桐太のところに私と聖君が近づくと、桐太が聞いてきた。その横にいる麦さんも、
「朝から、仲いいよね」
と私たちに言ってきた。
聖君がすかさず、
「朝から仲いいのは、そっちじゃん。こんな早くからサーフィンしてたの?」
と聞いた。
「…!」
一瞬、麦さんの顔が、赤くなった。え?どうして?
「仲よくないって、会えば喧嘩ばっかり。でもさ、しょうがねえじゃん、なんか麦女もサーフィンはまっちゃったみたいだから」
桐太が聖君に言った。
「私だって、本当は店長に教えてもらってたの、サーフィン。でも、店長、腰痛めてるからしかたなく、今は桐太に」
麦さんは、あわてた感じでそう言った。
「店長、腰痛めてるって?」
「あ~~、なんか重いもの持ってぎくってなったらしくてさ」
「ぎっくり腰?でもまだ、30だろ?」
聖君が驚いていた。
「そうよ、まいっちゃうわよ。だから、桐太と二人でサーフィンしなくちゃならない」
麦さんが、毒づいた。
「じゃ、来なけりゃいいじゃん。店長が回復するまで待てば?」
桐太がそう言うと、麦さんは、ちょっと黙り込み、うつむいてしまった。
「え?あれ?」
桐太がそれに気がつき、
「なんだよ、言い返せよ。なんか今日は調子狂うよな~~」
と、麦さんの方を見ないで、つぶやいた。
「麦ちゃん、店寄ってく?お腹減ってない?」
聖君が聞いた。
「え?じゃ、お邪魔しようかな」
「着替えはいつもどこでしてんの?」
また聖君が聞いた。
「サーフィンショップで。着替えもシャワーもそこ借りてるの」
「桐太の働いてる店?」
「うん」
「じゃ、そこで着替えてから、うちに来る?」
「うん」
「桐太も来いよ」
聖君が桐太も誘ったけど、
「俺はパス。店長の変わりにあれこれ、品出ししないとならないし、忙しいんだよ」
と断った。
「ああ、それもそうか。店長、動けないもんね」
「そうなんだよ。あ、桃子、もし暇なら店手伝って」
「え?私?」
「桃子ちゃんは駄目に決まってるだろ!うちの店を手伝いに来てるんだし」
聖君が、私が答える前にそう言った。
「私、手伝うよ。今日何もないし」
麦さんがそう言うと、桐太は、ちょっと嫌そうな顔をして、
「麦女が~~~?お前がいてもさ、文句ばっかり言って、なんの役にも立たないんじゃないの?」
と、麦さんにきついことを平気で言った。
麦さんはまた、黙り込み、下を向いた。桐太は、また、
「ちょ、なんで黙るんだよ。言い返せってば」
と麦さんに慌てて言ったけど、
「役に立てないならいてもしょうがないし、やっぱり私帰るよ」
と、麦さんはぽつりと下を向いたまま、暗い声でそう言った。
「え?え?」
桐太はかなりあせっていた。
「桐太、ひでえ、お前言葉に気をつけろよ。麦ちゃん、せっかく手伝ってくれるって言ってるのに」
聖君が桐太に言った。
「俺?俺が悪いの?ねえ」
桐太は私に向かって、なんとかフォローしてって顔をした。
「桐太、麦さんすごく役に立つと思うよ、私なんかよりもずっと」
私もつい、麦さんの肩を持った。
「な、なんだよ、俺、悪者かよ。こんなのいつものやり取りじゃねえかよっ。だいたい、本気で麦女が役に立たないって思ってるわけないじゃん」
桐太がへそを曲げた。
「素直に謝ればいいじゃん」
聖君が桐太にぼそってつぶやいた。
「何を?」
「それに素直に、ありがとうって言えばいいのに」
私もつい、そう言うと、
「桃子!てめ、俺の味方じゃないのかよ?いつのまに、麦女と仲良くなったんだよ~~」
と私の首に腕を回しながらそう言った。
「ストップ!桃子ちゃんに触るな」
聖君が怒って、私を自分の後ろに隠した。
「なんだよ!ちょっと桃子にじゃれついただけだろ?」
「駄目!お前が桃子ちゃんにじゃれつくなんて、100年早い」
「なんだよ?それ!」
「あっち行け、桃子ちゃんに半径1メートルは近づくな!」
「てめえは、小学生のガキか!」
聖君と桐太が喧嘩を始めた。っていうか、じゃれついてる?
「けっ!聖、そんなふうに桃子のこと、自分のもの扱いしてっけどさ、俺なんて、桃子とキスもした仲なんだからな!」
言い合ってるうちに、桐太がいきなりそんなことを言った。
「桐太、てめ~」
聖君が顔を赤くして怒ろうとした時、麦さんがものすごい声を上げた。
「ええっ?!」
私も桐太も、そして桐太にけりをいれようとしていた聖君も、同時に麦さんを見た。
「き、キス?桃子ちゃんに?なんで?」
麦さんの顔が、思い切り青ざめていくのが分かる。
「あ、いや、それはその」
桐太も聖君も同時に、返答に困ってしまっていた。
「どうして?桃子ちゃん、桐太と付き合ってたの?」
「ううん」
私は思い切り、首を横に振った。
「じゃあ、どうして?」
麦さんはまだ、顔が青い。
「俺が、桃子の唇うばったの」
桐太が、そう麦さんに答えた。
「…」
麦さんの顔が凍りついた。
「あ、あんたって、最低」
麦さんはそう言うと、さっさと歩き出し、
「やっぱり手伝いなんてしない。着替えたら、私帰るから!」
と今度は顔を赤くして、早足で砂浜をざっざっと歩いていった。
「なんだ~、あいつ。なんか、今日変じゃない?」
桐太が言った。
「お前、なんかしたんじゃないの?身に覚えないの?」
聖君が聞いた。
「ねえよ!それどころか、昨日の朝なんて、あいつのこと俺、助けてやったんだぜ」
桐太はほっぺたを膨らませた。
「助けたって?」
私が聞くと、
「あいつ、足、つってたから、助けた」
と桐太は答えた。
「え?」
「抱きかかえて、浜辺に連れて行った。海の水も飲んでたしさ」
「それで?」
聖君が聞いた。
「それでって、それ以上何もないけど。あ!そういや、あんときのお礼だって聞いてないよ。なんだか、むかつく~~。なのになんだよ、あの態度!」
桐太は、怒りながらサーフボードをまた抱えて、歩き出そうとして振り返った。
「あ、そうだ。桃子、可愛いストラップ入ったから、今度持って行くよ。しばらくこっちにいんの?」
「うん、いると思う」
「じゃ、今日の夜か、明日にでも持って行くから。じゃあな!」
桐太はそう言うと、ざくざくと砂浜を歩いて行ってしまった。
「なんだ~、あいつ」
「…麦さんと、仲いいのか悪いのか、わからないよね」
「そうじゃなくて」
聖君は、口を尖らせ、
「なんで、桃子ちゃんにストラップとかあげちゃうわけ?なんでいつも、桃子ちゃんにかまうんだろうな~~」
と、すねた声で言った。
「きっと聖君の分も持ってくるよ」
「ストラップ?」
「それも、桐太とお揃いのを」
「え?」
「私にくれるのと同時に、聖にもくれてやるとか言いながら」
「へ?」
「それが手なんだと思うよ?きっと、私はダシに使われてると思う」
「な、なんの?」
「だから、聖君にストラップをあげるのが、本当の目的で、私はきっとついで」
「…」
聖君の顔がひきつった。
「こ、これから桃子ちゃんとお揃いのものじゃなきゃ、受け取らないことにしようかな、俺」
聖君はぼそってそう言った後、
「それにしても、桃子ちゃん、あいつのことよく見抜いてるんだね」
と感心した。