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第28話 奇跡

 聖君を呼んだのは、大学生くらいの二人組のお客さんだ。けっこう大人っぽい女の人だ。

「聖君、海のDVD観ない?」

 そのうちの一人がそう言って、聖君にDVDを渡した。

「あ、これどっか、海外で買ったとか?」

 聖君がパッケージを見てそう言った。

「うん、この前オーストラリアに潜りに行ってたの。そのとき買ったんだ。聖君にお土産」


「え?いいんですか?」

「うん」

「じゃ、ありがたくいただいておきます。それにしてもいいっすね、オーストラリアに潜りに行くなんて」

「でしょう?今度行かない?この前はツアーで行ったんだけど、向こうに知り合いがいるから、何人かの仲間で行けば、ダイビング連れて行ってくれるかも」


「いいっすね。でも俺、今大学のダイビングのサークル入ってて、その仲間と行ってるんです」

「海外も?」

「あはは、みんなそんなに金持ってないし、日本国内ですよ」

「そうなの?」

「いつか海外、行ってみたいですけど。働くようになってからかな~」


「夏の間だけのバイトなの?ここは」

「いえ、大学始まったら、夜だけ、バイトに出る予定です」

「じゃ、昼はいないの?」

「はい」


 聖君がそう返事をしたとき、カウンターに座っていた女の子が、小声で「え…」と言ったのが聞こえた。ちらりと見ると、顔がかなり落胆している。

「ランチ二つ、できました」

 そのとき、キッチンから桜さんの声が聞こえた。

「は~い」

 聖君はさっとキッチンに行き、ランチのセットをカウンターに持ってきた。


「お待たせしました」

 ひとつはカウンターの女の子の前に置き、もうひとつは私の前に置いた。

「飲み物は何にする?桃子ちゃん」

 聖君が聞いてきた。

「ホットミルクはさっき飲んだし…。カフェオレや、紅茶は駄目なんだよね」

「母さんが、カフェインはあまり飲まないほうがいいってさ」


「そうだよね」

「あったかいものなら、ココアか…。あ、ホットレモネードもメニューにはないけど、母さん作ってくれるよ」

「レモネード?」

「レモンとはちみつ。俺が風邪ひいたとき、作ってくれるんだ。美味しいよ」

「すっぱくない?」

「はちみつ多めにしたら、甘くなるよ」


「じゃあ、それがいい」

「了解」

 聖君はそう言うと、キッチンに戻りかけ、また戻ってきて、カウンターに座っている女の子に、

「飲み物は、今持ってきますか?それとも食後?」

と聞いた。


「あ、じゃあ、今…」

「はい。お待ちください、今、持ってきますね」

 聖君はそう言った後、ちょっとその場に立ちすくんで、

「あれれ?レモンは桃子ちゃんだから、ミルクティだったっけ?」

とその子に聞いた。

「いえ、アイスレモンティです」

 その子が小さな声で、恥ずかしそうに答えた。


「あ、そっか。あ~~、腹減りすぎて、頭が働かない。もう、昼食べさせてもらおう、俺」

 聖君はそう言うと、その女の子に、

「ちょっと待ってて。今、持って来るね」

と言って、キッチンに行った。

 聖君はなぜだか、タメ語になってる。その女の子は、真っ赤になっていた。


 聖君はアイスレモンティと、アイスコーヒーを持ってきて、

「お待たせしました」

とアイスレモンティは女の子の前に置き、アイスコーヒーは、その女の子と私の間のあいてるところに置いた。


「は~~、眠いし、疲れたし、腹減ったし。やっぱ、朝、泳ぎすぎたかな」

 聖君はそう言って、カウンターの椅子に座り、テーブルにうつっぷせた。すでにエプロンは外していた。

「ご飯食べ終わったら、私、キッチン手伝うから、聖君、部屋で少し寝たら?」

 私がそう言うと、聖君は私の方に顔を向けて、

「ううん、大丈夫。朱実ちゃん、もうすぐ来るし、桜さん、今日5時までいてくれるって言うから、その間、俺休憩もらえるからさ」

と言って、にこって微笑んだ。うわ。可愛い笑顔を真横で見ちゃったよ。


「お待たせ」

 聖君にランチのセットを桜さんが持ってきた。

「サンキュー。ごめんね、俺、先に食っちゃって」

「いいわよ。キッチンで、腹減ったからって、あれこれつまみ食いされられちゃあ、困っちゃうからね。それに、眠いからってオーダー間違えられても、困るし」

 桜さんは、優しい感じでかなり、きついことを言った。


「ごめん。今朝、早かったし、久々の海ではしゃいじゃって、泳ぎすぎちゃった」

 聖君は、面目ないって顔をしながら、そう謝った。

「ほんと、お子ちゃまよね、聖君は」

 桜さんはそう言うと、キッチンに戻っていった。


「お子ちゃまだってさ。ちょっとしか年変わらない癖して」

 聖君はそう言うと、手を合わせて、

「いただきます」

と元気に言って、食べだした。


「うめ~~。まじ、うまい」

 相当、お腹がすいていたようだ。そう一言うなったあと、めずらしく、思い切りがっついている。

 一気に食べ終わると、聖君はアイスコーヒーを飲み、

「ふえ~~~。腹の減りがおさまった~~」

と、満足した顔をした。そして、

「あ~~。食べたら眠くなった~~」

と、本当に眠そうな顔をしてそう言った。聖君、ほんと、元気な子どもみたいだ。


「もう、部屋行って寝たら?」

「う~~ん、もうちょっとここにいる」

 聖君はそう言うと、ゆっくりとアイスコーヒーを飲んで、ほっとため息をついた。

「あの…」

 聖君の隣に座っている女の子が、聖君になにやら話しかけた。

「え?」

 聖君は聞こえなかったのか、耳を傾け聞きなおしていた。

「夏休み終わったら、バイト昼間は出ないんですか…?」


 その子が、さっきよりも大きな声でそう聞いた。でも、緊張しているのか、語尾が震えている。

「うん。夜しか出ないけど」

「そ、そうなんですか」

 その子の声が思い切り沈んでいる。かなりショックなのかな。

「あの、じゃあ土日は?」

 その子がまた、声を震わせながら聞いた。

「土日も多分、夜だけ」

 聖君は淡々と答えていた。


「そ、それじゃ、8月いっぱいで、昼のバイトおしまいですか?」

 その子の顔が、聖君の肩越しにちょこっと見えた。どんよりと落ち込んでいる顔をしている。

「いや、夏休み9月の前半まであるから、その間は昼も出るけど」

 聖君がそう答えると、

「そうなんですか」

と、ちょっとだけ、声が明るくなった。わかりやすい子だな~~。


「レモネード、お待たせ」

 聖君のお母さんが、そう言ってレモネードを持ってきてくれた。

「はちみつは多めに入ってるからね、桃子ちゃん」

「ありがとうございます」

「まだ熱いから、気をつけてね」

「はい」


「それから、聖、桜さんが食べ終わるまでは、キッチン手伝ってよ」

「うん、わかってるよ」

 聖君はそう言うと、ぐぐっとアイスコーヒーを飲み、自分の食べた食器を持って、キッチンに行ってしまった。カウンターにいる女の子は、そんな聖君の後姿を目で追っていた。そして、ふうってため息をついた。


 そして私と目が合ってしまった。あ、やばい。見てるの、ばれちゃった。でも、一気に目をそらすのも変なので、ちょっとだけにこりと微笑んでしまった。

「あ…」

 その子は私を見て、しばらく固まっていたが、真っ赤になり、

「あ、あの…。この店にはよく来られるんですか?」

と聞いてきた。


「はい」

 私がうなづくと、

「もしかして、この店でバイトもしてるんですか?」

と聞いてきた。

「バイトはしてないけど、たまに手伝ったりはしています」

「え?手伝えるんですか?ここで?」

「はい」


「私も、手伝わせてもらえるかな」

 その子は、ちょっと目を輝かせている。

「えっと、それは、どうかな…」

 そう言うと、私の方を見たその子は、一気に暗い表情になった。うわ。わかりやすいな、ほんとに。


「桃子ちゃんの隣いい?」

 桜さんが、ランチのセットを持って、カウンターに来てそう言った。

「はい」

と私がうなづく前にすでに、桜さんは腰掛けていた。

「聖君、相当泳ぎまくったのね。さらにやけて顔赤黒いし、さっきからキッチンでへましてるし」

「え?そうだったんですか?」


「ちょっと寝て、休まないと夜まで続かないわよ。ほんと、バイトのことも考えて泳げって感じよね」

「はあ…」

 なんて言っていいものやら。そんな無邪気な聖君も可愛くて好きなんですとは、言えないよね、やっぱり。

 

「見た目とのギャップを感じることない?桃子ちゃん」

「聖君のですか?いえ、まったく」

「そう?一見、しっかりしてそうだし、大人っぽいじゃない?中身もそうかと思ったら、まったくの子どもなんだもん。びっくりよね」

「…でも、聖君のお父さんが、男の方が子どもっぽいんだよって、そんなようなこと言ってました」

「う~~ん、まあ、そうかもしれないけど、でも、私の彼、けっこう大人だけどな」

 …。それ、単なるのろけだったりして?


 そんな話をしていると、聖君のことをさっき呼んでいたお客さんが、会計をするのでまた、聖君のことを呼んだ。そして、会計が済んでも、しばらく聖君と話をしていた。

「じゃ、9月半ば過ぎたら、夜だけしかいないのか~~。ランチはこないで、夜食べにこようかな~」

 一人の人がそう言った。

「聖君、大学どこなの?」

 もう一人の人が聞いた。


「内緒です」

 聖君がそう言って、ぺろっと舌を出した。

「え~~~!いいじゃん、教えてくれても~~」

「あ、じゃあさ、聖君って、ここが自宅なんでしょ?ここに住んでるんでしょ?」

「いえ、俺、ここには住んでないですよ」


「え?だって、ここのオーナーって聖君のお母さんなんでしょ?」

「そうですけど、最近、俺だけ、別のところで暮らしてるんです」

「え?一人暮らし?大学の近くに住んでいるとか?」

「それも内緒です」

「え~~~!教えてくれてもいいじゃない。そうだ。今度、飲みに行こうよ」


「俺、まだ未成年です」

「大学生なんだから、大丈夫だって」

「すみません、それに俺、けっこう忙しくて、そういう暇もないっていうか」

「大学、忙しいの?」

「はい。バイトもあるし」


「…残念だな~。聖君って話してて楽しいし、もっと仲良くなりたいのに、ね?」

 一人の人が、もう一人に聞いた。すると、その人も、

「本当だよ。一緒に出かけたりしたかったな」

と、聖君に甘える感じでそう言った。


「あ~~あ、ああいうのは、すぱって言わなきゃ、聖君。前はもっと、クールだったのに最近やけに、愛想よくなったよね」

 桜さんが小声で、その光景を見てそう言った。桜さんの隣に座っている子も、聖君のことを見ていた。

「あ…」

 私と桜さん、それにその女の子が同時に小さな声をあげた。聖君の腕に、一人の女の人が、べったりと触ったからだ。


「聖君の誕生日っていつ?」

 やけになまめかしい目で見ながら、そう聞いている。

「俺は、クリスマスイブが誕生日ですけど」

「え~~。そうなの?あ、それで聖って名前?」

「はい」

 ああ、まだ、聖君の腕に触ってる~~!!いい加減、離れろ~~!


「なんだ、まだまだ先なのね。誕生日パーティでもしようかって思ったのにな」

「あ~~、でも、俺、いっつもうちの家族に祝ってもらってるし、そういうのしてもらっても、行けないかな」

 聖君は、そう言いながら、その人から何気に離れ、テーブル席の上を片付けだした。


「お、なんとなく追い払うように仕向けてるね、あれは」

 桜さんがまた、小声でそう言った。

「じゃあ、聖君、また来るね。ご馳走様」

「あ、はい。ありがとうございました」

 聖君はにっこりと笑い、二人がお店を出て行くと、さっさとテーブルを拭き、キッチンに行った。


 そのとき、朱実さんがお店に入ってきた。

「おはようございま~~す」

 いつもと同じく、とても元気。

「あ~~、朱実ちゃん、待ってたよ」

 キッチンから、エプロンを外した聖君が出てきた。


「え?どうしたの?」

 朱実さんが驚くと、

「俺、休憩入る。めっちゃ眠い」

と、朱実さんにそう言った。

「ああ、それで待ってたって言ったの。ほんとだ。顔が半分死んでる」

 朱実さんはそう言うと笑いながら、私や桜さんにも挨拶をして、キッチンに入っていった。


「俺、顔死んでる?」

 カウンターに聖君が来て聞いた。

「今はね。お客さんの前じゃ、いつもの上級クラス笑顔になるのにね。そこはさすが、プロって言うか、徹底してるよね」

 桜さんがそう言った。


「う~~ん、でも頭は回ってなかった。さっきのお客さんに俺、変なこと言ってなかった?」

「え~~?さっきってあのしつこい女の客でしょ?誕生日を教えてたよ。あれも内緒ですって言うと思ったのにさ」

 桜さんがそう答えた。

「あ~、俺も言ってから、内緒って言っておけばよかったって思ったんだけどさ。なんか意識が朦朧としてて、受け答えるだけで、いっぱいいっぱいでさ」


「なるほど、それで切れが悪かったわけね」

「切れ?何それ」

「すぱってああいう客は、切るかと思ったのよ。いつものごとく」

「あ~~~~~~。そういうこと…」

 聖君は頭をぼりって掻いた。そして、

「眠い~」

と、おおあくびをした。


「休憩中しっかりと寝て、夜のバイト頑張ってよ!」

 桜さんはそう言うと、聖君の背中をバンってたたき、自分の食べた食器を持って、キッチンに行った。

「いって~~~」

 聖君はたたかれた背中を、手でさすっていた。


「あの」

 カウンターに座ってる女の子が、聖君に声をかけた。

「え?」

「お会計、いいですか?」

「あ~~、はい」

 聖君はまだ眠そうな顔をしていたけど、にこりと微笑んでうなづいた。


 カウンター横の、レジで聖君は、

「ランチセットで、1150円になります」

と言うと、女の子はお金を聖君に渡した。それから、

「あの、ここでバイトしたいなって思うんですけど、募集してないですか?」

と小さな声で聞いた。


「え?バイト?あ~~。今は、けっこうバイトしてくれる人がいるから、募集はしてないな~~」

 聖君はまたタメ語になり、そう答えた。

「そうですか」

「でも、来月、人足りなくなるかも。あ、だけど、平日の昼間だよ?学校とかあるんじゃないの?」

「いえ、私フリーターで。今のバイトが8月いっぱいで終わるから」

「そうなんだ。じゃ、ちょっと待ってて、母さんに聞いてみる。9月半ばあたりから、バイトしてくれてる人が、大学始まっちゃうからさ。人がいないっちゃいないんだよね」


 聖君はそう言うと、その子にレシートを渡して、

「じゃあ、ちょっと待っててね」

と言って、キッチンに向かった。そしてすぐさま、聖君のお母さんを連れて、戻ってきた。

「9月からの平日のお昼、バイトしたいんだって」

 聖君はそう、簡単にお母さんに説明をした。


「あら、そうなの?じゃ、ちょっとそっちで話をしてもいいかしらね」

「はい」

 その子のことを連れて、お母さんはテーブル席についた。

「じゃ、あとは頼んだよ、俺、休憩はいるからさ」

 聖君がお母さんにそう言った。


「あ、聖。今すいてるし、爽太にお店に来るよう言って。朱実ちゃんに爽太のランチ、作ってもらってるから」

「うん、わかった」

 聖君はそう言うと、私のところに来て、

「桃子ちゃん、食べ終わった?これ片付けるね」

と言って、食器をさっさとキッチンに持っていった。


 私はちらりと、聖君のお母さんの方を見た。テーブル席に座り、さっきの女の子とにこにこしながら話している。

 ああ、聖君、気づかなかったのかな。聖君にあの子、恋しちゃってるんだけどな。なんだか、複雑な気持ちだ。


「桃子ちゃん、2階に行こう」

 聖君がカウンターに来て、そう言うとリビングの方に行った。私はそのあとに続いた。

 それから2階にあがると、聖君はお父さんに声をかけ、そして自分の部屋に入った。


「バタン、キュ~~」

と聖君は声に出し、ベッドに本当に倒れこんだ。

「あ~、部屋あちゅい。桃子ちゅわん、エアコンちゅけて」

「うん」

 聖君はいきなり、甘えだした。赤ちゃん言葉だし、声のトーンまで変わっている。


「そんなに泳ぎまくったの?」

 私は聖君の横に座って聞いた。

「うん。はしゃぎすぎちゃった」

「…目に浮かぶけど」

「え?」

「なんでもない」


「桃子ちゃんも行きたかった?」

 聖君は私の腰に手を回しながら、聞いてきた。

「ううん」

「え、そうなの?せっかく泳げるようになったのに、海に行けないのは悲しくない?」

「うん」


「そっか~~」

 聖君はそう言うと、私のことを自分の方へと引き寄せた。

「桃子ちゃんも、一緒に寝よ?」

「眠くないよ、さっき、うたた寝しちゃったし」

「じゃ、そい寝して!」

「うん」


 聖君の目、思い切り甘えてるな~~。可愛いな~~。

 聖君は仰向けになり、私に腕枕をした。

「あの女の子」

「え?」

「バイトしたいって言ってた子」

「ああ、さっきの子?」

「聖君を見る目が、ハートになってたよ。気づいてた?」


「そうだった?」

「え?気づいてないの?」

「うん」

「……」

 それ、うとすぎない?


「だって、聖君と話すとき、真っ赤になってたよ」

「でも、ただ単に男の人が苦手なのかもしれないじゃん?」

「…聖君のこと、ずっと目で追ってたよ」

「そうなの?」

「本当に気づかなかったの?」

「うん」


 そうか。そういえば、私が聖君のことを好きだってことも、最初気づかないでいたっけ。

「どっちかっていうと、オーストラリアに潜りにいったって言ってた、二人組みのほうが、俺目当てだよな~~って思ってたけど」

「あの人たちもそうだったけど、でも、ノリが軽かった」

「ああ、そうかもね」


 そうか。ああうい人たちだと、自分目当てだって気づくのに、カウンターにいた、ああいう女の子の場合は聖君、気づかないんだ。

「聖君、私が聖君を好きでいても、気づかなかったもんね」

「え?!何?いきなりそんな昔のこと…」

 聖君がちょっと驚いていた。


「私もさっきの子と同じように、真っ赤になったり、恥ずかしくて声が小さくなったり、声が震えたり、聖君のこと目で追ったりしていたから。だけど、そういうのも気づかなかったんだよね」

「…ごめん。気づけなくって」

「責めてないよ。ただ、聞いてるだけ」

「うん。気づけなかった。だってさ、俺、桃子ちゃんは大人しくて、男の人が単に苦手で、それであまり話さなかったり、赤くなったり、うつむいちゃったりしてるんだと思ってたしさ」


 そうか…。まあ、本当に苦手といえば、苦手なんだけど。

「葉一や基樹とも話さなかったじゃん」

「うん」

「だから、特に俺のことを意識してるからなんだって、その辺のことはわかんなかったよ」


「でもね、さっきの子は、聖君のこときっと好きだよ」

「…そっか~~。桃子ちゃんは、するどいね。あ、やっぱりそういうのって、女の子の方が勘が鋭いのかな?」

「ううん、なんだか、自分を見ているようで、あの子の心のうちまで、わかっちゃったんだ」

「自分を?」

「片思いしていた頃の…」


 聖君は腕枕を外し、ちょっと体を起こすと、私の顔を覗き込んだ。

「あ、やっぱり遠い目してる」

「え?」

「出会った頃のこと、今、思い返してたでしょ?」

「うん」

 海の家でバイトしていた聖君、思い出してた。あの笑顔も、全部。そして、話しかけたくても話せない自分や、蘭を羨ましがってた自分のことも…。


 聖君は、私の顔のまん前に顔を持ってきた。それからおでことおでこをくっつけた。

「今は、こんなに近くにいるんだよね」

 私がそう言うと、聖君はにこって笑った。

「そうだよ。手の届くところどころか、こんなに近く」

 そう言うと、聖君はキスをしてきた。すごく優しいキスだ。


 それから優しく頬をなでる。

「これ、奇跡かも」

 私がぼそってそう言うと、聖君は、は?って顔をした。

「だって、聖君に好きになってもらって、こんなにも近くにいるなんて、本当に出会った頃は思ってもみなかったことだし」


「…」

 聖君は黙り込んだ。

「だってね、さっきの子だって、私と同じ、聖君に片思いしてて、きっと笑顔を向けられただけで、嬉しかったり、恥ずかしかったりしてたと思うんだ。私は、今、こうやって、まん前に聖君がいる。やっぱり、これは私に起きた、奇跡だと思うもん」


「…そっか。じゃ、俺にとっても奇跡だね」

「どうして?」

「どうしてって、桃子ちゃんが一昨年の夏に、海に来ていなかったら出会わなかった。それに俺に惚れてくれなかったら、今の二人はここにいないよ」


「…私が、聖君に?」

「それが二人の始まりでしょ?」

「私が聖君に一目惚れしたのが、始まり?」

「うん。俺に一目惚れしてくれて、ありがとう」

 聖君がまた、にっこりと笑った。ああ!その笑顔だよ、その笑顔にくらってきちゃったの。


「聖君、大好き」

「うん、知ってる」

 そう言うと聖君はあははって笑って、

「俺も、桃子ちゃんにべた惚れ。知ってた?」

って聞いてきた。


「…えっと」

「あれれ?知ってるって言わないの?」

「好きでいてくれてるのは、知ってる。でも、べた惚れっていうのは、なんか…」

「なんか、何?」

「まだ、その…」


「まさか、まだ、信じられないの?」

「…」

 私は小さく、こくってうなづいた。

「どひぇ~~~。結婚もしてるのに?こんなにいっつも一緒にいるのに?俺の奥さんなのに?お腹に俺の赤ちゃんいるのに?」

「…」


「キスだって、何百回もしたよ、きっと。それでもまだ、足りない?」

「ううん、そんなこと…」

 最後まで言い終わる前に、唇をふさがれた。それも、何回も。

「あ、やばい。今、その気になっても、駄目だよね。ちょっと狼になりかけちゃった」

 聖君はそう言うと、私の横に寝そべった。


「そうだった。俺、眠くて寝るんだった。すっかり、目が覚めちゃってた」

 そう言って、タオルケットを私と自分のお腹にかけると、聖君は、

「おやすみ、奥さん」

と優しく私に言って、目をつむった。


 聖君の奥さんっていう、その現実も奇跡だし、今、私のすぐ横に、もうすでに寝息をたてて寝ちゃった聖君がいることが、奇跡だ。

 聖君に愛されちゃってること、それがもう奇跡だよ。そんなことを思って、私はしばらくじ~~んと感動していた。

 

 


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