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第20話 赤ちゃんへの日記

 水曜になり、聖君と母と一緒に、産婦人科に行った。

 今日もまた、待合室で待っていると、周りの人が聖君をちらちらと見ていた。

「なんか、注目浴びてるわね」

 小声で母が、聖君に言った。でも、聖君は無表情で、床を見ていた。あ、病院が苦手なんだっけ。なのに、こうやってついてきてくれるんだもんな~。


「榎本桃子さん」

 私は前に座っている女の人を見ていた。まだ、若い。表情が暗い。どうしたんだろうな。

「榎本桃子さん、診察室にどうぞ」

「桃子ちゃん、呼ばれてる」

 聖君がそう言って私を見た。

「え?はい!」


 そうか。私、榎本桃子だったっけ。もう、椎野桃子じゃなかったんだ。

 私が席を立つと、聖君も同時に席を立ち、

「今日は、俺がついていきます」

と母に言った。母は、

「そう。じゃあ、桃子のことお願いね」

と言って、そのまま席に座っていた。


 私は聖君と一緒に、診察室に入った。

 ああ、聖君が一緒っていうのも、ちょっと緊張する。

「榎本さん、こちらのベッドに横になってください」

 看護師さんに言われて、診察室の中にあるベッドに横になった。

 あれ?今日は診察台には、乗らないでいいのかな?


「榎本桃子さんですね。こちらの方は赤ちゃんのお父様ですか?」

 診察室の奥から、めがねをかけた母くらいの年代の女医さんが現れた。ああ、今日は女の先生だ。

「はい」

 聖君はかなり緊張している様子だ。もしや、女医さんの白衣を見て、緊張しちゃったんじゃないよね。


「今日はエコーで、赤ちゃんを診てみますね」

「エコー?」

 聖君が聞き返した。

「お腹の中の様子がわかるんですよ。こちらのモニターに映りますから」

「え?赤ちゃんが見れるんですか?」

 聖君は驚いていた。


 女医さんはベッドの横の椅子に座り、私の着ていたTシャツをまくってお腹を出した。

「ちょっと冷たいですよ」

と言うと、何かをお腹に塗った。確かにお腹がひやっとした。それから、

「じゃ、モニターを見ていてくださいね」

と私と聖君にそう言った。


 モニターを見ていると、モノクロの画面に何かが映った。

「これが、榎本さんの子宮の中。これ、わかる?これが赤ちゃん」

「うわ…」

 聖君はモニターを見て、驚いていた。

「すげ…。赤ちゃん、見れちゃうんだ」

 そう言うと、目を輝かせている。


「あ、なんか動いた?」

 聖君はモニターにくぎづけだった。

「プリントアウトして渡しますからね」

「え?もらえるんですか?」

 聖君が聞いた。

「はい。それを赤ちゃん用のアルバムでも作って、貼るといいかもしれないですね」

 先生がそう言うと、聖君は私のほうを見て、にこって微笑んだ。


 なんの異常もなく、翌月にまた来てくださいと言われ、私たちは診察室を出た。

 そして母の横に二人で座った。

「どうだった?赤ちゃん」

「何の異常もないって。それに、エコーで赤ちゃん見れたんだ」

「まあ、そうなの?見たかったわ」


「来月も見るから、そのときはお母さんも一緒に、見たらどうですか?」

 聖君は目を輝かせながらそう言って、

「あ、でも今日のも、プリントアウトしてくれるって言ってました」

と話を続けた。

「まあ、そうなの?もう、赤ちゃんだってわかった?」


 母も目を輝かせて聞いた。

「えっと、まだ、何がなんだか」

 聖君は首をかしげてそう言った。

「そうよね。まだ、3ヶ月なんですものね」

「もう、4ヶ月目に入ったって言ってたよ」

 私が言う言葉に母は、「そう」って目を細めてうなづいた。


 会計を済ませて、車に乗り、家に帰った。家に着いてから、聖君は母に赤ちゃんの画像を見せていた。

「これから、どんどん大きくなるのね。楽しみね。そのうち手とか、足、顔、そういうのもわかるようになるのよね」

「え?エコーでそういうのも、わかるんですか?」

 聖君が驚いた。

「わかるわよ」

「すげえ」


「桃子はね、指をしゃぶっていたのも見えたのよ」

「へ~~!」

 聖君は目を丸くして驚いていた。

「それに、お腹が大きくなると、赤ちゃんの足の裏がわかるようになるの」

「え?どういうことっすか?」


「硬い足の裏が、お腹を触るとわかるようになるのよ。面白いわよ」

「すげ~~」

 聖君はまた、目を丸くした。

 私はお腹をさすった。なんとなくお腹が、前よりも出てきたかなって感じになってきたが、まだまだ、ぱっと見では、妊娠してることすらわからない感じだ。


 お昼ごはんを食べ終わると、いきなり私は眠くなってきた。

「ちょっと、部屋で休んでくるね」

 そう私が言うと、聖君も部屋にくっついてきた。

「桃子ちゃんに見せたいものがあるんだ」

 ?なんだろう。


 聖君は自分のカバンの中から、一冊のノートを取り出した。

「これ、じいちゃんの日記。ちょっと拝借してきちゃった」

 あ、もしかして、この前聖君のお父さんが言ってた、聖君のお父さんが生まれるまでの間、おじいさんがつけていたという日記?


「見ていいの?」

「うん」

 中を見ると、毎日、写真と、今日はこんなことがあった、こんなことに感動したという日記が書いてあった。


 そして、ページをめくっていくと、聖君のお父さんを20歳くらい若くしたかっこいい男の人が、涙を浮かべてピースをしている写真が貼ってあって、その下に、

「赤ちゃんに会える!こんな嬉しいことはない」

と書いてあった。それに「奇跡が起きた!」って書いてある。


「これ…」

「ああ、それね。余命半年って言われていたのに、じいちゃんのがん細胞が消えちゃった日に撮った写真なんだってさ」

「がん細胞が消えた?」

「あれ?俺話さなかったっけ?」

「死ぬかもしれなかったんだって話は、聞いたことがあるけど」


「そっか。俺、まだ話してなかったんだね。父さんは、じいちゃんが癌で余命半年って言われてから、できた子だったんだ」

「え?そっか。だからここに、赤ちゃんに会える、こんな嬉しいことはないって書いてあるんだね」

「うん」

「おじいさん、ピースしながら泣いてるね」

「うん」


「そっか。そうだったんだ」

 会うことができないって、思っていたわが子に会えたんだ。生まれたときには、どんなに感動しただろうか。

 そして、生まれてきた赤ちゃんが、どれだけ愛しかっただろうか。


「桃子ちゃん?泣いてるの?」

「だって、会えないと思っていたのに、会えたんでしょ?生きてちゃんと生まれてきた我が子に、会えたんでしょ?それって、どれだけ嬉しいことだったろうって思ったら…」

「…そうだね。ほんと、そうだよね」

 聖君も目を潤ませた。


「俺も、もし、凪に会えないって思ったら、すげえ悲しいけど、それが会えるようになったとしたら、めちゃ嬉しいだろうな」

「うん」

「じいちゃんさ、自分の子に、どれだけ自分がお腹の子を愛していたか、それを残しておきたかったんだってさ」


「…」

 それで日記を?

「あと、赤ちゃんが大きくなったとき、お父さんは何に感動して、どんな毎日を過ごしていたか、それを見せてあげたかったんだって」

「……」

 私は、それを聞いて、もっと涙があふれてきた。


 日記には、木々の写真や、空の写真、聖君のおじいさんが笑っている写真、ご飯を食べている写真、聖君のおばあさんの笑顔、全部が全部きらきらと輝いている写真ばかり、貼ってあった。


「素敵だね、この日記」

「父さんの宝物だよ」

「宝物なのに、勝手に拝借していいの?」

「ああ、ちゃんと返すよ。ただ、桃子ちゃんに見せたかったんだ」

「私に?」


「俺らも、日記、つけない?」

「え?」

「今日のエコーの写真も、そこに貼らない?」

「いいね、それ」

「でしょ?」


 聖君は嬉しそうに、日記をめくった。

「これ見たらさ、生まれた赤ちゃんは絶対に、自分は生まれてよかったんだ。こんなに両親に愛されて生まれたんだって、そう思うと思うんだ」

「うん」

「だって、父さんなんか、自分が生まれたことを自慢するんだよ。すげえタイミングで、母さんのお腹に入ったんだ。俺、すげえだろって」

「ええ?」

 生まれたことを自慢するの?それって、すごい!


「母さんが妊娠したから、父さんは生きるほうを選んだんだ。俺のおかげだって、父さんも言ってくれるんだって、前に自慢してた。なんかそれ聞いて、まじで父さんはすごいなって思ったことあるよ。それにさ、父さんは自分が生まれてこなかったらよかったって、思ったことが一回もないんだってさ」

「…そうなんだ」

「うん。死にたいって思ったこともないって言ってた」


「すごいな。でも、そうだよね。この日記見てたら、そう思えるのもわかるよ」

「でしょ?」

「うん」

「凪にもそう思ってほしいんだ、俺」

「え?」

 

 聖君は私のお腹に手を当てて、

「凪、もしかするとさ、大きくなってから、たとえば、赤ちゃんができたから結婚したとか、自分のお母さんはまだ、そのころ高校生だったってのを知って、ショックを受けるかもしれないじゃん」

「……」

「もしかしたら、そういうのをよく思わないような大人もいて、凪にひどく傷つけるようなことを言うかもしれないし」


 聖君、そんなこと考えてたんだ。

「でもね、俺と桃子ちゃんがどれだけ、凪のことをお腹の中にいるときから愛していて、すごく大事に思っているかを知ったら、たとえ周りから何か言われたとしても、大丈夫だと思うんだ」

「…」

 私は感動していて、言葉が出なかった。聖君がそんなふうに思っていてくれたなんて。


「自分は生まれてきてよかったんだ。自分は望まれて、この世に誕生したんだ。そう思ってくれると思うんだ」

「…うん」

 うんって言葉と同時に、ぼろって涙があふれ出た。

「そう思えるのと、思えないのでは、まじで、人生が変わっちゃうくらい、生き方が変わると思うんだよね」


「うん。わかる、それ。私どこかで、生まれてこないほうが良かったかなって思ったことがあって、だから、自分を好きになれなかったり、自信も持てなかったんだ」

「…桃子ちゃんのことを、ご両親は愛していたし、妊娠した時だって、生む決意をちゃんと持っていたのにね、でも、そういうの、言葉で言ってもらったり、実際にこういう日記を見たりしないと、けっこう子供って勝手に解釈しちゃうじゃん」


「勝手に解釈?」

「桃子ちゃんは、お父さんが忙しくなって、相手をしてもらえなくなって、自分は嫌われてるんじゃないかって、そう思ってたんでしょ?」

「そう、そう思ってた」

「本当は違ってたのに」

「うん」


「俺も、血がつながってないってわかったとき、なんかそれだけでもう、親子の縁が切れたって、そんなこと勝手に思ってさ、俺ははたして、生まれてきてよかったんだろうかって、そんなことまで思っちゃったもん」

「聖君も、そんなふうに思っちゃったんだね」

「うん」


「でも、聖君のお父さんは、一回も自分が生まれてこなかったら良かったなんて、思ったことないんだね」

「うん」

「聖君、毎日、日記を書こう。この日記みたいに、写真撮って貼ったり」

「うん」


「私たちだけじゃない。凪のおばあちゃん、おじいちゃんたちもみんなして、凪が生まれてくることを喜んで待っていて、みんながもう、凪の存在を大事に思ってるって、それも書いていこうよ」

「うん」

 聖君は私を優しく見て、私の頬に伝っていた涙を手でぬぐってくれた。

「それから、凪のママは、こんな泣き虫で、可愛いんだとか」

「え?それは駄目」


「あはは、なんで?どうせ、ばれるよ、いつかは」

「そうだけど。あ、じゃ、凪のパパは、甘えん坊で、いつもママに抱きついてくるとか」

「え~~~!何それ!そうじゃなくって、あれでしょ?どんなパパもかっこいいって書くんでしょ?」

「え?」

「だって、桃子ちゃん、言ってるじゃんか、いつもさ」


「…にやけててもかっこいいって?じゃ、パパはいつもにやけてるんですよって、にやついてる顔も写真に撮って、貼らないとね?」

「桃子ちゃん、なんだかさ、前よりも意地悪になってない?」

「え?そうかな」

「そうだよ。前は俺が、桃子ちゃんはポメラニアンに似てるとか言ってからかって遊んでいたのに、今は遊ばれてる気がるすよ」


「やっぱりからかって遊んでいたんだ!」

「え?なんだ、気がついてなかったの?」

「ひどい~~」

「あはははは」

「あ、その笑顔も!写真だけじゃなくって、動画を撮りたい」

「へ?」


「聖君の笑った声とか、好きなんだもん」

「それ、だんだんと趣旨が変わってきてる気もするけど」

「え?」

「桃子ちゃん用になるんじゃない?それ」

「う、そうかも」


「凪に残しておくものだからね?」

「あ!じゃあ、パパは若い頃、こんなにかっこよかったんだよって、凪が大きくなったら、一緒に見て喜ぶ!」

「若い頃かっこよかった~~?俺は何歳になっても、かっこよくいてやるさ!」

「え?」


「じいちゃんになっても、かっこいい俺でいるから!」

「聖君のおじいさんみたいに?」

「そう!」

「くす」

「あれ?なんでそこで笑うのさ」


「だって、本当にかっこいいおじちゃんなんだろうなって思って」

「へ?」

「きっと、そのときも、私はうっとりと見惚れてるんだろうな~~」

「…」

 聖君の目が点になった。


「あ、あのさ」

 それから聖君はぼりって頭を掻くと、

「とりあえず、日記用のノート、あとで買おうね。それから、今日のエコーの写真、父さんと母さんにも見せようね」

「うん」


 私はうなづくと、思い切り聖君に抱きついた。

「何?桃子ちゃん」

「甘えたくなったの」

「え?」

「聖君、ありがとうね」

「え?何?何が?」


「もう聖君、立派な凪のパパだね」

「……そう?」

「うん。なんだか、すんごく嬉しい」

 聖君は、ぎゅって私のことを抱きしめてくれた。

「少し横になって休む?桃子ちゃん」


「もう少し、聖君に抱きしめててもらいたいな」

「いいよ」

「凪がもし、女の子だったら、パパと結婚するって言い出したりして」

「え?」

「だって、こんなに素敵なパパだったら、私ならそう言い出すだろうなって思って」

「あはは。じゃ、桃子ちゃんのライバルになっちゃうね」


「駄目」

「え?何が?」

「聖君の奥さんは、ママだけだからって言って、即あきらめさせる」

「ええ?何それ!」

 聖君はそう言うと、もっとぎゅって私を抱きしめて、

「桃子ちゃん、俺の奥さんだっていう自覚、すっかりあるんだね」

とそんなことを言ってきた。


「あ、そういえば、そうだね」

 私がそう言うと、聖君はあははって笑って、優しく、

「俺も凪にはちゃんと言うよ。パパの奥さんは、桃子ちゃんだけだって。ね、奥さん」

と耳元でそうささやいた。



 


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