第18話 誓いの言葉
「いつからそこに?」
麦さんが、顔をひきつらせて聞いた。聖君は青ざめて、さっと私のまん前にくると、
「今、痛いって言ってなかった?どっか痛いの?」
とものすごく心配して聞いてきた。
「あ、足を何かにひっかけちゃって」
「え?足?」
聖君は、足元を見て、
「桃子ちゃん、そそっかしいんだからさ、気をつけてよ。こんな暗いところにいたりして、転んだらどうするんだよ」
と私に言った。
「ごめんなさい」
私は泣いてる顔を隠しながらそう言って、それから、
「立ち聞きするつもりはなかったの。でも、動けなくなっちゃって、ご、ごめんなさい」
とそう続けた。声が少し震えてしまった。
「…俺が、麦ちゃんと出て行ったから、心配して来たの?」
聖君がすごく優しい声で聞いてきた。
「うん」
「ごめん、何も言わずに出てきちゃって」
聖君はそう言うと、私の肩に手を回した。それから、顔を思い切り、覗き込んできた。
「泣いてた?」
「う、うん」
そりゃ、ばれるよね…。鼻水まで出る勢いだったし…。
「ごめんね、桃子さん。私が聖君に駅まで送ってって言って、お店出た後、話をどうしても聞いてほしいって、無理に頼んだの」
麦さんが、私に言ってきた。
驚いた。いつも、棘のある言葉しか言ってこなかった麦さんが、私に謝ってきた。今の、聖君のことをかばったのかな。
私は、ちょっと麦さんの方を見た。麦さんも泣いたあとで、鼻も目も真っ赤だった。
「あ、あの…」
どう言っていいかわからず、困ってしまった。
私は、自分の意思と関係なく、聖君のTシャツの胸元をぎゅってつかんでいた。
そのまま黙って下を向いていると、聖君が聞いてきた。
「ずっともしかして、話、聞いてた?」
私は、コクンとうなずいた。
「そっか~~。やっべ~。俺、すんげえ恥ずかしいこといっぱい言ってたよね」
聖君は、頭をぼりって掻いた。
私はまだ、ぎゅってTシャツをつかんでいた。そして、聖君の胸にそっと体全体をあずけ、深呼吸をした。
「はあ…」
ようやく、聖君の優しいオーラに包まれた。ああ、ほっとする。
「桃子ちゃん?」
「苦しかった、すごく…」
「え?」
「もう、他の人に、ここ貸したりしないで」
それだけ勇気を出して言うと、また涙が出そうになった。
「ごめん」
聖君が謝った。と、同時くらいに麦さんも、
「ごめんなさい」
と私に謝った。私は、麦さんのほうも見ないで、ただ聖君の胸に顔をうずめていた。
「ごめんね、桃子ちゃん。もう、俺の胸に桃子ちゃん専用って書いておくから」
聖君はそう優しく言うと、思い切り抱きしめてきた。
「ぎゅ~~」
あ、声でもぎゅ~って言ってる。
「桃子ちゃん、すげえ可愛い~~」
うわ。今、麦さんいるんだよね。目の前にいるんだよね。なのに、こんな抱きしめたり、可愛いなんて言ったりしていいの?
「私がいるんだから、聖君、あまり目の前でそんないちゃつかないで」
あ、やっぱり。麦さんがそう言ってきた。
「え?あ、ごめん。でも、我慢できなくなっちゃった」
聖君はそう言ってからも、私のことをずっと抱きしめていた。
「桃子ちゃん、こういうことあまり言ってくれないんだもん。たまにさ、独り占めしててもいいのかな、なんて言ってくるしさ」
そう言うと、聖君は、私をまたぎゅって抱きしめ、髪にそっとキスまでしてきた。
うわ。うわわ。涙が出そうだったのが、一気にひっこんだ。それよりも、何よりも、私の顔がどんどんほてっていく。
「私、帰るね。ここから一人でも平気だから」
「でも、もう遅いよ?駅まで、桃子ちゃんと送るよ。あ、桃子ちゃんは、体大丈夫?それと足、さっきのひっかけたところは、大丈夫なの?」
聖君は、抱きしめていた手をはなし、私の足元を見て、確認しようとした。
「うん。大丈夫」
そう言うと、ほっとした表情になり、
「じゃ、麦ちゃんのこと一緒に、駅まで送っていこう」
と聖君は、そう言った。
聖君は私の手を取って、ゆっくりと歩き出した。私は聖君に寄り添って歩いた。
麦さんは、ちょっと間をあけて、歩いていた。
「あ…」
聖君が空を見上げて、
「すげえ、月が綺麗だ」
とぽつりと言った。
私も麦さんも空を見た。
「本当だ」
麦さんもぽつりとそうつぶやいた。
空は、澄みわたっていて、星も見えた。雲ひとつない空だった。
「なんだか、不思議」
麦さんはそう言うと、ふっと笑って、
「思い切り泣いたからかな。今、すっきりとしてる」
と私と聖君のほうを向いて、言った。
「私、勇気出してみるね。妹に、ちゃんと私の気持ち、話してみる」
「うん」
聖君がうなづいた。
「本当は、私、心の奥で、家族みんなと仲良くなりたいって思っていたし、それに、妹ができたことも、どっかで喜んでいたかもしれない」
麦さんの顔は本当に、穏やかだった。
「それ、ちゃんと言ってみる」
「うん。大丈夫だよ、勇気出せるよ」
聖君が、麦さんを励ました。
「それで、もし、妹がまたきついことを言って、私が傷ついたら、そのときは話を聞いてくれないかな」
「あ…、うん、いいよ」
聖君は、私のことをちらって見てから、そう言った。
「あ、聖君もなんだけど」
麦さんはそう言ってから、私を見て、
「桃子ちゃんにも、聞いてもらいたいの」
と言ってきた。
「え?私?」
「私、本当にそういう話ができる女友達がいないんだ。ガールズトークをしたこともないの」
「そ、そうなんだ」
う、でもなんだか、複雑。
「それに、私羨ましくって」
「え?」
聖君に私が大事にされてるからかな。
「聖君、すごくめいっていたとき、桃子ちゃんに優しく癒されて、心開いていけたんでしょ?」
「うん」
聖君がうなづいた。
「私も、桃子ちゃんのほっこりとした、あったかいオーラに包まれてみたいなって、聖君、いいなって思っちゃった」
「え?」
私?聖君じゃなくって、私に癒されたいの?
「あ、そうなんだ。あはは!それ、いいかも」
聖君はそれを聞き、笑っていた。
私は複雑だよ。でも、さっきからちょっとだけ、麦さんが可愛く見える。それに、声も話し方も、表情も、すごく優しくなってる。
あ、まただ。桐太も花ちゃんのお姉さんもそうだった。閉ざしていた心の扉を開き、凍りついた心が溶けると、その奥から溢れてくるのは、優しさやあったかさだった。
「いつでも聞く…。でもきっと、妹さんも心を開いたら、わかってくれるし、きっと仲良くなれると思う」
私がそう、麦さんに言うと、麦さんはにこりと笑って、
「ありがとう。それじゃ、また」
と駅の改札に、小走りで向かっていった。
「気をつけてね」
聖君が麦さんに声をかけた。麦さんはくるりと振り向き、笑って手を振ると、改札口を通っていった。
「あの笑顔なら、大丈夫だね」
聖君がそう言った。
「店、帰ろうか、桃子ちゃん」
聖君はそう言うと、つないでいた私の手をぎゅって握り締め、歩き出した。
「聖君。麦さん、桃子ちゃんって私のこと呼んでた」
「そうだね。さんづけだったのにね」
「…麦さんもだったな~」
「え?何が?」
「桐太もそうだったし、花ちゃんのお姉さんもだった」
「?」
聖君は私の顔を、きょとんとした顔をして見た。
「あのね、閉ざしていた心を開いて、凍り付いてた心が溶けていったらね、すごく優しくなって、穏やかになって、あったかくなったの」
「…うん。そうだね」
聖君は、こっくりとうなづいた。
「麦さんも笑顔が、穏やかだった。あんな笑顔、初めて見たな」
「うん、俺も」
「顔、すっきりしてた」
「うん」
「ちょっとね、まだ複雑なんだけども、でも、麦さんがちょっと可愛いなって、思えたんだ」
「可愛い?」
「なんだか、本当の麦さんを見れた気がする」
「うん、そうだね」
「みんなさ~、きっとそうなんだよね」
「きっとそうって?」
「心閉ざしたり、凍りついていたらわからないんだけど、心を開いたら、みんなあったかくって、優しい」
「…」
聖君は黙って私を見た。その目はすごく優しかった。
ああ、この目、このオーラ、聖君のお父さんや、おじいさんと同じだ。
「ほんとだね。みんなそうだね」
聖君はそう言うと、また前を向いて歩き出した。
「聖君の家族って素敵だよね」
「え?何?突然」
いきなり話が変わって、聖君は一瞬驚いていた。
「聖君のおじいさんも、おばあさんも本当に私、会っても緊張しないでいられたよ」
「ああ、そうでしょ?緊張なんかする必要ないってわかったでしょ?」
「うん。ものすごくあったかくって、私、思い切り安心できたから」
「あはは、やっぱり?」
「あのね、聖君のおじいさんも、お父さんも、ものすごく優しい目で私を見ててね、ここに聖君までいたら、私、光に溶け込んじゃうんじゃないかって思ったんだ」
「え?何、それ…」
聖君が私を見た。
「それだけ、安心して、体がふにゃふにゃになったの。あったかくって、優しくって、こりゃ溶けちゃうなって思ったよ」
「あはは、そうなんだ」
「そうしたらね、素のままの私でいられたんだ」
「うん」
聖君はなんだか、すごく嬉しそうに私の話を聞いている。
「でね、聖君のおじいさんが驚くことを言ったの」
「何て言ったの?」
「桃子ちゃんは元気だねって。はいって元気に言って、気持ちがいいねって」
「へえ、そんなこと言ったんだ。っていうか、桃子ちゃん、じいちゃんにはいって元気よく返事してたの?」
「そうなの。めずらしいなって自分でも驚いちゃった。でもね、聖君のおじいさんが、私がとってもリラックスしてるって言ったら、元気に返事をする私が、素の私なんじゃないかって」
「素の桃子ちゃん?」
「私、どこかで、人になんて思われるかって気にして、緊張しちゃって声も小さくなったり、自分に自信が持てなくて、おとなしくなってたのかもしれないなって、そう思ったんだ」
「そうかもね。初めの頃より、俺といても、声小さくないし、よく話すし、あ、今もだけど」
「そう?変わった?」
「うん」
「…聖君といると、自然体でいられる」
「…俺もだよ、桃子ちゃん」
聖君は、こっちこっちって言って、さっきの公園の中に私を連れて行った。そして私をベンチに座らせ、その横に聖君も座った。
「俺、桃子ちゃんに言ってなかったことがあった」
「え?」
「これ、絶対に言わないとって思って」
「?」
「ちゃんと聞いてね、俺まじだからさ」
「あ、もしかして、結婚の誓い?」
「あれ?もしかして、そこも聞いてた?」
「うん」
「なんだ、そっか…」
聖君は頭をぼりって掻くと、ちょっと顔を赤らめて、
「俺、ちゃんと言うから。いい?」
と私の目を見て、きりっとした顔になった。
「うん」
私も、聖君の目を見て、姿勢をただした。
「私、榎本聖は、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しいときも、死が二人を別つときが来ても、魂になっても、桃子ちゃんを愛することを誓います」
「魂になっても?」
「うん」
聖君はそう言うと、私のことをじっと見て、
「桃子ちゃんは?」
と聞いてきた。
「あ、そっか。私の番だよね」
私は少し、緊張してしまった。
「え、えっと…」
なんだっけ?ああ、そうだ。
「私、榎本桃子は、あ、榎本桃子でいいんだよね?」
「うん」
聖君は、ものすごくまじめな顔でうなづいた。
「私、榎本桃子は、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しいときも、死が二人を別つときが来ても、そのあともずっとずっと、永遠に聖君を愛することを誓います」
「永遠に?」
「うん。永遠に愛します」
私がそう言うと、聖君は目を細めて、ものすごく嬉しそうに笑って、それからいきなり、きょろきょろと辺りと見回した。
「何?どうしたの?」
「桃子ちゃんみたいに、覗き見してるやついないよなって思って」
覗き見って…。そんな覗き見したかったわけじゃないのに…。
「ま、いっか。誰か見てても」
聖君はそう言ってから、私に顔を近づけて、キスをしてきた。
「これ、誓いのキスね?」
「うん」
そして、ぎゅって抱きしめてきた。
「これ、誓いのハグね?」
「ええ?」
くす。私は思わず、笑ってしまった。
「桃子ちゃん、さっきさ、俺、胸に桃子ちゃん専用って書くようにするって言ったけど、あれ、訂正してもいい?」
聖君は私を抱きしめたまま、聞いてきた。
「え?訂正?」
何を?どこを?
「桃子ちゃんと、凪専用って書くことにする」
「凪?ああ、そっか」
「だから、桃子ちゃんの胸にも、聖と凪専用って書いておいて」
「ええ?私のにも?」
「うん。もちろんだよ。他のやつは絶対に駄目。そうだな、右は凪、左は聖って書いてもらおうかな」
「右?左?」
「そう。凪が吸いついていいのは、右のおっぱいだけね。左は俺専用ね」
「え?!」
「凪が生まれたら、桃子ちゃんのおっぱい、凪だけのものにしないでよ。絶対に」
「…」
「左は、俺のものだからね!」
「聖君、すけべ親父だ」
「え?なんで?なんでそうなるんだよっ」
「じゃなきゃ、エロ親父だ」
「なんで、エロになるんだよ~~。だいたいなんで、親父なんだよ~~!」
「じゃ…、ただのスケベ」
「ひっで~~。ただのスケベって、なんだよ。そんな言い方ないじゃんかよ~~」
聖君は思い切りすねてしまった。
「ちぇ~~、じゃ俺の胸も、凪専用にしてやる」
聖君は、口を尖らせそう言って、そのあともぷんすか怒っていた。
「そんなこと言うんだったら、私のも凪専用にして、両方とも凪のものにしちゃうけど、いい?」
私がそう言ったら、聖君はぐるりと私のほうを向き、
「駄目。絶対に駄目。そんな意地悪すると、俺、まじでぐれるからね」
と真剣な目で言ってきた。
「ぐ、ぐれる?」
「そうだよ!ぐれてやるっ」
聖君、子ども~~?もう~~。
でも、可愛い…。
私は思わず、聖君をぎゅって抱きしめた。そして、
「ほんとに、ほんとに、ほんとに、聖君の胸は私専用にしてね。絶対にそうしてね」
と、聖君の胸に顔をうずめてそう言った。
「うん」
聖君はうなづくと、
「桃子ちゃん、可愛い~~~~」
と私をぎゅ~~って抱きしめた。