第174話 素のままで
聖君は、私を見ると、テーブルの下で手をギュって握りしめた。
「俺…」
またカッキーさんに目線を移すと、聖君はまた話し出した。
「カッキーに対して、謝ることしかできない。何もしてあげられない…」
「え?」
カッキーさんがちょっと驚いている。
「ごめん…。俺のことで精一杯で、カッキーのことを思いやれる余裕なんてなかった。ずっと…」
「ずっとって?」
「きっと、心の奥ではあの時の女の子がカッキーだって、気が付いてたのかもしれない。だけど、俺の傷見たくなくって、ずっと避けてた」
「気づいてたって…?」
カッキーさんが聞き返した。
「俺、カッキーといると、かなり苦しかった。桃子ちゃんと似てるのに、カッキーから冷たい空気がきて、それが辛いのかと思ってたけど、いや、それもあったと思うけど…」
「冷たいって感じてたの?」
「うん」
「…だって、恨んでたから」
「え?」
「恨んでたもの。ずっと。私を覚えてないことも、私より桃子ちゃんを選んだことも、全部…」
カッキーさんはそう言うと、下を向いた。
「カッキーさん、聖君のこと好きだから、恨んでたんですか?」
私がそう聞くと、カッキーさんが顔をあげて、
「恨んでるのに好きなわけないじゃない」
と言い返した。
「…俺」
聖君はカッキーさんを見て、話し出した。
「すごく兄貴みたいに慕ってた人がいて、でも、その人のせいで一回、家族がばらばらになりそうになって…」
「え?」
唐突にそんな話をしだしたからか、カッキーさんがびっくりした顔で聖君を見た。
「その人のこと恨んだんだ。ずっと、恨んでた…」
「聖君…が?」
「うん。だけど、心のどっかではずっと好きでいて…。だから、苦しかったよ」
「え?」
「すげえ葛藤っていうのかな?そういうのがあって…。今日の今日まで、辛い思いをしてた」
「今日?」
「うん。それも見ないようにしてたんだよね。だけど、ちゃんと向き合った…」
「向き合ったら、恨みが消えたの?」
「…うん」
「じゃ、今は?」
「その人との関係、取り戻したいって思ってるし、その人もまた傷を負ってるから、何か助けになれたらいいなって、そう思ってるよ」
「…その人は聖君を嫌っていないの?」
「うん、多分…」
「そう…」
カッキーさんはまた、下を向いた。
「私、私が一人だけ苦しんでいるのかと思った」
聖君はカッキーさんのことを、じっと見つめている。さっきまでの苦しい表情はもう消えていて、すごく穏やかになっている。
「聖君がそんなに、苦しんでたなんて知らなかった」
「いいよ。知らなくっても。しょうがないことだよ」
「だけど、勝手にのほほんとして生きてるとか、勝手に冷たい人間なんだって決めつけたりして…」
カッキーさんがそう言うと、聖君はふうって息を吐いた。
「それも、わかるよ。俺もそうだったし…。っていうか、まったく同じ体験してたし…」
「え?」
「すごく似てる」
「もしかして、お兄さんみたいに慕ってたっていう人のこと?」
「そう…。俺、その人がものすごく苦しんでるのも知らないで、ずっと最低な人間だって思って軽蔑してたんだ」
「…聖君も?」
「うん」
「…そうなんだ」
ああ、本当だ。聖君が杵島さんに対して思ってきた思いと、似てるかもしれない。
「あのさ…」
聖君は一回、黙り込んだ。でも、何かを決意したかのように、じっとカッキーさんを見て、
「俺にもし、まだ言い足りないことがあったら言っていいよ」
とそう告げた。
「え?」
カッキーさんは、また驚いている。
「何かまだ、心の奥にためてるなら、言ってくれてもいいから」
「な、なんで?」
「もやもやしたものって、出さないと、ずっと苦しいでしょ?」
「でも、そんなことしたら、聖君が…」
「俺なら、大丈夫だから」
聖君はまた、私の手をギュってにぎった。
「…」
カッキーさんは黙って、うつむいた。それから、また顔をあげて、
「あの時、感じたこと、言いたかったことを言ってもいい?」
と聖君に聞いた。
「うん」
「…私は、自分が嫌いだった。名前も嫌いだった。だけど、聖君が褒めてくれて嬉しかった」
「…うん」
「聖君の笑顔も、嬉しかった。なのに、あんなに冷たい目で見られて、ものすごく悲しかった」
「…うん」
聖君は、じっとカッキーさんを見ながら聞いている。
「それから、しばらく悲しくって、家で泣いてた」
「…」
「親が離婚するって知った時よりも、もっと悲しい出来事だった」
「…うん」
「だって、聖君は私のこと、なんにも思ってくれてなかったんだもん」
「え?」
「…だから、私、もう一回笑顔を向けてほしかったのかもしれない」
「…」
カッキーさん?
「聖君に会って、それまでに変わった私を見てもらって、もう一回笑顔で、褒めてもらいたかったのかも…」
ボロ…。カッキーさんの目から、大粒の涙が流れた。
「俺…に?」
カッキーさんは黙ってうなづいた。
「…褒めるも何も…。カッキーはそのままでいいんじゃないの?」
「え?」
「変わらないでも、そのまんま、素のまんまで…」
「素の私って、どんな…」
「だから、今、感じてることをそのまま言ってるカッキー…」
「今の私?」
「うん」
聖君は真剣な目をしている。
「…こんな、私?」
「こんなって?今、すごく素直になってて、ありのままのカッキーでしょ?」
「うん…」
「それでいいと思うよ、俺」
「…」
カッキーさんはまた、涙をボロボロと流した。
「そっか…。これでいいんだ」
「うん」
「…じゃあ、聖君も、今の聖君がありのままなんだ」
「え?」
「今、すごく穏やかな顔してるし、目の前にいて、なんだか安心していられる」
「そう?そう感じるの?」
「今までは、壁って言うのかな。なんだか、拒絶されてるなって感じだったもの」
「それ、カッキーからも感じてたけど?」
「…じゃあ、お互いが?」
「かもね…」
カッキーさんは、鼻をずずってすすって、カバンからハンカチを出して涙をふいた。
「麦ちゃんが言ってたけど、本当にそうなんだね」
「何?麦ちゃん、なんて言ってた?」
「二人とも優しくて、あったかいから、素の自分でいられるんだよって…」
「麦ちゃん、そんなこと言ってたんだ」
聖君が優しくそう言った。
「それから、いくら聖君を桃子ちゃんから奪おうとしても、無理だよ。あの二人の絆はすごいからとも言ってた」
「え?そんなことも?」
私と聖君は、同時に照れてしまった。
「…。桃子ちゃんって、すごいんだね」
「え?」
カッキーさんの言葉に私は驚いた。すごいって何が?
「愛してるなんて言葉、あんな堂々と言えるなんて、びっくりしちゃった」
「あ…」
きゃ~~。今頃になって、顔がほてってきた。熱い~~~。
「電話でも、主人って言ってたから驚いたんだ。でも、あの時はちょっと、憎らしく思えちゃったけど、今は、本当に聖君のことを大事に思ってる奥さんなんだなって、そう思えるよ」
「…」
か~~~~。もっと顔が熱くなってきた。
「…桃子ちゃん、見た目と違うでしょ?」
聖君がいきなりそう言った。
「え?」
「麦ちゃんも驚いてたけどさ、器でかいし、あったかいし、優しいし、強いんだよね」
「ひ、聖君、私はそんな」
そんなに強くないよ…。
「俺も、そんな桃子ちゃんを、包み込めるくらい、強くなりたいって思うよ」
「え?」
「だから、自分の中と向き合って、前に進もうって思った」
聖君は私を見て、ニコって笑った。
「そうなんだ」
それを見て、カッキーさんはそうつぶやくと、
「私も…、これで前に進めるかな」
と私と聖君を交互に見て言った。
「前に?進みたいの?」
「うん。なんだか、今までずっと、孤独な感じがしてたし、心開ける相手もいなかったし…。でも、私が閉じてたんだよね?」
「人間不信になってたから…でしょ?でも、それももう、消えた?」
聖君が聞いた。
「…どうかな。だけど、聖君に対しての恨みなら、消えたみたいだよ」
カッキーさんはそう言うと、にこりと笑った。
「そっか…」
聖君はそう言うと、うつむいてふって息を吐き、また顔をあげ、
「そっか。うん。そう言ってくれて、俺もなんだか、吹っ切れたみたいだ」
とにこやかに答えた。
「…女性嫌い、治った?」
カッキーさんが聞いた。
「わかんない。でも、カッキーに対しての苦手意識はなくなったみたいだ」
聖君がそう言うと、今度はカッキーさんがにこりと笑い、
「そう…。それはよかった」
とそう嬉しそうに言った。
「さて…」
カッキーさんは突然立ち上がり、
「私、帰るね」
と言い出した。
「え?なんか食ってけば?」
聖君がそう言うと、
「ううん。いい…。なんだか、一人で浜辺でも散歩したい気分だし」
とカッキーさんは爽やかに答えた。
「一人で?」
私がそう聞くと、
「うん。海でも見て、風でも感じて、すっきりとした気分で、帰りたいなって思って…」
とにこって微笑んだ。
「カッキー、サークルやめないよね?」
聖君が聞いた。
「うん、もちろん。海って最高だもん。やめないよ、私」
「そっか…」
「それから、新しい恋もする」
「え?」
「…聖君よりも、優しい人を見つけるよ」
「そっか。うん、見つかるよ」
聖君がそう答えると、カッキーさんはにこりとして、リビングを出て行った。
私と聖君も、リビングから店に行き、カッキーさんを店のドアまで見送った。
「あら、帰るの?何か食べて行かない?」
お母さんがキッチンから出てきて、そう聞いた。
「いいえ、もう帰ります。長々とお邪魔しました」
カッキーさんはそう答え、
「じゃあね、聖君、桃子ちゃん」
と元気に言うと出て行った。
リビングに戻ると、2階からお父さんが下りてきた。
「帰ったのかい?」
「うん」
「聖、顔色よくなったね」
「え?」
「さっき、真っ青だったけど」
「うん。もう大丈夫だよ」
「そっか。よかったな」
「うん」
「さ、俺、先に飯食ってきちゃおう。カウンター空いてるかな」
お父さんはそう言うと、リビングからお店のほうへと向かって行った。
「桃子ちゃんも、ランチ食べる?」
「ううん、まだいい。あ、聖君は?」
「俺も、まだお腹空いてないや…」
2人でまた、リビングに腰を下ろした。
「今日はいろいろとあったね」
私がそう言うと、聖君は優しく私を見て、
「サンキュー」
と微笑んだ。
「え?」
「隣にいてくれてサンキュー」
「うん」
「愛してるって言ってくれて、サンキュー」
「う、うん」
か~~。それ、かなり恥ずかしい。
「真っ赤だ」
「だって…」
「あはは。言ったときには、全然照れてなかったくせに」
「う、うん」
「くす」
聖君は笑うと、私の髪にそっとキスをした。
「よかったね。聖君」
「ん?」
「カッキーさんとのことも、杵島さんとのことも…」
「うん」
「聖君」
「ん?」
私は聖君に抱きついた。
「大好きだからね」
「うん、知ってる。それに愛してるんでしょ?」
「うん。愛してるよ」
「俺も…」
聖君も私を、ぎゅって抱きしめた。
こうやってこれからも、私たちは壁にぶつかったり、またつらい思いが出てきたりするかもしれないけど、2人して、それと向き合っていくのかな。
でもきっと、聖君となら、越えていける。そうしてまた、一緒に進んでいくんだ。ずうっと、この先も…。