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第170話 最低な人間

 聖君は、出て行ってから1時間以上戻ってこなかった。私はその間、お店の手伝いをしていた。

「おはようございま~~す」

 元気に桜さんが、お店に入ってきた。

「おはようございます」

「あ、桃子ちゃん!こんな早くからお店の手伝い?っていうか、あれ?旦那は?」

「今出かけてて」


「え~?身重の桃子ちゃんに手伝わせておいて、自分は遊びに行ってるの?どうしようもないな~~」

 桜さんがそう言いながらキッチンに行くと、聖君のお母さんは苦笑いをしながら、

「桃子ちゃん、桜ちゃん来たしもう大丈夫よ。リビングで休んでて」

とそう私に言った。


「あ、はい」

 私は、このまま手伝っていると、もっと桜さんが聖君の文句を言うんじゃないかと思い、さっさとリビングに上がった。リビングには聖君のお父さんがいて、私を見ると、

「あ、桃子ちゃんに聖から電話来てたよ」

と教えてくれた。


「え?なんて言ってました?」

「いや、電話に出なかったからわかんないけど」

「え?」

「勝手に出たらあいつ、怒りそうだしさ。電話だよ、早く出てっていう聖の声の時って、聖からの電話なんでしょ?」

 あ、マナーモードにしないで、ここに置いていっちゃったか…。


「すみません、ちょっと電話していいですか?」

「ああ、どうぞ、どうぞ」

 私はリビングから玄関のほうに行き、聖君に電話した。お父さんの真ん前でかけるのは、さすがに気が引けて…。

 それに、わざわざ電話をしてきたってのが、気になった。聖君、どうしたんだろう。


「もしもし、桃子ちゃん?」

 あ、聖君の声低い。

「うん、ごめんね、電話くれたんだよね?」

「今まで店にいた?」

「うん。でも今、桜さん来たから、もうリビングに来たよ」


「じゃ、今から浜辺に来れる?」

「今、浜辺にいるの?」

「うん…」

 わ、もっと声が沈んだ。

「わかった。すぐ行くね」


「あ、慌てなくていい。ゆっくりでいいからさ。気を付けてきて」

「うん」

 私は電話を切った。そして、お父さんにちょっと出てきますと言って、お店側に置いた靴をそっととり、玄関から出て行った。


 どうしたんだろう。ああ、気になる。声は沈んでたし、家に帰ってきたくない理由でもあるのかな。いきなり浜辺に来てなんて…。

 出る時は明るかった。もしかして、杵島さんに何か言われてしまったのか。

 いや、自分自身と向き合って、気持ちが悪くなって動けないとか…?

 私だけでよかったかな。お父さんも来てもらったらよかったかな。

 ああ、なんだか、いろんなことが頭の中をぐるぐると廻ってる。


 海は海水浴に来てる人もいなくなり、静かだった。波間に数人のサーファーと、浜辺には親子連れが何組か。石段に一人でのんびりしているおじさん、そして一組のカップルがいて、そこからだいぶ離れたところに、聖君がぽつりと座っていた。

「聖君」

 後ろから声をかけると、

「あ、ごめん、桃子ちゃん、呼んじゃって」

と聖君が後ろを振り返った。ああ、表情暗いよ…。


「ううん、いいよ」

 私は聖君の横に腰かけた。

「今日、曇ってるし、そんなに暑くないね」

「うん。風も涼しい」

 聖君はそう答えて、海のほうを眺めた。


 どうしたのって聞いたほうがいい?それとも、黙って横に座ってるだけのほうがいい?

「会えた?」

 それだけ聞いてみた。

「うん」

「話せた?」

「うん」

 聖君はすごく静かにうなづいた。そしてまた、海を眺めた。


 私はもう話しかけるのをやめて、私も聖君と一緒に海を眺めた。空にはとんびが飛んでいる。浜辺で遊んでいる子供が、楽しげに走っている。

「俺さ…」

 聖君が下を向き、ぽつりと話し出した。

「うん?」


「ちょっと今、やばいかも」

「?」

 何がやばいのかな。そう思いながら聖君を見ると、今にも泣きそうな表情になっていた。

「泣いてもいいよ?肩も貸すよ?」

 そう言うと、うつむいたまま、聖君はぶってふきだした。


「じゃ、肩にもたれてもいい?」

「うん、いいよ」

 聖君はそっと私のほうに肩を寄せた。

「桃子ちゃん」

「うん」


「俺って最低な人間なんだ」

「え?」

「さすがの桃子ちゃんでも、幻滅するかも」

「…自分で最低な人間って思って、落ち込んじゃったの?」

「うん」


「…何か、杵島さんにひどいこと言っちゃったの?」

「ううん」

「じゃ、どうして最低だって思ったの?」

「…亨さんにね、一緒にダイビングしようって言ったんだ。いきなり言ったら、亨さん、驚いちゃってさ」

「うん」

 聖君は私の肩にもたれながら、下を向いて話し出した。


「俺、今でも亨さんのこと、兄貴みたいって思ってて、サーフィンができないんなら、ダイビング一緒にできたらいいなって、そう思ってるって言ったんだ」

「うん」

「そしたら亨さん、すげえ嬉しいって、泣きそうになった」

「うん」

「でも、今はまだできないって」

「え?」


「まだ、立ち直ってないってさ…」

「そう言ったの?」

「うん…」

「そうなんだ。あ、でもそういうこと、聖君に話してくれたんだね?」

「うん…」


 聖君はもっとうなだれた。

「でさ…」

「うん」

「俺にね、慕ってくれるのは嬉しいけど、でも、自分は最低な人間なんだよ。俺なんて生きてていいかどうかもわからないような人間なんだよって、そんなことを言い出してさ」

「杵島さんが?」

 そんなに自分を責めてるの?


「何て言っていいかわかんないから、そんなことないよって言ったんだ。でも、お前も俺のこと、軽蔑したんじゃないのかって」

「…」

「何も言い返せなかった。本当に俺は、亨さんのこと軽蔑して、事故起こしても当然の報いだってそんなことまで思ってたからさ…」

「…」


「俺が何も言えないでいたら、いいんだって言われた。軽蔑されられるような、そんな最低な人間なんだからって」

「そこまで、杵島さん、自分のこと責めてるの?」

「…亨さんね、あの事故起こした時、自分なんて最低な人間だから、死んじまってもいいって、そんなふうに思ってたんだってさ」


「え?じゃ、自殺するつもりで?」

「自殺する気はなかったらしいけど、バイク乗っていたら、このまま死んじまってもいいんじゃないかとか、そんな気になっちゃったってさ。だから、事故った時、これで死ねるって、そんなことまで思ったって…」

 聖君は声を詰まらせた。


「これで償えるとか、これでもう苦しまなくても済むとか、いろんなこと浮かんだって」

「償えるって、奥さんだった人に?」

「それから、赤ちゃん」

「え?」

「結婚してからも、あまり優しくできなかったんだって。奥さん、ストレスで赤ちゃん、流産したかもしれないんだって」

「…」


「このまま夫婦でいても、お互いのためにならないって思って離婚したら、そのあと奥さん、自殺しようとしたしさ。亨さん、自分でどうしていいかもわかんなくなって、相当苦しんで、自分を責めて…」

 聖君の目からぼろっと、大きな涙がこぼれ落ちた。

「そんなこと、俺、しんなかった…」


「…」

「知んないで、軽蔑してた。事故って当然だなんて、俺思ってた。亨さんがそんなに苦しんでたって知らないで…」

「そ、それはしょうがないよ。聖君が知らないでも、しかたのないことだよ」

「そうかな…」

「え?」


「ちょっと亨さんの立場になったら、わかることじゃん」

「でも、聖君だって、家族が崩壊するかもとか、怖い思いをしたんだもん。それなのに、相手のことまで考えてあげられないよ」

「…」

 聖君は私の肩から離れ、目を手でこすってから私の顔を見た。


「俺、大事な人を傷つけるやつは、絶対に許さないって、そんな風に今まで考えてた」

「え?」

「桃子ちゃんを傷つけるやつが現れたら、そいつぶちのめしてやる、くらいにさ」

「うん」

「だけど…」


 聖君は目線を外し、宙をしばらく眺めた後、

「相手も、いろんな思いを持ってたり、傷ついていたり、苦しんでるんだよね」

とぽつりと言った。そしてまた、うつむいた。

「…聖君」

 聖君がすごく小さく見えて、私は聖君に抱きついた。


「聖君は最低じゃないよ」

「いいよ。最低だって思っても」

「ううん。ちゃんと今、聖君の内側と向き合ってて、いろんな思いを感じてるだけだよ」

「え?」

「そんな人を憎む気持ちって、きっと誰にだってあるよ」


「…」

 聖君は顔をあげた。

「でも、きっとみんな、そんな憎む気持ちを汚いとか、最低だって思ったりはしない。きっと聖君は綺麗なんだよ」

「俺が?」

「だから、そんな自分が醜く見えちゃうんだよ」


「醜くない?俺…」

「ない…。そんな聖君がいたって、それでも好き」

「…」

「聖君、きっと自分が傷を負ってたこと、気づいてない」

「え?」


「聖君、家族と杵島さんの中で、きっとものすごく苦しんだんだよ。優しいから苦しんで…」

「でも俺、亨さんのこと、憎んでたよ」

「だけど、心の奥では好きだったんでしょ?」

「…」

「今でも、好きでしょ?」

 聖君はコクンとうなづいた。


「杵島さんとの関係を取り戻すの、遅くないよ。杵島さんがなかなか立ち直れなくても、待ってあげたらいいと思うし、何か、力になれることもあるかもしれないし」

「俺に?」

「うん」

「そんな力俺には…」


「うん。何がどうってことじゃなくって、その…。ただね、私思うんだ」

「…」

「聖君が杵島さんを好きで慕ってる。それだけでいいんじゃないかって」

「それがかえって、亨さんを苦しませるとしたら?」

「え?どうして?」


「今日みたいに、俺は最低な人間なんだから、慕ってくれるな、みたいに拒絶されたら?」

「拒絶してないよ」

「でも…」

「拒絶してたら、そんな心開いて話してくれなかったよ」

「え?」


「きっと、聖君にだから、話したんだよ」

「…」

「立ち直るまで待ってって、本心だよ。きっと聖君の思いに応えたいんだよ」

「俺の?」

「聖君が慕ってくれてるの、きっと喜んでるよ」


「…」

 聖君は下を向いた。ぼろっとまた涙がこぼれている。

「もし、軽蔑されてるとか、俺は最低な人間なんだって、そんなふうに杵島さんが思ってるなら、今私に話してくれたことを話したらいいと思う」

「え?」


 聖君は目をまた手でこすって、顔をあげた。

「杵島さんの苦しみも知らないで、恨んだりしたこと」

「…」

「そんな最低な自分なんだって、杵島さんに…」

「俺も、最低な人間なんだって?」

「うん。杵島さんだけじゃないよって」


「…やっぱ、桃子ちゃん、最低って思ってる…」

「そうじゃないけど。えっと、そうだな、もし最低だとしても、愛してるから」

「俺のこと?」

「最低でも、杵島さんが好きでしょ?好きでいるでしょ?」

「ああ、うん」


「私も、そんな聖君だって、愛してるから」

「…そっか」

 聖君は私のことを抱きしめてきた。

「うん。そうだね。桃子ちゃんは、どんな俺でも愛してるもんね」

「うん」


「俺も、愛してるよ」

「うん」

 聖君はしばらく、私に抱きついている。

「ああ、やっぱり、浜辺じゃなくて部屋で話せばよかった」

「え?」

「ここじゃ、キスもできない」

「え?」


「してもいいかな?夫婦だし、いっか」

「駄目、周りに人いるもん」

「大丈夫だよ。見てないって」

「駄目だって」

 なんでいきなり、そんな元気になっちゃってるの?って思っていたら、聖君はチュッてキスをしてきた。


「も、もう~~~」

「さ、帰ろうか」

 聖君は私の手を取って、立ち上がった。

「聖君、立ち直った?」

「うん」

 早い。さすがだ。


「桃子ちゃんパワーだね」

 聖君がにこりと笑った。

「亨さんにも桃子ちゃんみたいに、全部を愛してくれる人がいたら、きっとすぐに立ち直れるのに」

「聖君がいるじゃない」

「え?俺?」


「うん」

「…そっか」

 聖君と腕を組んで、店に向かって歩き出した。

「…桃子ちゃん」

「ん?」

「ありがとう」

「…うん」

 

 聖君の目、すごく優しくなってる。

「あ~~、恥ずかしいな」

「え?」

 突然聖君は、空を見上げながら言った。

「俺、最近桃子ちゃんの前で、泣いてばっかりだ」

「…いいのに」


「でも、かっこ悪い」

「ええ?いいよ。わんわん泣いてくれても構わないのに。泣き顔も見せてくれて構わないのに。いつも、泣いてる顔見られないように隠してるよね?」

「当たり前じゃん」

「なんで?」


「絶対にかっこ悪いもん、かっこ悪いとこ、あまり見せたくないもん」

「ええ?」

 何を今さら。

「大丈夫。絶対に泣き顔も、かっこいいよ」

「まさか!」

「じゃ、可愛いよ」


「もう~~。桃子ちゃんの変態!」

 聖君はそう言って、本気で照れた。

「あ、照れてる?可愛い」

「だ~~。もう、からかうのやめっ!」

 そう言って、聖君はもっと顔を赤くした。

 


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