第17話 彼の変化
ああ。今、突然よみがえった。私、幹男君のことを、抱きしめたことがあった。幹男君が、ものすごく落ち込んでいて、私といると癒されるって言うから。
それを聖君が見て、ものすごく怒っていた。
そうか。あのときの聖君は、こんな気持ちだったんだ。
「何してるんだよ」
あのとき、ものすごい怒った顔で言ってきた。あまり怒ることのない聖君が、すごく怒っていた。でも、そのあと泣きそうになっていた。
ううん、泣いていたかもしれない。
ガクゼンとしていて、私は今、「何をしてるの?」と怒って、出て行くこともできないでいる。
麦さんが泣いてるから、だから、なぐさめてるだけだよ。そうだよ、ただそれだけ。そう自分に言い聞かせようとしても、どうしてもそう思えないでいる。
自分だって、幹男君のときには、抱きしめたりしていたのに。
でも、今まで、他の女の子にあんなに冷たかった聖君が、どうして?!
麦さんは特別なの?
気を使って、疲れるのに、どうして、そんなに優しくするの?
どうして、突き放さないでいるの?
ああ、また、気が遠くなりそうになるくらい、クラクラしてきた。
「やっぱり、私には無理なのかな」
ひっくひっくと泣いていた麦さんが、落ち着いてきたのか、また話し出した。
「無理って?」
聖君はまだ、麦さんのことを優しく抱きとめたまま、優しく聞いた。
あの腕の中にいるのは、私なのに。
あの胸に顔をうずめるのは、いつも私なのに。
聖君は、私の聖君じゃないの?私、独り占めしていたのに、私のものじゃなかったの?
頭が、ガンガンする。
「家族と仲良くなろうなんて、無理…。聖君みたいに、幸せになるなんて、無理」
「…まだ、わかんないじゃん」
「聖君は、特別なんだよ。誰とでも、心開いて、すぐに仲良くなって」
「…俺が?そう思う?」
「そうだよ。そんなに私は簡単に、心開けないよ」
「……。だけど、俺も今の麦ちゃんみたいに、何もかも嫌になったり、それどころか、運命すら、のろいたくなったことあるよ?」
「え?いつ?聖君がそんなことがあったなんて、信じられない」
麦さんが驚いた声を出した。
私はもう、二人を見るのも辛くって、目を伏せて見ないようにしていたけど、声だけは聞こえていた。
本当に、聖君、いつそんなことがあったのかな。
「俺、父さんと血がつながってないってわかったとき、すげえショックだったんだ。なんかもう、全部がどうでもよくなって、家も飛び出して、海まで行って、わめきまくってたよ」
「え?」
「ばっかやろう~~って。俺、父さんも好きだったし、じいちゃんやばあちゃんも好きだったし、それなのに血が、つながってなかったんだって思ったら、なんか、腹が立つやら、悲しいやらでさ」
「…聖君でも、そんなふうに思っちゃったの?」
「思ったよ。父さん面してたのにも、腹が立ったし、俺、生まれなきゃよかったのかとも思ったし」
「え?」
「父さんが、母さんと出会ってからのことを、俺宛の手紙みたいな感じで、書いていてくれたのがあってさ」
「聖君のお父さんが?」
麦さんが聞いた。
そういえば、そんなことを、前に言ってたかな?聖君。
「自分じゃ、自叙伝だなんて言ってたけど、俺が真実を知ったときに、渡そうと思って書いたものだったみたい」
「真実?」
「血がつながってないってこと」
「…」
「それ、読んでいたらさ、母さんが海で自殺をしようとしていたこととか、書いてあってさ」
「自殺?」
それは、聖君のお母さんから聞いたことがある。でも、そのときにお父さんと出会って、運命的な出会いだったって、嬉しそうに話していたんだよな。
「俺の本当の父さん、母さんの親友とも付き合ってたんだ。母さん、仕事も駄目になって、親にも見離されて、恋人も親友もいっぺんに失って、それで自殺しようとした。だけど、父さんが助けたんだ。それが二人の出会い」
「…」
麦さんは、さっきから黙っている。
「俺、それ読んで、母さんのことを死に追いやろうとしていた、俺の本当の父さんを憎んだ。母さんを苦しめた母さんの親友も。そして、その子どもだった菜摘のことまで」
え?菜摘のことを?でも、聖君、菜摘を好きだったのに?
「……。菜摘さんと今は、すごく仲いいのに?」
「うん。あ、言ってなかったっけ?俺、はじめは菜摘のことが好きだったんだ」
「え?」
「妹だってことも知らないで、好きになったんだよ」
「ええ?」
麦さんの声、すごく驚いてる声だ。
「じゃあ、桃子さんは」
「桃子ちゃんは、菜摘の友達で、俺は葉一と、基樹ってやつと海の家でバイトをしてて、そこに桃子ちゃんと、菜摘と、あと、蘭ちゃんって子が来て。俺と基樹と、蘭ちゃんがなんか意気投合して、それから、6人で海で遊んだり、花火大会行くようになってさ」
「その頃は、菜摘さんのことが好きだったの?」
「そう。でも、ある日、血がつながった兄妹だって、知っちゃって」
「…それ、すんごいショック」
「うん。まあね。でも、菜摘、あの頃、桃子ちゃんのこと応援してたし、俺と両思いだったってのもわかったのはあとだし。もし、付き合ってたりしたら、もっと悲惨だったよね」
「ちょっと待って。両思いだったの?」
「うん。えっと、ややこしいね、説明するの。はじめに海の家に来て、俺に桃子ちゃんが一目惚れしちゃったの」
「あの子、本当に一目惚れなんてしたんだ」
麦さんがびっくりしてた。でも、なんでそんな話をしてるの?聖君。
「それで、それを知った、桃子ちゃんの親友の菜摘と蘭ちゃんが、桃子ちゃんのためにまた海にやってきて、それで6人で会うようになったんだ。でも、俺が好きになっちゃったのは、菜摘だったし、菜摘も、桃子ちゃんの応援をしていたけど、いつからだか、俺のことを好きになっちゃったみたいで」
「そ、それ、いつ知ったの?」
「もう、妹だってわかってから。だから、絶対に俺が、菜摘のこと好きだってばらせなかった。菜摘には、俺と血がつながってるってことも、知られないようにしていたし」
「でも、菜摘さん、聖君のこと好きだったんでしょ?」
「うん。俺、桃子ちゃんに俺と付き合ってるふり、頼んだんだ」
「え?」
「そうしたら、菜摘、あきらめると思って。桃子ちゃんは、偶然、俺が菜摘を好きだってことを、知っちゃって、応援してくれようとしたんだよね。自分の気持ちは押し殺してさ」
「……」
「でも、応援されても困るし、だから、菜摘は妹なんだって、桃子ちゃんには話したんだ」
「それで?」
「ばらさないようにって頼んだ。それに、俺と恋人のふりをしてっていうのも頼んだ」
「桃子さん、それ、引き受けたの?」
「俺のために、一生懸命演じてくれたり、がんばってくれたんだ」
「…それで、聖君、桃子さんに惹かれていったの?」
「うん。いや、どうかな。桃子ちゃんにそういうことを頼んだのは、もう、桃子ちゃんが好きだったからかも」
「え?」
「菜摘が妹だって知った直後くらいに、桃子ちゃんは俺のことを好きなんだっていうのも、知った。それから、俺、桃子ちゃんのことを意識して見るようになって」
「それで?惹かれていったの?」
「桃子ちゃん、可愛かったし、いつも一生懸命で、健気で、俺、そういうところに癒されてたんだ」
「癒されて?」
…え?最初の頃だよね。私が小型犬に似てるとかって、言ってた頃。
「俺、その頃、まじで暗かった。父さんのことも、どう接していいかもわかんなかったし、だんだんと好きだったはずの菜摘のことまで、憎くなるし、母さんのこと考えると、辛くなるし」
そうだったんだ。そんなに苦しんでいたの知らなかった。
「桃子ちゃんといると、ほっとできた。そういうの全部忘れてたし、あったかかった」
「……」
「すさんでいったかもしれない俺の心が、桃子ちゃんといると、ぽわっとするんだ。すげえ可愛いって思うと、あったかくなって、嬉しくなって…」
聖君…。駄目だ。なんか泣きそうだ、私。
「俺、きっとあのとき、桃子ちゃんがそばにいなかったら、今の俺はいないと思うよ」
「今の俺って?」
「だから、麦ちゃんのことを励ましたり、慰めてる俺。それに、楽天家で、幸せな俺」
「…もっと、違ってた?」
「麦ちゃんみたいになってた」
「私みたいにって?」
「家族うらんで、今の自分のことも嫌いで、不満言って、自分から幸せになることを拒否して」
「わ、私ってそんなふうに見られてた?」
「そうでしょ?自分のこと嫌いじゃない?」
麦さんは黙っていた。
「俺も、家族うらんで、自分を嫌って、全部嫌になって、生きる気力もなく、死んだように生きていたかもしれない。もし、桃子ちゃんがいなかったら」
「……今の私がそうなの?」
「いや、今は違ってきた。ちゃんと家族と向き合おうってしてるし、こんなふうに心開いて、泣いたりもしてるし。でも、前は違ってたでしょ?」
「うん。聖君と会って変わってきたの」
「…俺、まるで、俺のこと見てるみたいで、ほっとけなかったんだよね」
「え?」
「俺も、桃子ちゃんに出会わなかったら、こうなってたかなって思ったことがあって。桃子ちゃんが俺の心を開いてくれたように、俺にもできないかなって」
え?私が聖君の心を?
「聖君の心も閉ざしていたの?」
「うん。かなり頑丈な扉で、閉ざされかけてた」
「でも、桃子さんが開いたの?」
「うん。開かせてくれて、その開いたところから、あったかい愛を注いでくれた」
聖君。そんなふうに思ってくれてたの?ああ、涙が出てきた。
「なんか、照れるな…。でもさ、そうやって、いっつもあったかい愛で包んでくれたんだと思うんだ。桃子ちゃん、すげえ優しいし」
「……」
「俺、冷たいんだよ。知ってた?高校では、硬派でとおってた。女の子、面倒だし、苦手だし、告られても、全部断ってたし」
「知ってる。そういう話前にもしていたよね?」
「うん。前はそれでいいんだって思ってた。それが俺なんだからって」
「違ってきたの?」
「うん。桃子ちゃん見てたら、違ってきた」
「え?」
「桃子ちゃんは、誰にでも素直だし、人の心開かせるの、得意だし」
違う。それは聖君の方…。
「友達のことも、家族のことも、すごく大事に思ってて、ときには、自分の思いより、相手の思いを大事にすることもあって」
「…」
「桐太のことだって、いろいろと大変なめにあったのに、許しちゃったし、今じゃ、あんなに仲いいし」
「大変なこと?」
麦さんが聞いた。
「うん。まあ、いろいろとね」
「でも、今、すごく仲いい」
「でしょ?うちの家族も、桃子ちゃんが大好きなんだ。みんななついちゃって」
「なつく?」
「クロも、すげえなついてるし」
一台、車が通った。車のヘッドライトに聖君たちが照らされた。少しだけ、目線をあげてみた。すると、聖君は、麦さんの肩を抱いて話をしていた。
駄目だ。やっぱり見ていると苦しくなる。
「桃子ちゃんってさ、俺に片思いしてる子の気持ちまでわかって、泣いちゃったりするんだ」
「え?」
「はじめ、そういうのってどうよって思ってたけど、なんだろうな。相手の気持ちを、すごくわかってあげられるんだよね。まじ、優しいんだ」
うそ。私のこと、そんなふうに思ってくれてたの?そういうの、呆れていたんじゃないの?
「俺のこともだけど、相手のことを思いやれて、相手の気持ちをわかってあげられて、そういう桃子ちゃんってすげえなって思って、俺も、変われたらなって、最近、すごくそう思えて」
「…」
「俺、まじで幸せなんだ。すげえ、満たされてるの。でも、麦ちゃんみたいに、苦しんでる子とか、不幸選んでる子って、けっこう周りにいて、何か、力になれること、俺でもあるのかなって、ちょっとそう思うようになってきたんだ」
「え?」
「俺ばっかり、幸せじゃ悪いかなっていうか、人も幸せになってほしいなっていうか」
「…」
「おせっかいかな?だけど、同情とは違う。俺、同情嫌いだし、人って、すごい力を持ってたり、優しさを持ってたりするから、そういうのを引き出せたらいいなって思ってる」
聖君、もともとそうなのに。聖君にはそういう力がもともとあるのに…。
「そういうこと、桃子さんといて、思うようになったのね?」
「うん」
「…それで、私の話を聞いてくれたり、こうやって優しくしてくれてるのね?」
「俺には、桃子ちゃんだけじゃなくって、葉一っていう親友もいる。父さんや母さん、妹、桐太、基樹、いっぱい俺のこと励ましてくれたり、元気づけてくれる人がいる。じいちゃんや、ばあちゃん、他にもたくさん。俺のことを大事に思ってくれる人がいるんだ」
「…」
麦さんは黙っていた。
「桃子ちゃんの家族だって、菜摘の家族もそうだ」
「……」
「麦ちゃんにもね、いるんだよ。お母さんだってさ、麦ちゃんのことを大事に思ってくれてるよ?」
「え?」
「もし、俺が心を閉ざしてたら、わかんなかった。きっと、心を閉ざそうが、開こうが、みんな俺のことを大事に思っていることには変わりない。だけど、それに気づけなかったと思う」
「心を閉ざすと?」
「そう。開いてごらんよ。お父さんも大事に思ってくれてるし、妹さんだって、麦ちゃんみたいに、心を閉じているだけで、本当は寂しいとか、もっと大事に思われたいって、思ってるかもしれないよ?」
「私みたいに?」
「意地張って、強がってたけど、本当は麦ちゃんも、誰かに愛されたいとか、大事にされたいって思ってたんじゃないの?」
麦さんは無言になったが、鼻をずずってすすった。まだ、泣いてるんだ、きっと。
「俺だけじゃない。もっと、他の人にもこうやって、泣いたり、自分の気持ちを言ってみたりしたらいいよ」
「で、できるかな」
「できるって。現に今、してるじゃない」
「これは、聖君だから…」
聖君は少し黙ってから、話を続けた。
「…花火、誘ったんでしょ?それって、すんごく勇気のいることだったんでしょ?」
「え?うん」
「できるよ。それがもう、できたんだから」
「…うん」
聖君、優しい。麦さんがものすごく素直になってる。
ズキン。麦さんが素直になっていくのも、心を開いていくのも、それって、聖君が望んでいたことだし、けして、悪いことじゃないのに、やっぱり胸が痛いよ。
「俺、実は、家族に花火誘うのが、どうしてできないんだろうって思ってたんだ」
「え?」
「ごめんね。桃子ちゃんに言われた。はじめてのことなんだし、怖いの当たり前で、もし誘うことができたら、すんごい勇気を振り絞ったってことだよねって」
「桃子さんが?」
「俺、そのとき初めてわかったよ。どうしても誘えないくらい、麦ちゃんにとっては、勇気のいることだったって」
「桃子さんが…?そんなことを?」
麦さんがまた、そう言った。
「そう。桃子ちゃん、麦ちゃんの立場に立って、考えて言ってた。あ、そうだよ。桃子ちゃんも、麦ちゃんの相談にも乗ってくれると思うし、わかってあげられると思うよ?」
「え?」
え?!私?!
「いい友達になれると思うんだけどな、俺」
「桃子さんが嫌がるよ」
「なんで?」
「私、意地悪なこといっぱいした。それ、自分でもわかってるもの」
「羨ましかったからでしょ?」
「なんでわかったの?」
「う~~ん、なんとなく。本当は、桃子ちゃんみたいに、素直になったり、周りの人に大事にされたいって思ってるんだろうなって、わかってた」
「それでなの?」
「え?」
「聖君、私がひどいこと言ってても、私に怒らなかったし」
「え?ああ。うん。っていうか、桃子ちゃんなら、大丈夫かなって」
「なんで?」
「う~~ん、ああ見えて強いんだもん」
「え?」
「けっこう、強いんだよね。桃子ちゃん、前向きだし、根性あるし」
「そう見えない」
「でしょ?あははは」
聖君、笑ってる。そんなことないのに、私、弱いよ。今だって、足はがくがくしてるし、聖君にさっさと、麦さんから離れてほしいって思ってるし。だけど、一歩も足が動かないほど、弱いのに。
「ところで、そろそろ離れてもらっても大丈夫かな」
聖君が突然そう言った。
「え?」
「ここ、桃子ちゃんの指定席なんだよね」
「え?あ、ここって、聖君の胸?」
「そう」
え?指定席?私の?
「ごめん」
麦さんがそう言った。そっと見てみると、麦さんは聖君から離れていた。
「実は、さっきから、すげえ罪悪感で、辛かった」
聖君が、苦笑いをしながらそう言った。
「桃子さんに対して?」
「そう。それに、どうも桃子ちゃんじゃないと、俺も落ち着かないって言うか、ごめんね」
「ううん、こっちこそ」
「早く、麦ちゃんのことをぎゅって抱きしめてくれる人、見つかるといいね」
「え?」
「麦ちゃんの全部を受け止めてくれて、愛してくれる人」
「そんな人いるかな」
「いるよ、きっと。俺だって、父さんから、そう言われて、そんな人現れるのかなって思ってたら、しっかり出会っていたし…」
「桃子さん?」
「うん。そう。そうだ、知ってる?結婚の誓いの言葉ってあるじゃんか。あれって、どんなあなたでも、無条件で愛していますって、そういう意味なんだって、父さんが教えてくれたんだ」
「無条件で?」
「そう。父さんが言うには、俺が聖を好きなのと一緒だ。どんなお前のことも、可愛いと思うってやつと一緒ってさ。これ、かなりこっぱずかしいね。気持ちわりいってそのときは茶化したけどさ」
「だけど、そんなことを言ってくれるなんて、羨ましいよ」
「そう?でも、もうご両親から思われてるかもよ?」
「私が?」
「それに、そんな相手、見つかるかもよ?」
「こんなひねくれた性格の私のことを?」
「あはは。俺もひねくれてる。性格悪い。だけど、父さんが性格悪い聖もひっくるめて好きだってさ」
「…素敵だな~」
「くす。で、そういう話をしてて、あれ?俺も、もうそう思える子に会っちゃってるなって思ってさ」
「桃子さん?」
「うん。俺、桃子ちゃんのどこをとっても好きなんだよね」
え?!うわ!聖君、すごいこと言ってる!
「それに、桃子ちゃんも俺の、全部を好きなんだよね」
「え?」
きゃあ。そんなことまで言ってる!
「へへ。あ、今、俺、思い切りのろけてる?」
「顔がにやけてる」
「え?」
「かっこ悪い。そんな聖君、見たの初めて」
「まじで?最近、ずっとこうだったけど。桃子ちゃんの前だと、もっとでれでれだよ、俺。でも、そんな俺もかっこよくて、可愛いんだって」
「え?」
麦さんの声は呆れたって声だ。
「あ!そういえば、まだ、桃子ちゃんに結婚の誓いしてないじゃん」
「え?」
「誓いの言葉、言ってなかった」
「誓いって?」
「あれだよ、健やかなる時も、病める時もってやつ」
「ああ、あれね」
「死が二人を分かつまでってやつ。あ、俺の場合は、死んでもなお、好きでいるかもしれないけど」
「何それ?」
「はは。魂になっても、好きだったりしてね」
聖君…、駄目だ。もう涙でぼろぼろだ、私。
どうしよう。鼻水も出てきた。
「麦ちゃんにも現れるよ。大丈夫だよ」
聖君が優しくそう言ってから、
「ああ。恥ずかしいな。俺、かなり恥ずかしいこといっぱい言ってたよね?こんなこと桃子ちゃんに知られたら、顔から火、出るな」
と頭をぼりって掻いていた。
「そういう話してないの?」
「ちょっとはするけど、全部はしてない。だって、めっちゃ恥ずかしいじゃん」
「でも、きっと喜ぶよ」
「…そうだよね。桃子ちゃんが真っ赤になってるところが、目に浮かぶ」
真っ赤なんてもんじゃない。今、しゃくりあげて泣くのをこらえて、大変だ。
「そんなに大事に思いあってるのに、私、間に入ろうとしていたなんて、馬鹿だよね」
「え?」
「もしかしたら、桃子さんより、私を選んでくれるんじゃないかなんて思ってた」
「…そっか~」
「そんなのありえないことだったのにね」
麦さんは、ふって笑いながらそう言った。
「じゃ、俺のことはもうふっきれた?」
「うん、なんだか、そんなに桃子さんのことが好きだってわかったら、すっきりしちゃった」
「そっか。良かった」
「そういうのも、気にやんでた?」
「うん、ちょっとね」
聖君はそう言うと、はあ~~って、安心したように息をはいた。
「俺、絶対に桃子ちゃん以外の子、好きになれないし、受け入れてあげられないってわかってたし…。なんとかならないかな~~って、思ってたんだよね」
「ごめん、そんなに気を使わせてたんだね、私」
「…でも、ふっきれたなら、良かったよ」
「うん」
「あ、やべえ。桃子ちゃん、店においてきてるんだった。きっと、俺がいなくって、寂しがってる」
「え?」
「でも、まだあまり、自分から甘えてこないんだよね。寂しいって言って、抱きついてきてくれてもいいのにな。そういうの嬉しいのにな、俺」
「そうなの?そういうの嫌がったりしないの?」
「え?どうして?」
「重たかったりしない?」
「まさか!桃子ちゃんに限ってそれはないよ。逆に俺、すげえ嬉しくなって、むぎゅって抱きしめて離さないと思うんだけど」
「…そういうの、人に平気で話す人なんだ、聖君って」
「まさか!こういう話はあまりしない」
「今、してるよ」
「あ、本当だ。あはは、じゃ、覚悟してて。麦ちゃんには、平気で俺、のろけるかもしれないから」
「嫌だよ。のろけられても嬉しくない」
「なんで?もし彼氏ができたら、思い切りのろけてくれていいよ、俺、聞くから」
「ほんと?」
「本当、でも、俺ののろけも聞いてね。最近特に、のろけたくってしかたなかったんだよね」
「何、それ?」
「あはは。だって、めちゃ幸せだし、俺」
「桃子さんがそばにいてくれるから?」
「そう、人生ばら色」
「何それ?信じられない。こっちは失恋してブルーなのに」
「え?すっきりして、もうクリアーになったんじゃないの?」
「え、ああ、そういえば、そうかもしれないけど」
あははって聖君は笑うと、ベンチを立った。
「さてと、駅まで送るよ。そうしたら、俺、桃子ちゃんのところに、戻らないと」
「こんなに遅くなって、桃子さんがやきもきしてたら、なんて言うの?」
「え?う~~ん。そうだな。麦ちゃんを送っていったって、素直に言うけど、でも、どうしようかな、まじで。今頃、やきもち妬いてるかな」
「どうするの?」
「う~~~ん」
聖君は麦さんと歩き出した。あ、大変、こっちに来る!私は慌てて、隠れようとしたが、何かに足を取られてしまった。
「いたっ」
思わず、小さな声だったんだけど、声をもらしてしまった。
「も、桃子ちゃん?」
ああ!聖君に気づかれた。それも、涙でぼろぼろのすんごい顔をしているのに、私。
聖君も、麦さんも、私がここにいるのに驚いて、目を丸くしていた。