第167話 彼の両親
その日の夜、聖君より先にお母さんが夕飯を食べにリビングに来た。杏樹ちゃんはまだ塾で、リビングで私と聖君のご両親と3人で夕飯を食べていた。
クロは私の足元に寝転がっている。私がリビングにいると、たいていクロは私の足元にいる。
「爽太、聖ね、昼に亨君の所に行ったみたいよ」
「昼?ランチをしに?」
「そう、桃子ちゃんと。ね?」
お母さんにそう聞かれ、私ははいとうなづいた。
「へえ。亨元気だったみたい?」
「う~~ん、聖が言うには昔の陽気さは戻ってなかったって」
「そうか」
「亨君、足、大丈夫なのかしら」
「左足は駄目みたいだな」
「え?駄目って?」
お母さんが聞き返すと、
「ああ、事故でね。歩くのには支障ないらしいけど、運動とか無理みたいだよ」
と、聖君のお父さんは冷静にそう答えた。
「サーフィンも?」
聖君のお母さんのほうが、ちょっとショックを受けてる感じだ。暗い顔でお父さんにそう聞くと、
「みたいだね」
と、またお父さんは冷静に答えた。
「そう…」
「って俺もさ、人から聞いた話だから、わかんないけどね」
「爽太、会いに行かないの?亨君に…」
「…くるみは?」
「え?私?」
聖君のお母さんは、驚いて目を丸くした。
「いいの?私、会いに行っちゃっても」
「いいも何も…。だって、亨とは何もないんでしょ?」
「もちろん」
「じゃ、会いに行ってもいいんじゃないの?」
「驚いた」
まだお母さんは目を丸くしている。
「なんで驚くの?」
聖君のお父さんが、聞き返した。
「爽太、前は亨君と会うの嫌がってたじゃない」
「何年も前の話でしょ?それ」
「事故にあった時だって、お見舞い行こうかなって言ったら、行くのやめなよって…」
「ああ、あれはだって…」
聖君のお父さんは、一回黙り込んでから、また聖君のお母さんを見て、
「亨のほうがきっと、くるみに会いたがらないだろうって思ったからさ」
と続けた。
「なんで?」
「好きな人にかっこ悪いところ、見られたくないって思いそうだから、あいつの場合」
「亨君はもう、私のことなんかなんとも思ってないわよ」
「そうかな」
「なんで?なんで爽太はそう思うの?」
「だって、あいつまったく店に来ないじゃん」
「れいんどろっぷすに?それはもう、私のことがどうでもよくなったからでしょ?」
「そうかな。あいつの性格からして、ちゃんと挨拶に来るんじゃないかな」
「…」
聖君のお母さんは、じっと聖君のお父さんを見て、
「爽太、冷静に考えられるようになったんだね」
とぽつりと言った。
「え?何それ。もしかしてまだ俺が、根に持ってるとでも思った?」
「違うけど。だけど、あの頃は爽太、ちょっとおかしかったから」
おかしい?
「う~~ん、確かにそうだったけどさ、もう何年もたってるんだよ?俺だってね、その間には成長もしてるの」
聖君のお父さんは、眉をしかめてそう言ってから、お味噌汁をすすって、
「ごちそうさま」
とお箸を置いた。
「あの…」
おかしかったってどうおかしかったのかな。なんて聞いたら悪いかな。話しかけておきながら、私は聞くのを躊躇して黙っていると、
「爽太ったらね、私が亨君と浮気してるって思ってたのよ。笑えるでしょ?」
と聖君のお母さんが言った。
「浮気?!」
私が目を丸くして驚くと、
「いや、あれは、その…」
と聖君のお父さんが、慌ててしまった。
「浮気するわけないと思わない?」
お母さんに聞かれて、私はどう答えていいかわからず困っていると、
「亨、本気みたいだったし、俺もまだ若かったからついかっとなっちゃってね」
と聖君のお父さんは苦笑いをした。
ああ、そういえば、杵島さんとお父さんが口論になったって、聖君言ってたっけっけ。
「あれ以来、亨君店にも来なくなったし、私も会わなくなったけど、聖だけは亨君に会ってたんでしょ?」
お母さんがお父さんに聞いた。
「あいつも会ってなかったよ。悪いことしたよね。あいつは兄貴ができたみたいに、亨を慕ってたのに、俺と口論になったのを見ちゃってから、俺に遠慮したのか、亨に会いに行かなくなったみたいだからさ」
「あら、そうだったの?」
「亨が結婚するって知ってからだよ。俺に亨さんにおめでとうって言いに行ってもいいかって聞いてきて、それからまた会うようになったみたいだよ」
「そうなんだ。爽太に了解を得たりしてたんだ」
「くるみ、知らなかったの?でも、聖が亨と会ってたのは知ってんでしょ?」
「たま~にね、話してくれたから。私の顔色をうかがいながらね」
「杏樹はずばずば言ってきたけど、あいつはあいつの中でいろいろと葛藤があったんだろうなあ」
「杏樹ちゃんも知ってたんですか?あの…、杵島さんとお母さんのこと」
「うん。俺がくるみと喧嘩してるの、聖と見てたし。聖は真っ青になってたけど、杏樹は後から俺のところに来て、お母さんが浮気するわけないだとか、お父さんバカなじゃないのとか、言われたからさ」
「え~~!」
杏樹ちゃん、すごい。
「杏樹、あの時いくつだっけ?」
聖君のお父さんが、お母さんに聞いた。
「もう5年も前のことだから、9歳か、10歳か…」
「まだあれかな。子供だったからああやって、俺にもずばずば言えたのかな。聖はもう中学生だったし、多感な時だからね。一人で何か、抱えちゃったかもしれないよな」
知らなかった。聖君、杵島さんとのことで何か、感じることがきっとあったんだろうな。
「聖、亨君が結婚を決めたとき、喜んでたのよね。私にちょっと遠慮しながらも」
「何それ。もしかして聖、くるみが亨のこと好きだったんじゃないかって、勘違いしてない?」
「ふふ、かもね」
え?そうなの?そんなようなことは言ってなかったけどな。
「私もよかったわねって聖に言ったの。そうしたら、聖、私の顔を見て、ほっとした顔をしてた。私が傷ついたり、悲しんだりしないかって、気になってたんでしょうね」
「ひどいな。くるみは俺一筋なのに」
うわ。お父さん、いきなりそんな恥ずかしいことを…。
「それ、わかってたんなら、亨君とあんなに言い合わなくたって」
お母さんはちょっと顔を赤らめながら、そうお父さんに言った。
「だから、あの時は、冷静になれなかったんだってば。だって、くるみに抱きついてたんだよ?抱きしめて、くるみさんのこと愛してますなんて言ってるの見ちゃったら、そりゃ頭に血ものぼるって」
そ、そうだったんだ。
「若気のいたりよ。こんなおばさんを好きになるなんて」
「くるみ、おばさんじゃないよ。今だって綺麗なんだし」
うわ。また、お父さんはそんな恥ずかしいことを。聞いてて私のほうが、顔が赤くなる。
「爽太、私のことはもういいから、聖よ、聖。聖ね、亨君が結婚した時には、本当に喜んでたの。赤ちゃんがいるっていうことも、喜んでたし。でも、流産して離婚したっていうのを知ってから、あの子、亨君にも会いに行かなくなったし、それに亨さんって呼ばなくなっちゃったのよね」
「知ってるよ。あいつの中で、亨に対しての見方ががらって変わっちゃったこと」
「そうなんですか?」
私が聞くと2人とも私を見て、
「今日は亨君に、なんて呼んでた?」
とお母さんが聞いてきた。
「杵島さんって…」
「やっぱりね」
「…あの、見方が変わったって?」
私は気になり聞いてみた。
「お兄さんみたいに慕ってたけど、私が亨君離婚したみたいねって聖に言った時、顔凍り付いてたし、そのあとも、まったく亨君の話題にふれようともしなかったし」
「俺も、なんとなく亨の話をしたことがあって、でもあいつ、すぐに話題を変えるんだよな。なんだろうな」
「…」
「事故にあったって聞いて、もっと動揺したり、心配すると思ったのに、あの子、あっさりとしてた。へえ、そうなんだって。ただそれだけ。ちょっとびっくりしちゃった」
聖君のお母さんがそう言った。
「くるみのほうが動揺してたじゃん」
「だって、お客さんが、もうあの事故じゃ助からないかもしれないなんて言うから」
「それだけすごい事故だったみたいだけどね、実際に」
聖君のお父さんが、声を低くしてうつむいてそう言った。そして、また顔をあげて、
「聖、いきなりなんでまた、亨のところに行ったりしたんだろう」
とお母さんい聞いた。
「桃子ちゃん、何か聞いてる?」
お母さんが私に聞いてきた。
「えっと…」
なんて言ったらいいのかな。
「なんか、聖君、自分と向き合うって言ってて」
「え?」
2人が同時に聞き返した。
「杵島さんに会って話をしてて、人って自分で変わろうとしないと変われないんだなって」
「…」
聖君のお父さんとお母さんは、顔を見合わせ黙り込んだ。
「亨のこと、気になってたんだろうな。もしかして、あいつなりに何か力になりたいって思ったのかもしれないな」
お父さんが、先に口を開きそう言った。
「聖、桃子ちゃんと会ってから、いろいろと変化してる」
いきなり聖君のお母さんが、私をじっと見てそう言った。
「え?」
「聖を変えてくれる人に、出会ったってことだよ」
聖君のお父さんが、優しく私を見てそう言った。
「私が爽太に出会ったみたいに?」
「そうそう」
お父さんは今度は優しい目で、聖君のお母さんを見た。そして二人でしばらく、見つめあっている。うわ。困った。なんだか、ここにいづらくなってきちゃった。
「母さん、ご飯済んだ?もうお客さんはみんな帰ったから、そろそろ俺も夕飯食っていい?」
そこに聖君が自分の分の夕飯をお盆に乗せて、やってきた。
「あ、ごめんごめん。いいわよ。お疲れ様。片づけは私と麻生さんでしちゃうから、聖はゆっくりしてて」
「あ、麻生さんにはカウンターでご飯食べてもらってる」
「え?一人で?」
「うん」
「麻生さん一人残して、あなた来ちゃったの?」
「え?だって…」
お母さんの言葉に、聖君は困っている。
「あはは、くるみ、そんな意地悪言っちゃだめだよ。聖は一刻も早く、桃子ちゃんに会いたかったんだもんな?そりゃ、こっちに来るって」
聖君のお父さんがそう言うと、聖君はかっと赤くなり、
「父さんも食べ終わったんだろ?もう部屋に戻れよ」
と、お父さんにつっかかった。
「食後にコーヒー飲むんだもん。くるみ、コーヒー淹れてきて」
「はいはい」
聖君のお母さんは、みんなの食べ終わった食器をお盆に乗せ、お店に行った。
「なんだよ、まだいるの?父さん」
「いいじゃんかよ。俺だって桃子ちゃんと久しぶりに会ったんだから、一緒にいたいんだよ」
「なんだよ、それ。桃子ちゃんは俺の奥さんなんだよ?」
「俺の娘でもあるんだよ?」
「娘?!」
聖君が大きな声で聞き返した。
「そうだろ?で、お前は椎野家では、息子なんだろ?」
「あ、ああ、そっか」
聖君はそう言うと、ちょっとまだ納得のいかないような顔をして、
「いただきます」
と、ご飯を食べだした。
「うめ~」
それでも、うまいと言って、目を細めて喜んでいる。ほんと、こういうところ可愛いよな~~。
「亨の店、行ったんだって?」
聖君がおいしそうにご飯を食べてるのなんてかまわず、お父さんが聖君に聞いた。
「母さんに聞いたの?」
お箸を一回止めて、聖君はお父さんを見た。
「うん。で、元気そうだった?」
「まあね」
「足、大丈夫そうだった?」
「見た感じはね」
「サーフィンはもう、できないのかな。あいつ、サーフィン命って感じだったじゃん」
「…そうだね」
聖君はちょっと暗くなった。
「だけどさ、ダイビングはできるよね」
「え?でも亨、ダイビングはしたことないだろ?」
聖君の言葉にお父さんは、眉をしかめた。
「だからさ、誘おうと思って」
「え?」
「ダイビングしようって。杵島さん海好きだし、きっとはまると思うんだよね」
「…聖から誘うの?」
「え?おかしい?」
「いや、いいんじゃじゃない?お前から誘われたら、あいつもするかもね」
「なんで?」
聖君のお父さんの言葉に、聖君はちょっと眉をしかめて聞いた。
「亨、お前のこと、すごくかわいがってたし、慕ってもらってるの喜んでたからさ」
「…昔の話だよ、それ」
「そうかな。今でも、やっぱ、嬉しいんじゃないかな」
「…」
聖君は黙り込んだ。黙ってもくもくとご飯を食べている。
「はい、コーヒー。それと桃子ちゃんには、レモネードね」
聖君のお母さんは、2人分のコーヒーとレモネードをテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます」
「じゃ、聖、お店のほうはいいから、ご飯終わったら、桃子ちゃんとお風呂入っちゃってね」
「うん、わかった」
聖君はそう言うと、またもくもくとご飯を食べた。
「ごっそさん」
コーヒーも飲み終え、聖君はさっさと立ち上がり、食器を片づけにお店に行った。
「聖、おもしろいよな」
「え?」
お父さんの言葉に、ちょっとびっくりした。面白いって何が?
「あいつも、亨のことが大好きだったんだと思うよ。でも、いろいろと葛藤があったんだろうね」
「…」
「だけど今また、亨との関係を取り戻そうってしてるんだろうな」
「…自分と向き合うために?」
私がそう聞くと、聖君のお父さんは私をじっと見て、
「そう思う?桃子ちゃん」
と、真面目な顔をして聞いてきた。
「え?あ、はい」
「そうか。そうなんだ」
聖君のお父さんは、私から目線を外し、何かを納得したようにうなづいてそう言った。
「桃子ちゃん、すぐに風呂入れる?俺、腹いっぱいでちょっと休みたいかも」
聖君がリビングに戻ってきて、私に聞いてきた。
「え?うん」
そんなことを聖君が言ったからか、クロが聖君の足元で思い切りしっぽを振った。
「まさか、散歩に連れてけって言ってるんじゃ…」
聖君がそうクロに聞くと、
「ワン」
と、クロは嬉しそうに吠えた。
「は~~、しょうがねえな。腹ごなしに行ってくるか。でも、走らないよ?ゆっくりと歩いていくからね?クロ」
「一緒に俺も行こうか?」
聖君のお父さんがそう聞いた。
「…うん、いいよ。あ、桃子ちゃんはゆっくりとしててね」
聖君は私にそう言ってから、クロのリールを取りに行った。
「桃子ちゃん、ごめんね、聖借りるよ。そんでちょっと親子の絆でも深めてくるから」
「え?はい」
「なんつってね」
聖君のお父さんはニコって笑って、そのまま玄関のほうに行ってしまった。
「親子の絆…?」
聖君ときっと話をするんだよね…。
聖君のご両親は、やっぱり聖君をあったかく見守ってるんだよね。そんなことを思いつつ、リビングでまったりとしていると、杏樹ちゃんが帰ってきた。
「ただいま、お姉ちゃん~!あれ?お兄ちゃんは?」
杏樹ちゃん、テンション高い。
「お父さんとクロと散歩に行っちゃった」
「じゃ、お姉ちゃんを独り占めできるの?私」
「え?うん」
「やった~~!」
杏樹ちゃんがものすごく喜んでくれるので、私も嬉しくなった。
「話聞いてもらってもいい?ね、お姉ちゃん」
「いいよ」
お母さんが運んできた夕飯にがっつきながらも、杏樹ちゃんはあれこれ話をした。それは彼の話ばかりだったけど、悩んでるって感じではなかった。
ただ、友達だけど、一緒にいられるのが嬉しいんだとか、今日、こんな話をしたんだよとか、そんな話…。
杏樹ちゃんが健気で、すごく可愛く見えた。恋してると、みんな可愛いし、綺麗になるよね。そんなことを思いつつ、私はずっと杏樹ちゃんの話をうんうんって聞いていた。