第165話 イタ飯屋さん
聖君の試験も終わった。その週末、聖君の家に私は泊りに行くことにした。
お店には夕方から出るから、ドライブとランチを楽しんでからお店に行こうと聖君が提案してくれた。
「ちょっと天気悪いけど、雨じゃなくてよかったね」
聖君は海岸線の道路を通っている時に、にこにこしながらそう言った。
「うん」
私は、聖君の横顔に見とれながらうなづいた。ああ。今日もかっこいいよ。
「海のすぐそばのイタ飯屋に行く?そこの店長と俺、仲いいんだ」
「え?そうなの?」
「うん。その人も海大好きでさ。店もいい雰囲気だよ」
「うん。そこにする」
レストランに着くと、海側の席は埋まっていて、カウンターしか空いていなかった。
「座りにくいかな、桃子ちゃん」
聖君が聞いてきた。
「ううん、大丈夫」
2人でカウンターに着くと、窓際の席に注文を取りに行っていた若い女性の店員が来て、
「あ、聖君。久しぶり」
と笑って声をかけてきた。
「どうも!あれ?店長は?」
聖君はその店員に聞いた。
「いるわよ。店長~~」
その人がキッチンに向かってそう叫ぶと、中から男の人が現れた。店長と言うから、いい年齢なのかと思っていたら、まだ若そうだ。
「お、聖じゃん、久しぶり」
「杵島さん、元気そうじゃん」
「おお、もうすっかりね。あれ?もしかしてその子が噂の奥さん?」
「あ、噂って、どっから聞いたの?」
「客からだよ。聖君が結婚しちゃったのって聞いたときは、嘘だって思ったけどさ。来る客、来る客言って来るから、こりゃ、本当かもな、真相を聖に聞きに行かないとなって思ってたところだよ」
「まじで?そんなにみんな言ってた?」
「言ってた。ここで嘆いていく客ばっかり!」
「あはは、杵島さん、独身なんだし、みんな今度は杵島さんのことねらってるんじゃないの?」
「やめてくれよ、俺、当分は結婚なんてする気ないよ?」
「あ、ああ。ごめん」
「謝ることはないけどさ」
杵島さんって人はそう言うと、カウンター越しに私の前に来た。
「どうも、初めまして。俺、杵島亨っていいます。聖とは、この店を始めた頃からの付き合いだから、もう何年になるかな」
聖君のほうを杵島さんは見た。私も聖君を見ると、
「う~ん、俺が10歳くらいからだから、もう8年?」
とあどけない表情で、聖君は答えた。
「そっか。聖、まだ小学生だったっけね」
杵島さんは、懐かしそうにそう言った。
「え?じゃあ、8年くらいここのお店してるんですか?」
私が聞くと、
「うん。雇われ店長だったんだけど、一応、今は俺がオーナーなんだ」
と、杵島さんはちょっと言いづらそうにそう答えた。
「え?すごい」
「はは、全然すごくないよ。前のオーナーが海外に移住しちゃったから、それでオーナーになったってだけでさ。あのころに比べたら客も減ったし、俺の実力なんてこんなもんかね、あ、聖の店に客、取られちゃったてのもあるけどな?」
「え?うちに?」
「そうそう。ここの常連、けっこうれいんどろっぷすに行ってたみたいじゃん。お前、すっかりいい男になっちゃったからな~」
「やめてよ、そういうこと言うの」
「あはは、何?聖、照れてんの?変わんないね、お前」
杵島さんは聖君の髪をくしゃってして、そう言った。
なんだか、聖君のお兄さんって感じだな。背が高く、髪は茶色。すごく日に焼けてて、もしかしてサーフィンでもしてるのかもしれない。
「もう調子大丈夫なの?」
聖君がちょっと心配そうに聞いた。
「ああ、もう大丈夫だよ。お前にも心配かけたな」
「…そっか。よかったね、復帰できて」
なんだろう。そういえば、さっきも元気そうだって聖君言ってた。
何かを察したのか、聖君が私を見て、
「ああ、杵島さんね、入院してたんだよ」
と私に言ってきた。
「え?」
「事故っちゃったんだよね。その間、店もしばらく閉めてたんだ。だから、聖にこんな可愛い奥さんができたことも知らなかったってわけ」
杵島さんが苦笑いをしてそう言った。
「事故?」
「バイクでね」
そうか。そうだったんだ。
「ほんと、最近ついてないよね、俺」
杵島さんはそう言ってから、
「そういえば、何食うの?」
と聖君に聞いた。
「ああ、例のパスタ。それと、特製サラダ」
「了解」
例のパスタ?特製サラダ?それだけでわかっちゃうの?
杵島さんはまた、キッチンに戻って行った。
「何?例のパスタって」
「ああ、俺のお気に入りのパスタがあるんだ。いつもそれを頼むから、例のって言えばわかるんだよね」
「そうなんだ」
「すげえ、美味しいよ。特製サラダは、ドレッシングが絶品。楽しみにしててね」
聖君は嬉しそうにそう言った。
へえ、聖君がこんなに嬉しそうに言うんだから、本当に美味しいんだろうな。
「聖君、杵島さんと仲いいね。なんか兄弟みたい」
「そう?そう見える?」
「うん」
「はは。でも、ちょっといろいろとあったんだけどね」
「え?何が?」
「今だから言える話」
「え?」
「杵島さんね、俺の母さんに惚れてたの」
「ええ?!」
何それ~。
「でも年離れてるよね?」
「う~~ん、杵島さん、確か今33だから、12歳下かな?」
「一回りも?」
「ああ、俺言ってなかった?俺のじいちゃんとばあちゃんも、12歳離れてるよ」
そうだったっけ?でも、おばあさん若いし、そんなに離れてるように見えないよね。
「で、父さんともいろいろとね」
「え?」
「まあ、母さんは父さんだけしか愛してないし、杵島さんのことはなんとも思ってなかったんだけど、父さんがやけにやきもちやいちゃって…」
「え?あのお父さんが?」
「けっこうやきもちやきなんだよ。それで母さんとも喧嘩したり、杵島さんとも口論したりしてさ」
へえ。そんなふうには見えないな。どんと構えていそうだけどな。
「それ、何年前の話?」
「俺が中学1年か2年だから、5~6年前の話かな」
お母さんが39歳くらいで、お父さんは32歳くらいか~。杵島さんはまだ、27歳。う~ん、お父さんもまだ32歳なら、やきもちやいてみたりしちゃうか。
「はい、特製サラダお待ち~~」
元気な女性の店員さんだな。男っぽいから聖君も大丈夫なのかな。
「サンキュー」
聖君はにっこりとその人に笑って答えた。
「桃子ちゃん?」
その店員さんが、いきなり私に聞いてきた。
「あれ?なんでカンナさん、名前知ってるの?」
聖君が驚いて聞いた。
「だって、噂すごいんだもの。春に赤ちゃん、生まれるんだって?」
「は~~、そんなに噂になってる?」
聖君がため息をついた。
「なってる、なってる。ちょっとお店、減ったんじゃない?お客」
「ああ、やっとこ最近、落ち着いたよ」
「くるみさん、ほっとしてる?」
「うん」
「店長はいまだに、れいんどろっぷす行けないみたいだから、私一人でご飯食べに行こうっと。よろしく言っておいて」
「うん、わかった」
カンナさんは、ホールのほうに行き、空いたお皿を片づけ始めた。
「杵島さん、れいんどろっぷす行けないって?」
「ああ、うん。まあ、いろいろとね」
「…」
話しにくいことなのかな。聖君はサラダを、小皿にとって、
「はい」
と私に渡してくれた。
「ありがとう」
「いっただきます」
聖君はすごく嬉しそうに、サラダを食べだした。
「いただきます」
私も食べた。あ、本当だ。ドレッシング、美味しい。
「…杵島さんね、結婚したんだ」
「え?でもさっき、独身だって」
「うん。すぐに離婚しちゃったんだ」
「え?」
「できちゃった婚だったんだけど、流産しちゃって」
ドキ。流産?
「奥さんのほうは、杵島さんに惚れ込んでたらしい。でも、杵島さん、母さんのことひきずってたから」
「…」
「赤ちゃんできたから、ちょっとね、仕方なくって感じで結婚してた。それもなんとなく、周りのみんなも感じてたけど、奥さんはそれでもいいって喜んでた。だけど、流産して、杵島さん、さすがに自分の気持ちに嘘つけないって、そんで離婚したんだよね」
「…」
「奥さん、自殺未遂もしちゃって。ちょっと大変だったんだ。精神的にもやられちゃってさ」
「…」
「今は落ち着いたみたい」
「そうだったんだ」
「だけど、杵島さんのほうがまだ、精神的にまいってたのかな。あんな事故起こしちゃうなんてさ」
「バイクのだって言ってたよね?」
「うん。ちょっと無茶して、前の車追い抜こうとして、対向車が来て、それをよけてガードレールに激突」
「え?」
激突?
「命があったのだけでも、奇跡って言われるくらいの事故だったってさ」
「じゃ、大変な怪我したの?」
「らしいよ。俺もお見舞い行きたがったけど、誰にも会わないようにしてたみたいでさ。カンナさんですら、行けなかったって」
「じゃ、誰がいろいろと入院の世話してたの?」
「杵島さんのお母さん、田舎から出て来てたみたいだよ」
「田舎?江の島が地元じゃないの?」
「うん。えっと、どこだっけ。山梨だっけ」
「そうなんだ」
「高校出て、東京来て、サーフィンにはまって、江の島に住み着いたって言ってた」
「やっぱりサーフィン?」
「あ、してるように見えた?でも、多分今はしてないよ」
「事故したから?」
「うん。足、まだ引きずってるらしいから」
「そっか」
「でも、潜るのはそれでもできるじゃん?」
「え?」
「だから、俺、ダイビング一緒にやろうって誘うと思ってて」
「聖君は杵島さんのことが、好きなんだね」
「…うん。けっこうね。今は父さんも、杵島さんのこと許しちゃってるし。あ、許すも何も、別に母さんと何かあったわけじゃないんだから、許すってのも変な話だね?」
そんな話をしていると、キッチンから杵島さんが来て、
「ほいよ。例のやつ」
とパスタを持ってきた。
「わあ、うまそう。杵島さん、料理の腕は落ちてないよね」
「なんだと?お前、すっかり憎まれ口聞くようになったね」
「あはは。それは昔からでしょ?よく言われてたよ、俺。お前、生意気ってさ」
「ははは、そうだっけ?」
杵島さんは笑って、また私の前に来た。
「桃子ちゃんだっけ?」
「はい」
「聖のこといとめちゃったなんて、すげえな」
「え?」
「こいつ、女性嫌いだったし、彼女もできなかったから、俺、ちょっと心配してたんだよね」
杵島さんがそう言って、聖君をちらっと見た。
「いつからの付き合い?」
「え?3年前かな。俺が高校2年の時」
「話聞いてないよ。お前、高校1年の時まで、よく店に来てあれこれ話してくれたのにさ」
「…そうだったっけ」
「あ、そっか。俺が離婚してからか、そういった話をしなくなったのって」
「…」
「何?遠慮してた?それか、俺が離婚したから俺のこと軽蔑した?」
「う~~ん、ちょっとどう話していいかわかんなかったっていうか…」
聖君は頭をぼりって掻いて、うつむいてそう言った。
「…遠慮したってこと?」
「杵島さん、あの頃、変だったから」
「俺が?」
「うん」
「そっか…」
杵島さんはそう言ってから、
「ゆっくりしてって、聖、桃子ちゃん」
と弱々しく笑い、キッチンに戻って行った。
「食べようか」
聖君はパスタも小皿に分けてくれた。
「うん、うまい。まじで腕は落ちてない」
聖君はそう言って、美味しそうに食べた。でも、ちょっとすると、食べる手が止まった。
「…なんか、あれだよね」
「え?」
「杵島さん、空元気っていうか」
「うん」
「まだ、完全に復帰したわけじゃないんだな」
「…」
聖君の横顔は寂しそうだった。