第152話 闇の声
夢の中にカッキーさんがいた。そして私に、
「私、聖君と仲良くなりたいの」
と言っている。
「だって、サークルの仲間だもん。いいでしょ?桃子ちゃん」
嫌だ。心の中でつぶやいた。でも、私は心と裏腹に、
「はい」
とうなづいた。
待てよ、桃子。本当にいいのか。いきなり隣に黒い人が現れ私に言った。誰?
「そんなこと言って、聖君をカッキーにとられていいのか」
ああ、私の中の闇?
「だって、仲間だから」
逆側に白い人が現れた。今度は誰?私の中の光?
「聖君は今、苦しんでるの。カッキーさんを受け入れられなくて。だけど、仲間だし、受け入れなくちゃってきっと、思ってる」
「仲間?サークルがどうした。そうやって、聖が誰にでも心開いていったら、女に対しての苦手意識もなくなって、もう、桃子のそばにいなくても、よくなっちゃうんだぞ」
「え?」
闇の言葉を聞いて私は、びくって反応している。
「トラウマが消えるのね?それは聖君にとっていいことじゃない」
光が言う。
「いいこと?そんないい人ぶるな。本音は、ずっと聖君が女性が苦手て、自分にだけ心を開き、自分のもとにいてくれるってことが望みだろう?」
え?
「そんなの本当の愛だって言えるの?」
「綺麗ごとを言うな。本当の愛ってなんだ。好きな人がそばにいる、好きな人を独占できる。それでいいじゃないか」
「相手を縛っててもいいの?聖君にはもっと素晴らしい力があるのに、それを奪ってもいいの?」
「素晴らしい力?それがどうした。いつも自分のそばにいて、自分を大事にしてくれる。それが桃子の願いだろう?」
「そんなのが本当の、桃子の願いなの?桃子の聖君に対する思いってそんなもの?」
「うるさい」
闇の声で光が消えた。その瞬間、その場は真っ暗になった。
誰もいない。聖君もいない。私一人。
「どこ?」
「ほら、言っただろう。聖は消えた」
「え?」
「それが本当に桃子の、望むことだったのか?」
「違う」
「じゃあ、何を望んでる?」
「聖君がずっとそばにいてくれること」
「じゃあ、カッキーにも誰にも、聖を渡すな。誰にも心を開かせないようにして、自分のもとに置いておけ」
闇の声は、私の声だった。
パチ。目が覚めた。隣りで聖君がすうすうって寝息を立てて寝ている。
ぎゅう。聖君に抱きついた。でも、夢の中の声がまた頭の中で聞こえてきて、私は聖君から離れた。
「そんなの本当の愛だって言えるの?」
……。
聖君のそばにいたい。
もし、聖君が誰に対しても、心を開けるようになったら、どんな女性でも受け入れられるようになったら、私なんてすぐに、見向きもされなくなっちゃうんじゃないだろうか。
トラウマのある聖君。女性が苦手な聖君。だから、私が癒したり、守ってあげるの…。それって、単なる私の傲慢?それって、本当の愛?
本当は優しくて、人の心を開く力を持っていて、誰でも受け入れられる器もあって、そして人の生き方すら変えるだけの、影響力を持っている聖君。
相手の本音を聞きだして、相手の人生観まで変えてしまえる。
どんな女性でも大丈夫になったら、聖君は誰に対しても、そういう力を発揮できる。
校長が言ってたように、先生にもなれる。
ううん、もっと大きな世界にだって行ける。
紗枝ちゃんが聖君はこういう人だって言ってたっけ。あれ、本当のことかもしれない。一か所にとどまり、私のそばにいる聖君が、本来の聖君だなんて、私だって思えない。
もっと、もっと、大きな世界に羽ばたけるだけの力を持ってる。それ、きっと私が1番知ってること。
すう…。聖君の寝息が、頬にかかる。そっと前髪をあげてみた。ああ、あどけない可愛い寝顔だ。
だけど、この聖君には、きっとものすごい力が秘められている。
それ、いいの?埋もれさせてていいの?
ずっと、トラウマに悩まされたままの、そんな聖君でいいの?
カッキーさんだけじゃない。これから先も、聖君は女性が近づくだけで、こんなふうに苦しむかもしれないんだよ。
お店でだって、十分接客をする才能があるのに、女性が苦手だってだけで、苦しまなくちゃならない。キッチンが落ち着くって言ってた。そこが本当は合うんだって。
お料理好きだし、それもいいのかもしれないけど、でも、でも、聖君にはもっと、もっと、力があるんだよ。
いろんな力。きっとまだまだ、自分でもわかっていないくらいの、すごい力。
私はベッドから降りた。聖君の顔を見ているのもつらくなり、先に着替えて一階に下りた。
あの闇の声は私だ。ずうっとそばにいてほしくて、聖君の才能何て、埋もれてたっていい。他の女性が苦手なほうが、私にとって好都合だ。そんな、そんな自分勝手で、わがままな、そんなのが、今の私なんだ。
「あら、桃子、早いわね」
「今日、おじいちゃんの家に行くことになってたよね?」
「ああ、そうそう。午前中があいてるって言ってたわよ。午後の3時から教室があるって。おじいちゃんの家に行って、お昼も食べてきちゃえば?」
「うん、そうしようかな」
ああ、おじいちゃんに相談にのってもらいたい。だけど、聖君も一緒だったら、聞けないな。
「はあ」
私のため息を聞き、母が心配してきた。
「どうしたの?具合悪いの?」
「ううん、大丈夫」
母はちょっと私のことを見ていたが、私がテレビを観ていると、キッチンに行って朝ごはんの支度を始めた。
「おや、桃子、早いね。聖君はまだ寝てるのかい?」
「うん」
父が起きてきた。
「お父さんも早いね。昨日遅かったんでしょ?」
「うん、まあね。そういえば、聖君は今日用事があるのかな?一緒に釣具屋さんに行きたいんだけど」
「午前中はおじいちゃんの家に行くよ」
「そうか。午後は空いてるのかな」
「お父さんもおじいちゃんちに行かない?私、おばあちゃんやおじいちゃんの家久々だし、ゆっくりしたいの。その間に聖君と、釣具屋さんに行ったら?」
「ああ、いいね。じゃあ、今日はちょっと聖君を借りるよ?」
「うん」
父は洗面所に顔を洗いに行った。
トントン。聖君が階段を下りてくる音がした。
「桃子ちゃん、おはよう」
「おはよう」
「なんで起こしてくれなかったの?」
「よく寝てたから…」
「…」
聖君は、黙って私を無表情のまま見ると、そのまま洗面所に行ってしまった。
あ、今父がいる。ま、いっか。そこで今日は釣具屋に行こうって話にきっとなるだろうし。
「はあ」
あ、またため息が出た。私、暗いな。さっきも暗い顔してたの、ばれたかな。きっとわかったよね。
でも、聖君だって、無表情だった。にこりとも笑ってくれなかった。どうしてかな。
ぎゅう。胸が痛んだ。昨日から聖君がやけに遠い。
「だから、離すな」
え?
「ちょっと遠く感じただけで、そんなにつらいなら、ずっとそばにいるよう仕向けたらいい」
頭の中で声がした。まだ闇の声が占領してるのか。
ううん、これがきっと本音。
聖君が好きとか、愛してるとか、そんなことを言って、本音はただ、そばに置いておきたいだけ?
ズン。気持が沈む。やばいな。またきちゃった。時々来るあれだ。これも妊娠してるからなの?
重い気持ちを持ったまま、朝ごはんを食べた。聖君は父と、釣りの話で盛り上がっていた。
母は、ひまわりが起きてきたので、朝ごはんの用意をし始め、私はひっそりとご飯を食べていた。
それから、私は庭に出た。庭にしっぽが寝ていて、しっぽの背中をなでながら、ぼけっとしていた。
「いいね、しっぽは」
空は暗かった。今にも雨が降り出しそうな、そんな天気だ。
「あ、しっぽ?」
聖君の声が後ろからした。
「うん」
「俺もなでたい」
そう言って、聖君は庭に出てきた。
「うにゃ~」
しっぽがお腹を出して寝転がった。ああ、聖君に甘えてるんだ。
甘える。私も聖君に甘えてた。それを聖君が喜んでくれてた。でも、ずっとこれでいいの?
「桃子ちゃん、俺、午後お父さんと釣具屋さん行って来るけど」
「その間、おばあちゃんの家にいるよ」
「そうする?」
「うん。久々におばあちゃんにも会うし、ゆっくりしたいな」
「そっか」
聖君はずっとしっぽを見ている。私のほうはなぜだか、見ようとしない。
「しっぽと遊んでる?私もう家に入るね」
「なんで?」
「え?」
「なんで朝から俺のこと避けてるの?」
ドキ。聖君、わかってたんだ。
「避けてないよ」
「避けてるよ。元気ないし、どうしたの?」
聖君が立ち上がり、私を真正面から見た。思わず、私は目をそらした。
「桃子ちゃん?なんか変な夢でも見た?」
「え?私寝言言ってた?」
「ううん」
「み、見てないよ」
「…」
聖君がじっと、すごく真面目な顔つきで私を見ている。
「あ、ちょっと肌寒いよね。私部屋に入るね」
私はさっさとリビングに入って、ソファに座りテレビをつけた。
さっき、私は聖君を責めそうになった。
聖君が、私をほっといてるんだよ。気づかないの?昨日から、私のこと以外をずっと考えてるじゃない。
私のことだけ考えて。私のことだけを見てて。私のことだけを大事にして。私のことだけを愛して。
頭の中で、今も繰り返している。
でも、それ、本当の愛?
聖君が言ってた。桃子ちゃんには俺以外にも、大事なものがあるんだよね。それも大事にしたいって。
私が家族や友達といる時間。それを奪っちゃわないって。
私だって思った。聖君の大事にしてるものを、大事にしたいって。お店や、サークルの仲間や。
ああ、それを思ったのは、まだカッキーさんが現れる前だ。
なのに、カッキーさんが現れて、聖君が私以外の人のことを考えてるだけで、こんなにも揺らいでしまう。
聖君はまだ、庭にいた。まだしっぽと遊んでいるのか。それとも、またカッキーさんのことでも、考えてるのか。
ぎゅう。また、胸が痛んだ。
駄目だ。さっきからテレビの内容も入ってこない。
「お姉ちゃん、今日おばあちゃんちに行くんでしょ?」
「え?うん」
突然、リビングにやってきて、ひまわりが聞いてきた。
「私、バイトがあって行けないけど、よろしく言っておいてね」
「バイト?何時から?」
「夕方から」
「じゃ、行けるじゃない。おばあちゃんの家、午前中に行くよ?」
「でも、かんちゃんとデートあるもん。だけど、バイトで行けないって言っておいて」
ああ、そういえば土曜はデートって言ってたっけ。
「デートだって言っても、怒ったりしないよ、おばあちゃん」
「連れて来いって、おじいちゃんが言いそうだもん」
ああ、確かにね。
「さて、行く支度しようっと」
「それで、早くに起きたの?」
「そうだよ~~。今日は映画観に行くんだ!」
ひまわりはうきうきで、2階に行った。
いいな。嬉しそう。今、かんちゃんといい雰囲気なんだね。
それに比べて私は…。いや、聖君とケンカしたわけでもないし、何があったわけでもないのにな。
はあ、暗い。
聖君、遅いな。ちょっと気になる。
そっとリビングの窓から外を見た。聖君はしゃがみこんで、しっぽをなでていた。ああ、まだ遊んでたのか。
ふと聖君が顔をあげ、どこか一点を見た。そして重たくため息をしているのがわかった。
まだ、カッキーさんのこと悩んでるの?
暗い表情を見るのも嫌だし、それが誰か他の女の子のことで悩んでるっていうのも、すごく嫌だ。
あ、聖君がこっちを見た。やばい、見てたのばれちゃう。
私は慌てて、窓から離れ、2階に上がった。
トントン。あ、聖君の足音だ。
ガチャ。ドアが開き聖君が入ってきた。
「桃子ちゃん?」
「え?」
ドキ。
クッションに座って、編み物をしようとしていた私の顔を、聖君が覗き込んだ。
「俺に、何か隠してる?」
「ううん」
「ほんと?」
「うん」
…。編み物なんてできやしない。でも、してるふりをした。
「はあ」
聖君が重いため息をした。私が聖君を見ると、
「ああ、ごめん」
と謝ってきた。
「ううん」
聖君、まだ暗いんだ。まだ、頭の中、カッキーさんなんだ。聖君はベッドに座り、ぼ~~っと私の手元を見ている。ああ、やばい。編まないと、編んでるふりしてるのばれちゃうよね。
「それ、何?」
「え?」
「今は何を編んでるの?」
「あ、ベスト」
「へえ」
聖君は興味がなさそうにそう言った。私は本を開き、本を見てるふりをした。
「小さいのを編むのは大変?」
「う、ううん。楽…」
「俺のは編むの大変だった?」
「ううん。編み物好きだから」
「そう」
また気のない返事だ。
「編んでいるときってさ、凪のこと考えてたりする?」
「え?どうかな。そんなときもあれば、ぼ~~っとしてるときもあれば」
「俺の時は?」
「え?」
「俺のこと考えて、編んでいたの?」
「うん」
「どんなこと?」
「似合うかなとか、喜んでくれるのかなとか、そんなことを考えてドキドキしながら」
「ドキドキ?」
「うん」
あ、変なこと言っちゃったかな、私。
「そっか…」
聖君はぼそってそう言うと、私の真横に座ってきた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「大丈夫?」
「え?何が?」
「時々、情緒不安定になるでしょ?今は、大丈夫?」
「変なふうに、見える?」
やっぱり、見えてたのかな。
「う、そういうわけじゃないけど、ちょっと元気ないって言うか」
「大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん」
「…」
聖君がじっと私を見た。
「そっか。じゃ、えっと」
「?」
「俺の、勘違いかな」
「え?」
「なんか、元気ないみたいだし、俺のことも避けてるし」
「避けてないよ」
「でもさ、さっきも、俺のこと見てたでしょ?」
「え?」
「リビングから、俺が庭にいるとき」
あ、やっぱりばれてた。
「で、俺が桃子ちゃんを見たらさ、ぱっとその場を離れたよね?」
「う、ううん。そんなこと」
「あるよね?」
「…ごめん。覗き見してたみたいで、悪いかなって思って」
「変なの。なんで?なんで俺を見てるのが、悪いことなの?」
「聖君、考え事してたし、私が見てたら、あまりいい気しないかなって」
「なんでそんなふうに思うの?」
「なんでかな」
私はそう言ってから、黙り込んだ。困った。聖君、怒ってるのかもしれない。
「やっぱ、変だ」
「…」
変なのは聖君だよ。
「桃子ちゃん」
聖君がキスをしてこようとした。さっと私は思わず、よけてしまった。
「桃子ちゃん?」
聖君の顔が凍りついた。
「あ、あの、私」
私はしばらくうつむいて、黙り込み、
「もう下に行くね。そろそろおばあちゃんちに行くよね?」
と言って、立ち上がり部屋を出た。
聖君は黙ったまま、一階にも下りてこなかった。