第151話 心ここにあらず
翌朝も聖君と、一緒に駅に行くことはなかった。とぼとぼと一人で歩いていると、また後ろから、
「あら、今日も一人。とうとう別れたの?」
と声がした。
ムカ。さすがに頭に来て、振り返っておばさんをにらんだ。でも、まったく気にも留めず、おばさんはすたすた歩いて行った。
なんなんだ、あのおばさんは。
聖君は、今日も玄関でにこにこしながら見送ってくれた。その笑顔に胸キュンしながら、私は家を出てきた。
相変わらず爽やかで、可愛い笑顔だったな~~。
学校では、朝から蘭と花ちゃんが来て、わいわいと話していた。蘭はなんだかご機嫌で、聞いてみたら、彼氏と別れられたということだった。
あれま、あっという間に別れられたんだ。
花ちゃんはと言うと、昨日も夜、メールが来たらしく、嬉しそうに頬を染めて、話してくれた。
そこに苗ちゃんが、冨樫さんと平原さんとやってきて、話に加わった。
「冨樫さんって何て名前?」
蘭が聞いた。
「果歩っていうの」
「じゃ、果歩って呼ぶよ。平原さんは椿だよね」
「うん」
「私は蘭でいいよ」
「蘭と椿か。なんか豪華だね」
菜摘がそう言って笑った。
「あはは、そういえばね」
蘭も笑った。
私も、果歩ちゃんと、椿ちゃんって呼ぶことにした。
一気に、輪が広がり、仲間が増えた。なんだか、不思議な感じがした。
「は~~、なんかさ、いろいろとあったけど、丸くおさまっちゃったよね」
菜摘がやれやれって顔でそう言った。
「あ、そうだ。小百合ちゃん、寂しがってたんだ。明日お見舞い、みんなで行かない?」
「いくいく~~。あ、でも土曜日デートだ」
菜摘がそう言ってから、蘭のほうを見た。
「私も明日、基樹と会う予定」
「私も、練習見に行くんだ」
蘭と花ちゃんがそう言った。
「じゃ、日曜は?」
「大丈夫」
みんなで日曜にお見舞いに行くことに決まった。
「私たちも行ってもいい?」
椿ちゃんが聞いてきた。
「うん、みんなで行こうよ。個室だから大勢でも大丈夫だよ」
きっと小百合ちゃんも喜ぶだろうな。
その日は、なんだかみんなでほのぼのとした1日になった。帰りもみんなでそろって帰ってきたけど、みんな和気あいあいとしてて楽しかったな。
家に着いて、母にその話をした。母もよかったわねって、すごく喜んでくれた。それから一緒に夕飯の準備をして、バイトが休みのひまわりは、早くに帰ってきて、3人で夕飯を食べた。父はどうやら、接待で遅くなるようだった。
8時半、いつもなら聖君が帰ってくるのに、帰ってこなかった。
「あら、もう9時になるじゃない。聖君遅いわね。なんか連絡あった?」
片づけも済ませ、お茶を淹れてダイニングのテーブルについた母が聞いてきた。
「ううん、なんにも」
「お店が混んでたとかじゃないの?」
リビングでテレビを観ていたひまわりが、そんなことを言った。
「そうね。もしかしたら、お母さんやお父さんと話し込んでるのかもしれないし、たまにはいいわよね」
母はお茶をすすりながらそう言った。
「そうだよね」
聖君の家なんだもん、たまにはゆっくりしてもいいよね。
なんて思いつつも、ちょっと寂しいかも。
9時半、ひまわりはお風呂を済ませ、自分の部屋に行き、母がお風呂に入りに行った。私は一人でリビングで、聖君の帰りを待っていた。すると携帯が鳴った。あ、聖君からだ。
>ごめん、もうすぐ着く。
それだけが書いてあった。
聖君と暮らしだして、一か月半はたったよね。暮らしだしたころは、聖君は早くに会いたかったって言って、すっとんで帰って来てくれてたっけ。
ああ、そんなのもだんだんとなくなっていっちゃうのかな。う、寂しい。
ピンポン。10分くらいして、チャイムが鳴った。私は玄関にすっ飛んで行って、ドアを開けた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
聖君だ。私はまた抱きついた。
「あ、お母さんやひまわりちゃんは?」
「お母さんは今、お風呂。ひまわりは部屋。お父さんはまだ帰ってない」
「そっか」
聖君は、そのまま黙って廊下を歩いてリビングに行った。あれ?いつもの、むぎゅ~~はないの?
それに、いつのも爽やかな笑顔もない。桃子ちゅわんっていう甘えた声もない。
「は~~」
聖君は、ため息をつきながらソファに座った。
「ど、どうしたの?どこか具合悪いの?」
「あ、ううん。大丈夫だよ」
また、なんだか無理してる?
「お風呂お母さんが入ってるのか」
「うん、部屋行って休む?」
「ううん、部屋行って休んだら俺、寝そう…」
そんなに疲れてるの?
「あ、やっぱり、眠れなさそう」
「へ?」
「あ~~~~~~~」
え?いきなり唸りだしたよ?
「桃子ちゃん、俺、なんていうか」
「うん」
「もう、どうしていいかわかんない」
え?何が?!
「あら、おかえりなさい、聖君」
母がお風呂から出てきて、そう言った。
「あ、すみません、今日遅くなっちゃって」
「いいのよ。たまには家でゆっくりもしたいわよね?」
「え?いえ、そうじゃなくって。ちょっと知り合いが店に来て、話し込んでたので」
「あら、そうだったの?」
母はそうにこやかに言って、ちょっとその場で考え込み、
「もしかして、それ、女の人?」
と眉をしかめて聞いた。
「あ、サークル仲間です。ちょっと相談に乗ってて」
「女の人なんだ」
母のその言葉に、聖君はゴクンとつばを飲み込んだ。母の顔がちょっと、怖い表情になったからかな。
「聖君、お風呂入りに行こう」
「え?うん」
私は聖君の腕を引っ張り、お風呂場に行った。
「あ、俺着替え」
「もう準備してある」
お風呂場に、すでに聖君の下着やTシャツは用意してあった。もちろん、私のも。
「悪い。桃子ちゃんも俺の帰り、ずっと待ってた?」
「うん、すぐにお風呂入れるようにしてたよ」
「そっか」
聖君はそう言うと、おもむろに服を脱ぎだし、さっさとお風呂場に入って行った。私も、服を脱いで、あとに続いた。
「聖君、先に背中洗ってあげようか?」
「え?なんで?」
「なんとなく」
「うん、じゃ、お願いしようかな」
聖君の背中を洗い出した。大きな背中だな。ああ、抱きつきたいな。
むぎゅ。
「え?」
聖君が驚いている。
「ごめん、ちょっと抱きつきたくなって」
私はすぐに離れた。
聖君は黙っていた。私も黙って、聖君の背中を流した。でもまだ、聖君は椅子に座ったままだ。もしかして、背中だけじゃだめなのかな?と思い、腕も持って洗い出すと、
「あれ?どうして腕洗ってるの?」
と聞かれた。
「え?だって、聖君椅子に座ったままだったから」
「ああ、ごめん。今どく」
聖君はかたっぽの腕に泡をくっつけたまま、椅子から立ち上がった。
それから、私の体を洗い出し、髪も洗ってくれた。
バスタブに入って、聖君を見ていた。聖君は私が洗った腕もまた洗い出し、それからぼ~~っとして、今度は背中も洗い出していた。
ああ、背中、洗ってあげたのにな。どうしちゃったのかな。
さっきのサークル仲間ってのは、きっとカッキーさんだろうな。お店まで来ちゃったのかな。
シャンプーで髪を洗った聖君は、なぜかまたシャンプーを手に取った。
「あ」
と言ったけど、もう遅い。またシャンプーを髪につけてしまった。
「あれ?俺、さっき髪洗った?」
「うん」
私がそう言うと、
「まじ?」
と言って、さっさとシャワーで洗い流した。相当、お疲れかな。
「は~~~」
聖君は今日もまた、ため息交じりにバスタブに入ってきた。
「桃子ちゃん」
「ん?」
「ちょっと、俺、おかしいけど、気にしないで」
「うん」
とは言ってみたものの、気になってしょうがない。聖君は私を後ろから抱きしめたまま、ため息をつく。
「カッキーさんのこと?」
私は唐突に聞いてしまった。
「え?何?」
あれ、聞いてなかった?
「悩んでるのって、カッキーさんのことで?」
「なんでわかった?」
「なんとなく」
「そっか」
「聖君、紗枝ちゃんのときも、へこんでたよね?」
「うん」
「あの時も、苦手だって言ってた」
「うん」
「今は?」
「もう平気」
「家族同様だから?」
「そう。れいんどろっぷすの家族の1員だしね」
「カッキーさんは、サークル仲間でしょ?」
「うん」
「家族同様には思えないの?」
「思えない」
「どうして?」
「それがわかんないから、悩んでる」
「え?」
「俺も自分でわかんない。だけど、あの子が話しかけて来たりすると、なんか嫌な感じがするんだ」
「え?」
「すげえ抵抗があるんだよね」
「どうして?」
「なんでかな」
聖君は黙り込んだ。
「どんな相談だったの?」
「ああ、別に。ただ、俺がそっけないから、どうしてそうなのかとか、なんつか、俺、責められてるって言うか」
「え?」
「違うな。なんだろうな。この違和感」
「…」
「話してて、なんでこんなに違和感があるのかな」
「…」
そこまで、思いつめちゃってるの?
聖君と部屋に行った。聖君はどこかぼ~っとしながら、私の髪を乾かした。私も聖君の髪を乾かしてあげた。
つむじが二つ。やっぱりかわいい。思わず、聖君の髪にキスをした。でも、気が付かないでいる。
それが、ちょっとだけ、悔しい。
そっか。今、気持ちはどこかに飛んでるんだ。ここにいないんだ。きっと頭の中はずっと、カッキーさんのことを考えている。
そう思ったらもっと、悔しくなった。
聖君のうなじにもキスをした。それから耳にも。
「な、何?桃子ちゃん」
聖君が慌てて聞いてきた。
「…」
私は何も言わず、聖君の髪をとかし、
「はい、終わったよ」
とドライヤーを片づけだした。
「あ、ああ、ありがとう」
聖君は、まだ目を丸くしたままそう言った。私はテーブルにつき、凪の日記を書きだした。
「…」
聖君も私の前に座ってきた。
「あれ?凪のエコーの写真貼ってないの?」
「だって、聖君のお父さんやお母さんにまだ見せてないし」
「ああ、そっか。そういえば、菜摘のお父さんにも見せてって言われてたんだっけ」
「え?」
「一応ね、菜摘のお父さんもさ、凪のおじいちゃんになるわけだし」
「あ、そっか!」
じゃ、凪にはおじいちゃんが3人もいることになるんだ。
「今度、行かない?」
「うん」
「明日か明後日はどう?」
「明後日は小百合ちゃんの病院に行くの」
「じゃ、明日。あ、そういえば、おじいちゃんのところに行くって約束してなかった?」
「いけない。忘れてた」
「じゃ、菜摘のお父さんのところは、俺、水曜の夜にでも行こうかな」
「うん。私もその時、一緒に行くね」
「…」
聖君が今度は、静かに凪の日記を書きだした。それから、カバンから写真を取り出し、貼っていた。
「それ、この前のダイビングの写真?」
「うん。あ、他にもいっぱいあるよ。見る?」
「うん、見たい」
写真を見せてもらうと、どれも楽しそうに映ってる聖君の笑顔の写真だったり、綺麗な海の写真だったり。
「あ」
驚いたことに、カッキーさんとツーショットの写真があった。いや、ツーショットと言っても、聖君は明後日のほうを向いて笑っていて、カッキーさんだけがカメラ目線だった。
「カッキーさん、かわいく撮れてるね」
「え?」
聖君の表情が変わった。
「ああ、それか」
その写真を見て、また顔が曇った。
「合宿中も、カッキーさんと話をしなかったの?」
「うん、してないよ。2人ではね」
「…」
そうつぶやいた聖君は、まだカッキーさんの写真を見ている。
「似てないよね」
「え?」
「桃子ちゃんに」
「え?うん」
まだ、それを気にしてるの?
「はあ~~」
聖君は、重いため息をはいた。
どうしたのかな。絶対に変だ。
隣にいても、なぜだか、聖君が遠くに感じられた。それに、横で寝てても、ひっついていても、いつもの安心感が感じられない。
その夜、聖君は、
「おやすみ」
と私の髪にキスをしても、ずっと天井を見つめたまま、しばらく起きていた。私がそんな聖君をじっと見てることにも気が付かずに。