第149話 親子喧嘩
「もうそろそろ、教室戻る?いくらなんでももう、いないんじゃない?」
菜摘が言った。
「そうだね」
蘭もそう言って、立ち上がった。
私たちは学食を出て、廊下を歩いていると、突然後ろから声をかけられた。
「あなたが榎本さん?」
振り返ると、うわ!平原さんのお母さんだ。なんで、ここにいるの~~?
「椿のお母さん」
苗ちゃんと富樫さんが、作り笑いをして、
「あ、もう5時限目始まるし、教室行かないと、ねえ?」
と、私の前に立って、そう言ってくれた。
「じゃあ、教室に行くまでの間に、話をしましょう」
ものすごく真面目な顔で、平原さんのお母さんが私に言った。
「え?」
冨樫さんも苗ちゃんも、その言葉にたじろいだ。
「桃子になんの話があるんですか?」
今度は蘭と菜摘が、私の前に出た。
「あなたたちには、関係ないことです。さっさと教室に行っていいですよ」
「関係なくないです。大事な友達なんだから」
「大事な友達?だったら、ちゃんと忠告してあげたらどうですか?妊娠なんてする前に、彼氏と別れろとか、中絶ができるときに、ちゃんと中絶しろとか」
「な、なんですか?それ…」
菜摘の声が震えた。蘭も平原さんのお母さんをにらんでいる。
「いい加減にしてよ!」
突然、後ろから声がして、私たちが振り返ると、平原さんが立っていた。
「椿」
「もういい加減にして!何が言いたいのよ?中絶?なんでそんなこと言ってるのよ!」
「それが一番いい方法だったのよ。まだ、17歳で赤ちゃんを産むなんて、子供が子供産んでどうるすの」
「榎本さんも、旦那さんもしっかりしてるよ!」
「椿!あんた最近口ごたえばかり。こういう子が学校にいるから、影響されるんです。周りのみんなに悪い影響しか与えないの。だから、さっさと退学に」
「榎本さんのせいじゃない!何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!私はもうずっと前から、お母さんのことが嫌だったんだから!」
うわわ。ここで親子喧嘩?どうしよう。そう思って周りのみんなを見ると、菜摘と蘭はすごく冷静な顔つきで、平原さん親子を見ていて、花ちゃんはなぜか、私の前に立ちふさがり、私を守ろうと頑張ってて、冨樫さんと苗ちゃんは、私同様、おろおろしていた。
「な、何を言い出すの?椿」
「だってそうでしょ?お母さんにとって私は、人形でしかなかった。言うことをきけばいいだけの、人形。私を一人の人間として扱ってなかったじゃない」
「に、人形?そんなわけないでしょ。いつでもあなたのことを思って」
「いつ?いつ私のことを本気で思ってくれた?」
「椿!」
平原さんのお母さんは、ふるふると手を震わせた。うわ。平原さんのことたたいたりしないよね?
「榎本さんや、旦那さんは、お腹の子をどれだけ大事に思ってるか、それに、榎本さんの両親も、旦那さんの両親も、すごくすごく子供のことを大事に思っていて、私、すごく羨ましかったよ」
「そんなわけないでしょう。子供のことを思ってるなら、結婚も出産もやめさせます」
「違う!命を大事に思ってるの!お母さんにはわかんないよ!だって、私のことも大事に思ってないもん」
バチン!
痛い。
あれ?なんで、私がたたかれた?っていうか、無意識で平原さんの前に立ってた。
「桃子?」
菜摘と蘭の驚く声がした。
「榎本さん、大丈夫?!」
冨樫さんが慌てて、走ってきた。
「…」
私は左の頬を押さえ、座り込んだ。父の平手打ちよりましだけど、やっぱり痛い。
「なんで、あなたが椿のことをかばうんですか?」
「…」
知らないよ。勝手に動いちゃってたよ。
「桃子、大丈夫?お腹痛いとかない?」
菜摘が聞いた。
「そうだよ。榎本さん、無理したら駄目なんだから。この前みたいに、倒れたらどうするの?」
「倒れた?」
冨樫さんの言葉に、平原さんのお母さんが反応した。
「榎本さん、倒れたの。私が苗をいじめてたのを助けて、それで…」
平原さんが、お母さんを冷たい目で見ながらそう言うと、私には、
「どうして私のことなんか、助けるの。この前だって、助けてくれたけど、こんな私のことほっておいてもいいんだよ」
とそう言った。
「この前も助けた?それに、あなた苗代さんをいじめてたって、どういうこと?」
平原さんのお母さんは、目が泳いでいる。ものすごく今、動揺してるみたいだ。
「私、平気で人の悪口言ったり、いじめたりする性格悪い子なの。お母さんの前でだけいい子ぶっていただけ。ショック?」
平原さんはそう言ってから、私の横にしゃがみ込み、
「大丈夫?保健室行く?」
と優しく聞いてきた。
「い、いじめ?あなたが?」
平原さんのお母さんはまだ、真っ青な顔をしたまま突っ立っている。
「大丈夫。でも、ほっぺた冷やしたいな」
私はそう言いながら立ち上がると、花ちゃんがハンカチをだし、
「待ってて、これ、濡らしてくるから」
と、廊下を走って行った。
「ほっぺた、赤いよ。ほんと、無茶するんだから」
蘭に言われた。菜摘も横で、ほんとだよと、怖い顔をしている。
「ごめん、勝手に足が動いてたの。自分でもびっくりしちゃった」
「桃子は。なんでそう、人のことになると、無茶するんだろう。もっと凪ちゃんのこと考えてよね!」
菜摘に言われた。
「うん」
返す言葉もない。
「お母さん、この前、お母さんが仕事いってるとき、私、生理痛がひどくなって、送ってもらったって言ったことあったでしょ?」
「え?ああ、そういえばあったわね」
「お母さんに誰に送ってもらったかを言ったら、またあれこれ言われるだろうと思って、黙ってたけど、榎本さんと榎本さんの旦那さんにだったんだよ」
「え?」
平原さんのお母さんが、驚いて私を見た。
「榎本さんのことも私、ずっと悪口言ってた。だけど、榎本さんは私が生理痛で苦しんでた時、いろいろと優しくしてくれたの」
「…」
平原さんのお母さんは黙り込んだ。
「でも、私が倒れちゃったとき、平原さんが先生呼んでくれたりしたじゃない?」
私がそう言うと、平原さんは、
「だって、私のせいで、榎本さん倒れちゃったんじゃない」
と、泣きそうな目で私に言った。
「桃ちゃん、濡らしてきたから、これほっぺに当てて」
花ちゃんが濡れたハンカチを渡してくれた。
「ありがとう」
私はそう言うと、ハンカチをほっぺに当てた。
「あなたたち、もう5時限目始まりますよ。教室戻りなさい」
廊下の向こうから、先生が大きな声をあげて言ってきた。あ、生活指導の先生だ。
「は~~い」
みんなでそう答えて、階段を上りだした。
「お母さん、このあと榎本さんの旦那さんの演説のビデオ見るんでしょ?」
「そうよ」
「それ見て、いろいろと考えてね。ちゃんと…」
平原さんはそう言うと、私の背中を優しく支えながら、階段を一緒に上りだした。
「ごめんね、榎本さん。ほっぺた痛かったでしょ?」
「うん。結構痛かった」
「まったく。兄貴が知ったらまた、怒りだしちゃうよ?この前も怒らなかった?」
「うん。聖君、怒らないよ」
「そうなの?怒らないの?」
「うん」
私がうなづくと、菜摘は、
「は~~、兄貴は寛大だね」
と感心してるのか、呆れてるのかわからないようなため息をついた。
「人のこととなると、動いちゃう桃子が好きなんでしょ?聖君は」
蘭がそう言った。
「ああ、そういうところに、惚れてるってわけか」
菜摘は納得したようにうなづいた。
「じゃ、私たちも教室戻るね」
蘭は花ちゃんを連れて、駆け足で教室に戻って行った。
私たちは、
「すみません、遅れました」
と言って謝りながら、教室に入った。
「あら、榎本さん、どうしたんですか?」
先生が私がハンカチでほっぺたを押さえてるのに気が付き、聞いてきた。
「すみません。私が親とケンカしてて、母親が私をぶとうとしたのを、榎本さんが止めに入って、私の代わりにぶたれちゃったんです」
平原さんが、本当のことを先生に話してしまった。
「ええ~~?」
クラス全員が驚いて、こっちを見た。
「ま、まあ。平原さんのお母さんって、今日PTAの集まりで来てたのかしら」
「はい」
先生の質問に、平原さんは冷静に答えた。
「ケンカ?お母さんと?」
「はい。あまりにも榎本さんのことを悪く言うから、頭に来ちゃいました」
平原さんがそう言った。
「あ、あらそう…。でも、榎本さん。この前も具合悪くなっちゃったんだし、もっと気を付けないと」
先生にまで言われてしまった。
「はい」
ああ、何も言い返せないです。反省しています。だけど、勝手に動いちゃったのは、どうしたらいいんだろう。
「とにかく、みんな席に着きなさい。授業を始めますよ。榎本さんは、ほっぺたが痛いだけ?お腹は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
私はそう言って、席に着いた。
ああ、竹内先生にも迷惑をかけてるな。いつも心配ばかりかけちゃってるし。
今日のこと聖君に言ったら、怒らないかもしれないけど、呆れられそうだ。
ちらっと平原さんを見た。すると平原さんも私を見ていた。そして、すまなそうな顔をして、それから、口だけで「ごめんね」と謝った。私はそんな平原さんに、くるくると首を横に振り、大丈夫と口だけ動かして、そう答えた。
ホームルームが終わり、私たちはカバンを持ち、教室を出た。蘭や花ちゃんはもうホームルームが終わっていて、廊下で待っていてくれた。
「桃子、ほっぺ大丈夫?」
「うん。腫れもひいたし、もう赤くないでしょ?」
「え~~。なんとなくまだ赤いよ」
蘭に言われた。
「ごめんね、本当に」
後ろから平原さんの声が聞こえた。
「いいよ、だって、私が勝手にしたことだし」
私はまた、首を横に振ってそう言った。
「あ~~。ほんと、お人よしだね」
菜摘に言われた。ああ、言い返せません。なんにも。
私たちは、階段を下り、昇降口に向かった。すると、そこに平原さんのお母さんが立っていた。
「お母さん、今度は何?」
平原さんが私をかばうように、私の前に立ち、お母さんに聞いた。
「謝ろうと思って」
「え?!」
みんな、すっとんきょうな声をあげた。私もびっくりして、耳を疑った。
「ビデオを見ました。それから、PTA会長の話を聞いたり、みんなで話し合ったり」
「…」
「校長も来て、話をしてくれたけど、命の大事さや、尊さを、生徒たちが学ぶ、素晴らしい機会だって話していました」
「…」
「私もね、椿を産んだ時を思い出したのよ。椿は、予定よりも早くに生まれて、2300グラムしかなくて、保育器に入っていたわ」
「…」
平原さんが黙ってお母さんを見た。他のみんなも黙っていた。
「早く大きくなって、保育器から出て、じかにおっぱいを飲ませてあげたい。そんなことを毎日思いながら、絞った母乳を病院に持って行ってたわ」
「…そんなに長い間、私、保育器にいたの?」
「そうよ。早くこの手で抱きたかった」
平原さんのお母さんの目が、すごく優しくなってる。
「それなのにね…」
今度は下を向き、暗い表情になった。
「いつの間にか、しっかりと育てないとって、そんなふうになっちゃってたわね」
平原さんのお母さんはそう言ってから、また私を見て、
「多分、PTAでもあなたたちのことは認めたし、西園寺さんのことも認めたから、何か言ってくる親御さんがいても、大丈夫だと思いますよ」
と言ってくれた。
「そっか。やっぱり聖君のあの演説は、人の心を変えてしまうすごい力があったんだね」
花ちゃんがそう言った。
「…椿が言うように、あの人はしっかりしてるわね」
平原さんのお母さんはそう言うと、
「車で来てるから、榎本さん送っていきましょうか?」
と聞いてきた。
「ありがとうございます。でも、みんなと一緒に帰りたい気分なので」
私はそう言って断った。
「私もみんなと電車で帰るわ」
平原さんもお母さんにそう言うと、
「わかったわ。じゃ、気を付けて帰ってね」
と平原さんのお母さんは、その場を去って行った。
「すごいね、桃子」
「え?」
「兄貴って、やっぱりすごいね」
菜摘は目をキラキラさせてそう言った。
「うん」
蘭、花ちゃん、菜摘、それに苗ちゃんと平原さん。それから、冨樫さんも一緒に、駅に向かって歩き出した。
「桃子、もう大丈夫だよ。どうどうと学校に来ても、どうどうと兄貴といちゃついても、誰も文句言わないよ」
菜摘が突然そう言った。
「文句を言ってきても、私らが言い返してあげるから」
蘭が、そう言って、ブイサインをしてきた。
「言い返さなくてもいいよ。そんなのもう、聞かないことにするから」
不思議だった。平原さんのお母さんが何を言って来るか、それが怖かった。でも実際には、平原さんのお母さんが、平原さんを傷つけるようなことを言ってて、そっちのほうが胸が痛かった。
「榎本さんもすごいね」
平原さんがそう言ってきた。
「私?」
「強いし、優しいし。いいお母さんになれるって思うよ」
平原さんの目、すごく穏やかだ。きっとお母さんと分かち合えて、すっきりしたんだろうな。
「さ~て」
菜摘が携帯を取り出した。
「何て兄貴に報告しようかな」
「え?聖君に?」
「そう。また桃子は、無茶しちゃいましたって書く?」
「駄目!聖君、きっとすごく心配して、大学から車飛ばしてきちゃうから」
「あはは、やりかねないね。聖君なら」
蘭が笑った。
「じゃあ、報告は自分でしてね、桃子」
「え?」
「ちゃんと話したほうがいいと思うよ?」
「うん」
わかってる。聖君には今日あったことを、全部話す。ううん。聞いてほしいくらいだもん。
聖君はね、やっぱりすごいよって。それにね、私の周りには、いっぱい素敵な人がいるのって。
私はその話を聖君にするのが楽しみで、ウキウキしながら家に帰った。