第143話 新生児室
「こっちだよ」
先頭を立って、輝樹さんはすたすたと歩いていってしまった。その後ろを聖君がよたよたと歩いている。私はそんな聖君の手をギュって握りしめ、寄り添って歩いた。
廊下を曲がったところに広い空間があり、その先に大きなガラス張りの部屋があった。近づくと、小さな小さなベッドが並んでいて、生まれたてのちっちゃい赤ちゃんが、その中にいた。
「うわ」
先に声を出したのは、聖君だった。一気に手があったかくなり、目が輝きだした。
「すげ、ちいさ~~~~い」
ああ、聖君の目、思い切り垂れた。
「すげ、かわいい~~~」
目が赤ちゃんにくぎ付けだ。
「かわいいよね。寝てる子もいれば、一生懸命顔を真っ赤にして泣いてる子もいれば。あの赤い顔を見てると、なんで赤ちゃんって言われるかがわかるよね」
輝樹さんも目を細め、優しい表情でそう言って赤ちゃんたちを眺めている。
「足に名札ついてる」
私がそう言うと、輝樹さんが、
「あれは、お母さんの名前だよ。間違ったりしないよう、生まれて産湯につかったら、すぐにつけるんだ」
と教えてくれた。
「へ~~~、あ、そっか。赤ちゃんにはまだ名前ついてないんだもんね」
私がそう言うと、
「え?うそ」
と聖君が驚いて私を見た。
「あ、うちみたいに、もうお腹の中にいる間から名前がある子もいるかもしれないけど」
私はびっくりしている聖君を見ながら、そう言った。
「へえ、もう赤ちゃんの名前決まってるの?」
輝樹さんが聞いてきた。
「はい、凪っていうんです」
「女の子の名前?」
「いえ、どっちでも」
「あ、そっか。男の子でも合うよね、その名前だったら」
「小百合ちゃんの赤ちゃん、名前決まってないんですか?」
「うん、まだ。いろんな候補はあげてるけど、小百合が言うにはきっと、おばあさんが決めちゃうんじゃないかって」
「ええ?理事長が?」
「なんだか、ひ孫が生まれるのをすごく楽しみにしてるんだよ」
ひょえ~~。あんなに反対していたのになあ。
さっきから、話にまったく参加しない聖君が気になり、聖君を見ると、もう目が赤ちゃんにくぎ付け状態、なんていうのも通り越していた。目じりが下がり、デレデレ状態。いろんな子を見て、は~~~ってため息をついて、一人幸せに浸ってるって感じだ。
「君、そんなに子供好きなの?」
そんな聖君を見て、輝樹さんが聞いた。そりゃ、聞きたくもなるよね、こんなじゃさ。
「あ、はい。でも、新生児は初めて見たかな。あ、妹もこんなだったかな。あんまり覚えてないや」
聖君は輝樹さんの顔も見ず、そう答えた。
「なんで、赤ちゃんってこんなにかわいいんだろう。寝てたり、あくびしたり、泣いたりしてるだけなのに、すんげえかわいいし、癒される。すげえよな~~~」
聖君はぼそって独り言のように言うと、私のほうを見て、
「凪もあと何か月かしたら、ここにいるんだね」
と優しい目で言ってきた。
「うん」
それから、聖君は優しく私のお腹を触って、
「凪、あと何か月かしたら、俺も凪を抱けるんだね」
とそんなことを言った。
「俺も?」
「そ。だって、桃子ちゃんはもうすでに、凪をだっこしてるようなもんじゃん」
「そっか」
「めちゃ、かわいいんだろうな~~、凪も」
あ、ますます目が垂れた。
「クス」
輝樹さんが横で笑った。聖君は笑われたのに気が付いて、輝樹さんを見た。
「君、かなりの子煩悩になるね。そっか。それだけ、子供が好きなら、結婚に対しても、父親になることに対しても、前向きにとらえられるよね」
「…えっと、輝樹さんは違ったんですか?」
聖君は輝樹さんの言葉に何か感じたのか、そう聞き返した。
「うん。僕はかなりびびったよ。小百合には、産んでくれてかまわないって言ったけど、本心は、迷いがあったかな」
「どうしてですか?」
聖君がストレートに聞いた。
「どうしてって、そりゃ、まだ僕も若いし、小百合は高校生だし。産むのを選択するのが、1番の選択なのかって、悩んだりもしたよ」
「…」
聖君は黙った。
「でもね、おばあさんが反対したでしょう?あれで、逆に産むほうを選択しよう、結婚しようって思ったんだよね」
「え?なんでですか?」
また、聖君は輝樹さんをまっすぐに見て質問した。
「なんだろうな。反対されて、気持ちの揺らぎがおさまったっていうか、覚悟できたっていうか…」
「覚悟?」
「小百合が反対されて、すごくつらそうだったんだ。それがわかったから、かな…。小百合を守らないと、お腹の子を守らないとって、そう思えたんだよね」
「私、小百合ちゃんと、この病院で会ったことあります」
「いつ?」
「まだ、小百合ちゃんが転校してくる前」
「夏休みの間かな」
「はい」
「一人だった?」
「はい。ものすごく暗い顔をして、待合室にいました」
「そうなんだよね。小百合、僕にも両親にも話す前に、一人でここに来たんだよ」
「え?一人っきりで?」
聖君が驚いていた。
「みんなに内緒で、おろそうかとも思ったらしい」
「…」
「でも、その日、退院する人を見たらしくってね」
「…」
「赤ちゃん抱っこしてるお母さん、すごく幸せそうだったんだって。それで、せめて僕には話してから決めようって、そう考えを変えたみたい」
「…なんで一人で来て、おろそうなんて思ったんだろう」
聖君はまだ、そのへんが理解できないみたいだ。
「僕が頼りにならないからかな」
「え?」
輝樹さんの言葉に、聖君が聞き返した。
「迷惑をかけたくなかったって言ってたけど、頼りにしてたら、最初に話してくれてたと思うよ」
「きっと、話すのが怖かったんだと思います」
私は思わず、そう言っていた。
「え?」
聖君と輝樹さんが、同時に私を見た。
「反応を見るのも怖かったんじゃないかな。あと、別れることになったらどうしようかとか、きっといろいろと考えちゃったんだと思います」
「桃子ちゃんもそうだったの?」
輝樹さんが聞いてきた。
「はい…」
私がうなづくと、
「そっか。聖君にまっさきに相談して、すぐに結婚っていうことになったのかと思ったよ」
と輝樹さんが言った。
「あ、でも、聖君、妊娠したこと知ったら、すぐに大喜びで、結婚だ~ってはしゃいでたけど」
「え?」
「桃子ちゃん、そこまでばらさなくっても」
聖君が照れくさそうに、頭を掻いた。あ、ばらしちゃダメだったかな。
「はは。そうなんだ。やっぱり、小百合が言ってたとおりなんだね」
輝樹さんの言葉に、私も聖君も気になり、
「小百合ちゃん、なんて言ってました?」
とほぼ、同時に聞いた。
「うん。聖君は、決断力もすごくって、桃子ちゃんのことを心から愛していて、大事にしていて、大事な人を大事にしていくって、それが彼の生き方みたいってさ」
私もだけど、聖君もそれを聞いて、照れくさそうにしている。
「それを聞いて、ガツンとやられた感じがした」
「え?」
「僕はそこまで、小百合のことを大事にしようって決意してたかなって。確かに守ろうって思ったけど、自分のこともかわいかったしね。籍を入れるのも、一緒に住むのも、なかなか行動に移せないでいたから、君のことを小百合が目を輝かせながら話しているのを聞いて、自分の駄目さ加減が目に見えてしまって、ショックだったよ」
「そ、そんな駄目だなんて」
私は、そこまで言ってから、どう続けていいかわからず、黙ってしまった。
「小百合は、いろんなことを遠慮してた。わがままもあまり言ってこなかった。だけど、あの日、君の話を聞いてから、小百合はまっすぐ僕の顔を見て、私は何があっても、お腹の子を守りますって言ったんだよね。もう母親の目をしてた。それでさ、やられたなって思ったんだ」
「何をですか?」
聖君が聞いた。
「…その強さに、きっと僕はまた惹かれた」
「え?」
「すぐにでも結婚して、一緒に住もう。この子を奥さんにしようって思った」
「…」
「なんだろうね?小百合は芯のしっかりした子だとは思っていたけど、あそこまで強いとは思っていなかった。その強さに惹かれるってことは、結局男なんて、弱い動物なのかな」
「あはは。もしかして、そうかも」
聖君が笑った。
「え?」
「俺も桃子ちゃんの強さに、惹かれてますよ。もうずいぶんと前から」
「君も?」
「はい。桃子ちゃんの場合は、人のこととなると、強くなっちゃうんです」
「へえ、そうなんだ」
「今日も、ずっと俺のこと気遣って、守ろうとしてくれてるし」
「え?今日?」
輝樹さんが不思議そうに聞いた。
「俺、病院嫌いなんです。さっきも、点滴の針が、小百合ちゃんの腕に刺さってるって思っただけで、血の気引いてたし」
「それだけで?」
あ、輝樹さん、驚いてる。
「ああ、いや。でもなんとなくわかるな。僕も血は苦手なんだ。立ち合いもまだ、どうするか迷ってるんだよね」
「そうなんですか?ああ、俺はもう、確実にぶったおれるだろうから、立ち合いはしないって決めてるんですけど」
「…じゃあ、さっきから、黙り込んでたのは、病院にいるからだったのかな?」
「はい…」
聖君は正直にうなづいた。
「あ、でも今は大丈夫です。なにしろ、赤ちゃん見て、癒されちゃったし」
「はは。それは見ててもわかったよ。一気に元気になったなって思ってたよ」
「そうっすか」
聖君は頭をぼりって掻いた。
「そうか。病院内でも手をつなぐほど、仲いいのかって思ってたけど、もしかして、桃子ちゃんが聖君を支えてたのかな?」
「はい」
私も正直にうなづいた。
「あはは、そうか。ものすごくいい夫婦なんだね」
輝樹さんが優しく笑った。
「小百合ちゃん、輝樹さんはすごく優しい人なんだって、嬉しそうに話してくれたことがあって。でも、本当にそうですね」
私が言うと、輝樹さんはちょっと頬を赤くして、
「小百合、そんなこと言ってたの?」
と照れ笑いをした。
私たちは、新生児室をあとにした。聖君はいつまでも振り返り、名残惜しそうに階段を下りた。
「お見舞い、本当にありがとう。桃子ちゃん、また来てね。小百合、桃子ちゃんのこと、いっつも話してくれるんだ。すごくいい友達ができたって」
「小百合ちゃんが?」
わ、嬉しい。
「前の学校では、友達いなかったしね」
「…」
「これからも、小百合をよろしくね」
「はい」
病院の玄関まで、輝樹さんは送りに来てくれた。私と聖君はそんな輝樹さんにお辞儀をして、それから病院を出た。
「すう、は~~~~~~~~」
車に乗ると、聖君が長い深呼吸をした。赤ちゃんを見れて嬉しかったのか、それとも病院を出られて、ほっとしたのか。
「桃子ちゅわん」
あれ?甘えモード?
「ちょっとぎゅってしてもいい?」
「今?」
「うん、ほら、駐車場誰もいないし」
「い、いいよ」
きっと、それだけ辛かったんだよね。
「むぎゅ!」
聖君は口に出してそう言うと、抱きしめてきた。それに、チュッてキスまでしてくる。
「あ~~、俺の手握ってくれたり、心配そうに見てる桃子ちゃん見てさ、なんて健気なんだって、俺、小百合ちゃんや、輝樹さんいなかったら、ぎゅってしたのに~~って、すんごくはがゆい思いしてたんだよね」
へ?
「やっとギュってできた~~」
…。なんだ~~、それ~~。あれ?待てよ?私もそう言えば、聖君が健気で、誰もいなかったらぎゅってしたいって思ってたっけ。
思わず私も、聖君をむぎゅって抱きしめた。
「ん?」
「私も抱きしめたかったよ」
「そうなの?なんで?」
聖君は私の髪に頬ずりしながら聞いてきた。
「だって、聖君も健気なんだもん。かわいくって」
「あ、そ、そうなんだ」
今、思い切り照れた?
「桃子ちゃん、今夜は検診も終わったし、抱いてもいいよね?」
へ?!
「あ、人!」
ちょうど、その時、病院から出てきた人が、駐車場に入ってきて、こっちに向かってきた。
「え?ああ」
聖君はぱっと私から離れ、エンジンをかけた。
それから、注意深く車を発進させ、駐車場を出た。
「あれ?」
「え?」
「もしかしてさっき、誤魔化された?俺」
「え?」
「人が来たからって、話を中断したけど、あれ、わざと?」
「う」
ばれた?
「なんで?もしかして、今日駄目なの?」
「…」
わあ。顔がドンドン熱くなっていく。何も答えられないよ。
「赤くなってるのは、えっと~~、何?OKってこと?」
「照れてるのっ」
「え?どうして?」
「だって、こんな時間から、そんな話をしてくるから」
「ええ?それで、照れてたの?」
そうだよ、もう~~~。
「なんで?じゃ、いつならいいの?」
「いつって」
「夜、俺らの部屋でだったら、俺が抱いてもいい?って聞いたら、桃子ちゃん、うんって答えたりしてるけど、夜ならいいの?」
「夜、私たちの部屋でなら」
「そうなんだ~~~」
え?今なんで、にへらって笑ったの?なんで?
「夜ならね。ふうん」
あれ?またにやけたけど、何か勘違いしてない?
「夜、楽しみだな」
ええ?何が?何が~~~?
聖君は意味深な言葉をはいて、それからは機嫌よく鼻歌を歌っていた。
う~~ん、絶対に何か、わけのわからない思い違いをしているに違いない。夜だってね、聖君、私は恥ずかしいんだよ。
だけどせいいっぱい、素直になろうと努力をして、それで、ああやって、答えてるだけで。ってこと、わかってる~~~?っていうことすら、今は恥ずかしくて言えないよ。




