第142話 苦手な場所
病院に着いた。途端にドキドキしてきた。
車から降り、聖君と手をつなぐと、あれ?聖君の手がすごく冷たい。顔を見ると表情も硬い。
「緊張してる?」
「え?」
私の言葉も聞こえていなかったようだ。
「聖君、診てもらうのは私だから、大丈夫だよ?」
「ああ、うん」
聖君は小さく、深呼吸をした。それから、産婦人科のドアを開け、2人で中に入った。
受付を済ませると、私はまた聖君の手を取って、長椅子に座った。
前には、お腹の大きな人が座っている。もう臨月かもしれない。その隣には、そんなにお腹の目立ってない若い人。あ、そっか。妊娠してくるだけじゃなく、いろんな人が産婦人科には来てるんだろうしな~。
ふと視線を感じて横を見ると、さっとそっぽを向かれた。30代くらいの女の人で、隣にかわいい女の子が座っている。お腹大きいから、2人目の子かな?って、それより、今、絶対にこっち見てたよね。
また視線を感じ、前を向くと、真ん前のでかいお腹の人が、聖君を見ている。ああ、こんなに若い子が来てるわって、そう思ってるのかな。それに、その隣の若い人も、聖君を見て…、あれれ?顔赤らめてるよ?まさか、かっこいいってみんな、思って見てるんじゃ…。
「榎本さん」
「はい!」
聖君がとっさに答えた。
「あ、え~~と、奥さんのほう」
ドアを開けて呼んだ看護師さんが、ちょっとびっくりしている。
「あ、はい」
私が席を立つと、周りの人がざわついた。
「旦那さんなんだ」
「若い~」
「かっこいい~」
ああ、ここでも、注目を浴びてるのか。いや、こういうところだから、返って注目を浴びちゃうか。
「これにお小水を取って…」
看護師さんに説明され、私はトイレに行った。前はこんなことも恥ずかしかったけど、今はそうでもない。ちょっとだけ、聖君のほうを振り返ってみた。聖君は床の一点を見つめ、じ~~っとしている。ああ、やっぱり。早くにトイレに行って、聖君のところに戻らなくっちゃ。
そう。聖君は今、それどころじゃないのだ。病院にいるってだけで、めちゃ緊張をしている。凪のことが見れるとか、心音が聞けるとか楽しみだって言ってたけど、実は病院に行くこと自体、きっと緊張していたはず。それなのに、そんなこと一言も言わず、私に優しくしててくれたんだから。
トイレから戻り、すぐに聖君の横に座って、聖君の手を握った。聖君が明らかにほっとした顔になり、私を見て微笑んだ。
凪が生まれるとき、分娩室の前で待ってられるかな、聖君。なんか、心配になってきちゃった。
「ねえ、聖君」
「何?」
「いつも、検診付き合ってくれなくてもいいよ?」
「え?」
「たまには、お母さんと来たりするから」
「そ、そう?じゃ、そうしてもらおうかな…。って、やっぱ、駄目」
「?」
「ここに入院するんだよね?桃子ちゃん」
「うん」
「俺、なるべく来て、ここに早くなれるようにする。じゃないと、お見舞いもけっこうきついかも」
え?まじで?!そこまで、病院苦手?
「今日、小百合ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、やめる?」
「ううん。病室だよね?」
「うん」
「行って、なれるようにする」
聖君!なんて健気なんだ。今、きゅ~~んって母性本能が刺激されちゃったよ。周りに誰もいなかったら、抱きしめているのに!
もう夕方だからか、診察が終わった人ばかりだったようで、私はすぐに診察に呼ばれた。聖君も緊張したまま、ついてきた。
「どうぞ、お入りください」
にっこりと看護師さんに言われ、私と聖君は診察室に入った。あ、この前と同じ、女医さんだ。よかった~~。
ベッドに横になり、心音を聞いた。ああ、元気にドクドクッていってる。聖君もそれを聞いて、やっとこ笑顔になった。
それから、エコーで凪を見た。この前よりも大きくなってる!
「わあ、すげえ成長してる」
聖君も、目を開けたまんま、瞬きもしないで凪を見ている。
「あの…」
私は先生に聞きたくなって、聞いてみた。
「はい?」
「たまにお腹の中が、ぐにょってなるんです。さっきは、ぐにゅ~~って感じでになって」
「まあ、そうなんですか?」
「それ、胎動ですよね?赤ちゃんが動いたんですよね?」
「そうですよ。あ、ほら、今も動いてるでしょ?」
先生に言われて、聖君が、
「ほんとだ!」
と、さらに目を丸くした。
「すごく元気ですね」
先生の言葉に、私は聖君と目を合わせ、2人で喜んだ。
そして、注意点などを聞き、エコーの写真をもらい、診察室を出た。
「すげえ。この前より、人間っぽいや」
聖君がもらったエコーの写真を見てそう言うと、待合室にいた人が、くすくすって笑った。もう、2人しかいなかったけど、2人ともお腹の大きな人だった。
聖君は、あ、笑われたって気が付き、頭をぼりって掻いて、気まずそうに長椅子に座った。
「シートベルトも、もう締めないほうがいいみたいだね」
「うん。あ~~」
「ん?どうしたの?桃子ちゃん」
「やっぱり、体重増加のこと言われちゃった」
「ああ、あんまり体重増やさないよう、気を付けてって言ってたね。でも、怒ってたわけじゃないでしょ?これから気を付けたらいいよ」
「うん」
聖君はまた、エコーの写真を見て、口元をゆるませた。さっきまでの緊張は、どこかに飛んで行ったみたいだ。
さすが、凪。生まれる前から、パパを癒しちゃってるんだね。
会計を済ませ、小百合ちゃんの病室を受け付けの人に聞き、私と聖君は、2階へと上がった。
「へえ。けっこう病室あるんだね」
聖君が2階の廊下を歩きながらそう言った。
「あとで、新生児室見に行かない?聖君」
「え?見れるの?」
「多分」
「う、うん」
聖君の顔が、さっきとは違う感じでまた、緊張した。
「あ、ここだ」
西園寺と書いてある病室を見つけ、ドアをノックした。
「はい」
あれ?中から男の人の声がしたぞ。もしや、お父さんとか?
ガラ…。ドアが開き、顔を出したのは、若い男の人。あ、旦那さんだ~。
「あの、こんにちは。私、榎本っていいます。小百合ちゃんとは、同じクラスで…」
とその人に言うと、
「ああ、桃子ちゃん」
と、にっこり微笑まれてしまった。
「小百合!桃子ちゃんが、お見舞いに来てくれたよ」
「え?本当?」
わ。小百合ちゃん、きっと私の話を旦那さんにしてたんだな。
「こんにちは」
聖君と、病室の中に入った。
「桃子ちゃん、聖君、来てくれたの?」
小百合ちゃんが、嬉しそうに微笑んでこっちを見ている。でも、点滴をしていて、ベッドから出られないようだった。
「大丈夫?つわり」
私はベッドに近寄り、小百合ちゃんに聞いた。聖君は、あまりベッドに近づいてこなかった。
「うん。入院してると、あまりにおいもかがないし、けっこう平気なんだ」
「そっか。よかった~」
顔色もそんなに悪くない。でも、心なしか痩せた気がする。私とは反対に…。
「今日、検診?」
小百合ちゃんが聞いてきた。
「うん、もう5か月になるから」
「そうなんだ。どうだった?赤ちゃん」
「うん、元気だった。あ、小百合ちゃんは?」
「ふふ。親はあんまり食べるものも食べてないっていうのに、ちゃんと育ってるのよね。不思議と」
小百合ちゃんが嬉しそうにそう言った。
「あ、椅子座ってください」
旦那さんが椅子を二つ持ってきた。
「あ、すみません」
聖君が、私をまず座らせて、その横に椅子を置いて座った。
「個室なんですね。この病院って、全部個室ですか?」
聖君が、旦那さんに聞いた。
「いや、個室と、2人部屋とあるみたいだね。でも、個室のほうが、気を使わないで済むし、僕も来やすいから個室にしたんだ」
「そっか」
聖君はしばらく、何かを考えている。あ、私の時はどうしようかなって、考えてるのかな。
「赤ちゃんが生まれたときの入院なら、2人部屋もいいかもしれないですよ。同室の人と、あれこれ話せるのもいいじゃないですか」
旦那さんが、そう言ってきた。
「生まれる日が近かったら、一緒の部屋に入院したいね」
小百合ちゃんが私に言った。
「うん、それ、いいかも」
そう言いながら、私は手にしていたものを、床に置こうとして、思い出した。
「あ、花ちゃんから、渡してって言われてたんだった。これ、漫画とCD」
私は、カバンから袋を取り出し、中から、単行本とCDを出した。
「ありがとう、嬉しい。とにかく、暇でしょうがなかったんだ」
小百合ちゃんが目を輝かせ、単行本をめくりだした。
「あれ?それ、咲ちゃんの描いた漫画?」
聖君が聞いてきた。
「うん、そう」
「え?知り合いなの?この漫画家さんと」
「うん。花ちゃんの友達なの」
「へ~~~、そうなの?びっくり~~」
小百合ちゃんがやけに、驚いている。
「あのね、ほら、この週刊誌」
「あ!」
恋するカフェが載ってる週刊誌の新刊号。
「輝樹さんが、コンビニで買ってきてくれたの。これにこの、漫画家さんの漫画が載ってて、聖君に似てるなって思ってたんだよね」
「へ~、小百合ちゃんが見ても、聖君に似てるって思ったの?」
「うん。え?もしかして、聖君がモデル?」
「うん、そうなんだ」
「え~~!!」
さらに小百合ちゃんが、驚いてしまった。
「小百合、あまり興奮しない。今、点滴中だよ?」
「あ、ごめん。そうだよね」
私がつい謝ると、旦那さんのほうが、
「ああ、桃子ちゃんのせいじゃないよ」
と、優しく私に言ってきた。
なんだか、小百合ちゃんの旦那さんは、年上のせいか、もう社会人だからか、落ち着いてるし、大人だ。聖君も大人の雰囲気があるけど、やっぱり違うって思いながら聖君を見ると、また一点を見つめ、静かになっていた。
だけど、たまにちらって、点滴を見る。それから針がささっている小百合さんの腕を見ると、目を細め、痛そうな顔をする。ああ、点滴が嫌なのか~。
「じゃ、恋するカフェの女の子は、桃子ちゃんがモデル?」
「ううん。あれは、咲…」
ととと。聖君がいるんだった。咲ちゃんは実は聖君が好きで、漫画のモデルにしたって知らないほうがいいよね。
「漫画家さん本人なんだ」
小百合ちゃんに言われてしまった。ああ、聖君にばれた。と思いながら聖君を見たけど、どうやら、聞いてないようだった。今度は、床をじいって見てる。
「聖君?具合悪いの?」
「え?え?何?」
小百合ちゃんに自分の名前を呼ばれ、聖君が我に返ったようだ。
「さっきから、静かだけど」
「いや、その…」
聖君は小百合ちゃんの腕を見て、さっと視線を外した。
「ああ、これ?気にしないで。そんなに痛くないし」
小百合ちゃんにそう言われても、聖君は顔を引きつらせたままだった。
「小百合ちゃん、入院いつまで?」
小百合ちゃんが聖君を気にしているようだから、話を思い切り変えてみた。
「うん、どのくらいかな。人によって違うみたいなんだよね。でも、だいぶ落ち着いてきてるから、すぐかもしれないし」
「そうなんだ」
「だけど、学校はすぐには行けないかも」
「そっか~」
「はい」
旦那さんが冷蔵庫から冷たいお茶を出して、私と聖君に渡してくれた。
「あ、すみません」
聖君はペコってお辞儀をして、ペットボトルを受け取った。
「なんか、小百合から聞いてたのと、印象が違うね」
「え?」
聖君がびくってしながら、輝樹さんを見た。
「小百合からはすごく明るくて、前向きで、皆を魅了する力を持ってるって言われてたからさ。それとも、いつもは静かなのかな?」
「俺ですか?ああ、静かなときもあれば、そうじゃないときもあれば…」
「はは。それもそうだね。今は病室だし、遠慮してるのかな?」
「あ、はい、まあ」
聖君は返答に困っていた。
「…」
でもまた、黙り込み、下を向いている。
「聖君、新生児室行こうか?」
聖君の手を握ってそう聞いた。うわ。さっきよりも冷たくなっちゃってるよ。
「あ、うん」
「もう行っちゃうの?」
小百合ちゃんが聞いてきた。ああ、こんなことならやっぱり、私一人で来たら良かったかな…。
「ごめんね。あの、ちょっとこのあとも、用事があって」
「そうか~」
「今度、みんなと来てもいい?みんなもお見舞いに来たがってたけど、つわりで辛い時だとかえって悪いかなって、遠慮してるんだ」
「来て~~。ほんとう~~~に暇なの!」
小百合ちゃんが、すがるような目でそう言ってきた、。
「わ、わかった。みんなにも言っておくね?」
「うん、わあ、嬉しい」
「じゃ、新生児室まで案内するよ」
輝樹さんがそう言って、病室のドアを開けた。
「じゃあね、小百合ちゃん」
私は小百合ちゃんに手を振った。聖君も小百合ちゃんを見て、微笑もうとしたけれど、かなり引きつり笑いになっていた。
やばそう。聖君、手も冷たいし、顔色も悪いみたいだ。って、なにしろ日焼けしちゃって、顔色も何もわからないんだけど。
だけど、この無口加減も、いつもの爽やかな笑顔が、引きつってるところも、これはかなり、やばいってことじゃないのかな。新生児室行くのもやめて、さっさと帰ったほうがいいかな。
私は心配になりながら、聖君の顔を見た。でも、聖君はうつむいていて、私のほうを見ることもしなかった。