第140話 ほんわか夫婦
翌朝、ちょっと曇っていて、雨が今にも振り出しそうな天気。
「傘、一応持っていく?」
家を出るときに、聖君が聞いてきた。
「聖君のだけ、持って行って」
私がそう答えると、
「相合傘にしたいんでしょう?もう~~、桃子ちゃんってば」
と言われてしまった。ああ、ばればれ。
「そ、そうだよ。聖君と相合傘したことないし」
私は開き直ってそう言った。
「そういえば、そうだね。くす」
あ、笑われた。
「でも、帰りはどうするの?」
「学校に置き傘あるよ」
「あ、そうなの?」
聖君は傘たてから、自分の傘を取ると、
「行ってきます」
と元気に言った。
「行ってきます」
私もダイニングのほうに向かってそう言うと、家の中から、
「行ってらっしゃい。気を付けて」
という母の声が聞こえてきた。なんで玄関まで来ないかというと、テレビに夢中だからだ。朝ドラに今、母ははまっている。
聖君が玄関のドアを開け、先に外に出た。そして、
「あれ?蘭ちゃん?」
と、驚いた声でそう言った。
「え?」
蘭?!私も、慌てて玄関の外に出た。
「おはよう」
蘭が顔を引きつらせながら、門の外に立っていた。
「ど、どうしたの?」
私が聞くと、蘭はもっと顔を引きつらせ、
「ちょっと、聖君と話がしたくって。ごめんね、突然だったよね?やっぱりメールしたらよかったかな」
と、申し訳なさそうに言った。
「あ、いや、いいけどさ」
聖君が頭をぼりって掻いて、そう答えた。
「じゃ、駅まで歩きながら話そう」
門を出て、聖君は歩き出した。私は聖君の左側に行き、蘭は右側に行くと、少し聖君と間を開け、歩き出した。
「基樹のことでしょ?」
しばらく何も蘭が話し出さないからか、聖君のほうから声をかけた。
「うん。桃子から聞いてる?」
「うん、聞いてるっていうか、桃子ちゃん、しつこいくらいに相談に乗ってって言って来るからさ」
聖君が優しく笑いながらそう言った。
「そうなの?」
蘭がちょっと驚いて私を見た。
「だって…」
なんて言っていいのやら…。
「基樹なら、昨日、れいんどろっぷすに来たよ」
聖君が突然、蘭にそう言った。
「え?」
蘭が驚いて、その場に立ち尽くしてしまった。
「…後で車で送っていくよ。だから、いったん家に戻らない?」
聖君がそう言った。蘭はまだ、その場に立ち尽くしていたけど、私と聖君が回れ右をして、家のほうに向かって歩き出したので、蘭も後ろからついてきた。
「いいの?車…」
蘭が小声で聖君に聞いた。
「いいよ。ああ、家だとお母さんが今、朝ドラ見てるかな」
「もう、終わってるから大丈夫」
私は時計を見ながら、聖君に言った。
「じゃ、リビングで話そうか?あ、そんなの勝手に決めたら、お母さんに悪いかな?」
「大丈夫。お母さん、蘭のこと好きだし」
「そう?」
聖君はそのままさっさと家に向かって歩き、門を開け入って行った。
蘭は後ろから何も言わず下を向き、暗い顔をしてとぼとぼ歩いている。基樹君が聖君の店に行ったこと、なんだか、ひっかかるのかな。それとも、何かを怖がってるのかな。そんな風にも見える。
「蘭、うち、ここだよ」
蘭がうちの門の前を通り過ぎようとしてるから、声をかけた。
「あ、ごめん」
蘭はやっとこ顔を上げ、門を抜けて階段を上りだした。
「蘭ちゃん、どうぞ。お母さんもリビング使っていいってさ」
先に家に入った聖君が、玄関から顔をだしそう言った。ああ、なんだか早足で行っちゃったと思ったら、母に聞きにいってくれてたのか。
「蘭ちゃん、おはよう。あ、私は洗濯物干すから、リビング使ってって言っても、天気悪いわね。部屋に干そうかしらねえ」
母はそう言うと、バスルームに向かって行ってしまい、私と蘭と聖君は、リビングのソファーに座った。
「基樹、何か言ってた?」
蘭が今度は、唐突に聖君に聞いた。
「え?ああ、蘭ちゃんのこと?」
「そう」
「うん、その悩み相談をしにきたんだもん」
「え?」
ますます蘭は驚いている。
「蘭ちゃん、より戻そうって言ったんでしょ?」
「うん」
「基樹、なんて言ってた?」
「…前みたいにはなれないって」
「それ聞いて、蘭ちゃんどう思ったの?」
「え?」
蘭は聖君の顔を見てから、下を向くと黙ってしまった。
「どうしたいって思ったの?」
質問を変えて、聖君がまた聞いた。
「私は…」
蘭は何かを言おうとしたけど、言葉が続かず、泣きそうになっている。
「うん」
聖君は優しくうなづいた。
「昨日も、一人になって考えたの」
蘭は、泣くのを我慢しながらそう答えた。
「うん」
聖君はまだ、優しい表情でいる。
「…基樹が言うように、今の彼が浮気して、つらいから基樹のもとに帰りたくなったのか、それとも、本当に基樹が好きで、付き合っていきたいと思っているのか」
「…うん」
聖君が視線を下に向けた。顔付きが替わり、真剣な目をしている。
「…何回も自分に聞いたの。つらいから、慰めてほしいから、それだけで、基樹に会いたいって思ってるなら、基樹に悪いって」
「…」
聖君は黙って、蘭を見た。私はなんとなく、蘭と聖君を交互に見ていた。
「より戻しても、ちゃんと付き合っていけるのかとか、いろいろと考えて」
「先のことをそんなにあれこれ、考えちゃったの?」
「え?」
聖君の質問に、蘭が驚いて聞き返した。
「俺が聞いたのは、蘭ちゃんはどうしたい?ってことだけど」
「…私?」
「そう、蘭ちゃんの今したいことだよ」
「…」
蘭は黙り込んだ。
「遠慮なく言っていいよ。蘭ちゃんが今、感じてることをそのまんま」
「…私は」
「うん」
聖君はまた、優しく蘭を見た。
「基樹と会って、苦しくなって」
蘭が突然、涙をぼろって流した。
「苦しく?」
私が思わず、聞いてしまった。
「そう、胸が苦しかった」
聖君はただ黙って、優しい表情で蘭を見た。
「今も、基樹のことを思うと苦しい。また会いたいし、友達としてなんて考えられない」
「友達?」
聖君が聞いた。
「友達として相談に乗るって言われた。でも、私は友達だなんて思えないよ」
「うん、じゃあ、蘭ちゃんにとって基樹って何?」
「…わかんない」
「え?」
「わかんないけど、基樹のことを思うと、胸がぎゅうってなって」
「うん」
「苦しいのにそばにいられるのが、嬉しかったし、苦しいのに、今も会いたいの」
「重症だね」
聖君はぼそってそう言うと、クスって笑った。
「な、何が?」
蘭がちょっとムッとして聞き返した。
「基樹のこと、それだけ好きってことでしょ?」
「…」
蘭が黙り込んだ。
「あはは。なんでそんな難しく考えるの?好きなら好き、それでいいじゃん」
「え?」
「あいつもだけどさ」
「あいつって、基樹?」
「目も当てられないくらいの、悩みよう、落ち込みよう。きっとまだ、苦しんでるよ」
「基樹が?なんで?」
「そりゃ…。ああ、言わないでおく」
「どうして?」
蘭が目を丸くして、聖君ににじりよった。
「俺より、直接聞いたらいいじゃん、基樹に」
「言ってくれないよ」
「じゃ、蘭ちゃんの気持ちをそのまま、ぶつけりゃいいじゃん」
「言ったよ。でも…」
「本当に?今みたいに、苦しいって言った?思うだけで苦しい。だけど会いたいって」
「い、言ってないかも」
「じゃ、言ってみたら?」
「それでも、駄目だったら?」
「そんときは、桃子ちゃんの胸でも借りて泣く?」
「え?」
「それか、何度もしつこいくらいに、基樹のこと追いかけるってのはどう?」
「…そ、そんなことできないよ」
「かっこ悪いから?」
「う、うん」
蘭が下を向いてしまった。
「かっこ悪くてもいいじゃん。そんな蘭ちゃんでもいいんじゃないの?」
「え?」
「基樹のことも、かっこ悪くても、弱くってもいいんじゃないの?」
蘭は黙った。でも、ぽつりと、
「そうなんだよね。受験で大変だった基樹のこと、どうしてわかってあげられなかったんだろうって、今はそう思う」
と顔を上げ、聖君を見てそう言った。
「そっか。でも、そういうことに気づけたってことでしょ?」
聖君がそう言うと、蘭は黙ったまま聖君を見て、それから私のことも見て、
「今頃気づいても、もう遅くない?」
と聞いてきた。
「遅くないよ」
私はそう答えていた。聖君は私を見てから蘭のほうを向き、こくんってうなづいた。
「わかった。ありがとう。基樹にぶつかってみる。かっこ悪くても、ぶつかってみるよ」
蘭がそう言うと、聖君はまたこくんとうなづいて、ニコって笑った。
「じゃ、駐車場から車出しちゃうから、あとからおいでね」
聖君はそう言うと、リビングを出て行った。
「聖君と基樹や、聖君と桃子って、なんだか絆で結ばれてるね」
蘭が突然そう言いだした。
「へ?」
「信頼し合ってるって、そんな風に思えた。信頼っていいよね」
「うん」
「は~~~~~」
蘭が長いため息をした。
「蘭?」
「実はね、どうしていいかもわからず、どうしても話を聞いてほしくって、桃子の家まで来ちゃったの」
「え?」
「でも、答えは自分の中にあったんだよね」
「…」
「やっぱり、基樹が好きなんだな~~」
「うん」
蘭がふって笑って、ソファから立ち上がり、
「行こうか、桃子」
と言ってきた。
「うん」
よかった。蘭、顔色までよくなってる。さっきまで、青かったもんな。
私と蘭が車に乗り込むと、聖君はすぐに車を発進させた。
「あ、いけない。菜摘にメールしてなかった」
携帯を見たら、菜摘からメールが来ていた。
>具合悪いの?兄貴の車で送ってもらう?電車来ちゃうからもう行くね。
ああ、申し訳ない。どうやら送信の時間を見ると、1本か2本電車に乗らず、待っててくれたようだ。
>ごめん!聖君の車で行くね。
そう送ると、すぐに返事が来た。
>具合悪いんだったら、無理しちゃだめだよ。
ああ、菜摘も優しいよ~~~。
>ありがとう、でも、大丈夫。蘭が聖君に相談に来てて、話してて遅くなったから、車で送ってくれるって。
>蘭が?朝から桃子の家に行ったの?
>うん。でも、もうすっきりしたみたい。
>さすが、兄貴だ。
>だよね^^
そんなメールをやり取りしてる間も、蘭は聖君と話をしていた。
「結婚ってどう?」
「奥さんがいるってどう?」
「子供が生まれるってどう?」
蘭のいきなりの質問攻めに、聖君はしどろもどろになった。
「な、なに?いきなり」
「素朴な質問だよ」
「あ~~~、どうって聞かれても、困るな。もっと具体的に聞いてくれないと」
聖君はバックミラーで、照れくさそうに蘭を見てそう言った。
「そう、具体的にね…」
蘭は黙り込んだ。どうやら、考えてるようだ。
「聖君って、亭主関白?俺について来いってタイプ?それとも尻に敷かれてるほう?」
うわ。何を聞いてるんだ。
「あはは!尻に敷かれてるほうだよ」
聖君は笑いながらそう言った。
「え?私、敷いてないよ」
私が慌ててそう言うと、
「俺、桃子ちゃんについていきますって感じだよ?」
とちらっと、バックミラーで私を見ながらそう聖君が言った。
「う、嘘だ。それ、逆だよ」
「ええ?そう?桃子ちゃん、強いじゃん」
「う~~ん、そうだよね。桐太もグーで殴ったもんね」
蘭もうなづきながら、そう言った。
「違う、違う~~~。尻に敷いてないってば!」
あの件以来、私は強い人間と思われちゃってるよ~~。そんなに強くないんだけどな。
「でも、いいな」
蘭がぽつりと言った。
「何が?」
聖君が聞いた。
「だって、2人って本当に仲いいもん」
「そう見えるの?」
聖君がまた聞いた。
「え?違うの?」
蘭がさっと表情を変えた。
え?聖君、なんでそんなこと聞くの?
「はたから見ても、仲のいい夫婦に見えるの?」
聖君がもう一回蘭に聞いた。
「見えるよ。どっからどう見ても、そう見える」
「ふうん」
バックミラーに映った聖君の顔は、思い切りにやけている。なんだ、仲いい夫婦に見えるって言われて、もしや喜んでるの?
「実際、仲いいんでしょ?」
蘭ももう一回、聖君に聞いた。うわ。なんて答えるんだろう、聖君…。
「う~~ん、仲いいっていうか…」
「え?」
なんて答えるんだろう、聖君!!!ドキドキ!
「思い切り、バカップル?」
「…」
蘭も私も、黙り込んでしまった。特に蘭は呆れたって顔をして、バックミラーに映ってる聖君のにやけた顔を見ている。
「あれ?なんで無言?」
聖君が蘭に聞いてきた。
「ああ、開いた口がふさがらなくなってたの。結婚してもバカップルって、ほんと羨ましすぎるわ」
蘭がそう言ってから、あははって笑った。
「結婚してからさらに、バカップル度が増したよね?桃子ちゃん」
「え?」
私にふられても!ああ、もう、なんでそんなこと、ばらしてるんだか。
「いいね、私もバカップルになりたいよ」
「なれば?」
蘭の言葉に聖君があっさりとそう言った。
「ええ?基樹とだよ?」
「うん。あいつとだったら、いくらでも。付き合ってた頃一緒にバカやったりしてたじゃん。俺らの前でいちゃついてたし、喧嘩も平気でしていたし、あれ、なかなかできないよ?普通」
「…」
蘭がしばらく黙ってから、
「そうなんだよね!基樹とはそんなふうにできたんだ。あれって、私が私らしくいられたってことだよね?」
と、突然大きな声でそう言った。
「うん、そうなんじゃね?大学生の彼氏とは違ってたの?」
「うん」
「ふうん」
聖君はちらっとバックミラーで、蘭を見て、黙って車を走らせた。
学校に着くと、門の前に菜摘がいた。
「あれ?菜摘。お出迎え?」
聖君が車のウインドーを下げて、菜摘に聞いた。
「う、うん」
ああ、蘭のことが気になっていたのか。蘭が車から降りてくると、菜摘は蘭のもとに行き、蘭の表情を読み取ろうとしている。
「おはよ、菜摘。ごめんね?私が突然桃子の家に行っちゃったから、桃子、駅に行けなくなって」
「あ、いいの、いいの。それは全然」
菜摘が首を横に振った。
「私なら大丈夫だよ。この二人のほんわか夫婦オーラで、癒されちゃったから」
蘭がそんなことを言った。蘭の顔は本当に、すっきりしている。
「あはは。ほんわか夫婦?でもま、癒されたんならよかったよ」
ウインドーから少し顔をだし、聖君はそう言うと、
「じゃ、桃子ちゃん、今日さっさと帰ってきてね。待ってるからさ」
と私に爽やかな笑顔を向けてくれて、聖君はウインドーを上げた。
「ありがとうね」
蘭が車に向かってそう言って、手を振った。聖君も車の中から手を振って、さ~~っと車を走らせていった。
「待ってるからだって~~。きゃ~~」
後ろからそんな声が聞こえ、振り返ると、数人の生徒が私たちのほうを見て、何やら騒いでいた。
「あ、桃子、検診だっけ?それで兄貴、待ってるって言ってたんだ」
ちょっと大きめの声で菜摘が聞いてきた。
「うん、家に帰って着替えてから、聖君の車で行こうと思って」
「そっか~~。もう何か月なの?」
蘭が聞いてきた。
「5か月だよ」
「そういえば、胎動感じたんだっけ?あれからもわかるの?赤ちゃんが動いたのって」
菜摘がまた大きい声で聞いてきた。
「うん。たまにぐにょって動く」
「へえ~~!赤ちゃんが動いたのわかるんだ。どれどれ」
蘭が私のお腹に触ってきた。
「いや、まだ外から触ってもわからないって」
私がそう言うと、
「でも、お腹出てきたんだね~。これからどんどん大きくなるんでしょ?すごいねえ」
と蘭が何やら感心している。
「お母さんになるんだもんね」
菜摘も何やら感心している。
そんな会話をしていると、さっきまでいた生徒たちが、挨拶をしてきて、
「元気な赤ちゃん、生まれるといいですね」
なんて言ってくれた。
「ありがとう」
そう答えると、皆にこにこと笑って、校舎に向かって行ってしまった。
「みんな、桃子のこと応援してるんだね」
蘭がそう言った。でも、菜摘や蘭が、赤ちゃんの話をしてくれたからだ。
私は2人といるのが嬉しくなり、2人の真ん中に入って、2人と腕を組んだ。
「なあに?桃子~~」
菜摘が聞いてきた。
「うん、2人とも大好きだって思って!」
私がにこにこしながらそう言うと、蘭も菜摘も、
「桃子、こっぱずかしいこと言わないで、もう~~~!」
と照れながら、笑っていた。