第137話 届かなかった想い
チュンチュン。
雀の鳴き声。それから、カーテンの外が明るくなり目が覚めた。
すうすう。
聖君のかわいい寝息が聞こえた。隣りを見ると、かわいい聖君の寝顔があった。いつ、勉強が終わって、私の横に来たんだろうか。ぐっすりと寝てて、気づけなかったな。
は~~。それにしてもかわいい。
時計を見るとまだ、6時半だった。ああ!30分も聖君を眺めていられる!
おでこ、またニキビができてる。おでこにできやすいのかな。眉毛、今日もかっこいいぞ。それから、まつ毛、長いよね。下のまつ毛も長いんだよね。
愛しいな~~。
「ん~~~」
あれ?寝返りうっちゃった。あ~~、顔が見れなくなっちゃったよ。私はしかたなく、聖君の背中に顔をくっつけた。
ああ、聖君の肩甲骨。好きなんだ~~。
それに聖君のにおいがする。思わず抱きしめ、それからうなじにキスをしてみた。うきゃ~~~。聖君フェロモン?かわいいし、愛しい~~!!
「桃子ちゃん、もう朝?」
あ、起こしちゃった。
「ごめん。まだ6時半。30分寝れるよ」
「そっか~~」
聖君はこっちを向いて、私を抱きしめ、すぐにまたすうって寝息を立てた。ああ、よかった。寝ちゃった。
ああ、それにしても幸せだ。聖君に抱きしめられるのも、聖君が隣で寝てるのも、なんて幸せなことなんだろう。
聖君の息が私のおでこにかかる。くすぐったい。それから、私を抱きしめてる腕が重たいけど、その重さがまた嬉しい。は~~~~、幸せだ。
30分幸せを満喫していると、聖君が目をパチッと開けた。すごい。7時ちょうどに目が覚めるようにでもなっているんだろうか。
そういえば、聖君と寝るようになってから、目ざまし時計や、携帯のアラームを使うことってなかったな。たいていが、聖君が起きてて私を起こしてくれてた。
「おはよう、桃子ちゃん」
「おはよう」
あれ?聖君はいつも自分で起きれちゃうから、私が起こすことって、もしや永遠に来ることはなかったりして?
「は~~、もう朝か~」
「昨日何時まで勉強してたの?」
「1時ころかな」
え?そんなに?
「もうちょっと寝てる?」
「ううん、いいよ、起きる。俺、2度寝ってだめなんだよね」
そう言うと聖君はさっとベッドから下り、着替えだした。私はそんな聖君をじいっと眺めていた。
「エッチ」
「え?!」
「今、着替えているところ、ずっと見てたでしょ」
「ひ、聖君だってよく見てるじゃない」
「まあね」
まあねって…。
聖君は私の寝ている横に座ってきて、
「もしかして、もっと俺といちゃついていたかった?」
と聞いてきた。う、図星。
「もう、桃子ちゃんってば。そういうことはちゃんと言ってね?」
へ?
「聖君といちゃついていたいよ~~って」
言えないよ。私は思い切り顔をほてらせた。
「あはは、真っ赤だ」
聖君は笑うと、私にキスをして、
「さて。どうする?桃子ちゃんももう起きる?それとも、いちゃついてる?」
と聞いてきた。ああ、もう。そう言うことは聞いてこないでよ。
「もう7時だもんね」
「うん」
「起きないとね」
「うん」
聖君はにこにこしながら、うんって言ってる。私の心の中をきっと見透かしてるんだ。
「桃子ちゃんってば!もう、かわいいんだから」
あ、抱きしめてきた。
「目が今、物語ってたよ」
「え?私の?」
「聖君に抱きしめてもらいたいって」
う。目で言ってた?私…。
「かわいいな~~、ほんとに」
うわ。顔がまた熱くなった。
「ねえ、桃子ちゅわん」
「え?」
「今日も車で送っていこうか?」
「ううん、いい。送ってもらうとみんなが心配してくれるから」
「え?」
「具合が悪いんじゃないかって、心配してくれるの」
「そっか。みんな、桃子ちゃんのこと大事に思ってくれてるんだね」
「うん。あ、冨樫さんや平原さんもだよ」
「え?」
「昨日も優しい目で見てくれてたし…」
「へ~~!そうなんだ」
聖君はそう言うと、またギュって私を抱きしめて、
「じゃ、もう起きようか、桃子ちゃん」
とベッドから下りた。
「俺、先に下に行ってるね」
「うん」
私は着替えだした。
ぐにょ…。あ!また凪が動いた。ああ、凪も起きてるの?お腹で活発に動いてるんだね。
「おはよう、凪」
私はお腹をさすった。こうやって、凪の存在を感じていられるのって、なんて幸せなんだろう。
早く、動いてるのが聖君にもわかったらいいな。
「行ってきます」
聖君と家の玄関を出た。
「いい天気だね。でも暑くなりそうだ」
聖君が外に出ると、空を見上げながらそう言った。
私はすぐに聖君の腕にしがみついた。腕を組んでいるというより、しがみついてるっていう表現が、一番合っていると思う。
なんでかな?ぎゅうって聖君にくっついていたいんだよね。
聖君は爽やかな笑顔のまま、私に話しかけたり、
「今日の空、すげえ綺麗」
と空を見上げてみたり。
周りにいる人が、たまにちらって私たちを見る。朝っぱらから、何をいちゃついてるのってそんな目で見てる人もいる。
でも、そんなの関係ない。そんな人のことなんか気にしてたら、聖君との時間がもったいないもん。
「最近の若い人は、学校に行くまでにも、彼氏といちゃついてるの?」
というそんな声が後ろから聞こえた。
彼氏じゃないもん。夫だもん!と心の中でぶつくさ言いながら、私はまだ、聖君にくっついていた。
聖君をちらっと見た。聖君は何も気にしない様子だった。そのうえ、前から歩いてくる菜摘を見つけて、
「おはよ!菜摘」
とでっかい声で叫んでいるし。
「おはよう~~。もう、朝からまたいちゃついてるのね!この夫婦は」
「あはは!いいじゃん。新婚なんだから」
聖君はそう言って笑った。
「ええ?」
また後ろから驚いた声が聞こえて、振り返るとさっき、「最近の若い人は」って、文句を言ってたおばさんだった。
おばさんが私たちをじろじろと見て、改札を通って行った。
「知り合い?」
菜摘が聞いてきた。
「いいや、単なる通りすがりのおばさん」
聖君がそう答えた。
「なんだ。桃子たちのことじろじろ見てるから、知り合いかと思った」
「俺と桃子ちゃんが、あまりにもかわいいカップルだからじゃない?」
「どう見ても、違うと思う」
菜摘にそう言われ、聖君が菜摘の頭をこついていた。
「それじゃ、気を付けてね」
聖君はニコって笑って、私たちを見送ってくれた。
「行ってきます」
改札口を通り、もう一回振り向く。必ず聖君はまだ、にこにこ優しい笑顔で、その場にいてくれる。
私が手を振ると、聖君も手を振りかえしてくれる。
「ねえ、桃子」
電車を待っていると、菜摘が話しかけてきた。
「え?なに?」
「一緒の部屋で寝てるんだよね?」
「聖君と?」
「そう。それで、朝も同じ時間に起きるの?」
「うん」
「で、朝ごはんを一緒に食べて?」
「うん」
「一緒に家を出てくるんだよね?」
「うん」
「は~~~。そんなに一緒にいて、さらにべったりくっついて駅まで来て、兄貴は改札を抜けてもまだ、桃子のことを見てて、優しく手を振ってくれたりして…」
そう言われると、照れる。
「なんなんだ、この夫婦は」
「へ?」
「仲良すぎだよ」
「変かな」
「変だよ。羨ましすぎだよ。あ~~、私も葉君と暮らしてみたいっ」
「結婚?」
「同棲でもいい」
「へ?」
「でも、私が働くようになってからだよね。きっと」
「うん、そうかもね」
電車に乗り込み、椅子に座った。ちょっと早くに出ているし、始発だし、必ず椅子に座ることができる。
「兄貴、大学いつからなの?」
「木曜だったかな?」
「あれ?じゃ、もうすぐなんだ」
「うん、その前に検診に行っておこうってことで、明日行ってくるの」
「検診か~~。あ、兄貴も一緒にってことだよね?」
「うん」
「そういうのにも、ちゃんとついて行くんだもんね」
「父親学級にも参加するって、張り切ってた」
「何それ?」
「赤ちゃんのお風呂の入れ方とかを、教えてくれるらしいよ」
「ひょえ~~~!兄貴が参加するって?」
「うん」
「なんだかもう、桃子の尻に敷かれてるっていうか」
「え?私、別に参加してほしいなんて言ってないよ?」
「でもさあ、一見そんなことしそうにないじゃん、兄貴って。ほら、女の人にめちゃくちゃクールだし」
「うん」
「だけど、実際には奥さんにべったりで、頭があがらないって感じだし」
ええ?何それ!
「駅まで見送りに来るだけでも、私にはすごいことだと思うけどね」
「あ、あれは…」
「うん」
菜摘が私の顔をまじまじと見ながら、私が話すのを待っている。
「自分でも聖君言ってた。過保護だよな、俺ってって」
「え?」
「心配みたい、いろいろと」
「ふうん」
「杏樹ちゃんのことも、けっこう過保護だし。聖君のお父さんよりも口うるさいもん」
「ええ?じゃ、私には過保護じゃないけど、なんで?」
「さ、さあ。菜摘はしっかりしてるから、とか?」
「え~~~?そんなにしっかりしてないよ、私」
「あ!わかった。きっと葉君がいるからだ。葉君に任せてるんだよ」
「あ、なるほど。そういえば、あれこれ兄貴に相談してた時、そういうのは葉一に聞いてもらえって言われたことがあったっけ」
「検診についてくるのは、凪の成長が楽しみなんだと思う」
「エコーだっけ?お腹の中の様子がわかるんだよね?」
「うん、それに心臓の音とか聞けるの。そう言うのが楽しみみたい」
「親ばかになりそうだね」
「もうなってるけどね」
「あはは」
菜摘と笑ってる間に、降りる駅に着いた。
「あ、榎本先輩、おはようございます」
ホームで後輩から、挨拶をされた。
「おはよう」
その子が去っていくと、菜摘が、
「桃子、すっかり人気者だよね」
と言ってきた。
「そそそ、そんなことないよ」
「なんで、動揺してるの?いいじゃん、人気者って」
「…」
人気があるかどうかは知らないけど、ただ、有名人にはなっちゃったと思う。学校にいても、登下校の間も、いろんな人から声をかけられたり、遠くからも、
「あ、榎本さんだ」
と言ってるのが聞こえてくるし。
あ~~、もっとお腹が大きくなったら、もっといろんな声が聞こえるようになるのかな。今朝のおばさんがもし、お腹の大きい私を見かけたら、またなんか言ってきそう。
少しだけ、憂鬱。だけど、お腹が大きくなっても、聖君はいつでも隣に寄り添っててくれて、私は聖君にべったりくっついているんだろうな~。
教室に行くと、すぐに蘭が一人でやってきた。
「あれ?早いね」
「うん」
あ、そうか。昨日基樹君と会ったんだっけ。あれ?なんだか、目腫れてない?
私の席の周りに、菜摘、蘭が座り、蘭の話を聞くことにした。
「基樹君とどうした?」
菜摘が聞いた。
「メールしたのに返事なかったから、なんかあったのかなって気にはなってたんだけど」
と菜摘は、話を続けた。
そうだ。昨日蘭から何も報告なかったっけ。
「駄目みたい」
そうぽつりと蘭は言うと、ぽろぽろと涙を流した。
「え?駄目って?」
菜摘が聞いた。
「基樹、もう前の俺らには戻れないよって言ってた」
「…」
私も菜摘も、何も言えなかった。
「も、基樹君、今彼女…」
菜摘がしばらくして、蘭に聞きづらそうに聞いた。
「いないって」
「じゃ、なんで?」
「蘭は今、傷ついてるから、俺とよりを戻したいって思ってるだけだって」
「蘭、ちゃんと伝えたの?基樹君のことが、好きだってこと」
「言ったけど、でも、基樹、俺よりもまた、もっといいと思うやつが現れたら、すぐにそいつのほうに行っちゃうんじゃないかって」
「え?」
「天罰かな。私から基樹のこと、ふったんだもんね」
「で、でもさ、その時って基樹君も、蘭のことほったらかしてたんでしょ?」
「でも、受験でだよ?それなのに、勉強頑張ってる彼ほっておいて、私、とっとと別の人と付き合いだしちゃったんだもん。私、今の彼のこと、悪く言えないよ。私だって、似たようなことしたんだもん」
蘭…。
はらはらと涙を流す蘭を見て、私も菜摘も何も言えなかった。
基樹君は蘭のこと、ずっと好きだったんじゃないの?でも、もう前みたいに付き合えないの?
「基樹は、私のことをもう、すっかり忘れられたって言ってた」
「え?」
「だから、昨日会えたって。友達として、相談に乗ろうと思ったって」
「そ、そうなの?」
これまた、衝撃だ。私は菜摘と顔を見合わせてしまった。
「彼とは、もう好きじゃなかったら別れたらいいって言われた。でも、気持ちが残ってるんだったら、ちゃんと浮気なんかしないでって言ったらいいって。俺はちゃんと、蘭にそういうことが言えなくって、それで、ずっとひきずったし、後悔もしたからって」
「でも、蘭は基樹君のことが…」
「そういうことを言うと、基樹、頭冷やしてから俺のこと考えてみて。きっと思い過ごしだってわかるよって、そう言うんだ」
「ええ?どうして~?」
菜摘が驚いた。
「わかんない、わかんないけど、私、もう一回冷静になってみる。彼とも会わないで、しばらく一人で考えてみるよ」
「…」
花ちゃんがやってきて、蘭が泣いてるのを見て、黙って椅子に座った。蘭は涙をふくと、花ちゃんのほうを見て、
「花はどうだった?籐也君と」
と、ニコって微笑んで聞いた。
「え?う、うん」
花ちゃんは言いにくそうにした。
「駄目だったの?」
「う、ううん」
「花は、両思いだったんだよ。籐也のほうも、花のこと思っててくれてたんだよね?」
菜摘が花ちゃんの代わりにそう答えた。
「よかったね」
蘭が笑って、花ちゃんを抱きしめた。
「あ、ありがとう」
「嬉しいな。花、すごく純粋で、籐也君のことちゃんと思ってたし、思いが通じ合って本当に良かった」
蘭、自分は今、つらい立場なのに。それなのに、花ちゃんのこと本気で喜んであげられるなんて。
蘭はすごく優しいんだ。そんな蘭が、なんで今、こんなに悲しまないとならないんだろう。今の彼だって、なんで浮気なんてしちゃったんだろう。
「蘭は…」
花ちゃんは、何か蘭に聞こうとして、途中でやめた。
「私は、駄目だったよ。私からふって、傷つけておいて、そんなにうまくいくわけないよね」
蘭は、無理して笑って見せて、それから、
「顔洗って来るね」
と席を立った。
花ちゃんは何も、蘭に言えなかった。私や菜摘も黙って蘭が、教室を出て行くのを見守っているだけだった。