第133話 胎動
学校に着くと、門の前には登校中の生徒がたくさんいた。そんな中私は車を降りた。
うわ。大注目を浴びてるよ…。
「じゃあね、桃子ちゃん」
聖君がウインドーをおろして、爽やかにそう言った。
「うん、ありがとう」
「榎本さんの旦那さんだ、かっこいい」
「うわ~~、めちゃくちゃ羨ましい」
そんな声が聞こえてくる。
聖君はそんな中に私を残し、車を出して行ってしまった。
「おはようございます」
何人かの後輩に声をかけられた。
「旦那さん、本当にかっこいいですね」
とか、
「車で送ってもらえるなんて、羨ましいです」
とか。でも、そんな中、
「いい気になってるよね」
って声も聞こえる。
もしや平原さん?と思って見てみたら、まったく違うクラスの子だった。
教室に行くと、すでに菜摘も蘭も花ちゃんもいた。
「あ、桃子、おはよう」
「おはよう」
「どうしたの?具合悪くて送ってもらったの?」
蘭が聞いてきた。
「ううん、私じゃなくって」
私は今朝の出来事を、みんなに話した。
「ええ?そんなことが兄貴あったんだ。そっか~」
「モテるのも大変なんだね」
菜摘と蘭がそう言った。その横で、花ちゃんは私の話を聞いていたんだか、いないんだか、ずっとため息をつき、うつろな顔をしている。
「花ちゃん、なんかあった?」
「ああ、花ちゃんは今、かなり落ち込んでるのよ」
菜摘がそう言った。
「なんで?」
「籐也君とね…」
ぼそって花ちゃんは言いかけたけど、また黙ってしまった。ありゃ、なんかまた、悩みまくってるのかな。
その横で、
「は~~~。私も、いったいどうしたらいいんだか」
と蘭までがうつろな目で、ため息をついた。
「え?」
「蘭ね、彼に別れようって言ったら、別れたくないって言われたらしいよ」
「へ?で、でも、浮気したのはあっちでしょ?」
「その子とも、すっかり縁切ったし、もう浮気もしないからって言われたって」
あれまあ。なんていうか、ずいぶん勝手というかなんというか。
「私が別れようって言い出すとは、思ってもみなかったみたい」
「なんで?」
「自信があったみたいなんだよね」
「なんの?」
「私のほうが、彼に惚れてて、浮気ぐらいしても大丈夫っていう、変な自信」
「何?それ」
「ね、ちょっとバカにしてるよね」
蘭がそう言うと、また深いため息をした。
「私は、基樹に会いたいのに」
「会っちゃえばいいじゃん」
「でもさ~。なんか、基樹にも悪いじゃない?ちゃんと別れてもいないのに会うの」
「浮気したやつなんかほっておいて、基樹に会っちゃいなよ」
菜摘がそう言った。私もうんうんって、横でうなづいた。
「基樹、会ってくれるかな?」
「もちろんでしょ」
「そうかな。なんか、ちょっと怖さもあって」
「ええ?蘭が?」
「私だって、ビビるときもあるの」
「そっか」
菜摘が、ちょっと考えこんだ。
「まあね、恋すると弱気になるよね」
ああ、自分のことを思い出してたのかな。
「菜摘ちゃんでも?弱気になるの?」
花ちゃんがいきなり、菜摘のほうを向いてそう聞いた。
「え?あるよ。何回もあるよ」
「そうなんだ~~。私だけじゃないんだね」
「当たり前じゃん」
「は~~~~~~」
花ちゃんのため息、めちゃ長い。こりゃ相当、落ち込んでるな。
「そういえば、昨日ライブだったんでしょ?」
花ちゃんが、金曜からそわそわしていたっけ。
「うん」
あ、もっと顔が暗くなった。
「どうしたの?何があったの?」
「なんかさ、女の子いっぱい来てたんだ」
「え?」
「この前もいたけど、友達がどんどん籐也君に話しかけたから、あまり周りの子は気にならなかったんだけど…」
「今回は気になっちゃったの?」
私が聞くと、こくんとうなづき、
「すごく馴れ馴れしくしてた子もいたの。またご飯食べに行こうよとか、今度籐也の好きな、なんとかってバンドのライブ行こうよとか」
「籐也はその子に、どんな反応するの?」
菜摘が聞いた。おいおい、呼び捨てなの?菜摘はどうも、籐也君に対していい印象がないみたいだもんな。
「籐也君、普通にその子と話してた」
「それで?」
「え?」
「それだけで落ち込んだの?」
蘭が聞いた。
「うん。やっぱり籐也君にとって、私は特別でもないし、他にも一緒に、ご飯食べたりする子いるんだなって思って」
「女と遊んでるような男なんだよ、だからもう、やめなって」
菜摘がそう言った。
「だよね。これからプロデビューするんでしょ?それじゃ大変そうだよね。まあ、ファン程度でとどまっていれば、そんなに傷つくこともないかもしれないけどさ」
蘭がそう言うと花ちゃんは黙り込んだ。
ああ、そんなこと聞いたら籐也君が、落ち込むよ。籐也君は花ちゃんのこと、本気なのにな…。
「そうだよね。私もそう思うんだ。だけど、もうすごく好きになっちゃってるみたいで、今からファンになろうとか、離れようとか、そういうのもつらいっていうか」
蘭も菜摘も黙り込んだ。
「おはよう」
そこに苗ちゃんがやってきた。
「あ、おはよう」
「あれ?なんかみんなで相談事?」
みんなのテンションが低いからか、苗ちゃんが聞いてきた。
「みんなね、恋のことで悩んでるんだよ」
菜摘がそう言うと、苗ちゃんは、
「え?いいな。羨ましい。私も悩んでみたい」
とそんな脳天気なことを言った。
「恋したら恋したで、苦しいものなんだよ」
蘭がそう言うと、
「だから、アイドル追いかけてるだけでいいって思っちゃってたのにな」
と、花ちゃんはぼそってそう言った。
「そうだよね、苦しいこともあるよね。でも、嬉しいこともいっぱいあるよ」
私がそう言うと、
「桃子はラブラブだからな。いいよね」
と蘭に言われた。
「っていうかさ、兄貴のほうが幸せ者じゃない?女嫌いなのに、大好きになれる子に出会えて、結婚までしちゃったんだから」
「え?」
「それも、その大好きな子から、ベタ惚れされてるの」
「…」
あ、顔がどんどんほてっていくよ。
「いいな、桃ちゃんは」
花ちゃんが、そう言ってまたため息をついた。いや、花ちゃんもすご~~く大事に思われてるんだけどな。
「ライブ終わってから、一緒に帰ったりしなかったの?」
私がそう聞くと、
「うん。女の子と話が長いし、先に帰っちゃった」
と、暗い表情のまま花ちゃんが言った。
「え?籐也君、送るよとか言ってくれなかったの?」
もう、籐也君ってば、ちょっとどこか抜けてるんだから。
「うん。だって、何も言わずに帰ったから」
「え?」
何も言わずに?
「なんか、待ってるのもつらかったし、話しかけずらかったし」
「電話とか、メールはあった?」
「あった。昨日の夜、10時過ぎにメールが来た」
「籐也君、なんて?」
「いつ帰ったの?って」
「それで、花ちゃんはなんて?」
「ちょっと待ってたんだけど、門限もあるし帰っちゃった。ごめんねってそんな嘘ついちゃった。うち、別に門限ないんだけどさ」
「籐也君から、返信来た?」
「うん。ライブ来てくれてありがとうって」
「そっか。でもほら、気にかけてくれてるってことじゃない?」
「うん。でも、やっぱりファンどまりなんだよね」
花ちゃんはまた、ため息をついた。
そうかな。今頃あっちはあっちで、ため息ついてると思うけどな。なんで何も言わずに先に帰ったんだろうとか思いながら。
「もう教室戻るよ、花」
「うん。じゃ、また帰りにね」
「学食行って、話の続きしよう」
「うん」
2人は、教室に戻って行った。
「菜摘は葉君とどう?」
「今は、なんか幸せ」
「幸せなんだ」
「うん。デートも週末にできるし、それに…」
あ、ほほを染めたぞ。
「葉君、優しいし、かわいいし」
「あ、そう」
あはは。いきなりのろけられちゃった。
「いいな~~」
苗ちゃんはまたそう言って、羨ましそうな顔をしたまま席に戻って行った。
冨樫さんや平原さんが、苗ちゃんに何かを言ってくることもなくなり、苗ちゃんは今、平和なようだ。恋を羨ましがるほどの、余裕もできてきたんだね。よかったな。
小百合ちゃんは病院で、寂しがってないかな。あ、でも旦那さんがちょくちょく顔を出しに行ってるかな?
だけど、水曜に検診に聖君と行く予定だし、お見舞いにも行ってこようかな。
検診か。凪の心臓の音とか、エコーで写真とか見れるんだね。楽しみだな。私はそっとお腹に手を当てた。
ぐにょ。
え?動いた?なんか、お腹の奥で何かが動いた気がする。もしや、凪?やっぱりこれって、胎動?
私がお腹を押さえ、下を向いていたからか、竹内先生が、
「榎本さん、具合悪いんですか?」
と聞いてきた。
「え?はい。大丈夫です。今ちょっと、ぐにょってしただけで」
私はつい、そんなことを言ってしまった。
「え?赤ちゃんが動いたんですか?」
竹内先生はびっくりして聞いてきた。
「あ、まだですよね?胎動なんてまだですよね?」
私はおどおどしながら、先生に聞いた。クラスの子はみんな、私を見ている。
「4か月でしたっけ?でももうすぐ5か月ですよね?」
「はい」
「では、もう胎動があってもおかしくないかもしれないですよ」
そうなんだ!
「赤ちゃんが動いたのがわかるの?」
隣の子が聞いてきた。
「わ、すごい。桃子、どんな感じなの?」
菜摘も聞いてきた。
「え、なんかぐにょっていうか、腸が動いてるのと近いけど」
「へ~~~~」
みんながいっせいに、声を上げた。
「外からお腹触ってわかる?」
苗ちゃんが聞いてきた。
「それはわからないと思う」
「そうですね。外から触って動いたのがわかるようになるのは、もっとお腹が大きくなってからですよ。大きくなると、足の形まで見えるんですよ?」
先生がそう言った。あれ?先生知ってるの?
「私の甥っ子はとても元気で、よく姉が蹴られて痛いって言ってました」
ああ、お姉さんのことか。
「赤ちゃん、元気に育ってるんだね」
菜摘がそう言うと、みんながまた私をいっせいに見た。ああ、みんな優しい目で私を見てくれてる。それは冨樫さんや、平原さんも同じ目だった。
「体に気を付けて、元気な赤ちゃんを産んでくださいね、榎本さん」
「はい」
「みんなも気をつけてあげましょうね」
竹内先生はそう言った後、ちらりと平原さんを見た。でも、平原さんは優しい目で私を見ていたからか、ほっとした顔をした。
私はその日、何度もお腹に手を当てた。何回か、お腹の中で凪が動いてるのが分かった。
すごい!聖君に早く教えてあげたい。
凪、元気なんだね。ああ、このお腹の中で、どんどん成長してるんだ。
そんな感動でいっぱいになりながら、その日はほとんど授業の内容も頭に入らないまま、時間は過ぎていった。