第132話 ナイト
聖君は朝ご飯を済ませると、
「さっき、庭にしっぽがいたから遊んでくる」
とうきうきしながら、庭に出て行った。それから、しばらくするとひまわりがいつものごとく、バタバタと駆け下りて、朝ご飯を流し込んだ。
「あれ?お兄ちゃんは?」
「庭でしっぽとじゃれてると思う」
「そっか」
ひまわりは出かける前に、和室から庭をのぞいた。
「いないよ」
「え?そう?」
「あ、いた。駐車場のほうにいる。あ!!!」
突然ひまわりが雄たけびを上げた。
「隣の女がお兄ちゃんを狙ってる!」
「こら。隣の女じゃなくて、園子ちゃんって呼びなさいよ」
母がひまわりに注意しながらも、聖君が気になったようで、いそいそと和室の窓の外を見に行った。
私も、慌ててひまわりの横にすっとんでいった。
「あら、本当だ。なんか親しげに話しかけてるわね」
母が、鼻をひくひくさせながらそう言った。ひまわりは、
「なんなの、あれ~~~。ちょっとひっつきすぎじゃない?」
と眉をしかめてみている。
うちの駐車場は、園子さんの家とはまったくの反対方向にある。にもかかわらず、我が家の駐車場の前にいるとは、もしかして聖君が出てくるのを待っていたんだろうか。
「ちょっと、時間大丈夫?」
母がひまわりに聞いた。
「あ、やばい。もう行く」
ひまわりはカバンを持つと、勢いよく玄関を出て行った。
「わ、私ちょっと、聖君のところに行ってこようかな」
「そうね」
私は、庭に出てから駐車場のほうに行った。
「ダイビング、いいわね~。私も興味あるの。いろいろと聞かせてくれない?」
園子さんのやけに、甘ったるい声がする。
「あ~~、でも俺、初心者ですから」
聖君はしっぽをだっこしたまま、そう答えた。声はやけに抑揚がなく、お店での爽やかな聖君とは違っている。もしかして今、すごく困ってる?
「あ…」
え?!
園子さんが、何をどうしてだかわからないような、よろめき方をして、聖君に抱きついた。
「!!!!!」
「ごめん、サンダルが」
と言って、まだ抱きついている。
聖君はというと、姿勢をそのままにしたまま、フリーズしている。
「うにゃ」
しっぽが聖君の腕から逃げた。すると、それをいいことにますます園子さんは、聖君の胸に顔を近づけた。
やめて!とここで出て行こうか、それとも聖君と呼んでみようか。それとも、ああ、私も頭が今、真っ白。
それに聖君、なんでさっさとどかないの?突き放さないでいるの?
「ちょっと!お兄ちゃんに抱きつかないでよ」
ひまわりが血相を変えてやってきて、園子さんを聖君からべりってはがした。
「お姉ちゃん!何してるの!そんなところでぼ~~っとしてないで」
ひまわりは私がいることに、気が付いていたようだ。
「あら…」
園子さんは、舌をペロッとだし、
「いたの?」
と私のほうを見て聞くと、
「それじゃ、またね、聖君」
と自分の家へと帰って行った。
「あの女、油断も隙もない」
ひまわりは顔を真っ赤にさせそう言うと、
「うわ。遅れる!」
と思い切りすごい速さで、走っていってしまった。
「…」
聖君はなぜか、さっきと同じ体勢でいる。
「聖君?」
「も、桃子ちゃん」
聖君がちょっと顔を引きつらせ、それから、
「桃子ちゃん」
とまた私を呼び、私にいきなり抱きついてきた。
「え?」
ちょ、こ、こんなところでいきなり抱きつかれても!
「怖かった」
「へ?」
「俺、女の人、駄目だ」
「…」
もしかして、怖くて固まってた?
聖君の手をひいて、家に入った。家に入っても、聖君はまだ暗い表情でいる。
「私、そろそろ着替えないと。2階に行くね?」
と言って2階にあがると、聖君もとぼとぼと後ろからくっついてきた。
私が部屋に入り着替えだすと、聖君は後ろから抱きついてきて、は~~って長い息を吐いた。
「大丈夫?」
「駄目かも」
そんなにショッキングなことだった?っていうか、私もかなりあれは、ショックだったんだけど。聖君、なんで抱きつかせたままにしてたの?とか、怒りたかったんだけど。でも、いきなり青い顔をして、怖かったって言われたら、何も言えなくなっちゃった。
私は聖君のほうを向いて、ぎゅって抱きしめた。
「桃子ちゃん~~~」
あ、甘えモード全開だ。
「なんかトラウマ。思い出した」
「え?」
「女の人、こえ~~よ」
いったい何を思い出したの?そんなに怖い体験しちゃったの?
「どんな記憶がよみがえってきたの?」
聖君はまだ私をぎゅって抱きしめたまま、しばらく黙っていた。
「中学の卒業式」
しばらくしてぽつりとそう言うと、
「あ~~、すげえ嫌な記憶だ」
と言って、私の髪にキスをして、
「もっとぎゅってしてくれる?」
と聞いてきた。
「え?うん」
ぎゅ~~。もっと力を込めて、ぎゅって抱きついた。
「あ、やっとこ安心できた」
そんなにいやな記憶?
聖君は落ち着いたのか、私から離れ、ベッドに座った。私は、さささっと着替えを済ませ、私も聖君の横に座った。
「桃子ちゅわん」
「うん?」
聖君がキスをしてきた。私はそっと、聖君の髪をなでた。
「あのさ」
キスが終わると、私のことをそっと引き寄せ、聖君が話し出した。
「俺、中学卒業の時、制服のボタンくださいって、後輩から言われて」
「うん」
「1番下のボタンあげたんだ」
「中学って学ラン?」
「うん、そう。そうしたら、私にもちょうだいって、今度は同じ学年の子から言われて、また一個あげたら、次から次に来て、っていうか、何人もいきなりきて、俺もみくちゃにされた」
げ!もみくちゃ?!
「ボタン、思い切り引っ張られて、取られていった。それだけじゃなくって、抱きつかれたり、勝手に握手してく子もいたし」
「…」
あ、思い出した。高校の卒業式終わってから、お店に行ったら、聖君のお母さんが中学の時は、大変だったものねって言ってたっけ。
「で、どうにかその団体がいなくなって、俺、フラフラになりながら帰ろうとしたら、先輩たちが数人いてさ」
「先輩?」
「うん。中学の先輩」
卒業式にわざわざ来たのか。
「ボタン全部取られたの?なんだ~~ってがっかりされて、じゃ、せめてって勝手に隣に並んで写真撮られて」
「う、うん」
「腕とか組まれるし、抱きつく人もいた」
「…」
「すげ、あんときも怖かった。逃げることもできなかった」
「じゃ、高校の卒業式も怖かったでしょ?あ、一回抱きつかれてたよね?」
「ああ、怖かったよ。でも、菜摘が助けてくれて、桃子ちゃんが抱きついてきたじゃん」
「菜摘に押されて…」
「あれで救われた」
「そうだったんだ。なんだ、言ってくれたら、もっと全力で守ったのに?」
「へ?」
「ずっと誰も近寄らないように、守ったよ」
「あ、あはは」
聖君は力なく笑った。いや、多分、笑う気力もあまりなかったんだろう。
「お姫様守る、王子様みたいだね、桃子ちゃん」
「うん!聖君のためならナイトにもなるよ、私」
「桃子ちゃん~~~」
聖君はまた、私に抱きついてきた。
「時間、やばいね。でも、お願い。もう少しこうしてて」
「うん」
「遅刻しそうなら車で送ってくね」
「うん」
「桃子ちゅわん」
聖君はまた、キスをしてきた。そしてまた、私に抱きつく。
そうか。そんなことがあったのか。そりゃ、女性恐怖症にもなるよね。それも、もしかして思い出したくなくて、封印していた記憶なのかもしれないな。
「聖君」
「ん?」
「今までごめんね」
「え?」
「そういうこと、気づかなかった」
「そういうことって?」
「聖君のトラウマ」
「ああ、そりゃしょうがないよ。俺だって、忘れてたっていうか、記憶隠してたっていうか」
「だけど、さっきも、抱きつかれたままになっていたから、ちょっと頭にきちゃってて」
「う、ごめんね?桃子ちゃん専用の胸なのに」
「あれ?じゃ、麦さんの時は」
大丈夫だったのかな。
「ああ、桃子ちゃんに対する罪悪感かと思ってたけど、もしかするとそれだけじゃなかったかも」
「え?」
「あんとき、やたら胸が苦しかったんだ。罪悪感もあったと思うけど、もしかすると、トラウマだったかな」
「今日も苦しくなった?」
「うん。動けなかった」
だよね。かちかちにフリーズしてたもんね。
「は~~~~~」
聖君はまだ、私に抱きついている。
「癒される」
聖君はぽつりとそう言った。
「そんなに私だと、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫なの」
「そうなんだ」
「うん。逆にこうやって、抱きしめててほしい」
「いいよ、落ち着くまで抱きしめてるよ」
「桃子ちゅわん…」
モテモテなのもほんと、大変なんだな。聖君が高校で、クールになっちゃったのって、やっぱりその辺が原因なのかもしれないな。
本当は優しい。聖君のおばあさんも言ってた。でも、女の人が苦手になって、壁作って、近寄らせないようにしてたのかもしれないな。
そうだよね、そんな経験したら、近寄りたくもないし、近寄らせたくもないか。あれ?じゃ、お店で女の人と接するのも、やっぱり相当苦だったんじゃないの?
だから、キッチンに回りたいって言ってきたのか。ああ、どんどん聖君の知らなかった部分が見えてきた。これ、多分、聖君本人もわかってなかったことなんだ。
「桃子ちゃん、もう一回キスしていい?」
「うん」
聖君はキスをすると、胸も触ってきた。
「ひ、聖君、胸は…」
「だって、癒されるから」
そう言われたら、駄目って言えなくなっちゃうよ。
「あ~~あ。もうこんな時間か。車、出すね」
「うん」
聖君は車のキーを持って、一階に下りて行った。私は菜摘に、車で送ってもらうとメールした。
>具合悪いの?
すぐに返信が来た。
>私は大丈夫。でも、遅くなっちゃったから。
>わかった。もうすぐ駅に着くから、先に電車で行ってるね。
>ごめんね。
そう。私は大丈夫なんだけど、聖君がね。
大丈夫かな、今日、バイト。
大丈夫だよね、お母さんだっているんだし。
車に乗ると、聖君はシートベルトをしてくれて、そっと優しくキスをした。
「大丈夫?もう」
私が聞くと、聖君はにこって微笑んだ。
「大丈夫。十分癒されたよ」
ああ、かわいい笑顔だな。
聖君は車を発進させた。
「聖君」
「ん?」
「もし、何か嫌なこととか、辛いこととかあったら、何でも言ってね?」
「うん」
「抱きついてきてもいいし、甘えていいからね?」
「くす」
あれ?笑われた?
「もうしてるよ、俺」
あ、そっか。
「桃子ちゃん、愛してるよ」
「うん、私も愛してるよ」
聖君は一回手をつなぎ、それから手を離すと、まっすぐ前を向いて穏やかな顔で運転した。
「聖君」
「ん?」
「今日もかっこいいね」
「あはは!いきなりなんだよ」
「だって、かっこいいんだもん」
「サンキュ。そんな桃子ちゃんは、今日もめちゃかわいいよ?」
「…」
て、照れる。
学校までの短い時間、車の中は聖君の優しくてあったかいオーラで包まれていた。
「桃子ちゃんの隣ってさ」
「え?」
「すげ、あったかい」
それ、聖君だよって思ったけど、もしかすると、私と同じ空気を感じているのかな。
じゃあ、このあったかい優しい空気は、2人で同時に作ってるものなんだ。
「この空間、気持ちいいよね」
「え?」
「やさしくて、あったかい」
「うん」
聖君の顔は本当に穏やかになっていた。ああ、よかった。さっき、ほんと、真っ青だったもん。日焼けして真っ黒になったのにもかかわらず、青くなってたのがわかったもん。
聖君、本当に本当、私はいつでもナイトになるからね。聖君を守っていくから。
いくらでもあったかくなれるし、優しくもなれる。聖君のためだったら。そんなことを感じていた。