第120話 お人よし
保健室に行くと、ベッドに平原さんが青い顔をして座っていた。
「先生は、蘭ちゃんたちが探しに行ってるから」
花ちゃんがそう、平原さんに言った。
「真っ青だよ。大丈夫?横になっていたほうがいいよ」
私がそう言って、平原さんに近づくと、
「なんであなたまで来たの?」
と聞いてきた。
「だって、心配で」
「私が?」
「いいから、横になって」
私がそう言うと、平原さんはベッドに横になり、布団をかけた。そして、ふうって息を吐いた。
「気持ち悪いの?」
「お腹が痛いだけ。生理痛だから心配しないで」
「薬は?」
「薬、今日持ってない」
そう言うと、平原さんは顔をしかめた。きっと相当痛いんだろうな。私も、時々だけど生理痛あったし。
「休んでたら治るから。ほっといていいよ」
「お母さんに迎えに来てもらったら?」
「…今日、仕事」
そう言ってまた、顔をしかめ、お腹を押さえた。痛そうだな。早く先生来ないかな。そうしたら、薬もらえるのに。
ブルル…。携帯が鳴り、見ると聖君からだった。
「もしもし」
「桃子ちゃん?学校にもうすぐ着くよ」
「聖君、車で送ってほしい人がいるの」
「え?」
「具合が悪くなった人がいて、お母さん仕事でいないんだって」
私がそう言うと、平原さんが、
「そんなことしないでもいいから」
と、慌てて私に言った。
「でも、一人で帰るの大変でしょ?」
「タクシー呼ぶ」
「タクシーのほうが、気を使うでしょ?」
私は平原さんにそう言って、
「聖君、うちに帰る前に、送っていってくれる?」
とまた、聖君にそう聞いた。
「いいよ。車、駐車場に入れるから、そうしたら、迎えに行くよ。どこにいるの?保健室?」
「うん。駐車場に入れてもいいの?」
「校長先生から言われてるんだ。桃子ちゃんに何かあったら、駐車場に停めてもいいって。他の生徒でも、体調が悪くて迎えに行く場合は、駐車場使ってもいいんだってさ」
「知らなかった」
「もうすぐに着けるから、待ってて」
「うん」
聖君は電話を切った。
「桃子、先生連れてきたよ」
ちょうどその時、菜摘と蘭が保健室に入ってきた。
「平原さん、生理痛?」
養護の先生が入ってくるなり聞いてきた。
「薬は?」
「持ってないんです。今日なるとは思ってもいなかったから」
「そう。じゃあ、同じ薬があるから、今出してくるわね」
先生はそう言うと、戸棚を開けた。
「もしかして、いつも生理痛になって、保健室きてた?」
私が聞くと、平原さんはうなづいた。
「やっぱり生理痛だったんだ」
菜摘が言った。
「先生見つけて、平原さんの具合が悪いみたいって言ったら、きっと生理痛よって言うから」
「生理痛はつらいよね。私もけっこうひどいんだ。いつも薬飲んでるよ」
蘭が言った。
「はい、薬と水」
先生に薬を渡され、平原さんがそれを飲んだ。
「しばらく保健室で休んでる?お母さん、今日はお仕事かな?」
「はい、仕事なんです」
先生の質問に、平原さんが答えた。
「そっか。PTAの集まりで来てたなら、お母さんと帰れたのにね」
「はい」
ああ、そういえば、平原さんのお母さん、役員やってるって苗ちゃんが言ってたな。
「一人で大丈夫?」
「あ、私送っていきます」
私がそう言うと、先生が驚いた顔で、
「でも、榎本さん、あなただって、おととい貧血おこしたばかり」
と言ってきた。
「今日、聖君、じゃなくって、お、お、夫が、車で来るから、車で送っていけます」
夫って言ってみて、めちゃくちゃ恥ずかしくなり、顔が一気にほてった。でも、そんなことは誰も、気にしていなかった。
「それは、よかったわね。車は?もうすぐ来るの?」
「はい」
「平原さん、じゃあ、それまで、ここで休んでいなさいね」
先生に言われ、平原さんは黙ってうなづいた。
「富樫さんは一緒じゃないの?」
菜摘が聞いた。
「うん。今日は、ホームルーム終わると、さっさと帰って行ったから」
「なんだ。友達が具合悪いっていうのに」
「その時はこれほど痛くなっていなかったし、大丈夫って言って帰らせたの。あの子、今日、お母さんと出かける約束してたし」
「お母さんと?」
私が聞くと、平原さんはうなづいた。
「あの子のお母さん看護師してて、いつも忙しいんだけど、今日はオフだから、一緒に買い物行けるって張り切ってたんだ」
そうか。それで、平原さんも富樫さんのこと、引き留められなかったんだな。
「は~~。ちょっと薬で楽になってきた」
「ほんと?よかった。あ、顔色もちょっとよくなったね」
私がそう言うと、平原さんは、私をちらっと見てから、そっぽを向いた。
トントン。保健室のドアをノックする音がした。
「はい」
先生がドアを開けに行くと、聖君が立っていた。
「あ、榎本です。あの…」
「聖君」
私がドアのところまで行くと、聖君は私を見て、
「友達は?大丈夫なの?」
と聞いてきた。
「うん。今、薬飲んで、ちょっと落ち着いたみたい」
「そっか」
「榎本さんの旦那さんですよね?どうぞ」
先生がそう言うと、聖君はお邪魔しますと言って、保健室に入ってきた。
「兄貴の車で送っていくの?」
「うん」
「桃子、お人よしだな~」
蘭がそう言うと、聖君は不思議そうな顔で、私と蘭を見た。それから、ベッドに寝ている平原さんに近づき、
「もう少しここで、休んでから帰る?」
と聞いていた。
「え?は、はい」
いきなり聖君に声をかけられ、平原さんは驚きながらそう答えた。
「じゃ、俺と桃子ちゃん、ここで待ってるから。動けそうになったら、声をかけてね」
聖君は優しくそう言うと、ベッドから離れ、蘭や菜摘のほうにやってきた。
「蘭ちゃんと菜摘も、車で送ろうか。あ、花ちゃんもだね。6人は乗れないかな」
「私たちは電車で帰るから大丈夫。えっと、こんなに人がいてもかえってうるさいし、蘭、帰ろうか?」
菜摘はそう言った。
「桃子のカバン、持ってこないとね」
蘭がそう言って、菜摘と保健室を出て行った。
花ちゃんのカバンは、保健室に置いてあり、花ちゃんは保健室に残った。
「ああ、びっくりした。真っ青な顔でトイレにいるんだもん。でも、よかった。たいしたことなくって」
花ちゃんがそう言って、ほってため息をついた。
「だから、なんでもないって言ったのに」
平原さんがぽつりと、小声でそう言った。
「そんな~。あんな真っ青な顔していたら、置いてなんていけないよ~~」
花ちゃんはそう言った。うん、そうだよね。もしそれが私でも、花ちゃんと同じ行動をとるかな。
「でも、私のことなんて」
平原さんはそう言った。
「だけど、平原さんも私のために先生呼んでくれたよね?」
私がそう言うと、隣で聖君がえって驚いていた。
「あ、あれは、だって…」
平原さんは何かを言いかけ、口ごもった。
「平原さん?」
聖君は、目を丸くして平原さんの名前を口にした。
「はい?」
平原さんは、怪訝そうな顔をして聖君を見た。
「あ、そうなんだ。平原さんなんだ」
聖君はまだ、驚いた表情をしている。あ、そっか。私、平原さんの名前まで、電話で言ってなかったっけ。
「そっか~~。桃子ちゃんが具合が悪くなったとき、先生を呼んでくれたんだ」
聖君はそうぼそってつぶやいた。あ、そこ、ちゃんと聖君、今聞いてたんだ。
「でも、あれは私が…」
「ありがとう」
聖君がお礼を言った。
「え?」
平原さんは思い切り、驚いていた。
「あの、何があったかは、聞いてないんですか?そもそも、私たちが原因で、榎本さんは…」
「ああ、なんかそんなようなことは聞いたけど。でも、桃子ちゃんが貧血おこしたとき、ほったらかしにはしなかったんでしょ?」
「そ、そりゃ」
「ありがと。で、今度は花ちゃんがほっておけなかったんだ。それに、桃子ちゃんも」
「え?」
私が聖君の言った言葉を聞き返すと、
「ほっておけないから、俺に車で送ってって言ってきたんでしょ?」
と聖君が私に聞いてきた。
「うん」
「はは。そっか。うん。ちゃんと送っていくよ。安心して、平原さん」
聖君はにっこりと微笑み、そう平原さんに言った。
平原さんは、顔をしかめた。それから、鼻を真っ赤にさせ、目を潤ませ、そのままくるりと、後ろを向いてしまった。
もしかして、泣いてる?
「カバン、持ってきたよ、桃子」
菜摘と蘭が保健室に入ってきた。
「あ、ありがとう」
「じゃ、私たちは帰るね。花、花も帰ろう」
「うん」
「名前、知らないんだけど、えっと、花…ちゃん?」
平原さんが、こっちを向いて、花ちゃんに話しかけた。
「え?」
「あ、ありがとう」
顔を赤くして、平原さんがそう言った。
「ううん。じゃあ、気をつけて帰ってね」
花ちゃんはそう言うと、菜摘と蘭と保健室を出て行った。
「どう?だいぶお腹の痛みはとれた?」
養護の先生が平原さんに聞いた。
「はい」
「じゃ、もう帰れるかな?」
聖君が平原さんにそう聞いた。
「あ、はい」
平原さんはそう言うと、ベッドから起き上がった。
「カバン、これ?俺が持っていくよ」
ベッドの横の椅子に置いてあったカバンを、聖君が持った。
「すみません」
平原さんは、小声でそう言った。
「じゃあ、気をつけてね。榎本さん、よろしくね」
養護の先生にそう言われ、聖君ははいってうなづいた。
駐車場まで聖君はゆっくりと歩いた。私は平原さんに寄り添いながら、歩いた。平原さんは、まだ痛むのか、お腹を時々押さえていた。
車の後部座席に、私と平原さんが乗り込むと、
「家、どのへん?住所言ってくれたら、ナビにいれちゃうけど」
と聖君が平原さんに聞いた。
「あ、家は…」
平原さんが住所を言うと、聖君がナビに入力して、車を発進させた。
平原さんはさっきから、ずっと黙って窓の外を見ている。
「具合は大丈夫?」
ちょっと気になりそう聞くと、
「うん」
とだけ、平原さんは答えた。でも、まだ顔は窓の外のほうに向けたままだ。
「家に帰っても、もしかして一人?」
聖君が、バックミラー越しに平原さんを見ながら聞いた。
「はい」
平原さんは前を向いて、うなづいた。
「一人で心細くない?」
「さっさと自分の部屋行って、寝ちゃうから大丈夫です。それに、もし母が家にいたとしても、話もしないし、一人でいるほうがかえって楽ちんだし」
「そうなの?お母さんと会話ないの?」
ちょっと聖君が驚くと、
「そんなに驚くことじゃないですよ。親と会話しないなんて、ありがちなことでしょ?」
と平原さんは、そう言いかえした。
「え?そうなの?俺の周りには、そういう子あまりいないから。ああ、そっか。いなくもなかったか」
え?誰かな?
「榎本さんだって、会話しない時期もあったでしょ?親がうっとおしい時期。うちは、中学の頃、口うるさく言われて、さすがに嫌気がさして、今は表面だけ、はいはいって言っておいて、聞き流すようにしてるんです」
「そうなんだ。そっか~」
「なかったんですか?そういう親がやたらと、うっとおしい時期」
「俺?う~~ん、俺、親とは、特に父親とは友達みたいに仲いいからさ。男友達から異常だよって言われるくらいに」
「ああ、2学期始まった時の演説で、そんなようなこと言ってましたっけ」
そう言うと、平原さんはまた、窓の外に目をやった。
「桃子ちゃんもお母さんと仲いいよね」
「え?うん。わりとなんでも話すほうかな」
「ふうん」
平原さんは、まったく興味ないって感じで相槌を打った。
「平原さん、兄弟は?」
「いません」
「そうなんだ。じゃ、家でいつも一人になっちゃうね」
「そっちのほうが気が楽なんです」
「…そんなもんか~」
聖君はそう言うと、しばらく黙って運転をしていた。
「あ、この辺だよね?家」
聖君がカーナビを見ながら、平原さんに聞いた。
「はい。次の信号左に曲がって、ちょっと行ったところです」
「OK」
聖君は左折をして、ゆっくりと車を走らせた。
「あ、ここでいいです」
平原さんにそう言われ、聖君は車を止めた。
「送ってくれてありがとうございます」
「玄関まで行こうか?」
私が聞くと、
「もう、お腹痛いのもおさまったし大丈夫」
と、平原さんはさっさと車を降りた。
「じゃ、気をつけて、お大事に」
聖君がウインドーを下げ、そう言った。
「はい」
平原さんは、こっちを見てちょっとうなづき、家の門を開け入っていった。
「大丈夫かな」
私は気になり、しばらく平原さんのことを見ていた。
「大丈夫そうだね」
平原さんが玄関を開け、家の中に入っていったのを確認してから、聖君はそう言った。
「桃子ちゃん、助手席来る?」
「うん」
私は後部座席から、助手席に移動した。
「さ、帰ろうか」
「ごめんね、聖君、迎えに来てもらっただけじゃなく、こんなお願いまでしちゃって」
「え?」
聖君は、私をじっと見て、くすって笑った。
「どうしたの?」
「だって、桃子ちゃん、謝るんだもん。自分のためじゃなく、人のためのことなのにさ」
「あ、変だった?」
「まったく、桃子ちゃんは、蘭ちゃんじゃないけど、お人よしだね」
「そうかな」
「平原さんって、苗ちゃんのこといじめちゃってたんじゃないの?桃子ちゃんのことも、嫌ってたとか言ってなかった?」
「う、そうなんだ。嫌いな子に送ってもらうなんて、やっぱり嫌だったよね。私おせっかいだったかな」
「どうかな」
「でも、ずっと窓の外見てたし、嫌がってたんだよね?」
「わからないよ、そんなの。嫌がってたのか、照れてたのか、ただ単に具合が悪かったのかもしれないしさ」
「そっか」
聖君は私のシートベルトを締めてから、車を発進させた。
「桃子ちゃん、ちょっと寄ってもいい?」
「え?どこに?」
「家の近所のスーパー。そのくらい制服でも怒られないよね」
「なんでスーパーに寄るの?」
「お母さん、今日出張エステなんだって。だから、夜遅くなるって言うから、俺が作っておきますって言っちゃったんだよね」
「え?夕飯を?」
「うん。で、その材料買いたいんだけど」
「わ、私が作る!!」
「え?」
「私だって、たまには料理くらいしないと」
「じゃ、2人で作る?」
「うん!」
わあ。一緒にスーパーに行って買い物をして、2人で夕飯を作るなんて!
「なんか、夫婦みたい」
私がうっとりしながら、そう言うと、
「夫婦じゃんか。何言ってんの」
と、言われてしまった。
「あ、言い間違えたの!やっとこ、夫婦らしいことできるって、そう言いたかったの」
「ええっ?もう、一緒の部屋で暮らしてて、毎日のように抱き合ってもいるのに、今頃になって、夫婦らしくなったなんて、思ったの?」
「そ、それは、その…」
「くす。うそうそ。俺も、2人で買い物にして、夕飯作れるなんて、今、かなりわくわくしてるよ」
聖君はにこにこしながらそう言って、私の手を握った。
「そうだよね。わくわくしちゃうよね。何にする?中華?洋食?和食?イタリアン?」
私が聖君に聞くと、聖君は嬉しそうに、
「えっと、何にしようか。そうだな~」
と考え出した。
そしてスーパーの駐車場に車を停めると、買い物かごをカートに乗せ、スーパーに入った。
ああ、これだよ、これ。私の中でイメージしてた夫婦像。できたら、私は制服じゃないほうが、もっと夫婦らしかったかもしれないけど。
さあ、これから、わくわくの買い物が始まっちゃうんだ~~。なんだか、顔がにやけちゃう。