第119話 怒ってる?
次の日の朝、駅までまた聖君と歩いた。家を出たところでばったりと、近所の人たちがゴミだしに出たあとの井戸端会議に出くわしてしまった。3人で集まって話に花を咲かせていたようだが、私と聖君を見て目を丸くし、そのあと慌てて、お辞儀をされた。
私と聖君も、ぺこりとお辞儀をした。私たちが去ってから、また、話に花が咲いたようで、それも私たちに丸聞こえだった。
「見た?椎野さんの娘さんでしょ」
「あれが噂のイケメンの旦那さん?ほんと、かっこいいわね。驚いちゃった」
「椎野さんが自慢するわけだわ。あんなにかっこよかったら、反対なんかしないわよね」
もしかして母は、あれこれ、いろんなところで聖君の自慢話をしてるんじゃないでしょうね。
「あんなにかっこよかったら、逆に心配で私だったら娘をやれないわよ」
「それが、桃子ちゃん一筋の旦那さんなんだって。ああやって、毎朝駅まで見送りにいっちゃうくらいの!」
「へ~~~~」
ま、丸聞こえだってば。
「すげえな」
聖君は隣で、驚いている。
「井戸端会議?けっこうよくやってるんだよね」
「そうなんだ。ああやって、近所のうわさは広がっていくんだね」
「うちのお母さんも好きだよ」
「え?まじで?」
「うん。ただ、悪口は言わないんだ。その辺は徹底してるって言ってた」
「さすが。だから、桃子ちゃんのお母さん好きだよ」
「好きなの?」
「うん」
私は聖君と手をつないでいた。駅まで向かう人たちはもう、私たちのことを見なくなった。だいたいが、同じ人たちだし、もう、めずらしくなくなったのかな。
「今日も暑いね。夜はだいぶ涼しくなったけど」
「うん」
「でも、夜は桃子ちゃんと寝てるから、全然寒くないけどさ」
「じゃ、今年の冬はあったかいんだ」
「え?」
「私、冷え性なの。足とかけっこう冷たくなっちゃう」
「俺の足であっためてあげるね」
「うん!」
思わず嬉しくなって、聖君の腕にしがみついたその横を、女子高生が通って行った。
「あ、あのかっこいい人だ」
「やっぱり、彼女~~?」
あ、この二人、前にもいたな~。
「おはよう!」
菜摘が元気に走ってやってきた。
「よ!朝からテンション高いね」
「兄貴たちは、朝からいちゃついてるね」
「…いいじゃんか。新婚なんだから」
「いいけどさ~。それよりもう桃子、大丈夫なの?」
「うん。すっかりよくなったよ」
「昨日は小百合ちゃんも休みだったし、寂しかったよ」
「そうだったの?」
「つわり、かなり大変みたい。しばらく休むんじゃないかな」
「そうなんだ」
聖君が、そうつぶやいた。
「苗ちゃんは?」
気になり聞いてみると、
「昨日は、あの二人がおとなしかったし、苗は私と一緒にいたんだけど」
菜摘は言葉を濁した。
「どうかしたの?何かあった?」
「桃子にすごく、悪いことをしたって、苗、かなり、落ち込んでたんだよね」
「桃子ちゃんに何をしたの?」
聖君がその話を聞いて、菜摘に聞いた。
「苗ちゃんは何もしてないよ」
私が答えた。
「じゃ、なんでそんなに落ち込んじゃうの?」
聖君が私に聞いてきた。
「それは、私がきっと具合悪くなったから」
「貧血?そんなの苗ちゃんのせいなわけないんだし、落ち込む必要なんか」
「兄貴に何も話してないんだ、桃子」
菜摘に言われてしまった。
「え?」
聖君の顔がいきなり変わった。目がちょっと怖い。
「だって、そんな話すようなことじゃ…」
「桃子、私は兄貴からも注意してほしかったよ。桃子がこれ以上、無茶しないように」
「…」
ひえ。聖君の無言の目が怖い。
「でも、私ももっと注意しないといけなかったんだよね。ごめん、兄貴。桃子を守るとか言っておきながら、それができなくって」
「ま、待って、菜摘。話がまったく見えない。守れなかったって?桃子ちゃんが具合が悪くなった原因って、何かあるの?」
「話したいんだけど、もう電車がきちゃう。後で詳しくメールするよ、兄貴」
「桃子ちゃん」
聖君が、真剣な目で私を見て、
「桃子ちゃんからも、メールちょうだいね」
と言ってきた。
「はい」
思わず私も真剣に、そう返事をした。聖君、怖い。かなり、怖い。声低いし、怒ってるかもしれない。
ものすごく、憂鬱になりながら、私は電車に乗った。
「ばらして悪かったかな」
菜摘が聞いてきた。う、何も答えられない。実は内緒にしておきたかった。
「でもさ、兄貴だって、気になることだと思うよ。やっぱり桃子が具合悪くなったのって、平原さんたちのせいだと思うし」
「私が無茶したからだよね」
「うん。妊娠中なんだから、なるべくトラブルには巻き込まれないようにしないと」
「うん」
「苗のことはさ、もう私が引き受けるから、桃子はお腹の子のことだけ、考えてよ」
「う、うん」
「それは兄貴も同意見だと思うよ?」
「だよね」
「うん」
私が今、一番大事にしないとならないのは、凪なんだよね。お腹に手を当てた。ごめんね、こんな母親で。もっと、ちゃんとしなくっちゃね。
学校に着くと、蘭と花ちゃんがやってきて、
「大丈夫?桃子~~」
「桃ちゃん、もう学校に来ても平気なの?」
といっぺんに聞いてきた。
「うん、ごめんね、心配かけて」
「それはいいけど。原因はあの例の2人だって聞いて」
蘭がそう話をしだしたところへ、苗ちゃんが教室に入ってきた。
「あ!」
私を見ると、苗ちゃんは私のもとに走り寄ってきて、
「桃子ちゃん、ごめんね」
といきなり謝ってきた。
「苗ちゃんのせいじゃないから、そんな謝らなくっても」
私がそう言うと、蘭や菜摘も、
「そうだよ。悪いのはあの二人なんだから」
と口をそろえて言った。
「で、でも。私、守ってあげられなかった。逆に守ってもらっちゃって」
「じゃ、これからは守るようにしよう。ね?」
花ちゃんがにこりとして、そう言った。ああ、ナイスフォローだ、花ちゃん。
平原さんと富樫さんは、その日、すご~~くおとなしくしていたけど、私たちに話しかけてくることはなかった。
放課後、蘭と花ちゃんを待ってる間、菜摘が、
「あの二人、養護の先生からも、竹内先生からも、みっちり説教されたみたいだよ」
と教えてくれた。
「そうなんだ」
「あ、いけない。兄貴にメールし忘れてた」
菜摘はそう言うと、携帯を取り出し、すごい速さでメールをうち、送信していた。
「な、なんて書いたの?」
「平原さんと富樫さんが、苗をいじめようとして、それを桃子が止めに入って、桃子、貧血おこしちゃったって」
「そっか」
簡単にまとめてくれたんだ。
「私からもメールしてって言ってたよね。あれ、何があったか説明してってことだよね」
「だと思う。もう、メールした?」
「まだ。なんかしづらくって」
「兄貴きっと、待ってるよ」
「うん」
「あ、返信が来た」
「え?」
今仕事中なのに?じゃなかった。今日、休みじゃん。聖君も何も言ってなかったし、すっかり忘れてた。
「平原さんと富樫さんと、桃子ちゃんはバトルでもしたのか、だって」
「バトル?してない、してない」
「しそうになってたんでしょ?」
「まさか」
「でも、ブチ切れたんでしょ?昨日苗に詳しく聞いたよ。いつもの桃子ちゃんじゃなかったって」
「う、うん。確かにブチ切れてたけど」
「頭に血が上った?でも、熱くなるどころか、貧血おこしたんだもんねえ」
「うん」
「バトルはしてないよ。でも、ブチ切れたみたい」
菜摘はそう言いながら、メールをうち、送信した。
「苗ちゃん、他には何か言ってた?」
「うん。もっと強くなるって言ってたよ。私も桃子ちゃんが大事だから、桃子ちゃんを守るって」
「そっか」
「あ、返信が来た。桃子ちゃんは人のことになると、強くなっちゃうからな~。そこに桃子ちゃんはいないの?メールまだ来ないんだけど、だってさ~」
「あちゃ~~」
「メール代わりにしておいてあげるよ」
菜摘がまた、ぱぱぱっとメールをうち、さっさと送信してしまった。
「待って、代わりって今、なんて書いて送ったの?」
「桃子、隣で兄貴のこと怖がって、メールできないでいるよって」
「きゃ~~、そんなこと書いたの?」
「うん、だって、本当にそうでしょ?」
そ、そうだけど。そんなこと書いたら、もっと怖い。いや、聖君が落ちこむんじゃ?
ブルル。あ、私の携帯だ。げ。聖君から電話だ~~。
「も、もしもし」
「桃子ちゃん?今どこ?」
「教室」
「迎えに行くよ。学校がいい?それとも、駅?」
「い、いいよ、そんな。聖君、バイト休みでしょ?ゆっくりしてて」
「う~ん、でも、車で出ちゃってるから、このまま、迎えに行けるんだけどな」
「どこにいるの?」
「ホームセンターの駐車場。いろいろと買い物してた。父さんや母さんから頼まれたものもあったし」
「…お、怒ってないの?声、いつもと同じだね」
「怒ってると思った?」
「うん」
「あはは!怒ってないよ。ごめん、びびらせた?」
「うん。だって、朝怖かったよ」
「ああ、あれは別に桃子ちゃんのことを怒ってたわけじゃなくて」
「え?」
「俺がね、もっとちゃんと学校の話を聞いたりしないとなって、反省してただけ」
「そうなの?」
「で、どこまで、行こうか?」
「じゃあ、駅」
「桃子、校門まで来てもらいなよ」
菜摘にそう言われた。
「え?でも」
「桃子、昨日も具合悪くて休んでるんだもん。誰も、文句なんか言わないって」
でも、今はとっても元気なのにな。
「そうだよね。誰も文句言わないよ。学校まで行くね。着いたらまたメールするよ」
聖君に菜摘の声が聞こえていたようで、聖君がそう言った。
「うん」
「じゃね」
聖君は電話を切った。
「よかったね、迎えに来てもらえて」
「…怒ってなかった」
「兄貴、怒ると怖いの?」
「え?」
「桃子、すごくびびってるから」
「ううん。怒られたことない」
「え?じゃあ、なんでびびってたの?」
「怒られたことないから、怒ったらどうなるかがわからなくって」
「ああ、それで?でも、兄貴、怒ることあるのかなあ」
「菜摘のことは?怒ったことある?」
「ううん。そういえばほら、葉君と言い合ってたよね。あのとき怖かったな。兄貴、確かに怒ると怖いよね」
「うん」
「でも、桃子のことは怒らないでしょ」
「そうかな」
「あ、蘭がきた」
「ごめん、ホームルーム長引いちゃって」
「今日は兄貴が車で迎えに来てくれるって」
菜摘がそう言った。
「え?どうして?桃子また、貧血?」
「ううん。元気なんだけど、聖君、今日お店定休日で、車で買い物に出た帰りに寄ってくれるって」
「は~~、優しいね。甘々だね、聖君は」
蘭がそう言った。そして、ふっとため息をついて、
「あ~あ。どうしたらそんなに、大事にしてもらえるようになるんだろ」
とうつむき加減でそう言った。
「彼氏とまた何かあった?」
「別れるかもしれない」
「え?」
「浮気の相手と、まだ会ってるみたいなんだよね」
「その相手って、どこの誰」
菜摘が聞いた。
「大学の後輩。言い寄られたみたい」
そ、そうなんだ。
「二人で飲みに行ったり、映画観に行ったりしただけだって言うんだけど、それだけかな~」
「え?なんで?」
「メール、見ちゃったんだ、私」
「げ!彼氏の?」
「だって、すご~~く気になったから」
「それで?」
「好き嫌いはない?何か食べたいものある?って書いてあったの。なんでもリクエストしてねって。それってさ」
「ご飯を作ってあげてるとか?」
「って思うよね、普通。でも聞くわけにもいかないし、なんだか、もんもんとしちゃって」
「なんで聞かないの?」
菜摘が聞いた。
「だって、メール見たのばれちゃうじゃん。彼の部屋行ったときに、こっそり見たんだもん」
「あ、あれかもよ?お弁当とか、そういうのを作ってくれようとしたとかさ」
私はそう言って、蘭を元気づけようとした。
「でも、結局はそれ、手作り弁当を作ったりする仲ってことでしょ?」
蘭が沈んだ声で言ってきた。
う、そっか。
「そもそも、メールし合ってるってことがもう、それだけ仲がいいってことじゃん」
蘭はそう続けて、重いため息をついた。
「そう言えば、花ちゃんは?」
私が聞くと蘭は、
「ああ、トイレ行ってくるって言ってたっけ。まだってことは、お腹でも壊してるのかな」
「ええ?大丈夫かな。私見てくる」
「桃子はいいよ。またトラブルに巻き込まれたら大変だもん。私が行く」
菜摘がそう言って、席を立った時、教室に花ちゃんが血相を変えて、入ってきた。
「ど、どうしよう。養護の先生もいなかったし、どうしたらいいんだろう」
「どうしたの?花ちゃん、具合悪いの?」
真っ青だよ?
「私じゃないの。あの、平原さんって人、トイレでぐったりしてて」
「え?大丈夫なの?」
「一応、保健室連れて行ったんだけど。先生どこにいるかわからなくって」
「保健室、行くよ。菜摘と蘭は先生探してきて」
「うん」
私は花ちゃんと一緒に、保健室に向かった。今度は、平原さんの具合が悪くなっちゃったの?大丈夫なのかな。