第117話 独り占め
午後3時過ぎ、聖君はリビングにアイスを持ってやってきた。
「休憩だ~~」
5分前に聖君のお父さんが、お店に行ったから交代してきたのかな。
「小豆のアイス、初めて店に置いたんだ。けっこう好評だったよね」
そう言うと、聖君は小豆のアイスを口に入れ、
「うめ!」
と嬉しそうに目を細めた。
「美味しかったよ、小豆のアイス」
私がそう言うと、聖君はいきなりキスをしてきた。
「わ?」
「小豆の味した?」
「しないよ。でも、冷たい唇だった」
「あはは。アイス食べてたから?」
もう~~~。こういうことをいきなりしてくるんだから。
「そういえば、さっき、後でって言ってたけど、何?なんだったの?」
「ああ。あれはね」
と思いだし、私は真っ赤になった。
「何?なんで赤くなるの?すげえ気になる」
「さっき、隣にいた人たち、過激だったから」
「カウンターにいた?」
「うん」
「過激?何が?」
「話していいのかな」
私はますます顔が熱くなった。
「なんだよ、そこまで言っておいて内緒はなしだよ。すげえ、気になるじゃん」
「でも、聖君驚くよ」
「俺が関係してる?」
「うん」
「なになになになに?ますます気になる」
聖君は私の顔の真ん前まで顔を持ってきた。
「あのね」
「うん」
でも、しっかりと小豆のアイスだけは、ほおばっている。その顔はかわいい。ああ、こんなに子供っぽくってかわいいのに、抱かれたいなんて、そんな話していいのかな。
「でも、さっきの人、また来るかもしれないからな~」
「だ~~~!!いいから言いなさい!またキス攻撃しちゃうよ!」
う。それは嬉しいかも。じゃなくって、ああ、もう。私の思考回路までおかしくなってる。
「…」
聖君はもっと私に顔を近づけた。
あ。なんか、小豆の香りするかも。
チュ。私から聖君にキスをしてみた。まだ、唇冷たい。それに、小豆の味したかも。
「…」
聖君は照れたような、困ったような、そんな複雑な顔をした。
「なんだよな~~。桃子ちゃんからキスしてきちゃったよ」
そう言ってから、顔をふせてしまった。
「まだ、冷たかった」
「え?」
「それに小豆の味した」
「キス?」
「うん」
「なんだよな~~。もう、桃子ちゃんってば。俺の唇勝手に奪ったりして」
「ええ?だってさっきは、聖君から」
「…でも、言って。気になって今夜眠れなくなるから」
嘘だ。いっつもすぐにぐうすか寝る癖に。
「あのね。聞いて驚かないでね」
「うん」
聖君は興味津々って顔で、私を見た。
「あの野梨子さんって人、聖君に惚れ込んでたらしくって」
「え?どっちの人?」
「小豆のアイス食べてた人」
「ああ」
「そうそう。聖君って、女をもてあそんでるとか、バイトの子を妊娠させたとか、すごく手が早いとかって噂があるらしくって」
「え?!」
聖君が、一瞬驚いた。
「それが本当だったら、野梨子さんが傷つくからって、隣にいた人が気にしてたんだけどね。でも、野梨子さんは、聖君を見てるだけでいいって、そう初めは言ってて」
「うん」
「だけど、迫ってきたら抵抗できないとか、一回くらい、その…」
「うん」
「聖君に抱かれてもいいかもって、そんな爆弾発言をしてて」
「まじ?」
「う、うん。それ聞いてたから、私びっくりしちゃって、聖君にあんな態度とっちゃったの。ごめんね」
「ああ、おでこに当てた俺の手、思いっきり払いのけたもんね」
「思いっきりじゃないよ~~」
「思いっきりだったよ。俺、まじで傷ついた。俺って、ナイーブなんだから、桃子ちゅわん、気をつけてよ、ああいうのは」
「…ごめん」
でも、思い切りじゃないもん。
「そうかあ。でもな」
「?」
聖君は何か言いかけてやめた。
「なあに?」
「なんでもない」
「気になる」
「まじで、なんでもない」
「何か言いかけたでしょ?」
「ううん」
聖君は顔を無表情にして、首を横に振った。あ、すご~~くわざとらしいぞ。
「気になる。夜眠れなくなる」
「大丈夫。俺が寝かしつけてあげるから」
「ええ!教えてよ。じゃないと」
「じゃないと、何?」
「キス攻撃」
「それ、いいね!してして!」
ああ、逆効果か。聖君わくわくしちゃってるし。
「の、反対で、もうキスしてあげない」
そう言うと、聖君は一瞬固まったけど、
「いいよ~~。俺からしちゃうもん」
と言って、キスをしてきた。ああ、もう~~~~。
「じゃ、言ってくれなかったら」
「うん、なあに?」
聖君がにやついている。何か、ぎゃふんと言わせることはないかなあ。
「あ、もうお風呂一緒に入らない」
「…」
聖君はうつむいて、黙ってしまった。
「しょうがないな。でも、桃子ちゃん、絶対に気にしないでよ、こんなこと言っても」
「え?うん」
何?なんかものすごい爆弾発言じゃないよね?ちょっと、怖くなってきた。
「大学の先輩にも、言われたことがある」
「え?」
「っていうか、偶然話してるのを聞いちゃったんだけど」
「う、うん」
「聖君にだったら、全部あげちゃうのにって」
「え?!!」
「ひと夏の恋でもいいわって、夏休み前に話してた」
「…」
何それ…。
「桃子ちゃん、顔、青白くなってる」
「…」
「でも、安心して。俺、あげるって言われても即、断るし」
「…」
「いらないし。桃子ちゃんだけでいいし」
「え?」
「俺のものにしたいのは、桃子ちゃんだけだし」
「そ、そうなんだ」
「え?今頃知ったの?俺、何度も言ってるよね?」
「そうじゃなくって、そういうこと言ってる女の人、やっぱりいっぱいいるんだって思って」
「でも、俺、桃子ちゃんだけ…」
「し、知らなかったな。いるかなとは思ってたけど」
「俺の話聞いてる?」
「うん」
「本当に?」
聖君は私の顔を思い切り覗き込んだ。それからおでことおでこをくっつけて、
「桃子ちゃんだけしか、いらないからね。桃子ちゃんだけだからね。ね!」
と言ってきた。
じ~~~~。真ん前にある聖君の顔を見た。それから、ぎゅって抱きしめた。それから、また、体を離して、聖君にチュってキスをした。
「桃子ちゃん?」
「聖く~~ん」
そう言ってまた、聖君に抱きつき、聖君の胸に顔をうずめた。
「え?どうした?桃子ちゃん」
「他の人のものになったりしないで」
「だから、俺の話聞いてた?」
「他の人に心、奪われたりしないで」
「だ~~か~~ら~~~」
ぎゅう~~~~。思い切り聖君を抱きしめた。
「心配しないでいいってば、桃子ちゃん」
「聖君が好き」
「わかってるよ」
「聖君が大好き」
「うん。知ってるよ」
「この胸、私専用だよね?」
「そうだよ。もうそう書いてあるって」
「見えないよ、その文字」
「見えないペンで書いてあるけど、他の人が触れようとすると、桃子ちゃん専用って、ぴかって光るのさ~~~」
「何それ?」
「あはは!まじでまじで!それで、だあれも、近寄れなくなるの。凪だけだよ、大丈夫なのは」
「…」
う。聖君ってば、かわいい。
「だから、安心して?」
「うん」
「くす」
あ、笑った?
「桃子ちゃんってば、めっちゃかわいい~~~~!」
聖君はそう言うと、ぎゅって抱きしめてきた。
「なんで、こんなにかわいいかな」
まだ言ってる。
「やべ!」
「?」
「俺、なんでこんなに桃子ちゃんに、何度も惚れちゃうんだろ」
「へ?」
「桃子ちゃんのこと、もっと好きになっちゃってるかもっ」
もう~~、聖君、かわいすぎる。
「でへへ」
あ、にやついてるし。
「桃子ちゃん、甘えてくるようになったよね」
「甘え過ぎかな」
「ううん。俺、めっちゃ嬉しい」
「やっぱり聖君、変態」
「うん」
「う、う~~~ん」
後ろから唸り声が聞こえた。驚いてぱっと聖君から離れ、後ろを向くと、聖君のお父さんがアイスを片手に立っていた。
「すごいね、こりゃ。ここまで、あつあつのラブラブとは、恐れ入ったよ。あ、アイスも溶けちゃう、大変」
「なんで父さんいるの?店は?」
「客いないんだもん。紗枝ちゃんがいれば、十分だってさ、くるみに追い返された」
「もっと早くに声かけろよ」
「だって、声もかけづらいくらい、いちゃついてるから」
聖君は真っ赤になっていた。ああ、さすがにお父さんに見られたら、照れくさいのか。
「じゃ、さっさと部屋に行けば」
「ここでアイス食うよ」
「邪魔だよ!」
「お前が部屋に行けば?あと30分くらいは、休んでていいって言ってたよ?」
「う…」
聖君は、黙って立ち上がると、私の腕をつかんだ。
「俺の部屋行こう」
「え?うん」
私は聖君に腕をひっぱられ、階段をのぼった。
「あ~~~~~。父さんは、もう~~~~」
部屋に入ってからも聖君は、照れまくっていた。
「まいったな~」
本当に、まいってるようだ。ベッドに座り込むと、頭を抱えている。
かわいいな~~~。
思わず、横に座り、私は聖君の頭をなでた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「ぎゅ~~~~」
あれ、思い切り抱きついてきた。
「ここなら、誰にも邪魔されないね」
「うん」
「キス攻撃!」
そう言うと、聖君はおでこやほほ、鼻、そして唇にキスをしてきた。
「ねえ、聖君は大丈夫なの?」
「何が?」
「噂、気になったりしないの?」
「ああ、だって、噂じゃん。どうでもいいよ、そんなの」
「ひどいこと言われてても?」
「桃子ちゃんのことまで言われてたら、撤回させるけど」
「…」
「俺自身のことだったら、誰がなんて言おうと関係ないから。俺のことを知ってて、それでも俺のこと認めてくれるやつがいてくれたら、それでいいしさ」
「そうだよね。さっきの常連さんみたいに」
「樺島さん?あの人は、母さんとも仲いいしさ。俺のことも子供のころから、面倒見てくれてるし」
「そうなんだ」
「そういう人も、けっこう常連さんにいるしね」
「みんないい人だよね」
「そんな人が、ずっとうちの店を愛してくれてる。うちの店は、すごく恵まれてると思うよ」
「そうかな」
「え?」
「聖君のお母さんや、おばあさんが、お客さんを大事にしてきたから、そういう常連さんがついてくれるようになったんじゃないかな」
「そうかもね」
「うん」
「だから、俺も、母さんたちみたいにお客さん、大事にしないとって思ってるよ」
「うん」
「って言っても、最近そう思うようになったんだけどね」
「心境の変化?」
「前より真剣に、仕事するようになったから」
「結婚したから?」
「それもある。あとは、俺が受験で店出られなくなって、母さんがけっこう、大変だったじゃん。そういうのを見てさ、母さんががんばって守ってる店、俺も大事にしないといけないよなって、そんなことも思っちゃって。沖縄行くのやめてから、もっとちゃんと店の手伝いを、本格的にしないとって思ったんだよね」
「聖君、お母さん思いだもんね」
「マザコンってこと?」
「ううん。大事にしてるってこと。そういう聖君だから、好き」
「…」
聖君は顔を赤くして、
「桃子ちゃんも、めちゃ大事だよ」
と言ってくれた。
「うん」
聖君に抱きついた。
「桃子ちゃん、俺のこと、独り占めじゃん?」
「え?」
「抱きつき放題、抱かれ放題」
う。なんだ、その抱かれ放題って。
「さっきの、野梨子さんだっけ?きっと、羨ましがってるね」
「う、うん」
だよね。本当に聖君のこと、うっとりとして見てたし。
「ってことで」
「え?」
「みんなの分まで、俺に抱かれちゃってください」
「は?」
聖君が私を押し倒してきた。
「休憩あと、30分もないんでしょ?」
「それだけあれば、十分」
「ダメだってば」
「大丈夫だってば」
「ダメダメ!」
「そんなこと言って。本当は嬉しいくせに」
「ダメだったら、駄目!」
「ちぇ~~~~~」
ひ、聖君。何が、みんなの分までだよ~~。もう~~~。あほ~~~~。
「…」
聖君は起き上がると、Tシャツの裾を直したりして、髪も手でささっと直している。
じ~~~~。私はそんな聖君を見て、つい、意地悪をしたくなった。
「聖君」
「ん?なに?」
私は起き上がると、聖君の髪をぐちゃぐちゃにした。
「え?何?」
「仕返し」
「へ?」
「だって、聖君、からかってばかり」
「からかってないよ?本気だったけど?」
「え?」
「だから、本気で今、桃子ちゃん抱こうって」
「…」
なおさら、悪い。こんな短時間で…。
「もう、せっかく髪直したのに、またぐちゃくちゃにしてくれちゃって」
聖君はそう言うと、髪を直し始めた。あ、駄目だ。また、意地悪心がうずうずと。
「聖君」
「なに?」
ぎゅむ!私は思い切り聖君を抱きしめた。その勢いで、ベッドに聖君は寝転がってしまった。
「あれ?俺、襲われちゃうの?」
「うん」
「え?!!!」
聖君が目を丸くした。あ、本気でびっくりしてる。やった。なんか知らないけど、やったっていう達成感。いっつもからかわれてたけど、今日は私のほうが…。って、あれ?
「聖君、なんで私の服、脱がそうとしてるの?」
「だって、襲ってくるんでしょ?あ、俺、自分で服脱いだほうがいい?」
「え?」
ちょ、ちょっと待って。今のは、からかっただけで。でも、聖君はぽいぽいと服を脱いでしまった。
「まままま、待って」
「待てない」
「嘘。さっきのは嘘」
「ほら、早く、服脱いで、あ、いいや、そのままでも」
「よくない。ちょっと待って」
聖君のほうがいつの間にか、私の上に乗っかっている。
「え?冗談だよね。からかってるんだよね?」
「まさか」
「え?嘘だよね」
「まさか~」
「え?そんなこと言って、また、やめるんでしょ?笑って、嘘だよって」
「ま~~さ~~か!俺、その気だもん」
「え?!」
え?え?え?
うわ~~~。ちょっと待って~~~~。
「…」
嘘。
「ああ、休憩時間、オーバーしたかも」
「…」
「桃子ちゃん?」
「…」
「あれ?果てた?もしかして」
「聖君のあほ」
「え?」
「ばか」
「え?」
「もう~~~~!」
私は聖君に抱きついた。
「もう、お店行くんでしょ?」
「うん。桃子ちゃんはまだ、寝転がってていいよ。あ、なんなら本格的に寝ててもいいし」
「聖君がいないのに?腕枕もないのに?」
「え?」
「まだ、聖君のぬくもり、感じていたいのに?」
「…」
あれ?聖君が真赤になってる。
「もう、桃子ちゃんってば。そんなこと言わないで、俺、バイトいけなくなっちゃうじゃん」
「聖君が悪いんだよ」
「なんで?」
「だって」
こんな短い時間で、抱いてくるからじゃん!
「夜は俺、桃子ちゃんにべったり抱きついて離さないから」
「今は?」
「ごめん!もう、紗枝ちゃんも上がる時間になるし、行くね」
「…」
「ごめんね」
聖君はチュって私のおでこにキスをすると、パッと起き上がり服をさっさと着て、部屋を出て行った。
ああ~~、もう~~~。こんなにあっさりと、置いて行かれちゃうなんて!
は~~。ため息をつき、聖君のベッドに、顔をうずめた。
ああ、でも、こんなの贅沢?まだまだ、抱きしめててほしかったなんて。聖君のぬくもり、感じていたかった。甘い甘い時間の余韻に浸っていたかった。
「一回くらい、抱かれてもいいかも」
突然、野梨子さんの言葉を思い出した。
「みんなの分まで俺に、抱かれちゃってください」
そんな聖君の言葉も。
う~~わ~~~。なんか、いきなり恥ずかしくなってきたな。そんな誰かが羨ましがるほどの聖君の腕に、抱かれちゃっているのか、私は毎日のように。
聖君のベッドからは、聖君のにおいがした。きゅ~~ん。ああ、胸がきゅんってなるよ。
聖君、私も前よりもずっとずっと、聖君が愛しいかも。聖君の全部が愛しいかも。
私はしばらく聖君のベッドで余韻に浸り、そしていつの間にか眠っていた。