第116話 誠実
真剣な目で見ている二人の横で、私は、どうしようかと悩みまくっていた。そこに、
「父さん、コーヒーお待たせ。ここで飲む?リビングに行く?」
と聖君がやってきた。
「ああ、ここでいいよ」
聖君のお父さんがそう答えた。
「はい、桃子ちゃん」
聖君がホットミルクを私の前に置いた。そして、また無言で横に立っている。
「ありがとう」
そう言ってもまだ、無言で暗い顔して立っている。
「ここでいいの?リビング行く?」
聖君がようやく口を開いた。
「ここでいいよ」
「そう…」
聖君はそう言うと、私とお父さんが食べ終わったものを、キッチンにさげに行った。
「横にいる人、聖君のお父さん?」
「え?はい」
隣の人に小さな声でそう聞かれ、うなづいた。
「若~~い。じゃ、ここって聖君のおうち?」
「はい」
「リビングって、あなたは、お客さんじゃないの?」
「え?は、はい」
「ふうん」
隣の人たちも、ランチを食べ終わり、
「何かデザートでも頼もうか、野梨子」
と二人で相談を始めた。
「ランチにデザートもくっついてたんだね。アイスか、チーズケーキ選べるよ」
「アイスがいいかな」
「すみません」
隣の人が聖君を見ながら声をかけた。聖君はこっちを見ながら、ぼ~ってしている。
「あの、注文があるんですけど」
隣の人がまた、そう聖君に言った。聖君はようやく気が付き、カウンターにやってきた。
「はい。追加注文ですか?」
「デザートつけてもらえますか?」
「はい。アイスとチーズケーキから選べますが」
「アイスを二つ」
「アイスも、バニラと抹茶、小豆のうちから二つ選べますけど、どれがよろしいですか?」
「私抹茶とバニラ。野梨子はなんにする?」
「小豆、美味しそうだな」
「はい、美味しいですよ」
聖君がにこっとそう言うと、野梨子さんは真っ赤になった。
「小豆と抹茶にしてください」
「はい」
聖君は颯爽とキッチンに戻っていった。でもすぐにまた、やってきて
「桃子ちゃんは?デザートいる?」
と聞いてきた。
「私?」
どうしようかな。
「アイス、いいな」
「何がいい?」
「小豆、食べたいな」
「小豆と何にする?」
「一個でいいよ」
「遠慮しなくていいよ。もともと2個つくものだし」
「でも、お腹いっぱいだから」
「そっか。じゃ、持ってくるね。あ、俺も昼食べちゃおうかな。父さん、もうそこどくよね?」
聖君はのんびりとコーヒーを飲んでるお父さんに向かって、そう聞いた。
「俺もアイス食べたいな、聖。バニラと抹茶」
「じゃ、リビングで食べてよ」
「俺は邪険に扱うんだね、聖」
「だって、父さんがここにいたら俺、座るところないじゃん」
「聖がリビング行けば?」
「意地悪してる?もしかして」
「いや。俺まだ、桃子ちゃんと話していたいし」
聖君のお父さんがそう言った。聖君は黙って私を見た。あれ?目が寂しそうだよ。
「ブ!」
聖君のお父さんがいきなりふきだし、
「嘘だよ、嘘。もう2階に行くよ。仕事の続きしなくちゃ。アイスは3時にでも食べに来るからさ」
と笑いながら言い、クロのところに行き、クロも連れて家に上がっていった。
「なんだよ、絶対に意地悪してたじゃないか」
聖君は口をとがらせ、そうつぶやいた。
それから、とぼとぼとキッチンに戻り、自分の昼ご飯を持ってまた、カウンターにやってきた。
「いただきます」
聖君はちょっと元気のない声で、そう言って食べだした。
あれ?いつもの「うめ!」がないよ。静かに黙々と食べているけど、もしかして元気がなくなった原因って私?
「お待たせしました」
紗枝さんがアイスを持って、カウンターに来た。
「抹茶とバニラのお客様」
「はい」
紗枝さんは私の隣の人の前に、器を置いた。
「小豆とバニラのお客様」
「え?」
野梨子さんが、一瞬黙った。
「野梨子、抹茶と小豆でしょ?」
「うん」
「ああ!俺、間違えた!」
聖君がそれを聞き、カウンターの席を立った。
「ごめん、紗枝ちゃん。それ、紗枝ちゃん食べていいから」
「え。でも」
「すみませんでした。すぐに持ってきますから」
聖君は慌ててキッチンに行き、すぐにアイスを持ってやってきた。
「小豆と抹茶ですよね。すみませんでした」
「いえ」
野梨子さんはまた、真っ赤になった。聖君は器を置くと、もう一回ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。かえって、悪いことしたかな。バニラと小豆でも別によかったんですけど」
野梨子さんがそう言うと、
「いえ、いいんです。こっちの間違いですから」
と、聖君は真面目な顔で謝った。
「でも、あのアイス」
紗枝さんが持って行ったアイスを、野梨子さんが気にしてるようだ。
「ああ、いいんです。どっちにしろ、紗枝ちゃん、あ、バイトの子には、休憩時間に何か食べてもらうつもりだったし」
聖君はそう言ってにこっと笑った。
「バイトの子と、仲いいんですね」
もう一人の人が聖君にそう言った。
「え?ああ、はい」
聖君は、いきなりそんなことを言われ、驚いてるようだ。
「バイトの子って、あの子だけですか?」
「いえ、何人かいますけど。夕方からは別の子もくるし。週末はまた別の人に入ってもらってるし」
「そうなんだ。あの子だけじゃないんだ」
隣の人がそう言うと、聖君はますますきょとんとした顔をした。
「うちの店のバイトの子が何か?」
聖君が聞いた。
「え?あ、今、募集とかしてないのかなって思って、ね?野梨子。この店素敵だし。働けたらいいねなんて話していたんだよね?」
うわ。そんな展開?
「う、うん」
野梨子さんが真赤になってうなづいた。
「あ~~。そう言ってもらえると嬉しいんですけど、今はバイトの人数足りてるんですよね。紗枝ちゃんが9月から入ってくれたから」
「あの子?」
「はい」
「9月って言ったら、ついこの前から?」
「はい」
「でも、仲いいんですね。もともとの知り合い?」
「いいえ」
聖君はまた、きょとんとした。
「そんなに最近入ったばかりの子なんだ」
野梨子さんがぽつりとそう言った。
「えっと、紗枝ちゃんが何か?」
「いえ。なんでもないです」
野梨子さんが慌てて、首を横に振った。
「仲いいからいいねって言ってたんだよね?和気あいあいと楽しそうに仕事してて」
隣の人が野梨子さんにそう言った。いや、そんな話は一切、していなかったけど。
「そう、それで私もここでバイトしたいなって」
野梨子さんが多分本音だろう。ぽろっとそう言った。ああ、そういえば、羨ましがってはいたっけ。
「ああ、そう言ってもらえるのはすごく嬉しい。紗枝ちゃんとも俺も、やっとこなれてきたところだし。でも、仲良く見えるってことは、家族みたいになってきてるってことかな」
「家族?」
野梨子さんが聞き返した。
「はい。ここの店で働いてる子はみんな、家族のように大事に思うようにしてるので」
聖君はにこりと笑ってそう答えた。
「そ、そうなんですか」
野梨子さんは真っ赤になりながら、聖君を見た。
「大事に思ってるんですね」
野梨子さんはオウム返しのように、そう言った。
「はい。あ、うちの店を大事に思ってくれるお客さんのことも、大事に思ってますけど」
聖君はまた、最上の笑顔でそう言った。あ、それ!その笑顔が罪なんだってば。ああ、やっぱり。野梨子さんがうっとりとした顔で、聖君を見てるよ。
「えっと、俺今から昼食べちゃいますけど、そこに座ってるので何かあったらまた、言ってください」
聖君はそう言うと、私の横に座った。
「なんか、噂と違うかも」
そういう野梨子さんの小さな声が、聞こえた。
「え?違うって?」
「バイトの子に手を出してるとか、そういうのなさそうだもん。もっと、優しいあったかい人なんじゃないかな」
「そんな風に感じた?」
「うん」
二人が話してるのが聞こえた。でも聖君のほうまでは聞こえていないようだ。聖君はさっきよりも元気に、隣でご飯を食べている。
「桃子ちゃん、アイス一つでいいの?」
紗枝さんがそう言いながら、アイスを持ってきた。
「はい、一つでいいです」
「貧血で学校休んでるんだって?」
「はい。あ、でも今日はもう、だいぶよくなりました」
「そう。あんまり無茶しないほうがいいもんね」
「はい」
「紗枝ちゃん、アイス食べた?」
「まだ」
聖君の質問に紗枝さんが首を横に振った。
「ここ座って先に食べる?」
「ううん。あっちでくるみさんと、分けて食べるからいいよ。聖君、お昼食べてて」
「そっか。母さんもアイス食べるって?」
「うん」
紗枝さんは、キッチンの奥に戻っていった。
「美味しい?桃子ちゃん」
聖君は私がアイスを食べだしたら、聞いてきた。
「うん。美味しい」
「機嫌治った?」
「え?私?」
「なんか、機嫌悪かったよね」
「ううん、そんなことないよ」
「ほんと?もしかしたら、やきもちとか?」
「へ?私が?」
「違った?」
「ええ?誰に対して?」
「紗枝ちゃん」
「ああ、聖君と仲良かったから?」
「違う?」
「うん。仲良くなったんだなって、思ってはいたけど」
「うん」
聖君はじっとわたしを見た。
「ちょっとだけ、複雑だったけど」
「複雑?」
「仲良くなってよかったって思ってた。でも、聖君、かわいい笑顔向けてたから、紗枝さん真っ赤になってたし。あんなにかわいい笑顔向けないでって、ちょこっと…」
「やきもち?」
「う…。でもね、聖君は家族みたいに大事って思ってるでしょ?だから、喜ばしいことなんだよな、仲がいいのはって、そうも思ってるの。だから、複雑な心境」
「それでご機嫌斜めだった?」
「ご機嫌斜めじゃないよ?」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ?」
「だって、俺の手、払いのけた」
あ、やっぱりそれ、気にしてた。
「あれは、違うよ。ちょっと恥ずかしかっただけで」
「何が?」
「…」
「今更、何が?」
「だって、お客さんいるし」
「…」
聖君は黙って、ご飯を食べだした。
「でもさ」
聖君はまた、話しだした。
「たとえば店に杏樹がいて、顔赤かったらさ、やっぱり俺、同じようにおでこに手を当てると思うけど?お客さんがいたってさ」
「そうだよね。でも、杏樹ちゃん、妹だもん」
「桃子ちゃんは、奥さんでしょ?!旦那におでこ触られるの、なんでそんなに気にしないとならないんだよっ」
うわ!でかい声でそんなこと暴露しないで!
「母さんが顔赤かったら、父さんも同じことするよ。それ、恥ずかしいことだと思う?」
ひゃ~~。
「桃子ちゃん、それで手を払いのけたの?」
ひゃ~~~。
「それだけの理由?本当にそれだけ?」
こくんと私はうなづいた。でも、さっきから隣の人たちが目を丸くして見てて、私は汗がだらだらと出てきてしまった。
「もう。まじで俺、桃子ちゃんが怒ったのかなとか、俺、何かしちゃったかなとか、悩んじゃったよ」
「ごめん」
「は~~~。焦った。なんだよ。もう」
聖君はため息をついて、私の鼻をぐにってつまんだ。
「そんなことで、恥ずかしがらないで。桃子ちゃん」
「…」
でも、でもでも、さっきからすんごい視線が痛くって。
「なんで無言?っていうか、なんか固まってるけど、どうかした?桃子ちゃん」
「と、隣の…」
「え?」
「ちょっと、視線が気になって」
私はほとんど、聞こえるか聞こえないかの声で、聖君に言った。聖君は思い切り、私に耳を傾けた。
聖君は私の隣の人を、覗き込んで見た。どうやら、目が合ってしまったらしい。
「あ…」
隣の人が慌てて、愛想笑いをした。
「ごめんなさい。聞いちゃうつもりはなかったんだけど、聞こえてきちゃって。今、奥さんとか、旦那さんとかって話していませんでしたか?」
隣の人が、聖君に聞いた。その隣で野梨子さんが、
「いいよ。もう、やめようよ。そんな話の邪魔しちゃ悪いって」
とそんなことを言っている。
「ああ、いいですよ。別に」
聖君は淡々と答えた。
「でも、立ち入ったこと聞いてないですか?私たち」
野梨子さんは、おどおどしながら聞いてきた。
「え?別に。隠してるわけでもないし、平気だけど?」
聖君はちょっとなんでそんなこと言ってくるのって顔で、そう言いかえした。
「じゃあ、聞いちゃいますけど、あの…奥さんっていうのは?」
隣の人が聞いてきた。
「桃子ちゃん、俺の奥さんです。俺ら、7月に入籍して」
「ええええ?」
二人は思い切り大声をあげた。
「あ、驚いてる、驚いてる」
テーブル席から、そんな声が聞こえた。見ると、近所の常連さんだ。
「そうよね、私も聞いてびっくりしたもの」
その常連さんは、近所に住む聖君のお母さんのお友達だ。
「にゅ、入籍?あなた聖君の奥さんなの?」
隣の人はまだ、目を丸くしたまま私を見ている。野梨子さんは、言葉を失っている。
「は、はい」
私は、こくんとうなづいた。
「で、でも、聖君は大学1年でしょ?まだ。あなたも、18歳?」
「私は17です」
「え?じゃ、高校生だったの?」
「今も、高校生です」
「かわいい奥さんよね。ね?聖君。大事にしてるのよね~~」
また、その常連さんが口をはさんだ。
「樺島さん、かんべんしてください」
聖君は赤くなって、頭を掻きながらそう言った。
「あら、本当のことじゃない。結婚した、赤ちゃんができたって、喜んでいたし」
「あ~~~。ばらさないでくださいってば」
聖君、真っ赤だ。
「赤ちゃん?!できちゃった婚?」
隣の人がまた、声を上げた。
「あなた、ここでバイトしてたとか?」
「桃子ちゃんは違うよ」
聖君が答えた。
「じゃ、付き合ってた彼女?」
「うん、そうです」
聖君は、にこりとそう答えた。
「け、結婚」
野梨子さんは、顔が青白くなっていた。相当驚いたんだろうな。
「え?じゃあ、じゃあ」
あれ?今度は一気に顔が赤くなった。
「もう、聖君と。あ、当たり前か。赤ちゃんいるってことは」
え?
「そうなんだ」
野梨子さんはもっと、顔を赤くして私を見た。なんとなく、言いたいことはわかってる。もう、聖君と結ばれてるんだよねってことだよね。
私まで真っ赤になってしまった。
「なに、真っ赤になってるんだよ、桃子ちゃん」
「あ、あとでね」
「え?」
「後で話す」
まさか、ここで話せないってば。
聖君は昼を食べ終わり、さっさと食器を片づけに行った。
「桃子ちゃんは、リビングで休んでる?」
カウンターに戻ってきて、そう聞いてきた。
「桃子さんと話がしたいんだけど、いいかしら?」
隣の人がそう聞いた。
「え、いいですけど。でも、あまりいじめないでくださいね」
聖君はそう言って、笑った。
何かな。何を聞かれちゃうのかな。
「野梨子、何か聞きたいこととかないの?」
隣の人が野梨子さんに聞いた。
「え?私?」
野梨子さんはしばらく黙りこんで、
「聖君って、優しいですか?」
と聞いてきた。
「はい」
「付き合って何年目?」
「3年になります」
「そんなに?」
「はい」
「そっか~。それで、告白しても、断られてたんだ」
隣の人がそう言った。
「バイトの子を妊娠させたわけじゃないけど、赤ちゃんができたってことは、本当だったんだ」
「…」
私は黙り込んだ。
「聖君は、私たちが思っていたよりもずっと、誠実な人だってことだよね」
野梨子さんがそう言った。
「はい」
思わず、私がうなづいてしまった。
「ごめんね。旦那さんのことをあれこれ言われて、嫌だったでしょう」
「い、いえ。そんなことはないですけど、そんなふうに見えたり、感じたりする人もいるんだなって、そう思ってました」
「ごめんね。噂のことも話さなければよかったかな」
隣の人が謝った。
「いえ。でも、そんな噂、流れちゃってるんですね。びっくりしました」
「私がミクシィのブログに書いておくよ。すごく誠実で家族や、お店のことを大事にしてる人だって」
「え?」
「結婚のことは、書かないでおくね」
「はい」
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。野梨子」
「うん。聖君が誠実な人で安心したし」
そう言うと二人は席を立った。
「また、お店には来るね。目の保養にでも。それに、食事も美味しいし、お客は大事にしてくれるって言ってたしね」
野梨子さんはそう言ったあとに、私にお幸せにと言ってくれて、レジでは聖君にもお幸せにと言っていた。
「ありがとうございました」
聖君はまた、いつもの最上級の笑顔で、2人を見送った。