第115話 噂
翌日、聖君とお店に行くと、聖君のお母さんもお父さんも、お店の入り口までやってきて、
「桃子ちゃん、大丈夫だった?」
と心配して聞いてくれた。
「はい。もう大丈夫です。でも今日は大事を取って学校は休みました」
「よかった~。もう、聖がやたらと昨日心配してたから。今日も休むって聞いて、大丈夫かしらって爽太とも話してたのよ」
聖君のお母さんがほっとした顔で、そう言った。
「じゃあ、今日はリビングでゆっくりとして。店の手伝いはしちゃだめだからね」
聖君のお父さんに、そう言われた。
「はい」
私はそのまま、リビングにあがった。クロがやってきて、私の足にじゃれついた。
「クロ、今日はずっと一緒にいてくれる?」
「く~~ん」
クロは尻尾をくるくると振った。
「俺も仕事がひと段落ついたら、リビングでのんびりしようかな」
そう言って、聖君のお父さんは2階に上がっていった。
クロは私の足元に寝転がったまま、動かなかった。お父さんについていかないで、本当に私のそばにいてくれるんだ。
聖君がクロは私に似てるって言ってたけど、私は聖君に似てると思う。優しくてあったかくって、こうやって寄り添っててくれるところ。すごくほっとできるところ。それに「く~~ん」って甘えるところも。
私は持ってきた毛糸を出した。おくるみはもう編めたから、次はベストを編もうかと思っている。毛糸はおくるみと同じ、クリーム色。
「どう?この色、凪に合うと思う?」
クロに聞いた。クロは頭をあげ、尻尾を振った。
12時近くになり、聖君のお父さんが下りてきた。
「ああ、腹減っちゃった。店混んでるかな~~。桃子ちゃんもそろそろ、お昼食べない?」
「はい。食べます」
「あ、何それ。赤ちゃんの何か、編んでるの?」
「はい、ベストを編んでるんです」
「へ~~~。そうなんだ。かわいい色だね。桃子ちゃんはそういうの得意で、すごいね」
「いえ。こんなことくらいしかできないから」
「あはは。そんなに謙遜しなくても、それはすごい特技だよ?」
「そ、そうですか?」
ああ、やっぱり聖君のお父さんは、聖君と笑い方が似てる。
「ちょっと店行って、桃子ちゃんの分もお昼ご飯用意してもらってくるから、待っててね」
「はい」
聖君のお父さんは、お店のほうへと行ってしまった。
まだ、仕事ひと段落ついてないのかな。聖君のお父さんの仕事も、いつも忙しそうで大変だな。
「桃子ちゃん、カウンター空いてるから、そこで食べようか」
すぐに聖君のお父さんが戻ってきてそう言った。
「はい」
私がリビングからお店に行くと、クロも後ろからくっついてきた。
カウンターには誰もお客さんがいなかった。テーブル席もひとテーブル空いていたし、本当に一時に比べたら、落ち着いたんだな。
レジの奥にあるちょっとしたスペースに、クロはてくてくと歩いて行った。そこにクロ用マットが敷いてあり、そこにごろりとクロは寝転がった。
「飲み物は、何にしますか?」
聖君のお父さんに、紗枝さんが聞きに来た。
「ホットコーヒーでいいよ。桃子ちゃんは何にする?」
「私は、ホットミルクで」
「はい、わかりました」
紗枝さんはそう答え、すぐにキッチンに引き返していった。キッチンに行くと聖君に、コーヒーとホットミルクと伝え、そのあと何やら楽しそうに笑いながら、聖君と話をしている。聖君もあははって、すごくかわいい笑顔で笑っている。
ああ、本当だ。紗枝さん、変わった。まだ顔が赤いけど、聖君に対してそんなに緊張してる様子もないな~。
「あはは!」
聖君が大声で笑っている。紗枝さんが真っ赤になっている。もしかして何か、からかっているのかな~。う。ちょっと気になったりして。
カラン。ドアが開き、お客さんが入ってきた。若い女の子二人だ。
「いらっしゃいませ」
紗枝さんが席まで案内しにいった。
「どうぞ、こちらに」
空いてるテーブル席へと案内したが、
「あ、カウンターでいいです」
と、その二人は私の横の空いてる席にやってきた。
そして、席に座ると、一人の女の子が、
「あの子がもしかしてそうかな」
とか、
「注文聞きにきてくれないかな」
とか話している。
「あっちのテーブル席なら、彼のそばだったけど、いいの?」
「いいよ~~。あまり近過ぎても、話しづらいし」
「だけど、様子がわかるじゃん。二人の会話も聞こえるし」
「でも、そば過ぎても緊張しちゃう」
?なんのことを言ってるのかな。彼っていうのは、聖君のことだよね。何しろ、今この場にいる男性は、聖君と聖君のお父さんだけだし。
空いてるテーブル席を見た。ああ、確かに、一番キッチンに近いテーブルで、聖君と紗枝さんが今立っている場所のすぐそばだ。
紗枝さんがお水とメニューを持って、カウンターにやってきた。二人の子は明らかに残念って顔をしている。
「ご注文は?」
「ランチを二つ。食後にコーヒーで」
「ホットコーヒーでよろしいですか?」
「はい」
紗枝さんがキッチンにオーダーを通しに戻ると、隣に座っているお客さんが、
「どうするの?話しかけるの?それともここから、様子見てるだけ?」
ともう一人の子に話していた。
「だって…」
もう一人の子は、後ろを向き、聖君のほうを見ている。やっぱり、聖君目当てだよね。っていうか、様子を見るってなんだろうな。
「はい、ランチお待たせ~~」
聖君が元気に、私とお父さんのランチを運んできた。
「聖、午後は仕事落ち着くから、俺が店の手伝いに入るから」
「え?いいよ。今日そんなに混みそうもないし」
「だけど、桃子ちゃん一人じゃ、寂しいだろ?」
「ああ、そっか。うん、じゃ、そうしてくれる?父さん」
「桃子ちゃん、もうちょっと待っててね。もし寂しかったら、ここで編み物してもいいしさ」
聖君のお父さんが、そう言ってくれた。
「大丈夫です。私のことはあまり、気にしないでください」
私がきたら、お父さんにまで迷惑かけちゃうのか。やっぱり聖君にくっついてきて、悪かったかな。
「あ、あの」
突然、隣の席の人が聖君に声をかけた。
「はい?」
聖君はにこりと微笑んで、その人のほうを向いた。
「さっき、食後にあったかいコーヒーって頼んだんですけど、アイスにして先に持ってきてもらってもいいですか?」
「お二人共ですか?」
「あ、私だけ。野梨子どうする?」
「え?」
もう一人の人は、真っ赤になってしばらく黙りこんだ。聖君がその人をじっと見ると、ますます顔を赤くしてしまった。
「私は、ホットコーヒーで、先に持ってきてもらってもいいですか?」
「はい。じゃあ、アイスコーヒーとホットコーヒーですね?今すぐに持ってきますので」
聖君は、にっこりとほほえみ、キッチンに戻っていった。
「うわ。緊張した」
「野梨子、話すだけでそんなに赤くなってどうするの」
「だって~~。間近で見たら、もっと迫力のイケメンなんだもん」
迫力のイケメン~~?
「声も素敵。笑顔なんて、悩殺される」
「あはは。野梨子、確かにかっこいいけど、それは言い過ぎでしょ?」
悩殺…。それは私も同感だ。あの笑顔、絶対に罪だよ。あの笑顔を向けられただけで、キュン死にしそうになるよね。
「後姿もかっこいいよね」
野梨子さんって人がうっとりとしながら、そう言った。
「肩幅けっこうあるんだ。ちょっと腕も筋肉質って感じだよね」
もう一人の子がそう答えた。
「やわそうじゃないところがまた、いいのよね~~」
野梨子さんは、まだ目をとろんとして、聖君のほうを見ている。
「桃子ちゃん、さめちゃうよ」
聖君のお父さんが話しかけてきた。
「あ、はい」
いけない。つい隣の子たちの話に夢中になっていて、食べることを忘れていた。
「うめ!」
聖君のお父さんがそう言って、目を細めた。ああ。聖君そっくり。
私も食べだした。
「このソースって、お母さんの手作りですよね」
「うん。れいんどろっぷす特製だよ。母さん、つまり聖のおばあちゃんの代からこのソースだから」
「え?その頃から?」
「うん。俺のおばあちゃん、聖にとってはひいばあちゃんね、お料理の先生するくらい、得意だったんだ。母さんと二人で、このソースもコンソメスープやデミグラスソースも、作ったみたいだよ」
「すご~~い」
「はは。すごい?桃子ちゃんにもくるみが、教えてくれるよ」
「伝統あるソースなんですね」
「伝統?そうだねえ。今後もずっと引き継がれていったら、伝統あるソースになるかな」
聖君のお父さんは笑いながらそう言って、ばくばくとまた、美味しそうに食べだした。
「お待たせしました。アイスコーヒーとホットコーヒーです」
紗枝さんがカウンターにやってきて、隣の子たちに飲み物を置いていった。
紗枝さんがキッチンに戻ると、隣の二人が、
「なんだ~~。あの人が持ってきてくれると思ったのにな」
とがっかりしている。
「キッチンに入っちゃったみたいだね。見えなくなっちゃった」
「あ~あ。見れるだけでもよかったのにな」
「え~。本当にそれだけでいいの?もっと話したり仲良くなりたいんでしょ?」
「でもさ、話すと緊張しちゃうしさ」
「話すだけで?もし、迫られたりしたらどうするのよ」
「え~~!?」
せ、迫る?聖君が?
「どうしよう。でも、抵抗なんてできないよね、きっと」
え?
「ちょっとそんなこと言って、大丈夫なの?遊ばれたりしたらどうするの?あの噂、本当かもしれないんだよ?」
噂?!
「ああ、お店の子に手を出して、妊娠させたっていう?」
「そうそう。女にめちゃ、手が早いっていう」
どひぇ~~~~!!!!何、その噂。え?聖君のことだよね!!
「本当かな」
「だけど、ほら、さっきから見てると、あの子にもやたら話しかけてるし。あの子も真っ赤になってるしさ」
後ろをその子たちが見た。私もちらりとキッチンのほうに目をやった。
あ、本当だ。紗枝さんに聖君が話しかけた、紗枝さんが、真っ赤になってる。
「いいな。私もここでバイトしたいな。募集してないのかな」
「ちょっと野梨子、私の話聞いてた?」
「聞いてたよ。あんなにかっこよかったら、ちょっとくらい手を出されてもいいかなって思うよ」
ええ~~!!!
「野梨子、まじで?」
「あんなかっこいい人、そうそういないよ。あの腕に抱かれたいって思う人、けっこういるんじゃないかな」
ば、爆弾発言だ。ま、まじで?そう思ってる人いるの?いっぱいいるの?!
「一回だけの遊びでも?思い出つくりとか?」
「遊びとか、そういうこと関係なしに、たださ~~…」
野梨子さんは、コーヒーをこくっと飲んで、
「あんなに素敵な人に抱かれるって、どんななんだろうって、ちょっと思っちゃって」
…。私は、隣の人に気づかれないように、そっと二人を見てみた。ああ、若いといっても、OLか、女子大生か、もしかすると聖君よりも年上かもしれない。
いったい、聖君を何歳だと思ってるんだろう。っていうか、っていうか、やっぱり、そんなことを考えちゃう大人の女性いるんだ!
「野梨子、考えがぶっ飛び過ぎだよ。話すのも緊張して話せないくせにさ」
「だよね~~。私もそう思う」
「それに前の彼だって、まあまあのイケメンだったけど、ちゃらいやつで、野梨子懲りたんじゃないの?」
「だから、今度は見てるだけでもいいかなって」
「もっと、ちゃんとした彼作ったら?」
「う~ん」
「ほら、同じサークルのなんていったっけ?野梨子のことこの前、送ってくれた」
「ああ、いい人だけど、あまり好みじゃないし」
「野梨子、面食いなんだもんね」
「そうなんだよ~~。昔から。でも、あんなにかっこいい人は人生初だよ」
「でもさ、あんなにかっこいいんだから、もてるだろうし、女に手早いかもしれないし、やめときなって」
「だから、見てるだけ」
「は~、それでいいの?」
「じゃ、一回くらいもてあそばれてもいいかな」
え?え?
「まじで言ってるの?泣くのは野梨子じゃん」
「でも、あの彼なら、一回くらい抱かれても」
「し~~、来たよ」
聖君がランチを二つ持って、カウンターに来た。ああ、この二人が今、すんごい話をしていたとも知らずに、にこにこの笑顔で。
「お待たせしました」
聖君が、野梨子さんの真後ろに回り、お皿をカウンターに置いた。野梨子さんをちらっと見てみると、赤くなって固まっている。
あ~~~~~~。すんごい、複雑な心境~~~~。
「桃子ちゃん、食欲ないの?」
聖君のお父さんが聞いてきた。ああ、聖君のお父さんは今の話、聞いてなかったんだな。
「いえ、食べます」
とはいえ、あまりの衝撃で、箸が進まないよ。
「どうしたの?具合悪くなった?」
聖君がそれに気が付き、キッチンに戻らず聞いてきた。
「あ、だ、大丈夫」
私は引きつりながら、聖君に答えた。
「顔も赤い。熱?」
聖君が私のおでこに手を当てた。
「あ、なんとなく熱いような」
「大丈夫だってば。聖君」
隣の人たちが見てる。私は、それが気になってしまい、聖君の手を思わず、払いのけてしまった。
「も、桃子ちゃん?」
あ、やばい。聖君の顔が一瞬にして曇っちゃった。
「本当になんでもないから」
もう一回聖君にそう言ったけど、聖君の顔は沈んだまま。ああ。落ち込んじゃったかな。そういえば、聖君、前にも私が聖君の手を払いのけたら、それだけで、ショックを受けちゃったことあったっけ。
「えっと…」
聖君はその場を離れず、じっと私のことを見ている。どうしよう。どうしたら、聖君を安心させられるかな。
「俺、なんかしちゃった?」
「え?」
「なんか、桃子ちゃん、怒ってる?」
「ううん」
「まじで?」
「うん」
聖君は頭をぼりって掻くと、キッチンにとぼとぼと戻っていった。紗枝さんが聖君に話しかけたけど、聖君は顔をひきつらせながら答えて、そのままキッチンの奥へと消えてしまった。
あれ?もしかして、ものすごく傷つけちゃったのかな、私。
「聖君っていうんだね」
隣の人がぼそって言った。それから、本当に小声で二人で話していて、何を話してるのかも聞こえなくなった。
私は、さっきの聖君の固まった表情が気になりながら、ご飯を食べた。
「桃子ちゃん」
聖君のお父さんがまた、話しかけてきた。
「くるみが作った料理は、元気になれるよ。味わって食べてね」
「え?は、はい」
うわ。そうだよね。こんなに他のこと気にしながら食べたら、味もわからなくなっちゃう。
私は、一回聖君のことも頭の隅に置いておいて、ご飯を味わうことにした。
全部を食べ終わり、ごちそう様と言って一服してると、隣の人が話しかけてきた。
「あの、ちょっと話してもいいかな」
「はい?」
なんだろう。
「あの人、聖君っていうの?」
「あ、はい」
「知り合い?」
「え、えっと」
困った。でもとりあえず、こくんとうなづいた。
「聖君のこと、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
野梨子さんは黙って、私のほうを見たり、前を向いたりしながら、私に耳を傾けている。
「聖君っていくつ?」
「18歳です」
「え?!まだ18?」
「はい」
「うそ~。同じくらいかと思った」
「えっと、お二人はおいくつですか?」
「20歳。今度21」
そ、そうなんだ。やっぱり、聖君より年上。
「大学生?まさか、高校生?」
「大学1年です」
「彼女いるのかな、知ってる?」
うわ~~~~。ど、どうしよう~~~。もう、奥さんもいるんですと、言ってもいいんだろうか。それも、私なんですなんて…。
「聖君のいろんな噂、聞いちゃったんだけど」
「え?噂ってどこでですか?」
「ミクシィって知ってる?」
「はい」
「そこで知り合った友達が、この店来たことあるらしくって、告白した子が、彼女いるからってあっさりとふられたという噂もあるし、バイトの子と仲がいいみたいだって噂もあるし、バイトの子を妊娠させたっていう噂もあるし、それで、もしかして、あの子がそうなのかなって、さっきも野梨子と話してたんだけど。詳しく知ってる?」
「えっと」
困った。
「知ってたら教えてくれない?この子ってば、なんかまじで、聖君に惚れ込んじゃったみたいで。その噂が本当なら、友達の私としては、応援もできないし、逆に反対したほうがいいのかなって思ってるんだけど」
「…」
そうか。この人は、友達思いの人なんだな。野梨子さんが傷つくのは見たくないんだよね。う。じゃ、本当のことを言ったほうがいいよね。
ああ、でも、言いづらいかも。どんな反応をしてくるかな。それに、自分から私は、聖君と結婚してるんですなんて、やっぱり言いづらいかも。
ああ、隣の人たちは、事実を知りたがってるし、聖君は聖君で、私のさっきの態度で、落ち込んじゃったみたいだし、どうしたらいいんだ、私。と、ちょっと途方に暮れてしまった。