第110話 似たもの夫婦
聖君は髪を乾かし終えると、足と手の爪を切り出した。なんだか、そういう聖君を見れるのも私は嬉しい。
「なあに?桃子ちゃんも爪、切ってほしいの?」
じいって見ていたら、聖君にそんなことを言われた。
「ううん。違うよ」
「なんだ。足の爪、切ってあげるのに」
「私、思うんだけど」
「うん?」
「聖君ってどうしてそう、いろいろとしてくれようとするの?」
「え?」
聖君の顔は引きつった。
「もしかして、桃子ちゃん、嫌がってた?」
「ううん。そうじゃないけど。なんていうか、その…」
うまく言えないな。しばらく黙っていると、じっと聖君は不安そうに私を見た。
「あ、本当に嫌がってるわけじゃないよ。ただね、どうしてそうも、尽くしてくれるのかなって思っただけで」
「尽くす?」
「うん」
「俺、桃子ちゃんに尽くしちゃってる?」
「う、うん…。体洗ってくれたり、髪乾かしてくれたり…」
「…」
聖君は黙り込んだ。
「なんでかな?自分でもあまり、よくわかってないけど」
そう言うと、また足の爪をパチン、パチンと切り出した。そして、自分の爪を切り終えると、じ~~っと私の足を見ている。
「ちょっと、のびてるよ、爪…」
「うん。じゃ、切ろうかな」
「切ってあげるね」
「え?」
いいのに、そんな。でも…。断れそうもないな。なにしろ、すごく嬉しそうに私の足を持って、にこにこしてるし。
なんで、そんなに嬉しいんだろう。
「あ、ちょっとくすぐったいかも」
そう言うと、聖君は、
「足、動かしたら危ないから、動かしちゃだめだよ」
と注意してきた。
「はい、ごめんなさい」
「桃子ちゃんの足の爪、かわいいね」
「え?そ、そうかな」
「小指なんて、めちゃ小さい。あ、深爪しないよう気をつけないとね」
「きっと、赤ちゃんのはもっと小さいよ。聖君、凪の爪も切る?」
「それは桃子ちゃんに任せる」
「え?なんで?聖君なら、喜んでするかと思った」
「だって、こえ~じゃん。すげ~、ちっちゃい爪なんでしょ?」
「うん、多分」
「凪をお風呂に入れるのはするよ」
「オムツも替えてくれる?」
「うん、それはする」
「本当に?」
「するよ。夜泣きしたら、あやしてあげるし、哺乳瓶でならミルクもあげるし。さすがに母乳は出せないから、それはできないけど」
「あはは。そりゃそうだよ~~」
私が笑うと、
「桃子ちゃん、足、今小指切るところだから、動かさないで」
と言われてしまった。私は笑うのをやめて、じっとした。
パチン、パチン。真剣な顔で聖君が爪を切っている。ああ、足の指を持たれて、実はすごくくすぐったい。でも、それにも耐えて、じっとしていないとならない。
だけど、ちょっと嬉しいかも。
「はい、反対の足」
「うん」
聖君は、もう一方の足の爪も切り出した。
「父性本能ってあるのかな」
私の言葉に聖君は、
「え?」
と顔をあげた。
「もしかして、赤ちゃんが生まれるから、聖君の父性本能が目覚めちゃったとか」
「なに、それ…」
「あ!」
「え?」
「まさか、私が子供みたいだから、私に対しての父性本能だったりして」
「ああ、それはあるかも」
「ええ?!」
「あはは。うそ、うそ」
聖君は笑ったけど、すぐにまた真剣な顔をして、足の爪を切り出した。
「桃子ちゃんってさ」
「うん」
「かわいいんだもん」
「へ?」
「つい、いろいろとしてあげたくなる」
「は?」
「やっぱ、これ、父性本能?」
「さあ…」
「それとも、愛?」
「あ、愛?!」
「はい。切り終わったよ」
「ありがとう」
「手の爪は?」
「あまり、のびてないから平気」
「な~~んだ」
あ、残念がってるし。
聖君は、ベッドにごろんと横になり、凪の日記を書き出した。
「凪の手も、爪もかわいいんだろうね」
「うん」
「ああ、楽しみだな…」
聖君は目を細めて、そうつぶやいた。
聖君はそうとうな、子煩悩のお父さんになるだろうな~。
日記を書き終えると、聖君はそのまま私の枕を抱きしめ、ごろごろとしている。
「そろそろ大学始まるな~~」
「そうだね」
今度は私が凪の日記を書いていた。床のクッションに座り書いていると、ベッドから身を乗り出し、聖君が覗き込んできた。
「あ、今日のデートのこと書いてるの?」
「うん。生まれたら3人で行こうねって書いてるの」
「そっか」
聖君はにっこりと笑った。
「大学の前に、サークルでしょ?」
「うん。来週の土日で行ってくるよ」
「また伊豆?」
「うん。この前のところと一緒」
「そっか~」
「やっぱり寂しい?」
「う、うん。そりゃあ…」
聖君はベッドから飛び降りてきて、私に抱きついた。
「桃子ちゅわんってば!寂しがりやなんだから」
「…」
抱きついたまま、聖君は私の髪にほおずりまでしている。
きゅ~~~ん。ああ、聖君のにおいだ。幸せだな~~。
「もう、日記書き終えた?」
「うん」
「じゃ、もう寝る?」
「うん」
「電気消すね」
「…あ!」
「え?」
「思い出した」
「なに?」
「宿題があった」
「え?もう?」
「数学のプリント…。う~~わ~~~~」
やばい。すっかり忘れてた。
「いいよ、どれ?見てあげるよ」
「ありがとう、聖君」
私はカバンから、プリントを引っ張り出してきた。
「これ、本当は授業中に終わらせなきゃならなかったの。でも、わけわからなくって、終わらなかった」
「それで宿題になっちゃった?」
「うん」
「どこわかんないの?」
「この問題。応用問題なんだけど、どう解いたらいいか、さっぱり…」
「見せて?」
「うん」
聖君はプリントを手に取り、問題をふむふむと読み出した。
「なるほどね。これは、あれだよ」
え?もうわかったの?って、そりゃそうか。ついこの前まで、受験勉強だってしてたんだもんね。
聖君はペンを片手に、説明をしだした。
「あ、ああ、そっか。そういうことか~~!」
すご~~い。聖君の説明、わかりやすい。
「じゃ、こっちのもお願い」
私はもうひとつ、聖君に聞いてみた。
「このへんは明日、授業中に当たりそうで」
「いいよ」
聖君は教科書を見て、またすぐに、
「これはね」
と説明を始めた。
「うわ~~。これで、当たってもばっちりだ」
「すごいね、桃子ちゃん」
「え?なにが?」
「説明一回しただけで、わかっちゃうから」
「違うよ!聖君の説明が上手なんだよ」
「そういえば、杏樹もよく数学の問題聞きにきてたっけ。学校の先生の説明はぜんぜんわかんないって、文句言いながらさ」
「うん、そうだよ。聖君の説明、わかりやすいもん。学校の先生とか、塾の講師とか、家庭教師向いてるかもよ?」
「俺?」
「うん!」
「学校の先生になる気はないな。でも…」
聖君は突然、どこか遠くを見つめて黙り込んだ。
「でも?」
「うん」
聖君は私のほうを向くと、
「たとえば、子供たちに海の生物のこととか、そういうのを教えてあげるなんていうのはいいなって、思ったりしてる」
「どこで?」
「どこかな。なんかそういうことを教えてるようなとこ、ないかな」
そう言うと聖君は、へへって笑った。
「ま、そういうことしてみるのもいいなって、淡い夢物語だね」
「実現できるかもよ?」
「え?」
「なんか今、イメージできたもん。子供たちが聖君の回りに集まって、みんな目を輝かせて、聖君の説明聞いてるの。きっと、聖君は子供たちの心をつかむのも、上手だと思うな」
「…」
聖君は目を丸くした。
「そう思う?桃子ちゃん」
「うん」
私は思い切りうなずいた。
「はは。そっか。桃子ちゃんがそう言ってくれると、まじで実現できるような気がしてくるな」
「…」
そうか。聖君には、そんな夢があったんだ。
海のことを研究したり、海に潜ったり、そして、海の生き物と共存したり、海のことを子供たちに教えたり、なんか、そんなことをしている聖君が浮かんでくる。
目を輝かせている聖君の周りには、同じように目を輝かせている子供たちの姿。その中には、凪もいるかも…。
じゃあ、私は?何をしてるかな。
そんな聖君をそばで見ていたいな。お弁当を持って、聖君の仕事してる姿を見に行ってるかな。
それとも、何か、一緒にできることがあるかな。
目を輝かせてる聖君を、ずっとずっとそばで見ていたい。それができたら、最高に幸せだろうな…。
「なあに?」
聖君が聞いてきた。
「え?」
「俺のこと熱い目で見てたよ。もしかして、またその気になっちゃった?」
「ち、違うよ~~」
もう!そうじゃなくって!
「聖君の未来に、私はどんなふうにかかわってるのかなとか、そんなことを考えてたんだよ」
「え?桃子ちゃんは、どんなも何も、ずっと俺の奥さんでしょ?」
「うん。だから、聖君がね、仕事しているとき、私は何をしてるかなとか、考えてたの」
「?」
聖君はきょとんとした。
「だ、だから。子供たちに、海のことを教えてる聖君、見ていたいなって思っちゃって。だったら、仕事先まで、お弁当でも持って届けに行っちゃおうかな~~とか、それか、私もその職場で働けないかな~~とか、そういうことをいろいろとね…」
「…」
聖君はまだ、目を丸くしている。それから、
「むぎゅ~~」
と言って、抱きしめてきた。
「桃子ちゃん、すげ、かわいい!」
「え?」
「そっか。俺の仕事先にお弁当届けてくれるのか。凪と一緒に「あなた~~、お弁当よ」とか言って、きてくれちゃうのか」
「…」
出た。聖君の勝手な妄想。
「そんで、一緒に食べるのか。海の見える場所で、お弁当広げて、3人で。あ、その頃は、凪の兄弟もいるかもしれないしな~~」
あ、思い切りにやけてる。
「やべ~~。なんだか、めっちゃ幸せ家族じゃん!」
「そうだね」
きっと、そこでも聖君は人気者だ。そして、言われちゃうんだ。
「奥さんが羨ましいわ~~」
な、ん、て!
「桃子ちゃん今、思い切り妄想の世界?」
「え?うん」
「…だよね。どっか行ってたもんね」
「うん」
「俺らって、やっぱり」
「バカップルでしょ?」
「似たもの夫婦だよね」
「う、そうかも」
そして、またむぎゅって抱きしめあった。
「もう寝る?桃子ちゃん」
「うん!」
電気を消して、ベッドに横になった。
「おやすみ、桃子ちゃん」
「おやすみなさい」
聖君がキスをしてくれて、私は聖君の腕の中に顔をうずめた。
そして、聖君といられる未来を思った。来年も再来年も、もっと先も、ずっとずっと聖君の隣にいるんだ。そうして、聖君を見ていられるんだ。
なんて幸せなんだろう。
聖君はすぐに寝息をたてた。この寝息も毎晩聞いていられるんだね。
私はまた、思い切り幸せをかみしめながら、眠りについた。