第109話 お風呂
「聖君って不思議」
体を洗ってもらってるとき、ぼそってそうつぶやくと、
「俺が?」
と聖君が聞いてきた。
「うん。だって、女の子苦手だから、あまり話せないんだよね?」
「うん」
「でも、さっきの店員さんもだけど、平気で話しちゃうじゃない?」
「え?そうかな」
「前もあったよ。雑貨屋さんで確か…」
「ああ。店のことだからでしょ?」
「店?って、れいんどろっぷす?」
「うん。あれも一応、仕事の一環」
「なるほど。じゃ、仕事と関係なかったら?」
「そんなに話さないよ、俺」
そっか。
「この石鹸、やわらかいね。あっという間に溶けちゃいそうだ」
「うん。すごくいい香りがする」
「なんの香りかな」
「あ、石鹸とメモも一緒に入ってたけど、ローズウッドって書いてあったかな」
「ローズ?そういえば、花の香りっぽいね」
「聖君」
「ん?」
「胸、くすぐったいよ」
「…」
「だから、もう胸はいいってば!」
「ちぇ」
また、そこでちぇって言うし…。
「エッチ」
「エッチだよ、そんなの桃子ちゃんも知ってるじゃん」
絶対に開き直ってると思う。
「桃子ちゅわん」
「ん?」
「ぎゅ~~~~。ああ、やわらかい。あったかい」
聖君が抱きついてきた。
「そういえば、朝、なんで私にひっついていたの?」
「ん?」
「部屋、掃除しようとしてたのに」
「別に、意味はないよ。ただ、甘えていたかっただけ」
「ほんとに?」
「だって、昨日は一日いられたのに、今日はそうじゃなかったから。なるべくぎりぎりまではくっついていようかなって、そう思っただけで…」
そうだったのか。
「俺ってそんなに甘えん坊?」
「うん」
「他のやつってこうじゃないのかな」
「葉君とか?聞いてみたことないの?」
「ないよ。聞いても教えてくれるかどうか」
「聖君は、葉君に話したりしないの?甘えてること」
「しない」
「そうなの?じゃ、誰も知らないの?この聖君を」
「桃子ちゃんしか、知らない。あ、ばらしちゃだめだよ」
「うん」
そうか。私だけが知ってる聖君か。
「ぎゅ」
私も聖君に抱きしめられている腕を、抱きしめた。
「私、聖君に甘えられるの大好き」
「まじで?」
「うん、かわいいもん」
「…桃子ちゃん、変態」
「え~~?そうかな。母性本能って言ってほしいな」
「ああ、なるほどね。ってことはやっぱり、俺、凪が生まれたら、桃子ちゃんのこと奪い合っていそうだな」
「え?」
「競争して甘えていそうだ」
「…」
女の子なら、その逆、ありえそうだな。娘に聖君を取られたくない~~なんて、嫉妬してるかも。
私は椅子から立ち上がって、聖君のほうを向き、むぎゅって抱きしめた。
「どうしたの?」
「いきなり抱きつきたくなって」
「…」
聖君もしばらく私を抱きしめていたけど、
「このままだと、めちゃくちゃ危ないよ?」
「え?」
「俺、歯止めきかなくなりそう」
と言ってきた。
「…」
そうだよね。聖君から離れなくっちゃ。う~~ん、でも離れがたい。まだ、抱きついていたい。
「ここでしていいの?」
「駄目!」
「じゃ、離れて、桃子ちゃん」
「う、うん」
また私は椅子に座った。でも、聖君はシャワーで泡を洗い流し、
「はい」
とタオルを私に渡して、バスタブに入ってしまった。
あれれ?体全部洗ってくれるんじゃないの?
私が聖君のほうを見ると、聖君はそっぽを向いていて、
「今、俺、本能と戦ってる最中。理性が勝つまでは、ごめん。桃子ちゃん、自分で体洗って」
とそんなことを言った。
「わかった…」
そうか。そこまで私は刺激してしまっていたのか…。
う、でも、私もちょっと、うずいていたから、わからなくもないけど。
突然聖君は歌を歌いだした。それから、半分バスタブから体を出し、バスタブのふちにだらんと体をたらして、
「やべ、のぼせそう」
とぼそってつぶやいた。
「え?大丈夫?もう出たら?」
「違う。風呂にじゃなくって」
「え?」
「桃子ちゃんに…」
「は?」
「理性がなかなか勝ってくれません」
まだ、戦っていたのか…。
「あ~~~。桃子ちゃん、今日どうしてそんなになまめかしいの?」
「はあ?」
「俺のこと、絶対に誘惑しようとしているな」
「してない、してない」
なんなんだ。聖君は…。
「あ、髪も洗っちゃう?」
「うん」
「俺が洗う」
「え?」
「でも、まだ…」
「…いいよ、自分で洗っちゃうから」
「く~~ん」
あ、ないた。
「…桃子ちゃん」
「え?」
「桃子ちゅわわん」
私はそんな甘えた聖君の声にもめげず、髪を洗い終えた。それから、バスタブに入った。
聖君は思い切り後ろから抱き付いてきた。
「あれ?そんなことしたら、やばいんじゃないの?」
「めちゃやばい」
「だよね?」
「うん。めちゃくちゃ、まだ本能が…」
「どうしたの?何かあった?」
「だから、桃子ちゃんがやけになまめかしくて」
「そんなことないよ。私はいつもと同じだもん」
「でも、フェロモン出てるよ?」
「出してないよ~~」
「うそだ」
「うそじゃない」
っていうか、そんなの出してるかどうかもわからないってば。
「さっき、桃子ちゃんもその気になってたくせに」
ギク。なんでわかったのかな。
「俺の胸に抱きついてきたとき、その気だったでしょ?」
「どどど、どうしてわかったの?」
「やっぱり。だからフェロモンが出てたってば」
うそ~~~!
「俺、けっこうそういうの敏感」
「え?他の人のも?」
「まさか!桃子ちゃんのだけに反応するの!」
よかった。ほっとした。
「桃子ちゃん」
「じゃあ、部屋行ってから」
「桃子ちゅわわん」
「部屋…」
うわ!駄目だってば。うなじにキスしたり、胸触ったりしないで!
「聖君、駄目だよ」
うわ!耳も駄目~!
「聖君、本当に駄目!」
駄目だったら、駄目だってば。駄目なのに。なんで私、聖君のほうを向いて、キスしたり、抱きついてるのかな。
「桃子ちゃん?」
「…」
やばい。私も本能が…。
「やっぱ、誘ってるじゃん」
聖君はそう言うと、私に思い切り濃厚なキスをしてきた。ああ、やばい。もう、きっと理性は戻ってこない…。
ぼけ~~~。お風呂の湯気と、聖君の体の熱さにやられたかもしれない。頭がぼ~~っとする。これ、絶対にのぼせてる。
「大丈夫?」
「うん」
「そういえば、和室に扇風機あったね、あれで少し涼もうよ」
「うん」
私は聖君に体を拭いてもらった。どうにも腑抜けになってしまっていて、自分で体を拭く力もなくなっていた。
「あ、俺、髪の毛洗ってない。一人で和室、行ける?」
「うん」
「じゃ、さっと洗って俺も行くから。あ、髪、自分で乾かせる?」
「うん」
私はそう答えて、バスルームを出た。後ろから、
「ほんとに大丈夫かな~」
という聖君の声が聞こえていたが、私はふらふらと和室に向かった。
扇風機をつけ、その前に座り、しばらくぼ~~って風に当たっていた。
「ああ、気持ちいい」
のども渇いたな。あとで、聖君が出たら、水、持ってきてもらおうかな。
それにしても…。
うわわわ。思い出すと顔から火が出そうだ。両親やひまわりにばれたら、えらいことだ。お風呂で聖君と抱き合っちゃったなんて。
あ~~~。お風呂から出たとき、母も父もリビングでテレビを観ていてくれて、助かった。でも、母が和室の襖をそっと開けて、
「どうしたの?桃子」
と聞いてきた。あちゃ。来ちゃった。
「なんか、湯当たり?」
「大丈夫?」
「うん。扇風機に当たってるから大丈夫」
「水持ってくる?」
「うん」
母はキッチンに行った。それから、水を持ってくると、
「あれ?聖君はまだお風呂?」
と聞いてきた。
「うん。先に出た」
「具合が悪いから先に出てきたの?」
「う、うん」
わ~~、なんだか嘘がばれそうで、怖い。
「扇風機に当たりすぎても、お腹冷えたらいけないから、もう少ししたら、部屋に行きなさいね」
「うん」
母は和室を出て、襖を閉めた。そしてしばらくすると、聖君が来た。
「大丈夫?桃子ちゃん」
「うん」
「髪、乾かしてあげようか?」
「うん。もう2階に行けると思う」
そう言うと、聖君はちょっとなさけさなそうに、
「ごめんね」
と謝ってきた。
「うん」
謝られてもな。だって、私もあのときすっかりその気になっちゃってたから、聖君だけの責任じゃないんだもん。
「やっぱり、お風呂ではやめようね」
「え?」
「凪にも悪いよね」
「うん」
聖君は私の髪を乾かしながらそう言ってきた。
「どうにか、本能に打ち勝つ訓練でもしないと駄目だな、俺」
「え?」
「頭を真っ白にする訓練。煩悩を追い出す修行」
「それを言うなら、私だって」
「え?」
「だって、さっきは聖君にこのまま、抱かれたいって思っちゃって…」
「え?!」
あれ?なんで聖君が恥ずかしがってるの?真っ赤だ。
「桃子ちゃんの口から、抱かれたいだなんて!」
あ!
「い、今のは無し。忘れて」
「いやだ」
「え~~!ちょっと言い間違えたの」
「言い間違えてないじゃん。だって、そういうことでしょ?」
「そ、そうだけど」
きゃわ~~~。いつも聖君が、俺に抱かれたい?とか、抱いてもいい?とか言ってくるから、私までそう言っちゃったよ。恥ずかしいよ~~。
「ぎゅう~~~」
聖君が抱きしめてきた。
「桃子ちゅわん」
「…」
「こんなときに、あれなんですけど」
「え?」
何?
「めちゃ、色っぽかった」
「へ?」
「やばい~~~~~~」
…え?やばい?
「桃子ちゃんがどんどん、どんどん…」
ななな、何?
「目覚めちゃってく」
「え?何?何?それ!」
「女に目覚めちゃってく。俺、どうしよう」
「は?」
それ、どういうこと?!!
「あ、俺があれか。目覚めさせちゃったのか!」
「へ?」
「きゃ!」
また恥ずかしがってるし!何、なんなの?何のこと?
聖君はしばらく真っ赤になりながら、黙り込んで、私の髪を乾かし続けた。そして、ぼそっと、
「これ以上、女に目覚めたら、どうなるのかな…」
とそんなことをつぶやいて、また顔を赤らめている。
「ないないない!それはない!これから、私は母になっていくんだし、お腹だって、もっと大きくなるし!」
「だよね…」
聖君はそう言うと、にやついてた顔をもとに戻し、
「うん。凪のことを優先に考えないとね!」
と、突然真剣な声でそう言った。
あ、よかった。聖君、ちゃんと凪のこと考えてくれた。
じゃない~~!私!私がもっとちゃんと考えないと!
私はつい、これからは一人でお風呂に入ろうかななんて、そんなことを考えていた。