第107話 恋人気分で
翌朝、8時半に花ちゃんから電話があった。
「さっき、いきなり籐也君からメールが来て、今日映画観にいかないかって!」
「え?と、突然?」
「バンドの練習まで、時間があいちゃったんだって。観たい映画があるから、暇なら一緒に行かないかって!」
「…」
携帯からもれる花ちゃんの声を、私にひっついていた聖君も聞いていた。
朝ご飯が終わり、私は少し部屋を片付けようと2階にきたんだけど、それに聖君がひっついてきて、さっきから、片付けたくても、聖君が抱きついたまま離れてくれなかった。そこに電話が鳴ったんだ。
「籐也、こんなぎりぎりにならないと誘えないのかよ。しょうがねえな」
聖君がぼそって言った。
「あれ?聖君もそこにいるの?」
花ちゃんは、聖君の声が聞こえたようだけど、なんて言ったかまでは聞き取れていないようだ。
「ねえ、桃ちゃん。私行っていいのかな?」
「は?」
聖君も、はあって顔をした。
「私以外に誘う人、いなかったのかな。私でいいのかな」
「…」
聖君があきれた顔をして、私から離れた。
「こりゃ、籐也も苦労するね」
そう聖君はつぶやくと、
「話長引くでしょ?俺、洗濯物干す手伝いでもしてくるよ」
と一階に下りていってしまった。
「聖君、今なんて?」
花ちゃんが聞いた。
「あ、洗濯物を干す手伝いしてくるって下に下りていったの」
「ええ?そんなことまで、してくれてるの?」
「聖君、主夫だもん」
「は~~~。すごいね」
花ちゃんは感心していたが、しばらくすると我に返ったように、
「あ、そうじゃなくって、私のことだった。ねえ、籐也君、そんなに映画に行ってくれるような友達、いないのかな」
と、私に聞いてきた。
「花ちゃんを誘いたかったんじゃないの?」
「ま、まさか!時間空いたからって言ってたもん。だいいち、こんな急に誘ってきたりしないでしょ?普通」
「…」
いや、きっとずっと、どうやって誘うか迷いに迷って、当日になっちゃったパターンだと思うんだけどな。
「行ってきなよ。誘ってくれたんだから」
「だよね。行ったほうがいいよね」
「行きたくないの?」
「行きたいよ~~~」
「じゃ、行ってきなよ」
「うん」
花ちゃんは支度するからって言って、電話を切った。私は、聖君がいないすきに、部屋の掃除を始めた。
それにしても、花ちゃんは、まったく籐也君に好かれてること、わかってないみたいだな~。
そういえば、なんで聖君、私にひっついていたのかな?
掃除も終わり、一階に行くと、聖君は母とお茶を飲みながら、まったりとしていた。
「あれ?電話終わった?」
「うん」
「なんだ。もっと長くなると思ったのに」
「だって、花ちゃんこれからデートだもん。支度しないといけないでしょ?」
「あ、そっか」
「花ちゃん、デートなの?」
母が聞いてきた。
「うん。映画だって」
「まあ、いいわね~。あなたたちもたまには、デートでもしたら?」
「いいね!!!」
聖君が、ものすごく嬉しそうにそう叫んだ。
「じゃ、今日する?」
「え?でもバイト」
「夜、早めに店を出るよ。ご飯外で食べない?」
「うん」
わあ!いきなり聖君とデートだ!
「じゃあ、そうだな。8時に新百合の駅で、待ち合わせしようか」
「電車で来るの?」
「車でだよ。駅から車で、そのへんのレストラン行こう」
「うん!」
「まあ、いいわね。でも、桃子気をつけていきなさいよ」
「うん、大丈夫」
聖君は、にこにこしながらバイトに出かけた。私は、デートの服は何を着ようかと、わくわくしていた。
「桃子、じゃ、8時になるまで、お母さんと買い物でもしてる?」
「え?」
「デパートでも行って、赤ちゃんのものでも見ない?」
「8時まで?」
「夕飯はデパ地下で買っちゃうわ。夕方涼しくなってから、駅のほうに行きましょうよ」
「うん」
わあ、それも楽しみだな。
そして、6時、日も落ちてきて涼しくなり、私と母は家を出た。
デパートに着いてすぐに、ベビー服売り場に行った。やっぱり何よりも、赤ちゃんの服が見ているとあきない。
「女の子かしらね、男の子かしらね。それがわかるまでは、買えないわね~~。あ!これ見て、桃子。かわいい~~」
母がそう叫んで、赤ちゃんの服を手にした。
「本当だ。それ、男の子のだよね」
「今は、男の子の服もかわいいのがいっぱいね」
「わあ。これ、お砂場着だって。公園行くようになったら着るのかな」
「こっちには、靴もリュックもあるわよ」
「本当だ。かわいい~~」
私たちは、あっちを見たり、こっちを見たり、そのフロアーの端から端まで歩き回り、どっと疲れてしまった。
「のど渇かない?桃子」
「渇いた」
「どこかでお茶しましょうか」
「そのへんの椅子に座って自販機のお茶でもいいよ」
「そう?」
私たちは、ちょうど子供の遊び場の横にあったベンチに腰掛け、自販機で買った冷たいお茶を飲んだ。
子供の遊び場は、にぎやかだった。もう7時を軽く過ぎていたが、まだ子供を連れた親子は、のんびりとしてるもんなんだな。
「あんなふうに凪ちゃんも、遊ぶのかしらね」
「うん」
「ふふ」
母が突然笑い出した。なんだろう。思い出し笑いかな。
「聖君は、きっと凪ちゃんと一緒になって遊びそうじゃない?」
ああ、聖君のことか。
「うん、一緒にあの真ん中で遊んでいそう」
「いいわね~。あんなお父さん。自慢のパパになるんでしょうね~」
「自慢の旦那さんだもん」
「そうよねえ。あ!そうか。じゃ、自慢の婿だわね!」
「え?あはは。そうだよね」
母としばらく、笑いあっていた。
「あ、そろそろ8時になるわよ」
「え?もう?」
「駅で待ち合わせでしょ?」
「うん」
「そこまで一緒に行くわよ」
「うん」
私と母は、デパートをあとにした。結局買ったのは、赤ちゃんの肌着だけ。それも50センチとか、60センチのもの。もうちっちゃいったらありゃしない。めちゃくちゃかわいい。
聖君にも見せよう。きっと喜ぶだろうな。
駅に行くと、まだ聖君は来ていなかった。
「お母さん、ありがとう。あとは一人でも平気だから」
「そう?じゃ、帰りにデパ地下にでも寄っていくわ。じゃあね、気をつけてね。あまり遅くならないようにね」
「うん」
母は、来た道をまた戻っていった。
「お父さん、ひまわり、ごめん。今日はお惣菜だ」
そして私は、聖君とレストランで食事だ。ああ、楽しみ!
久しぶりのデートだから、ワンピースを着た。お腹がだぼってしているワンピースだから、ぜんぜん余裕で着れた。でも、ちょこっとお腹が出てるのがわかってしまうけど。
ブルブル…。携帯が振動した。あ、聖君から電話だ。
「桃子ちゃん、今、ロータリーに車停めてるんだ。こっちに来れる?」
「うん」
私はそのまま、ロータリーに向かった。聖君は、車から出て、私が来るのを待っててくれてる。
「ねえ、あの人かっこいい」
私の横にいた女の子が二人、聖君を指差してそう言った。うひゃ。また出た。聖君をかっこいいっていう女の子が。
「もしかして彼女待ってるのかな」
「そうじゃない?」
「いいな~~。あんなにかっこいい彼!」
うわ。すぐ隣にいるんですけど、その彼女が。いや、もう奥さんなんです。あれ、旦那なんです~~。
と心の中でつぶやきながら、私は聖君のほうに歩いていった。
「桃子ちゃん!」
聖君が私を見つけて手を振った。
「うそ!彼女だ、彼女!」
さっきの子が、私の後ろでそう言っているのが聞こえた。
私は、なんだか恥ずかしくなりながら、顔を赤くしたまま聖君のもとに行った。
「ごめんね。ここまで、来させちゃって」
「ううん」
「はい」
聖君は助手席のドアを開けた。
「ありがとう」
わ~~。なんだか、本格的なデートって感じじゃない?
車に乗り、シートベルトを締めようとしながら外を見ると、さっきの子達がこっちを見てるのが見えた。
「あのね」
運転席に乗り込んできた聖君に声をかけた。
「何?」
「あの子達が、聖君のこと見て、かっこいいってさわいでいたよ」
「また~?桃子ちゃんの妄想?」
「違うよ。きっと彼女を待ってるんだよ。いいな、あんなかっこいい彼って、そう言ってたもん」
「あはは。彼女じゃなくって、奥さんを待ってるんです。私がその奥さんなんですって、桃子ちゃんちゃんと言った?」
「うん」
「え?まじで?!」
「うん、心の中でちゃんと言ってた」
「ガク。な~~んだ」
聖君はそう言ってから、ハンドルを抱え、私の後ろ側の窓の外を覗いた。
「ああ、あの子達?なんだか、まだこっちを見てるよ」
私も窓の外を見た。あ、本当だ。まだ見てる。
「桃子ちゃん。シートベルト、まだつけられないの?」
「え?うん」
実はさっきから、もたもたしちゃって、まだつけられていなかった。
「しょうがないな。貸して」
聖君はシートベルトを持って、締めてくれた。そのあと、私の顔のすぐそばまで顔を持ってきてから、
「お腹にきつくない?シートベルト締めて、大丈夫かな」
と優しく聞いてきた。
「うん、まだ大丈夫みたい」
「そう?もし、きつくなってきたら言ってね」
「うん」
チュ。聖君は唇に軽くキスをして、車を発進させた。
うわわわわ。ここ、こんなところで、キス?
私は真っ赤になってしまった。そして何気に窓の外を見ると、さっきの子達が唖然とした顔でこっちを見ていた。
あ!今の絶対に見られた!
「ひ、聖君」
「何?」
ロータリーを出てから、私は聖君に声をかけた。
「今、見てたよ。さっきの子達」
「キスしたところ?」
「うん」
「いいじゃん」
「よ、よくない」
「なんで?夫婦なんだからいいじゃん」
そういう問題じゃない~~。ああ、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「レストラン、どこがいい?」
「…イタリアン」
「パスタ?」
「ううん。ピザ食べたい」
「了解」
「あと、サラダも食べたい」
「うん、あるよ。きっと」
「やっぱり、パスタも食べたい」
「わかった。ピザとパスタとサラダ、一品ずつとって食べようね」
「うん」
「桃子ちゃん、まじですごい食欲だね」
「…でも、気をつけないとね」
「なんで?赤ちゃんいるんだから、いっぱい食べたほうがよくない?」
「駄目なんだって。太りすぎると、いろいろとよくないんだって」
「なんだっけ。妊娠中毒だっけ?」
「そう。血圧あがったり、むくみがきたり、いろいろとあるみたい」
「大変だよね」
「うん…」
「でも、そうだよな。ひとつの命が育ってるんだもん。いろいろとあってもおかしくないね」
「そうだよね」
「その分、気をつけないとね」
「うん」
「じゃ、栄養あるもの食べようね」
「うん」
「くす」
あれ?聖君笑った?
「なあに?」
「いや、桃子ちゃん、変わったよなって思って」
「え?どんなところが?あ!よく食べるから?」
「それもあるけど。思ったことをはっきりと、言うようになったなって思ってさ」
「そ、そうかな」
前のほうが遠慮していたからかな。
「あ、もしかして図々しくなってきた?」
「ううん。全然。はっきりと言ってくれて、全然いいよ」
「ほんとうに?」
「前は遠慮してたでしょ?」
「う、うん」
「くす」
あ、また笑った。
聖君は目を細めて笑いながら、運転をしている。
「もう少しいったところにあるから、お腹すいちゃったでしょ?大丈夫?」
「うん。さっき、お茶飲んだりしたし」
「どこで?」
「デパート」
「ああ、寄ってきたの?」
「お母さんとね、赤ちゃんの洋服見てた」
「ええ?ずっこい」
「え?」
「俺も見たかったな」
「今度ね」
「うん」
「あ、それでね。肌着買ってきた」
「凪の?」
「うん。50センチと、60センチ。すんごい小さいの。あとで見せてあげるね」
「…50センチ?生まれたてくらい?」
「うん。そのくらい」
「へ~~~。小さいよな。あ、でも、生む桃子ちゃんからしてみたら、でかいか」
「…」
ああ、産むときのことを考えると、ちょっと怖くなってしまう。
「桃子ちゃん?顔色悪くなったけど、大丈夫?」
「…産むの怖いなって、今、ちょっと思ってた」
聖君は、私の手を握ってきた。
「ごめんね、立ちあえなくって」
「ううん」
「でも、ギリギリまではそばにいるよ。陣痛きてても、すぐそばにいるから、ね?」
「うん」
「俺、母さんが買ってくれた本もしっかりと読んで勉強してるから」
「え?な、なんの?」
いったいなんの勉強?
「予定日近づいたら、お腹張ってきたりするんでしょ?それで、まずは破水があって、陣痛が5分間隔になったら、病院いって。いろいろと入院のものも揃えないとね」
「…」
すご…。私よりもよく知ってるし、それに、気が早いというかなんというか。
「そんなに痛いのかな」
え?なんで聖君が気にしてるの?
「桃子ちゃんだけが、そんな痛い思いをしないとならないんだね」
「…そりゃ、産むのは私だから」
「男って、役立たずだよね、本当に」
「そんなことないよ」
「あるよ。生まれてくるまで、何もしてあげられない」
「じゃあ、聖君」
「ん?」
私は聖君の横顔をじっと見た。聖君は信号が赤になり、車を止め、私のほうを見た。
「生まれてから、いっぱい凪の世話してくれる?」
「もちろん!」
「それから、生まれるまでは、私に優しくしてくれる?」
「もちろん!あったりまえじゃん!」
聖君はまた、ぎゅって私の手を握った。
「もう、めちゃくちゃ大事にしちゃうから!あ、生まれてからだってずっとね!」
そうすんごくかわいい笑顔で言ってくれた。
レストランについた。車を駐車場にいれて、私たちはレストランに入った。
窓際の席が空いていて、そこに通された。
「ここ、禁煙席ですよね?」
聖君が聞いた。
「はい、あちらが喫煙席ですが、喫煙席のほうがよかったですか?」
店員が聞いてきた。若い、きれいな女の人だ。
「あ、いいえ。ここでいいです」
聖君がそう言った。ああ、そういうのちゃんと気にしてくれてるんだな。
聖君は席に座ると、さっさとパスタ、サラダ、ピザをオーダーして、私たちは一息ついた。
ああ、周りは家族連れが多い。でも、カップルも何組かいる。キョロキョロ。私は周りのテーブルを見た。でも、聖君が一番かっこいい。
ふと視線を感じて、私はまん前の聖君を見た。
「?」
聖君がじいっと私を見ている。
「なんか、いいね」
「え?」
「こうやって、外で桃子ちゃんと食べるのも」
「うん」
「たまにデートしようね。凪生まれてからも」
「3人で?」
「ううん、誰かに凪を預けて、二人っきりで」
「…」
か~~。二人っきりって言葉に、やたらと反応してしまった。うわ、顔、熱い。
「ぶふ!」
聖君がいきなり、ふきだした。
「な、なあに?」
なんで笑ったの?
「桃子ちゃん、だって、真っ赤になってるから。おもしれ~~。なんだか、俺、すげえ新鮮。まるであれだよね?まだ付き合って間もないカップルみたいじゃない?」
「…」
私は何も言い返せなくなった。それよりも、ますます顔がほてってしまって、手のひらで顔をあおいでいた。
「あはは。もっと赤くなってる。おもしれ~~~!」
ああ、また面白がってるし。でも、本当だ、こうしてると、まるで恋人だったときに戻ったみたいだね。
不思議だ。今は夫婦なんだ。なのに、こんなふうに待ち合わせをして出かけると、恋人に戻ったりするんだね。
「今日は、恋人気分でいようね」
あ、聖君も同じこと思ってたんだ。
私は目の前の聖君を、なんて今日もかっこいいんだろうと、うっとりと見ていた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「でも、片思いのころまでは、戻らないでよね」
「へ?」
「今、そんな目で見てたよ、俺のこと」
あ、そんなことまで、ばれてるし。
「でも、それも面白いかも」
「え?」
私の言葉に聖君は聞き返してきた。
「今日は、聖君に夢中の、そんな私でいてもいい?」
「え?」
聖君は一瞬黙り込み、
「何を言ってるんだか。桃子ちゃんはだって、ずっと俺に夢中じゃん」
「へ?」
「そんな私も、こんな私もないっての。いつもの桃子ちゃんがそうなんだから、今さらでしょ?」
「そ、そうだね、そういえば」
ああ、言われてしまった。また顔が熱くなった。
「くすくす」
あ、聖君、また笑ってるし。
「桃子ちゃん、かわいい~~。やべ~~。俺も桃子ちゃんにメロメロだ~~」
「え?」
「ねえ、すげえメロメロだから、結婚してよ」
「は?」
「それで、俺の子供も産んで?」
「はあ?」
私が目を点にしていると、また聖君は笑ったが、そこにちょうどサラダを運んできたさっきの店員さんが、赤くなって言葉につまっていた。
「あ、あの、サラダ、いいですか?おいても」
「え?はい」
聖君は、にこっと笑い、そう答えた。店員さんは手を震わせながら、サラダを置き、さささっとキッチンのほうに戻っていき、他の店員さんに、
「ちょっと聞いて~~」
と話しかけているのが、聞こえてきた。
「聖君、きっと今の店員さん、聖君が私にプロポーズしたって勘違いしてるよ」
「へ?」
聖君はサラダに思い切りフォークをさして、小皿に取り分けている手を止めた。
「プロポーズ?」
「さっきの」
「あれ?あれが?」
「うん」
「だって、思い切りさっきのは、ジョーク」
「ジョークだとは思ってないよ、きっと」
「あちゃ~~。ま、いっか。じゃ、プロポーズをしてめでたく、結婚することになったカップルのふりでもしてよう」
「はあ?」
聖君はまた、サラダを取り分け、元気よくいただきますと言って食べだした。
「あ、うめ!このドレッシング!」
う~~ん。この雰囲気で、めでたくプロポーズをして結婚することになったカップルに見えるんだろうか。
「桃子ちゃんも食べな?うまいよ?」
「うん」
私もいただきますと元気にサラダに食いついた。
「あ、本当だ。ちょっとすっぱくて美味しい」
「ね?」
それから、私たちはおいしい、おいしいとパスタやピザもたいらげていった。